76、誰が為の罪
「……お風呂のアヒル、ぼくだん……」
「夕柊くん、これってまさか……」
この状況を、焚と同じAグループでありお風呂に入った澪と陸斗は察したようだ。
頷いた夕柊は告げる。
「焚が助けを求めている」
教室中を駆け巡る嫌な予感。市露の退学に続き、焚からのSOS。
「先生、どうしますか?」
陸斗の一言で皆の視線が吟丸に向いた。最上級の神からの恵みを受けた黎明最強の男である吟丸に対しての期待が込められた眼差し。
「……一族の意向で決められた退学も、それにかかわりがあるであろう焚からの助けを呼ぶ声にも、教師である僕たちは手を出せない」
「……じゃあ、見捨てろとでも言うのかよ」
音を立てて椅子から立ち上がった陸斗は胸倉を掴まんばかりに吟丸に近寄り怒りを露にした。
続いて綴、丈も椅子から立ち上がる。
「あなたが動かずしてどうする」
【率先垂範】
※人の先に立って物事を行い、模範を示すこと。
吟丸は、陸斗へと向けていた視線を二人に移し、小さく息を吐いたのち瞼を閉じた。
「そうだね。でも、学園は動けない。一族が関わっている以上動くことはできない。僕たち教師の立場は君たちが思っているほど強くはないんだよ」
「じゃあどうすれば……」
誰からともなく呟かれた絶望の声が漏れ出る。
――バサッ
大きな翼のはためく音。
背中から濡羽色の二対の翼を生やした少年が前に歩み出た。瞳は真っ直ぐに吟丸へと向けられている。
陸斗は夕柊に道を開けるように数歩下がった。指示されたわけではない。ただ、本能が体を動かしたのだ。夕柊の纏う空気に無意識に従うかのように。
「しがらみのない俺らを縛るものはない」
夕柊の一言を聞いてトトの脳裏に浮かぶ言葉。
――――――
「だから、君たちが助けなさい」
――――――
先日芽吹きプロジェクトにて、妖専門の警察組織『神来』の隊長、満がトトに告げた言葉だ。
くすりと笑ったトトも立ち上がり、夕柊の後ろに着くとその低い肩に手を置いた。
「じゃあ、僕らが動くのはいいってことですよね」
不敵に笑った吟丸。その反応はなによりの答えだ。
そして、トトが前に出たことにはもうひとつ理由があった。
「……なにする。離せ」
窓から飛んでいこうとする夕柊を止めるためだ。翼をはためかせ宙に浮いている彼の着物の裾を掴んで引っ張っているトト。
「やっぱり君は飛んでいこうとすると思ったよ……!」
「行くよ。だって俺飛べるもん」
「そういう問題じゃないから!」
徐々に窓へと引きずられていくトトを見て初羽の子らも動き出す。
とうとう全員に教室の床へと抑えつけられた夕柊。
「うむ。重力がかけられる感覚はこんななのか」
と、このように抑揚のない声で淡々と答える始末。
彼のこの自由奔放さに初羽の子らは一斉に盛大なため息をついたのだった。
◇
篷一族の敷地のはずれに立てられた牢獄の中には一人の青年がいた。手首と足に嵌められた枷には鎖がつながっており、壁にはめ込まれているため逃げること決してできない。
牢全体は石の素材でできており、上方に付けられた唯一の窓から差し込んだ光が青年の顔を照らす。
「……焚、泣いてへんかな。一人にしてごめんね」
穏やかで柔らかな声で呟いた青年――市露は顔を俯かせる。普段は、小さな折り鶴のついた簪で結ってある長い髪だが、今はないそれに髪は逆らえず前に垂れ彼の顔に影を作った。
市露は今、一族の御法度『現世人殺し』の罪で投獄されている。
嫌疑がかかった際、彼は否定をしなかった。なぜって、事実であったからだ。
彼は三か月前、四人の現世人を手にかけた。本人がそう証言している。事実確認も取れた。故に、このように投獄されている。
篷一族の御法度を犯した者の末、それは処刑だ。猶予は幾日もない。四人もとなると悪質性は言わずもがな。
明日の夜明け。朝日の光を浴びて彼の生涯には幕が下ろされるだろう。
彼の纏う薄汚れた着物の懐から覗く折り鶴の簪。彼が普段身に着けているものではなく、まだ作り立ての簪だ。だが、折り鶴の羽は片方もげ、軸はひしゃげている。これでは髪はまともに結えないだろう。
「あーあ、渡す前に壊れてしまったやんか。……お別れを言う時間ぐらい作ってくれ、は欲張りすぎやろうか」
天を仰いでも青い空は視界に映されない。
(……まだ死ねない。あの子を一人にするわけにはいかない……)
市露の脳裏に浮かぶまだ幼い少女の姿。傷だらけの痛々しい彼女がやっと見せるようになった笑顔。傷だらけの体と心はまだ癒えていない。
彼は目を瞑り、焚と初めて出会った日を思い出した。
――――――
それは、冬の寒い日のことだった。
いつものように現世の町に散歩に行こうと家を出た俺。祠――社さんに乗り込み現世へと出た。
一族の屋敷は妖に簡単に見つけられへんように森の中に隠されていることが多い。現世に降りるには、付喪神の祠――社さんを使わないといけない。
別に行けなくもないけど、山を下ったりと時間はかかるし疲れる。やから緊急事態で一斉に祠から移動するということがない限り、基本的に社さんを使用するのだ。
寒い中、分厚い羽織を羽織って鼻歌を歌いながら散歩する。けど、気まぐれか誘われたのか、その日はいつもとちがう道を散歩したくなった。
商店街ではなく、静かな場所。田んぼが一面に広がる道をただひたすらに歩いた。
ふと、肉の焼けた匂いに交じって血の匂いがした。
こんな寒い日のくせに、誰が外で肉を焼いとんのか興味があって匂いの方へ近づいた。けども煙は見えん。ただただ肉の焼けた匂いと血の匂いがしとるだけ。
田んぼが途切れ奥まった先、そこには小さな小屋があった。
――匂いの発生源はここや。
俺はその小屋の戸を叩き呼びかける。
「ごめんくださーい」
何も反応がない。
「……邪魔しますー」
もうどうにでもなれと割り切った俺は、恐る恐るその小さな小屋の戸を開いた。
開いた途端、無意識に顰められる顔。
それほどの悪臭やった。
薄暗くて何も見えないこともあったが、何より色々な匂いが交じった鼻の曲がるようなその匂いに耐えきれず、戸を閉めようとしたその時――
「……しね……しね。……しね」
掠れた小さな声が聞こえてきた。
――この中に人がおんのか? ……しね? 死ねって言うとんの自分?
死ねなんて篷一族では滅多に聞かない言葉だ。
初めは聞き間違えかと思うた。
俺は興味本位で小屋へ足を踏み入れた。
踏み入れて見たものを俺は永遠に忘れれんやろう。それほどまでに酷いものやった。
蹲った今にも折れそうな細くて小さな体。その体に刻まれた無数の傷と流れる血。たった今、火の棒で焼かれた跡。薄汚れた裸体に群がる蝿の大群。
俺はその子どもへ手を伸ばそうとした。だが、触れる前に手をとめた。痛々しいこどもからまた言葉が発せられたからだ。
「……はやくころせ……ころせよ……」
こどもから出るとは思えない言葉。
だから俺は――
「……いいよ」
思わずそう答えていた。
こどもが声の聞こえた方、俺へと目を向ける。
――なんて真っ暗な目やろうか。
俺は精一杯の優しい笑みを浮かべてもう一度答えた。
「全員俺が殺してやる」
「……ころ、す?」
こどもは掠れた声で繰り返す。
自分が殺せって言うてたくせに、まるで初めて聞いた言葉のように繰り返した。
それが可笑しくて、俺は笑った。
「うん、やからそのかわり、俺と一緒に来てくれる?」
こどもは瞬き一つせず小さく頷いた。
「よおし、契約成立」
俺は自分の着ていた羽織を脱ぎ、こどもの小さくて細い体を包み抱き上げた。
――軽っる! というか、寒! この子はこんな寒い中ずっと裸やったんか。……辛かったろうに
大切に包んだものを軽く抱きしめ、伸びきったボサボサで手櫛も通らない髪を撫でた。
「……っっ……」
その拍子に傷に触れてしまったようで、こどもは顔を歪める。
「ああ、痛いな、すまんな」
――いまさっき出来た傷やもん。痛いに決まっとる。ぐじゅぐじゅに膿んで、血も出てはる。早く治療してあげへんとなぁ。
小さな小屋の近くに母屋がある。あそこにターゲットがおるやろう。
さて、何人か。
怖いという思いは全くなかった。あったのは、静かな怒りのみ。
俺はその子どもを玄関前の地面に置いた。流石に連れて行けんしな。
「俺がええって言うまで、ここで目ぇ瞑って耳塞いでてな。こう、ね」
手振りで教えると、こどもは真似をして、目を瞑り耳を塞いだ。
それを見届け、俺は歩きだした。
――俺は今から人を殺そうとしている。にもかかわらず、なんでこんなにも冷静なんやろうか。震えも恐怖も躊躇いもない。
篷一族の御法度を忘れてもおらん。おらんし、この先の自分の未来が途切れると理解してもなお、俺の足は止まることはなかった。
母屋の呼び鈴を鳴らす。
「……はいはい」
整えるもへったくれもない髪をかきあげ、面倒くさそうに出てくる女。
まずはこいつ。
俺は、前髪と耳から上の髪をまとめて団子に結っている、一族として認められた時に当主様から頂ける折り鶴のついた簪を引き抜いた。
顔の脇に垂れる髪。視界はやや狭まったが何の支障もない。
俺は簪でその女の首をかき切った。
首から血が吹き出し俺の顔にかかる。
声も出せず倒れた女。でも、簪だからか即死には至らなかった。この激痛にしばらくの間耐えなければならないなんて可哀そう。
目の前で醜くのたうち回る人間を見る俺の瞳はひどく冷めきっていたことだろう。自覚があった。
――なんや。自分を俯瞰してみているような感覚やな。自分と似たそっくりな人間が動いている様を上から見ているような。まるで、あれが自分ではないような……。
でも、紛れもない俺自身である。
――さあ、どんどん行こう。
俺は自ら抜け出せない沼へと入っていった。
ご高覧いただき感謝の至りでございます。
市露の過去回想は、次話冒頭にも続いています。




