82、探しものは近くにあるもの
翌日、始業ギリギリに学園に来た市露と焚。短く切った髪を照れくさそうにかきながら、
「お、おはよう」
と入ってきた市露に初羽の子らは笑顔を向ける。
「髪、切ったのですね。こちらも良く似合っています」
自分の前の席に着いた市露に声をかけた綸。
「しばしの間、簪が家出するみたいやから」
遠回しな言い方に、綸は上半身を傾けて市露の前に座る焚の姿を覗いた。焚の頭には無造作にまとめられた髪に簪がさされてある。以前市露が付けていた簪だ。
焚の前に座っていた乃々子が振り返り、焚の頭に手を伸ばす。
「ちょっとあたしにやらせて」
素直に頷いた焚は簪を外して乃々子に渡した。受け取った彼女は「そっちに体向けて」と、焚に指示を送ると慣れた手つきで髪を編んでいく。前髪と左サイドの髪を編み込まれ、結び目近くにさされた簪。
「ほら、少しは女の子らしくなったんじゃない?」
頬を綻ばせ焚に鏡を渡した乃々子。焚は自分の姿を鏡で覗き首を傾けると、後ろを振り向いて市露に顔を向ける。
「うん。えらい可愛いなぁ」
頭に伸ばされた市露の手を受け入れた焚は可愛らしい笑い声を上げた。
目を細め優しく微笑んだ市露は改めて自分が今生きていることを実感する。そしてそれは、危険を顧みず篷一族に乗り込んでくれたクラスメイトのおかげである、と胸がいっぱいになり小さく「ありがとうな」と零したのだった。
「本日は、妖術の特訓をしようか」
神威学園・第三運動場にて一学年『初羽』の担任吟丸指導の元、妖術についての訓練が始められようとしていた。
妖術とは、神使契約した妖の能力行使のこと。つまり、神使の能力を使いこなすための特訓と言うことだ。
「先の奪還作戦の様子を玄葉と槐から聞いたが、めちゃくちゃだったらしいからね。要特訓とのお言葉をいただいたよ」
その一言に一気に目を逸らす初羽の子ら。心当たりがあるといった反応だ。夕柊ら市露救出に向かった一行と別れてその場に残った彼らは意気揚々と妖術を行使したが、その悉くがうまくいかず同じく残った玄葉にフォロー及び尻拭いをさせる始末。
玄葉と槐は、一族に下手に介入できない吟丸に代わって、強引に生徒らの見守りへと駆り出された二人だ。
「だってまだ入学してそこまで経ってないし? 最初からうまく使えるわけないじゃんね?」
口を尖らせた恒心に笑顔を向ける吟丸。その黒い笑顔に恒心は短い悲鳴を上げる。
「それ、なんと言うか知っている? 言い訳、だね。もう一度言うが、誰かを殺しかねない優しさは不要だ。いや、この場合は優しさというより驕りかな? まあ、自分の身も満足に守ることができず他者に守られるような者は、この世界には必要ないと言うことだ」
声は穏やかであるのに吟丸の体から漏れ出た圧に初羽の子らの体が震えていく。
「生半可な気持ちでここに立つな。揺らぎが生じているのなら今すぐ僕がその器を割ってやろう。偽善はいらない、同情もいらない。覚悟を履き違えるな。いいね?」
「「「……は、はい……!」」」
「よし」
そんなこんなで吟丸によるスパルタ特訓が始まったのだった。
「……あぁ、もう、限界……!」
神使・木霊『木歳』の木でできた小さな体を持ち上げ地面に座らせると、そのまま芝生に倒れ込んだ馨。
「馨、まるで干からびたカエルのようだな。役を奪いに来たのか、負けないが」
その隣に腰を下ろした綴。息は切れ全身に汗をかいているが、彼にはまだ余裕が見られる。
(……うーん、この人ほんと何言っているんだろう)
表情に無を宿した馨は起き上がり綴の隣に座った。
「なんか、真幌先生との地獄特訓を思い出すね」
「ああ。あれからもちょくちょく学園で見かけるが、その度に身構えてしまう」
「あー、わかる。あの顔で油断させといて一瞬にして体術で圧倒されるからね。本人曰く力云々ではなくタイミングらしいけど、あの領域に達せられる人はそうそういないんじゃないかな」
「小悪魔の戯れ」
「言い得て妙だね」
流れる沈黙。だが、気まずさはない。
妖術の特訓をしている初羽の子らを見つつ、抱えた片膝に頬を付けた綴が呟く。
「……あの神使たちも、元は人間だった」
肩が震える馨。芽吹きプロジェクト最終日、岐神病院で目にした光景と突き付けられた真実が思い起こされた。
――――――
「お前らは不思議に思わないか? 妖には知能がないのに、どうして神使は知能があるのか」
「……神使はみんな、元半魂だ」
「そして、半魂は――『神隠し』の被害者だ」
――――――
「……半魂の夕柊も、いずれ妖になる。それも、記憶も思い出もすべて消えて……」
抱えた両膝に顔を埋める馨。
「聞いた俺たちが伝えるべきだよね、みんなに。……特に、双子の七々扇さんに、ちゃんと。知っている俺たちが伝えるべきこと。でも、怖くて言い出せなかった。いくらでもタイミングはあったのにね」
零されたため息は、苦痛と迷いに塗れていた。
「……そうなのかもしれないな」
顔を俯かせた馨に反して綴は空を仰ぐ。視界に映るのは、この裏の世界のすべてを記録している大きな鏡『空蝉物怪録』。
「俺は、神隠しにあった弟を探しにこっちの世界に来た」
唐突に話し出した綴に、馨は膝から顔を上げて彼の顔を見やる。同じであったことを思い出したからだ。こちらの世界に入るきっかけとなった出来事が。馨も目の前で友が神隠しに会い、その元凶の妖を倒す為にこちらの世界に――
「……さがし、に?」
綴の述べる言葉の違和感に馨の心臓が早鐘を打ち始める。
(え、だって、神隠しは現世では、消えると二度と帰ってはこないって……)
「ああ。こちらの世界に弟はいると言われた。その意味がやっと分かったよ」
だが、馨の耳にその言葉は届いていなかった。
「……ねぇ、綴くん。君をこちらの世界にいれたのは誰なの?」
(そんな希望を持たせるようなこと……あれ?)
「俺と來の師匠だ。名前は知らない、というか何も知らない。教えてくれなかったから。特に興味もなかったし、別にいいかと詮索はしなかった」
(希望ってなんだ? だって神隠しに会った勇成は……)
「消えてないってわかっただけ、良かった」
思考渦巻く馨に気付かず綴は言葉を紡いでいく。
「たとえ妖になっていたといても、生きてくれているならそれでいい」
(……そうか、どうして俺は気付かなかったんだ。神隠しの被害者だって言われていたじゃないか。半魂がどうも黎明に所属しているものだと勝手に結び付けられていたから考えに至らなかった)
「……勇成は妖になって、こっちの世界で生きているかもしれない」
それは、馨にとって大きな希望だった。たとえあちらから自分の記憶が消えていたとしても、存在が消えたと思っていたのだ、生きているだけで万々歳だろう。
「おい、綴。呼ばれている」
姿を現した綴の神使・泥田坊の『田々』が声をかける。たしかに向こうから吟丸が二人を手招いていた。
重い腰を上げて立ち上がった綴は一度伸びをすると田々に声をかける。
「もう少し素直に従ってくれると有難いのだが」
その言葉に腕を組んで顔を逸らした田々。
「神使も色々なタイプがいるね」
立ち上がりつつ馨は苦笑いを浮かべた。
「まあ、悪い気はしない。俺の弟も生意気だったからかな。こんな、ふう、に……」
開かれる綴の目は、面倒くさそうに自分から滴った泥で団子を作りトトに投げつけようとしている田々に向けられた。
綴の陰差す瞳に一瞬だけ灯った光。一度瞼を閉じた綴は小さく笑うと田々の頭に手を置いた。すかさずその手をどかした田々だったが、怒っているようには見えない。むしろ照れ臭そうだ。
その二人の様子を見て、馨は無意識に自らの神使へ目を向けた。
「どうしたの? あるじ?」
自身の隣に座っていた神使『木歳』を抱き上げた馨。
(木歳……は、さすがに違うか)
友、勇成とは似ても似つかないその姿に馨は笑う。
(この子は、この子だ。勇成ではない。でも、いつか会えたらいいな)
馨と綴に変わり休憩に入った澪と陸斗に丈。
「澪くん、お疲れ様ー。俺らはあっちで水飲んでくるから」
「う、うん」
頷いた澪は芝生の上に座り持参してきている竹の水筒を開ける。中身はいつも水だ。中身がなくなっても決して補充はしない。彼が飲むのは必ず屋敷の水。
「六月になったばかりなのに暑くない? これ、夏になったらどうなんのよ」
【酷暑猛暑】
「夏は能力使いたくないんだよな。太陽で髪焼ける」
【飛んで火にいる夏の虫?】
「だなー」
二人は付喪神の宿る冷水器でコップ一杯の水を貰い、澪の待つ芝生へと戻っていった。勝手に動く冷水器に最初は戸惑ったものの、今や慣れっこ。学園に計三つ置かれている冷水器は美味しい水が飲めると評判だ。
「一人にさせてごめ――」
「……あ……」
澪の手から落ちる竹の水筒。中身が零れ地面に広がっていく。透明な水は乾いた土を濃い茶色へと色付けた。
直後、澪の口から勢いよく吐き出された鮮血。助けを求めるように視線を陸斗と丈に送ったが、あえなく彼は地面に倒れた。
「え、血? ……みお?」
戸惑い動けずにいる陸斗と丈。
惨事をいち早く察知した吟丸が血相を変えて駆け寄る。
「澪!」
薄く開かれていた澪の目は悲痛に歪んだ吟丸の顔を最後に閉じられた。
ご高覧いただき感謝の至りでございます。
第六章『光穂一族』篇、始動です。これは澪の物語になります。
余談ですが、木歳は序章で出てきた神隠しの被害者、長谷川さんの息子です。
そして、夕柊が半魂の住処『常庭の間』を訪れた時にはまだ妖になっていませんでした。




