83、光穂一族の悲劇
澪は吟丸と、神威学園保健医・陽炎による迅速な対応で岐神病院へと運ばれていった。
初羽の子らは吟丸に促され教室へ戻ったものの、混乱は時間が経つほど膨らんでいき空気はひどく重い。
「心配なのはわかるが、授業を――」
――ガラッ
吟丸の言葉を遮って勢いよく開けられる教室前方のドア。開けた人物は脇目も振らず吟丸に一直線に近づくと、その胸倉を掴んで窓に押し付けた。
「なぜこんなことが起きる!」
その者は荒い息を零しながら吟丸を睨め上げる。
「あのお方が! ……あのお方が、今どれほど苦しんでおられるかっ!」
それは、澪の側使い――董源であった。董源は鋭く尖らせた目から涙を零し、吟丸の胸倉をつかむ手に力を入れていく。
「先生から手を離して」
董源の震える腕の上に手を置いた夕柊。
「……ガキは黙っていろ」
夕柊を咎めるも董源の瞳は吟丸から離れることはない。その恨みの籠った瞳を吟丸も冷静に見つめ返す。
不意に吟丸の背後の窓の外、死角に現れた影。その影は窓をすり抜けると吟丸に刃物を持って飛びかかった。
だが、刃物の切っ先が吟丸に届く前にその影は吹き飛ばされ黒板にぶつかる。董源の腕に手を置いたまま夕柊が背後に回し蹴りを入れたからだ。
その影――もう一人の董源はぶつかった衝撃で煙となり消えていく。
光穂一族である董源の神使もまた澪同様『隠神刑部』だ。
『隠神刑部』
【分身:自身を複数に分身】
舌打ちを零した董源は吟丸の胸倉から手を離すと後ろに飛んで距離を取った。その背後に姿を現す三人の董源。窓の外からも三人の董源が教室へ入ってくる。すべて分身だ。
「君たちは下がっていなさい」
唖然としている初羽の子らに穏やかに声をかけた吟丸の声に合わせて聞こえてくる烏の鳴き声。
――カァ
夕柊が開いた窓から勢いよく飛び込んでくる一匹の烏。烏は流れるように董源の背後にいた分身三体を引き裂くように飛び吟丸の腕に止まる。
吟丸の神使・八咫烏の『玖』だ。
夕柊も玖の動き出しと同時に、創式妖術の羽から創り出した双剣で窓の外の分身三体を倒し、戦況は一変した。
分が悪いと踏んだ董源は煙球を教室の床に投げつけ去っていく。
「……っ! これを吸うな!」
「ゲホッ、ゴホッ……せん、せい」
吟丸の叫び虚しく、突然の煙を吸い込んでしまい次々と倒れていく初羽の子ら。近くの恒心へ駆け寄った吟丸は彼の状態を確認する。寝息を立てている様を見て胸を撫で下ろした吟丸は、煙が収まった教室を見渡した。
董源の姿はない。
「ごめん、逃がした」
煙が完全に収まった頃、教室に戻ってきた夕柊とトト。トトは吟丸の叫び声とほぼ同時に口を塞いだために煙を吸わずに済み、董源を追うために教室から出た夕柊を追いかけたのだ。
夕柊にのみ聞こえる優しい声。
(魂の匂いが残っているから追うこともできるけど、どうする?)
(いや、大丈夫)
(必要な時はいつでも頼ってね)
(うん。ありがとう、夕くん)
彼の半分の魂、妖・烏天狗の『夕』である。
「迷惑千万な置き土産を置いて行かれたね」
苛立ちが額の筋に現れている吟丸に頷いた夕柊は机に伏している綸に近づいた。小さく寝息をかいている彼女に安堵し、トトにやや鋭い視線を向ける。
「はいはい、ごめんって。でも、反応を示さなかったからさ」
トトから視線を逸らした夕柊は、生徒一人一人の状態を確かめている吟丸へ近づいていった。
ため息をついたトトは気まずそうに頭を掻く。傾けられた首に合わせて揺れた耳飾りのガラス玉は、どんよりと曇り始めた空を映し取った。
――岐神病院にて
「澪の容態はどうだ?」
「ええ。落ち着いてきました」
病室の扉を開けて入ってきた院長・千輝に彼の片腕でもある医師・鐘が答えた。
澪は今や寝息を立てているものの、先刻までは毒を盛られた事実にパニック状態であったのだ。異様なまでに「ごめんなさい」を連呼する彼に千輝らも動揺を示していた。
「……澪は、目を覚ましますか?」
澪の手を握ってより沿っている男性。片目を隠す長い前髪に、口元には黒子。
名を『光穂 冬唯』(28)。神威学園非常勤講師の一人だ。
澪が毒によって吐血したと吟丸から連絡が入り駆けつけたのだ。
「本人次第だな。勝手に心を覗いちまったが、こいつは何にそんな謝ってんだ。尋常じゃねぇよ。周りの大人がもっとしっかりしろよ。まだ14歳だべや」
「返す言葉もない。でも、俺はこの子から避けられてはるんですよ……! ……どうすればええんですか……」
澪の手を自身の額に当てた冬唯は目をきつく瞑り顔を歪める。
――――――
光穂澪は宗家の第一子として生まれた。だが、母は彼を産んでまもなく亡くなり、現当主である父も病弱な体に障る激務に澪が7歳の時に亡くなった。
代々宗家から生まれてくる子は病弱であり長く生きられない。父も例外ではなく、若くして亡くなり当主の座は澪に回ってきた。
だが、7歳という若さでの当主に分家は黙っていなかった。実力もあり統率力も言わずもがな、一族内でも一目置かれている『冬唯』こそ当主に相応しい、と騒動が起こった。
が、騒動はほどなくして終息する。冬唯が表立って澪を当主に据えると宣言したからだ。それでも納得がいかない者もいるのが現状。
矛先はまだ幼く何も知らない澪へと向いた。
その日は澪の8歳の誕生日。澪を可愛がっていた冬唯とその姉『冬華』によって小さな誕生日会が開かれていた。
冬華は神威学園の教師であり二学年真羽の担任をしている。実力はもちろんのこと、男前な彼女は生徒からも良く慕われていたほど。
「澪~、誕生日おめでとう! 今日は冬華ねえちゃんとこいつでめいっぱいお祝いしたるさかい、なんでも言うてくれてええからな」
「いっしょにケーキ食べたい! あと、今日の夜一緒に寝てくれる?」
「んー、澪かわいい! いくらでも寝る! むしろ俺らと一緒に住まん?」
「アホ。できるか、んなこと」
「叩かんでや、姉貴! わかっとるわ。ただ、このぐらいの年の子には伸び伸びと自由に過ごしてほしいって願ってまうやんか」
「せやなぁ。まあ、今はそんな重い話は忘れてぱぁと騒ごうやないか。ほら、澪、でっかいケーキ作ったから腹はちきれるまで食べぇ」
「わあ、ケーキ!」
三人の元に切り分けられたケーキと紅茶が運ばれてきた。
「美味しそう、いただきまーす!」
真っ先に口に運んだ冬唯。その美味しさに頬が落ちそうなほど顔を綻ばせる冬唯。その様子を見て冬華がホッと息を吐き出した束の間、彼女はケーキを運び終え去る者の嫌な笑みが携えられている口元が目に入った。
ケーキを一口頬張った澪が手を伸ばした紅茶を、冬華は横から奪い取り自らの口に運ぶ。
無情にも彼女の憶測は当たってしまった。
「……冬唯、澪の目を、ふさげ」
姉からの指示に首を傾げながらも従った冬唯。
熱くなる胸元、口から漏れ出る鮮血。澪へ運ばれた紅茶には毒が盛られていたのだ。その場に倒れる冬華。
岐神病院へ運ばれたが甲斐なく、彼女は26歳で亡くなった。
幼かった澪はどういう経緯かは理解しておらず、ただ冬華が亡くなった事実に涙した。
その場にいたのに何もできなかった自分を責める冬唯。だが、彼は澪を責めることは決してなかった。元凶は澪ではない。彼が一番理解していたからだ。
話し合いの末、澪にはこの事実を秘匿する結論に至った。が、冬華を慕っていた者は光穂一族の中にも多数いる。故に黙ってはいない。
澪を暗殺しようと一部の者が動き始めた。
裏で冬唯が澪にばれないように追い払っていたが、とうとう食事に毒が盛られ始めた。事前に気付くことができ澪の口に入る前に阻止することができたが、それ以降澪には信頼のおける者が作った物及び毒味を終えた物以外は口にしないようきつく言いつけられる。
それだけで済めばよかったのだが、物理が効かないと踏んだ者らは澪の精神に影響を及ぼし始めた。
彼が寝ている耳元で、「お前のせいで冬華様は亡くなられた。お前に盛られた毒を代わりに受け死んだ」と、洗脳のように唱え続けたのだ。
11歳になった澪は次第に理解できていなかった当時の出来事を自ら追い求めるようになり、そして真実にたどり着いてしまう。
辿り着いてしまった澪は壊れた。塞ぎこむようになり、宗家の屋敷から一歩も出ない日々が続く。食事も取らず餓死寸前にまでなった。
澪は冬唯が自分を恨んでいると思い込み、彼の行動すべてが恐ろしく思えてならなかった。自分が拒絶されていることを受けた冬唯も彼から距離を取るようになる。
そんな彼に手を差し伸べたのが、現在彼の側使えをしている董源であった。彼の献身的な支えで澪は次第に董源の作った物だけなら食べられるようになり、彼と一緒なら外にも出られるようになった。
だが、明るく笑顔が絶えなかった彼の顔からは完全に笑顔が消え、他者からの視線に怯えるようになった。長い前髪もそこに起因する。自信も失せ、声は小さく、自分の気持ちを押し殺す、精神をすり減らすような生き方が板についてしまったのだ。
――――――
「……いや、俺にもできることがあったわ」
澪の手を離し立ち上がった冬唯は小さく零し、ゆらりと立ち上がる。
「冬い――」
覚束ない足取りで歩く彼に声をかけようとした鐘が途中で言葉を飲み込んだ。冬唯の瞳が何者も寄せ付けないほど闇を孕んでいたからだ。くゆりと燃えている決意。誰にも邪魔させないという固い意志。
病室にいることを忘れているかのように冬唯は一歩ずつ歩んでいく。
(俺にできること。澪に刃を突き立てる者すべてをこの手で葬ることだ)
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