84、崩れ落ちる音
いやや……。
いやや……。
ごめんなさい……。
ごめんなさい……。
何もない真っ白な空間で膝を抱えている澪。彼の口から連呼されるものは拒絶と謝罪。
僕のせいだ。
冬華お姉ちゃんが死んじゃったのは僕のせい。
冬唯お兄ちゃんが苦しんでいるのは僕のせい。
苦しい……。いやや……。
ごめんなさい……。
――そんなことはありません
誰の声? 董源?
声を聞くために顔を上げた澪。彼はその時初めて、自分が今いる場所が何もない現実の世界から離された空間であることを知る。
何もない……。
誰の声も聞こえない。責める声も。悲しむ声も。
誰の視線も感じない。恨みの視線も。蔑む視線も。
ああ、ずっとここにいたいな。ひとりでここに……。
◇
「澪」
窓から月の光が差し込む病室に佇んでいる少年。わずかに開いた窓から入り込んだ風にブロンドの髪が揺れた。
「……何しに来た」
開け放たれた病室のドアに寄りかかっている千輝が、澪へ手を伸ばしている夕柊に声をかける。
「目敏いですね」
「よく見ている、の間違いだろう?」
「目を瞑っていてよ」
「瞑ったらやるだろうが」
「瞑らなくてもやるよ」
「……だろうな」
深呼吸した夕柊は伸ばしかけていた手を澪の額に当て、小さく唱えた。
「玉響」
淡く光る澪と夕柊の体。澪の額に手を当てたまま力なくその場に崩れる夕柊を千輝は受け止める。
『玉響』は、他者の精神に干渉して夢を見させるほか、見ている夢に入り込むこともできる能力だ。だが、その際夕柊の精神も夢の中に移動するため、現実の彼の体はもぬけの殻のように力なく倒れてしまう。
「こうなるんだから初めから声かけろ、アホ」
◇
真っ白な空間に足をついた夕柊は瞑っていた目を開いて歩き始める。どこかにいる澪を探す為に。
どのくらい歩いたのだろうか。
一つの影を見つける。膝を抱えて座り込んだ澪だ。
「澪」
声をかけても澪は何も反応を示さない。まるですべての音を遮断しているかのように。
「もう、いい。全部、どうだっていい」
「諦めないで、あなたには私がついておりますから」
澪を背後から抱きしめているもう一つの影。彼の神使・隠神刑部の『おこめ』だ。必死に声をかけるが、どれ一つ彼には届いていない。
「おこめ」
夕柊の声に気が付いて顔を上げるおこめ。彼女の瞳から一筋の涙が零れる。
「夕柊、さん。……どうか、わが主をお助け下さい」
「うん。そのために来たから」
涙に濡れた顔で微笑んだおこめは静かに姿を消した。
再び空間に響く澪の重く沈んだ声。
「僕なんて、おらん方がええ。みんな幸せになれる」
「それは君が決めるものじゃない」
聞こえてきた自分以外の声に澪はやおら顔を上げた。自身の正面に膝をついている夕柊と目が合い、開いていく長い前髪に隠れた大きな目。
「……ゆうひ、くん?」
夕柊の声が澪に届いたのは、彼が直接精神に声をかけているからだ。
「自分の本当の価値は自分では決められない。他の人が決めるものだ」
「……やったらなおさら価値はあらへんよ。僕はおらん方がええ人間やから」
「そう言われた?」
「……うん」
冬華を慕う者らによる長年の彼を壊す言葉。その中には「お前なんて生まれなければよかった」「お前はいらない人間だ」そんな言葉が多数あった。
彼を苦しめ縛り付ける呪いの言葉。
「じゃあ、全員がそう言ったの?」
「全員とちがうけど、言わんだけできっと思ってはる。特に、冬唯お兄ちゃんは僕を恨んどるから……」
澪は再び膝に顔をうずめた。震える体。夕柊はその頭に優しく手を置く。
「俺はね、澪を呼びに来たわけじゃない。ここから出るには自分の意志で動くしかないから」
「なら、何しに来たん?」
「伝えに来た」
上げられた澪の目と視線を合わせる夕柊。揺らぎのない力強いブロンドの瞳に吸い込まれそうになる澪。
「君を一番に大切にしてくれている人が傷ついている」
夕柊はその一言を告げるとふわりと姿を消した。
「……僕を、一番に大切にしてくれている、人……」
◇
目を覚ました夕柊はおもむろに上半身を起き上がらせる。
「起きたか」
傍らから聞こえてくる声に顔を向ければ、マグカップでコーヒーを啜っている千輝が視界に入る。彼は足を組んで本を読んでいた。床ではいびきをかいて寝ている千輝の神使・天邪鬼『千隼』の姿。
いつも通りの光景に夕柊は知らずのうちに安堵の息を漏らしていた。
手のひらを見ればただれはなく奇麗な状態。
精神に干渉している間は対象の額に触れていないとならない。故に、千輝は干渉が終わるまで夕柊の体を支え、終わった後に彼をベッドに寝かせて手のひらの傷を治癒の妖術で治したのだ。
「千輝くん様様ですか」
「おう、感謝しろよ」
ベッドから降りた夕柊は向かいの澪の病室へ入っていく。千輝も後を追った。
澪はまだ眠っているが、幾分か顔色はましになったもよう。
「起きそうか?」
「どうかな? でも、彼は優しい子だから」
「優しさに付け込むような言葉を吹っ掛けたわけか」
「いやだなあ。奮い立たせた、でしょう?」
◇
――光穂一族敷地にて
(澪に刃を突き立てる者すべてをこの手で葬る)
同じ言葉を脳内で反芻しながら、妖術を唱える冬唯。
「創式妖術『掉刀』」
開いた彼の手のひらに現れる掉刀。
(掉刀:長い柄の先に両刃が付いている武器)
掉刀を肩に置いた冬唯は迷いのない足取りで宗家の屋敷へ向かっていく。
宗家の屋敷でひとり座していた董源。口から漏れ出る声。
「許さない、許さない……。あのお方を……」
月明かりが彼の顔を照らした。吊り上がった鋭い瞳、むき出しになっている歯茎。怒りを具現化したような顔。
「殺す……。殺す……光穂、澪!!」
その怒号は面前の障子を震わせた。
その障子にゆらりと映る影。
「……董源、決着を付けようか」
その声に応じ勢いよく開かれた障子によって、手入れされていない庭にいる冬唯と、縁側を挟んで座敷にいる董源が相対する。
「……私は、あなたが心変わりするのを心待ちにしていたというのに……。なぜ、同じ方を思うあなたと戦わなければならないっ!」
立ち上がり一歩一歩冬唯に近づきながら必死に訴えかける董源。
「同じ人? ふざけるな、俺ははじめから守りたいのは澪だけだ。姉貴も望んでいること」
「なにをおっしゃる! 冬華様は恨んでいるのですよ、あの恥知らずの人げん――」
風を切って自分の喉元に向けられた掉刀の刃に董源が口を閉じる。
「恥知らずはお前の口だろうが」
「なぜ、なぜわかってくださらない!! 私が奴を殺せばあなたが当主になれるのですよ!?」
「望んでいないことだ」
「では、姉を殺した奴が憎くないのですか?」
「姉貴を殺したのは澪ではない。……お前だろう?」
冬唯の一言を聞いて動きを止めた董源。力なく項垂れると途端笑い出す。
「……あ、はは。あはははは! ああ、そうですよ! 私が奴の紅茶に毒を盛った。それなのに奴ではなく冬華様が飲まれてしまった……」
「わかっていてなぜ澪を――」
「理解できないのですか? そもそも奴が生まれなければ冬華様が死ぬことはなかった。生まれてきたこと自体が罪なのですよ」
「……なにを、言っているんだ」
(なぜ俺は、澪の傍にいた奴がこんな悪漢だと気付けなかった。……ああ、俺がもっと早くに気付けていれば澪は今も笑って過ごせていただろうにっ!)
掉刀を握る手に力が込められていく。
「枕元で洗脳のように語りかけ、暗殺者を差し向け、自ら塞ぎ込むように仕向けたのが私であるとも知らずに、優しい顔で手を差し伸べたらいとも簡単に信じてしまう。なんと滑稽な!!」
「……やめろ……」
「一度他者の屋敷に合宿に行った際、ご飯時に毒を盛った食事をお届けに参ったのですが、邪魔をされてしまいましてね。他者の屋敷で毒で倒れたならば疑わしきは屋敷の食事。完全犯罪になるところだったのに、残念」
「……やめろ……」
「でも、まさか普段飲んでいる水に毒が仕掛けられているなんて思いもしなかっただろうなあ。信じていた者に裏切られる、これほど奴の精神を壊すものはなかろうさ!」
「やめろっ!! ……もう、やめてくれ……」
冬唯の瞳から零れる涙。
(澪……。ごめんな、守ってあげられなくてごめんな。でも大丈夫だ。もう迷わない。俺がすべて終わらせる)
「武器を手に取れ董源。お前は生かしておけない」
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