86、待雪草
……ねぇ、どうして。
いややよ……。
せっかく夕柊くんが伝えに来てくれはったのに。
もっと早くに僕が目を覚ましてれば、こんなことにはならんかった……?
血の匂い、戦う音、倒れる音、息の止まる音……。
……もう、やめてよ。
やめて、やめて……。
「やめてー!!」
澪の胸が張り裂けんばかりの叫び声が響くと同時に、辺り一面に雫のような純白の花が咲き誇った。
初夏に咲き誇る早春の花。『スノードロップ』だ。
足元に咲き誇ったスノードロップに目を奪われた者らの手からたちまち武器が落ちていく。意思が働いたわけではない。スノードロップが、澪がそうさせたのだ。
これは澪の創式妖術『待雪草』。一面に咲き誇るスノードロップで戦意を喪失させる妖術である。
手から創式妖術で創り出した掉刀が消えその場にくずおれた冬唯は、下向きに咲く純白の花に指先で触れた。
「……奇麗やなぁ」
頬を伝い落ちた最後の一筋の涙は花の上に留まらず地面へ沁みていく。
次々とスノードロップの花に吸い込まれるようにへたり込んでいく光穂一族の者ら。一切の音が止み、澪のすすり泣く声だけが空気を震わせた。
「……終わらせな。僕が、終わらせな……」
董源の体を横たわらせて冬唯に向き直る澪。正座した彼は恭しく地面に手を八の字に置くと、流れるように頭を下げた。地面に髪が触れるほど深く、深く。
「……ごめんなさい、全部僕が悪いんです。ごめんなさいっ」
漏れ出た、酷く震えた声。
「ちがっ……頭を上げてくれ、澪!」
冬唯の声は澪には届かない。
澪は頭を下げたまま、董源が普段から持ち歩いていた短刀を手に取ると上半身を起き上がらせる。
「ダメだ!!」
いち早く察知した冬唯は慌てて立ち上がったが、自分の着物を踏みつけその場に四つん這いになる。体に力が入らず思うように動かせない。
澪は震える手で短刀の刃を自分の首に押し当てた。ツーと刃を伝う血。
笑った澪。
「せやからな、僕が死ねば――」
「それ、なにか解決するの?」
この場の空気に似合わない淡々とした声。抑揚のない感情を欠いた声。
澪の正面に正座した夕柊は迷いなく短刀に手を伸ばし、彼の首と刃の間に手を入れる。刃を握った手のひらは否応がなく皮膚が割け、溢れ出た血は夕柊の腕を伝って純白のスノードロップを対の色で染め上げた。
「……あ、あ……ごめんな、さ……」
夕柊の手のひらからとめどなく流れる血を見て動揺する澪。その隙を見て短刀を奪った夕柊は、地面を滑らせるように遠くに投げ捨てる。
「『加密列之箱庭』」
すぐさま自分の手のひらに治癒の妖術を施して傷を塞いだ夕柊は、その手のひらを澪の眼前に突き出した。
「怪我はいくらでも治せる。でも、命は元に戻せない」
夕柊の手のひら両手でつかみ下ろした澪は顔を俯かせ呟いた。
「でも、この争いを終わらせるためには――」
「もう終わっている。澪が終わらせたじゃん」
「……え?」
返ってきた夕柊の言葉に顔を上げた澪。
「良くみてごらん」
わずかに微笑んだ夕柊に促され澪は辺りを見渡した。
「……なに、これ。しろい、花?」
澪は自身が生み出した花畑に今の今まで気が付いていなかったのだ。この創式妖術『待雪草』は無意識に創り出されていた。
「もう終わったんだよ」
「終わった……。じゃあ、だれも、もう戦ってへん?」
「戦ってない」
「これ以上、傷つかへん?」
「傷つかない」
大粒の涙を零し力なく前に倒れた澪を受け止める夕柊。
「えらい、えらい」
と、奇麗な手のひらで彼の背を撫でる。
二人の様子を見て大きく息を吐き出した冬唯はその場に倒れた。荒い息は口元に咲くスノードロップを大きく震わす。
「スノードロップ。和名を『待雪草』。花言葉は『希望』『慰め』『逆境の中の希望』」
澪の体にかけられた白い羽織。神威学園の教師の証だ。澪の頭に手を置いた吟丸は目を細め優しく微笑んだ。
「いい妖術だ」
千輝からの連絡を受け駆けつけた吟丸は、誰も望んでいない結末を迎える前に自身の神使・烏天狗の妖術『重力操作』で強制的に争いを止めようとしていた。
だが、無意識とはいえ一族のために動いた澪を見て吟丸は自分が動くべきではないと判断を下しさがったのだ。いつでも動き出せる用意をしておきながら。
「澪、よく頑張ったね」
いつもと変わらない吟丸の笑みを見て彼の胸に飛びついた澪。頼もしく安心感のある温もりに澪は声を押し殺して泣き始める。
痛む体と疲弊した心に鞭を打って立ち上がった冬唯は体を引きずりながら澪の元まで歩んだ。
「……俺が始めた。董源を殺したのも、他の人らを殺したのも、全部俺だ」
そう一言告げると、澪から離れていくように薄暗い森の中へと姿を消す。
途端強く握られた吟丸の着物。澪は吟丸の胸元に頭を預けながら小さく呟いた。
「……なんで、なんで……」
声を拾った夕柊と吟丸だったが口は開かない。ただ、視線を離れていく大きな背中へと向けていた。
冬唯の通った道筋は赤く染まっていく。
(お前はなんも知らんでええ。どうか、奇麗なままでいてくれ)
彼の姿はとうとう闇に紛れ見えなくなった。
――澪、視線を逸らすな
不意に聞こえてきた声に肩を震わせる澪。懐かしい声に口調。
「……冬華、お姉ちゃん?」
咄嗟に上げた視界に探し求める者は映らない。
――もう、わかっているんやろう?
「……どこ? 冬華お姉ちゃん」
吟丸から離れ立ち上がった澪は視線を彷徨わせてその姿を探した。だが、見つからない。澪は理解している。彼女はいないのだ、と。けど、心のどこかで淡い期待を抱いてしまったのだ。
(知っとるはずやのに。冬華姉ちゃんはもうおらんって……)
――お前にしか救えない
三度聞こえてきた声に俯かせた視線を上げる。瞳は捉えた。自分をそっと見守っているその姿を。
「……おこめ?」
彼の神使・おこめは慈愛に満ちた微笑みを彼に向けると、ゆらりと煙のように姿を消した。
確かめる方法はない。記憶はすべて消えてしまっているのだから。だがひとつだけ事実があるとするのならば、冬華は死んだが遺体は誰も、弟である冬唯すらも見ていないということだろうか。
僅かに背を押された感覚に澪の体は無意識に動いていた。彼が消えた赤い道をたどるように駆けていく。
「おこめ、力貸してくれはる?」
「ええ、仰せのままに」
ふわりと姿を現したおこめは澪を背後から抱きしめ、彼の体へ合わさった。
胸元から取り出した煙管を口に咥え自身の息を吹き込む澪。煙管から発生した煙はそのまま型付き、瞬く間に数十体の澪の分身が出来上がった。
『隠神刑部』
【分身:煙管を通して吐き出した息で自身の分身をつくる】
「みんな、冬唯お兄ちゃんを探して」
「「「仰せのままに」」」
(一歩踏み出せば崖の下。えらい痛そうだけど、誰に見つかることなく終わらせられそうやわ)
「いや、なに考えてんねん。いくら恨まれとっても俺が澪を守らないかんやろうが」
自分の心の声に乾いた笑いが漏れた冬唯。
崖の縁に腰を掛けていた彼は上半身を後ろに倒し空を仰ぐ。
(空蝉物怪録……。記録残んのいややな。明日にでも閲覧禁止しに行かへんと)
呑気なことを考えているうちにまどろみに誘われていく。彼の背からじわりじわりと流れる血は地面にゆっくりと広がっていた。
「……みつけた」
かすかに聞こえた声に薄く目を開いた冬唯。視界に映ったのは可愛い弟の顔。普段は髪と口当てに隠されていて見えないが、下からならはっきりと見ることができた。
「澪、探しに来てくれたん?」
(なんて粋な夢やろうか。感謝せなな)
澪に伸ばした手は半ばで止まる。
「みつけた」
「みつけた」
「みつけた」
「みつけた」
複数の澪の顔で視界が埋め尽くされたからだ。
(……んー、澪の顔がいっぱい。俺、そんな澪を求めてたんか? 粋通り越して怖いねんけど)
後から来た澪が消え、残った澪――最初に冬唯を見つけた澪の口が動く。
「冬唯お兄ちゃん、ありがとう」
「……随分と俺に都合の良い澪を生み出しはって。夢とやらも意地悪うございますな」
「夢やあらへんよ。ちゃんと澪やねん。冬唯お兄ちゃんが守ってくれはった、澪やねん」
ひとりでに冬唯の瞳から溢れ落ちる涙。
彼の顔に手を伸ばした澪はその涙を拭う。
「ひどいことたくさん言ってごめんね。ひどいことたくさん思ってごめんね」
澪の瞳から落ちた涙が冬唯の涙と混じり、彼の頬を伝っていった。頬を綻ばせた冬唯は手を上に伸ばし澪の頭を撫でる。
「アホ。んなことで謝りおったら、口がいくつあっても足らんやないか」
「……僕のこと、なんで恨んでへんの?」
「可愛い大切な弟を誰が恨むねん」
「だって、冬華お姉ちゃんを――」
「お前はなんも悪くない。悪いのは……周りの大人たちや」
「……ええの? 冬唯お兄ちゃんの弟でいても」
「ええよ。いくらでも。好きなだけ」
顔を歪めた澪はそのまま冬唯に抱きつき声を上げて泣いた。抱きしめ返した冬唯は空に視線を向けたまま笑う。
「お、あの雲スノードロップみたいやな」
光穂一族 篇 ――完――
ご高覧いただき感謝の至りでございます。
第六章『光穂一族』篇、完結です。
第七章『中間試験』篇、もお楽しみに!
個人戦があったり、新キャラの登場があったり、関係性が進展したり……。
余談ですが、
冬華の死後、空席となった二学年『真羽』の担任に抜擢された人物が現担任・交久瀬 暖です。
吟丸と北斎は冬華と五年間共に教師をしています。吟丸と冬華は同時期に教師になりました。




