第九話 祖父と電話
こんばんは。
『暮色 ―ぼしょく―』と申します。
「空蝉物怪録……」
と、空を仰ぎ独り言ちる馨。
「まま、詳しいことはあとあと。移動しましょ。遅いと先生に怒られちゃうから。……本当、俺だけ怒られちゃうから」
いまだ空にある空蝉物怪録を眺めている馨の背を押し、夕柊は移動を促した。表情には出ていないものの声色から滲み出る焦り。
「無関係の人間をこっちに引き込んだ時点で、お前が怒られるのは決定事項だ」
そんな夕柊に現実を突きつける玄葉。その隣で頷いて同意を示す槐。
「うっ……」
夕柊は足を止めて、前にいる馨の顔を覗き込んだ。
「器、割る?」
「もう遅い」
その提案を馨は突っぱねて、今度は自ら足を動かした。後を追い隣に並んだ夕柊は長身の彼を見上げながら説得を試みる。
「変なのもう見なくて済むんだよ?」
「覚悟は決まったんでね」
「じゃあ俺怒られちゃうじゃん」
「自業自得でしょう」
「なら一緒に怒られてよね」
「いやだよ」
が、最後まで馨が靡くことはなかった。
「わかった。俺が教室から鞄とってきてあげるから」
「あ、そうじゃん」
「だから、ね?」
「それはそれ、これはこれ」
「ケチ」
「いいです、それで」
言い合いをする二人に綸は自然と笑みが零れた。
「馨のけちんぼ」
そう言い残し、夕柊は背中から翼を生やして飛び上がった。下からもう何度目かもわからない驚きの声を上げている馨を一瞥し、「べー」と舌を出すと三階の開いている窓から校舎の中へ入っていく。
校舎の中に入ったものの立ち止まり顎に手を当てた夕柊は呟いた。
「うむ。馨の教室がどこか聞くの忘れた。夕くん」
(なによ。もう一回下に降りて聞いてきたら?)
「いやだよ、かっこ悪いもん。だから夕くんが匂いで探してよ」
(僕のこと犬かなんかだと思っている?)
「でもわかるんでしょ?」
(……まあ、魂の匂いを辿れば)
「さっすがー」
(貸し1ね)
「うん」
夕柊は夕に体の操作権を渡した。代わった夕はいとも簡単に馨の教室を探し出し、おかげで夕柊は物の数分で下に戻ることができたのだ。
「あ、戻ってきた」
翼をはためかせて降りてくる夕柊を見つけて槐が零す。
「よくわかったね」
渡された鞄を受け取り馨は夕柊を軽く褒めた。
「まあね。俺には頼りになる相棒がいるから」
胸を張って答える夕柊。
その背中に生えている翼に興味津々な様子で手を伸ばしてきた馨を手で制し、夕柊は翼を仕舞いながら前へ進みだした。
馨がそれ以上深追いをしてこなかったのは、夕柊が鞄を取りに行っている間に槐から説明を受けていたからだ。それでも実物を見たら思わず手を伸ばしてしまったのだろう。その証拠に「ごめん」と謝っている。
そうして、一行はようやく動き出したのだ。
足を止めて振り返った玄葉。黒い靄が晴れて露になった校舎を見上げた。年季は入っているものの手入れが行き届いた奇麗な校舎だ。
息を吐き出した彼は腕を組んでまた歩みを進める。
ふと零れた笑み。前にいる彼らを見つめるその目には、これから新しい世界に足を踏み込む馨と綸を案じる思いと、幼いころから見てきた生意気な少年をこの先も見守っていく意志が込められていた。
「で、一体どこに向かっているんだ?」
「先生のところ」
長い袖を遊ぶように腕を振って歩いていた夕柊は振り返り、背後からの馨の問いに答えた。
「その先生というのは?」
首を傾げて馨はまた問う。
「これから馨たちが通う学園の先生」
「俺たちがこれから通う?」
「そう。今通っている学校は退学してこっちの学校に通うの。妖専門の退治人『退魔師』を育成する学園にね」
心底意味不明だ、と言いたげに馨は眉を顰め、後ろの綸も首を傾げていた。
「いや聞いていないんだけど」
「今言ったもん」
「そういうことじゃないから」
屈託なく言い放った夕柊に呆れてものも言えない馨。
「あー、俺らとしたことがうっかりしていたわ。すまん。親御さんにもしっかり説明しないといけねぇのに」
頭に手を当ててリアクションを取った槐は、その流れで両手を顔の前に合わせると馨に謝った。
「あ、その点は心配いらないと思います。俺一人暮らしだし」
両手を胸の前で振って槐にやめてもらえるよう促しつつ馨は答える。
その言葉が意味することを、この場にいた者は理解した。
「そうか。親族に当たる者とは連絡とれるか?」
槐に変わり尋ねる玄葉。普段と何ら変わらない声のトーンなのは、空気を重くさせないためと、変に気を使われたくないと思っているだろう本人への配慮だろう。
「あ、はい。祖父となら」
そう言いながら馨はポケットからスマートフォンを取り出し、慣れた手つきで電話をかけた。長い呼び出し音のあと通話がつながる。
「はいはーい」
「あ、おじいちゃん、馨だけど」
「おお、馨か。どうした?」
「おじいちゃんと話したいって人がいて、変わってもいい?」
「かまわないよ」
耳からスマホを離した馨は、スピーカーを手で押さえながら告げる。
「いいとのことなので、お願いします」
「俺が出よう」
玄葉は馨からスマートフォンを受け取り耳に当てると丁寧な口調で話し始めた。
「お電話代わりました。私は日と申します。那珂町さんでお間違いないでしょうか?」
「……え? なんだって?」
「ええ、那珂町さんですね。お孫さんの件で少々話がありまして」
「え? なんだって?」
「馨くんを本日付けで別の学校へ転校させたく、手続きのほうを」
「おお、日さん。もしかして同級生の日 太郎くんかい? まだ生きておったんだねぇ」
「いえ。私は日 玄葉です。手続きのほうですが……」
「え? なんだって? 結婚したから手続き?」
「私は独身を貫く所存です。では、こちらで済ませます。あと馨くんを寮のほうに」
「懐かしいねぇ、日くん」
「いえ。面識のない日です。寮の件もご了承いただけたということで、本日よりこちらで預からせていただきます」
「日くん、声が若々しいねぇ」
「お褒めに預かり光栄の至り。では、失礼」
玄葉は通話を切り、皆に視線を向けて言い放つ。
「……つつがなく終了した」
「うそつけーい!」
すかさず突っ込む槐。
「独身がどうのこうの、とか、面識のない日、とかおよそ出てこない言葉が聞こえてきたんだけど!? 本当に大丈夫なんだろうな」
「心配いらない。手続きはすべてこちらで済ませる」
「要は話がつけられなかったんだろう? なんでそんな『いい仕事した』みたいなテンションでいられるんだよ」
槐は今日一番の盛大なため息を零した。だが、玄葉は全く意に介さず堂々としている。
「そうそう、これが玄葉クオリティなのよ」
「どういう意味だ」
が、夕柊の一言には突っかかるようだ。
「すみません(……おじいちゃん大丈夫かな?)」
「いやいや、馨が謝ることじゃねぇのよ? 玄葉のあちらへの配慮が足りなかっただけだからさ」
頭を下げる馨に今度は槐が胸の前で手を振って否定を示す。
「まあ、もっと善処するべきだったか?」
「するべきだったな」
馨の態度を見て軽く首を傾げて呟いた玄葉に、槐は言い聞かせるように言葉を返した。
「俺の件は大丈夫だと思います。なので、七々扇さんの方を……」
「そっちはもう話が付いてんのよ」
遠慮気味に言った馨だったが、予想とは反する言葉が返ってきて考え込んだのち、思い当たる事実が浮かび上がり手を打ち合わせた。
「あ、そっか。元々ここには七々扇さんを迎えに来たから」
「そういうこと」
笑顔で同意を示した槐。
綸も「なるほど」と頷く。
すると突然、彼女の耳元で風が上方に巻きあがった。視線をやおら頭上へと向ける。その視界に映り込んだのは、宙に浮く軽自動車ほどの大きさの二頭身の生き物だった。背中には小さな四対の羽。つぶらな一つ目がぎょろりと動き、視線が合う。
「「ひっ!」」
短く悲鳴を上げた馨と綸。
だが、生き物――妖は彼らではなく別の者へ向かって、大きな口を広げて襲いかかった。
――バサッ
大きな翼のはためく音。
彼は左右の手をクロスして、自らの背から生えている両翼から羽を一枚ずつ抜き取った。
「創式妖術 幻想具現『千変万化之烏羽』変化『双剣』」
小さく唱えれば二枚の羽は黒い双剣へと変わる。彼はすぐさま飛び立ち、空中で華麗に双剣をひと振り。
直後、
――パリンッ
と響いた繊細なものが割れたような音。生き物の体はガラスにヒビが入ったようにずれる。そして、弾けるように消えた。
濡羽色の翼をはためかせ、彼は音もなく地面に降り立つ。
頭上から落ちる破片が茜色の夕日を反射させ輝き、彼に降り注いだ。それは、計算された演出だと見紛うほどに美しい。
翼は背中に仕舞われ、両手に握られていた双剣もふわりと消える。
彼は振り向いて呟いた。
「ほら、行こう」
後方に吹いた風で柔らかなブロンドの髪が靡き露になった顔。ブロンドの右瞳は夕日の影響か淡い茶色に輝く。それは、どこか彼の幼少の姿を彷彿とさせた。
ご高覧いただき感謝の至りでございます。
同級生の『日 太郎』くん、残念ながらここでお役御免です。




