85、冬は泥を被る
「……これで、いい。恨まれるのは俺一人でええんや……」
掉刀を握ったまま天を仰いだ冬唯。その傍らには骸となった董源の姿。
欠けた月の明かりが煌めかす掉刀の両刃から涙のように血が滴った。
宗家の屋敷を離れ、一族集落の中心にある広場で行われた二人の決闘はあっけなく決着がついた。時間で言えば十分にも満たなかったかもしれない。それほど二人の差は歴然――否、冬唯が圧倒的過ぎたのだ。
董源が今まで澪にしてきたことを考えれば苦痛を与えることが望ましかったのかもしれない。だが、冬唯は自分と董源が戦っている様を澪には見せたくない、その一心で早くに決着をつかせた。
もし澪が目撃したら止めに入るだろう。性根の腐った董源のことだ、その澪の優しさに付け込み油断したところで背後から刺すなど容易だろう。罵って、喜々として真実を語り、澪を絶望の淵に落とすだろう。
それだけは避けたかった。
「お前には酷だろうが、澪の味方のまま地獄に落ちてもらう。死人に口なしだ」
冬唯は冷たく言い放つ。
そして、振り返った。
「俺は何が起ころうと澪の味方だ。澪に刃を向けたくは俺を殺してから行け」
董源同様、冬華を慕う者、澪を恨む者、董源の下につく者らが武器を手に取る。
冬唯を支持すると名乗り出た者も多くいたが、冬唯は彼らには決して武器を持たせなかった。
「手を出すな。すべて俺が相手をする」
「ですが……!」
「邪魔をするな。足手まといだ」
そう言われてしまっては引き下がる外ない。
(……ええんや。俺一人で)
自らの意志で悪役を一手に引き受ける冬唯。
どんよりとした灰色の雲が月を隠す薄暗い夜半、光穂一族の地は数多の血を吸った。
◇
昨日の曇天から打って変わりカラッと晴れた青空。岐神病院での病室で夕柊は、千輝の神使・天邪鬼の『千隼』と筋トレを行っていた。
「お前、軽すぎる。もっと体重かけられないのか?」
小柄な夕柊を背に乗せて腕立て伏せをしながら不満を漏らす千隼。
「いーよー? 俺の本気見せちゃうもんね」
千隼の背の上で無表情のまま腕を組んだ夕柊は背から二対の濡羽色の翼を生やす。
(……やめときなさい、柊)
(お母さん、男には譲れない駆け引きがあるんだよ)
(ろくなことじゃないんだから、やめなさい。そして、お母さんでもない)
ふん、と鼻を鳴らした夕柊は夕の忠告を無視し妖術を唱えた。
「創式妖術『千変万化之烏羽』変化『土嚢』」
二十枚ほど取られた烏の羽はあっという間に煙を出して土嚢へと姿を変える――が、調整ミスはいつものこと。
20㎏想定の土嚢を創ったつもりが、実際に創られたのは60㎏の土嚢。言うまでもなく、それは腕立て伏せの姿勢の千隼の背に落ちてくる。
「あ……」
無意識に漏れた夕柊の声を察知した千隼はすんでのところで身を翻して避けた。
「……っぶね」
が、受け皿を失った土嚢は必然的に病室の床に落ちる。
――ドスンッ
と鈍い音に加え振動する床。
「あちゃー」
と、土嚢を上から覗き込みまるで他人事な夕柊。
(もう、言わんこっちゃない)
脳内で夕の呆れ声を聞きつつ「証拠隠滅」と、翼を背に仕舞えば羽で作られた土嚢もきれいさっぱり消える。満足げな夕柊に夕は盛大なため息。
「……あ、やべ――」
が、束の間、慌てだした千隼の声を遮るように響いた怒号。
「お前らー!!」
岐神病院院長・千輝のご登場だ。
マンバンヘアにリングピアスのいかつい男(※頬にはハート型の傷あり)に顎で指示され渋々と正座する二人。
「病院の床に穴開ける気か? あ? ここは遊び場じゃねぇんだよ。アホみてぇな馬鹿なことは他所でやれや」
「「……はい、ごめんなさい」」
ブロンドの髪に瞳の小柄な少年と、尖った耳に鋭い牙、両瞳に『邪』の文字が刻印された大柄な男、妖『天邪鬼』は反省の態度を示す。
「……にぎやかですね」
背後から聞こえてきた小さな声に夕柊は機敏に視線を向けた。
「悪い。うるさくしちまったな」
「いえ」
片手を顔の前に持ってきて謝る千輝に澪は控えめに首を横に振る。
ベッドに近づいた夕柊は彼の顔を覗き込んで尋ねた。
「どうする?」
「……行かんといけんね」
「行ける?」
「うん」
ベッドから降りた澪に治癒の妖術を施した夕柊。澪の目の下にあった隈は僅かに薄くなる。
「ありがとう」
「なんの、なんの」
「なに行こうとしてんだ?」
澪の前に立ち塞がり腰を屈めた千輝は鋭い視線を彼に向けた。
「ドクターストップだ」
威圧はないが凛とした声と見透かされているような瞳に気圧されている澪。数歩後退ってしまう。
それを見逃す夕柊ではない。
「……変化『パイ投げ』」
千輝の背後で新たに創りだした物を構えた夕柊は、一瞬の隙を見て彼の顔面に創りたてのパイを投げつけた。
「うぐっ」
予測していなかった予想外の攻撃に千輝が怯んだことを見て、澪の手を掴んで病室から逃走を図る夕柊。
「……こんの、クソガキー!」
袖でクリームを拭った千輝が追いかけてくるが、当の本人は「あははー」と棒読み笑いでお気楽なご様子。羽ばたかせる翼はブースト代わり。
病院の壁に無数にある扉のひとつを開いて澪を押し込んだ夕柊は振り返る。扉が閉まるわずかな時間で彼は扉の前に追いついた千輝に言った。
「大丈夫。俺が付いているから」
その言葉を最後に閉じられる扉。
「余計心配になるようなこと抜かすんじゃねぇよ」
舌打ちののちため息をついた千輝はへたり込む。顔全体に投げられたクリームだが、ハート型の傷は奇麗にクリームを弾いていた。天邪鬼との神使契約時に付けられるマーキングのような傷。まるで一種の呪いのようだ。
「千輝。本日の患者ですが――うわっ! ……なに遊んでいるんですか」
患者のカルテを手に千輝に近づいた医師・鐘だったが、上げられたクリームまみれの院長の顔を見て呆れ声を漏らす。
僅かにずれた眼鏡を治し、白衣から取り出したハンカチを千輝に手渡す鐘。
「あのガキに一杯食わされた」
受け取ったハンカチで顔を拭きながら答えた千輝に平然としていた鐘だったが、とうとう耐えきれず吹き出す。
「それはなんとも……こっけい、な……」
「笑ってんじゃねぇよ。……はぁ、ドクターストップを無視しやがって。親に報告だな。即行で」
クリームはいつの間にか跡形もなく消えていた。
◇
扉をくぐりひとまず学園についた二人。
夕柊は、まだ誰も登校してきていない学園の保健室から手早く予備の制服を拝借し澪に渡す。澪が着替え終わったとみるや否や、彼の腕を引いて学園の廊下を駆けてどん詰まりにある祠・社さんに乗り込んだ。
行き先は言わずもがな光穂一族。
震えている澪の手を上から優しく握った夕柊。
「大丈夫。俺がついている」
そのなんとも頼もしい姿に澪は小さく頷いた。
◇
息を切らしている冬唯。その体には幾つもの傷があり血が流れている。痛々しい姿。それでも彼は決して掉刀を下さなかった。
広場に転がっている光穂一族の者らの死体。その中でも、やはり一際目を惹く董源。彼が大柄であることだけではない。澪の側近を意味する、要は当主付きの者にのみ着ることが許される特別な着物を纏っているからだ。
現在の光穂一族では、董源のみが身に着けている着物。
「……くそっ」
董源の姿――その着物が目に入る度、冬唯は苦い顔になる。
冬唯の体力も気力も限界を迎えそうだ。“澪のため”その一心で彼は掉刀を振るい続けた。
「……なに、してはるの……?」
だが、争う声、武器のぶつかる音、苦し気に漏れ出る声、その間を縫って冬唯の耳に届いた声に、彼の心は一瞬にして折れかけた。
「……なにが、起こって……」
「……澪」
(……ああ、あの子が帰ってくる前に終わらせられなかった。見せて、しもうた……)
冬唯の悲痛に歪んだ瞳と、吹き付ける風によって露になった澪の光を失った瞳が交わる。
(だが、今更止められない。ごめんな、澪。ごめんなっ……)
澪が悲しむと分かっていながらも、一度始まってしまった争いは止まらない。止められない。
「……やめてよ、なにしてはるんよ、みんな。死んじゃうよ、やめようよ」
澪のか細い声は誰にも届かない。
ふと、視界に入った着物。その着物を着ることを唯一許された人間。
「……え? とう、げん……?」
澪はおぼつかない足取りで近づいていく。
崩れるように膝をついた澪は、董源の上半身を抱き上げる。固まった血に塗れた体、土気色の顔。冷たくなった体。死は明白だった。
「……っっ、うあああああ!!」
慟哭を上げる澪。
だが、そんな悲痛な少年の姿も争っている者の瞳に映されることはない。その事実に冬唯は再び涙を流し、澪の声を覆い隠すように叫び声を上げ掉刀を振るった。
ご高覧いただき感謝の至りでございます。




