75、ラバーダックは爆弾を背負って
芽吹きプロジェクトが終わって翌日、男子寮から学園に向かっていた馨と恒心。寮で二人は同室なのだ。
「……やろ!」
教室から聞こえてきた怒気をはらんだ声に二人は顔を見合わせる。
「おはようー」
と恒心が教室のドアを開けると、そこには正座をさせられている夕柊、陸斗、澪、來がいた。その四人の正面には、腕を組み静かに見下ろす市露と綴の姿。
いつも通りの笑顔から明らかなる怒りと苛立ちが滲み出ている市露。普段の無表情をさらに深めた無表情に凄みが増している綴。
二人の圧に押され教室の端に追いやられている他のクラスメイトに恒心が問うと、代表してトトが答えた。
「ちょっと職場見学先で夕柊くんたちがやらかしちゃったみたいでね」
(夕柊はまあわかるけど、他三人まで?)
首を傾げる馨にトトは苦笑いで説明を始める。
「ほんとに数分前の出来事なんだけどさ、突然市露くんが叫んだんだよね――」
遡ること五分前。
各々芽吹きプロジェクトでの様子を話していた最中だった。夕柊が教室に入ってくると珍しく焚が夕柊の元に駆けていったのだ。
市露は焚に芽吹きプロジェクトでの様子を聞くも、焚は言語化が難しい上あまり話すことを好まないため、焚が夕柊に懐き始めていると感じた市露が問うたのだ。
「夕柊くん、おはよう。来て早速やねんけど、焚の様子どやった?」
「頑張っていたよ? 一緒にアヒルでも遊んだしね」
夕柊は焚に視線を送ると、焚は大きく頷いてわずかに頬を綻ばせた。
「あひる、ぷかぷかー」
「アヒル、ぷかぷかー」
焚と夕柊が微笑ましく同じ言葉を繰り返している最中、市露は考え込む。
(アヒル、プカプカ……。ラバーダック、お湯にプカプカ……!)
市露は焚の言語理解は異様に早いのだった。が、それが市露に火をつけてしまった。
「……た、焚と、焚とお風呂入ったやとー!?」
それからは怒涛の勢いで、焚と同じグループだった、陸斗・澪・來、初日同じだった夕柊を引っ張り強制的に正座させる。
「い、いや。僕はちがっ……」
実際に焚と皆と一緒にお風呂に入っていない來は否定したが怒り心頭の市露には届かず。
「おんどら、どの面下げて帰ってきとんじゃ、ボケ。覚悟はできてんやろなあ?」
普段の穏やかな口調はどこ吹く風、市露の語気は別人のように強い。
「……僕違うもん。僕、関係ない」
端で來は小さく零すも、市露の声にかき消されてしまう。
だが、市露の次の一言で空気は固まるのだった。
「焚はな、女の子やねんぞ!」
木霊のように正座している四人の脳内に響く言葉。
「……え?」
陸斗が情けない声を零す。
「気づかんかったとは言わせへんからな!」
「気づかなかった」
「やから、言わせへん言うとるやろ!」
淡々と返す夕柊に市露はますます怒りを募らせる。
彼らの元へフラフラと近づいていく綴。市露の肩に手を置き、綴は呟いた。
「……來も、うちの來も女性だ……」
再び固まる空気。
「だから僕は!」
綴に向けて叫んだ來だったが、声を弾き飛ばされる結界が張られているかのように届かない。
「「「……すみません」」」
体を小さくして謝る夕柊と陸斗と澪だが、二人に届いているのかもわからない。
そして現在に至る。
「ええ!? 焚と來さんって女の子だったの!?」
驚きを口に出す恒心と、眼鏡に触れるという行為で表す馨。
「なんの騒ぎ?」
タイミングよく入ってきた吟丸は、扉の前で立ち止まっている恒心を見かけるとその頭に手を伸ばした。一歩成長して戻ってきた彼を誉めるためだ。
だが、踏みとどまる。暖の言葉が脳裏を過ぎった。
――――――
「褒めるならさ、あいつが『怖い』って言葉を口にした時にしてよ、吟丸」
――――――
(自分を大切に思えるようになった証拠だからさ、か)
微笑んだ吟丸は伸ばしていた手を代わりに馨の頭に乗せ、
「ほらほら、席に着いて」
と、声をかける。
馨はなぜ急に頭に手を置かれたのかが不思議でならなかったが、悪い気はしなかったのであえて聞くことはせず自席に座った。
吟丸によって一旦騒動は治まり、いつも通りに始まった授業。
終始、市露と綴から夕柊と陸斗に向けて鋭い視線が飛んできていたが、その都度吟丸に「集中しなさい」と教科書で軽く頭を叩かれ、二人は今日一日の授業は頭に入っていないことだろう。
神威学園に入学してからの最初の一大イベント『芽吹きプロジェクト』が終わっても、少々騒がしい初羽に変わりないのだった。
翌日、教室には重い空気が流れていた。
「なんで……」
「うそ、でしょ?」
教室の空席は四席。一席はもともと空席、もう一席には花と誰かしらが置いていくカレー味の駄菓子、そして新たに今日できた二つの空席。
「冗談ですよね、市露くんが退学なんて……」
朝一で吟丸から告げられたこと。空気を重くさせていた要因だ。市露が来ていないのだから焚も来ていない。焚に対しては退学の言及はないのだが、市露が退学するなら必然的に焚も退学を選ぶだろう。
「篷一族からの申し出があったんだ」
「退学してくれって?」
「うん」
クラス中が戸惑っている中、夕柊は静かに窓の外を見ていた。
(柊、どうするの?)
見兼ねてか夕柊に脳内で話しかける、彼の半分の魂・妖の『夕』。
(どうしようかね)
(へぇ、意外。君は真っ先に動きそうなものだけど)
(夕くん、俺を本能で生きる奴って思ってない?)
(うん)
あっけらかんと答えた夕に夕柊はしばし黙る。そして再び口を開いた。
(この件に関して動くのは俺からじゃだめだからね)
(どういうこ――)
夕の言葉を遮るように激しく揺れ出した窓。
僅かに目を開き口角を上げた夕柊は立ち上がって窓を開ける。まろでこの瞬間を待っていたかのようだった。
窓が開いた瞬間、飛び込んでくる小さいものの群れ。
その一匹が馨の顔に当たる。手に取った馨は首を傾げた。
「なにこれ、ラバーダック?」
そう。窓から入ってきたのはラバーダックの群れだったのだ。馨の手のひらにあったラバーダックは命が宿っているかのように浮く。他の散らばったラバーダックたちも浮くと一点に向かって集い始めた。
夕柊の元だ。
集ったラバーダックは夕柊を囲んで、何かを呟き出す。
「ば……ん、ば……だん」
バラバラに呟いていた声がひとつに合わさり紡ぎ出された言葉。
「「「ばくだん」」」
ラバーダックはその一言を告げると、弾けるように消えてなくなった。
長い袖に隠れた右手を口に持ってきた夕柊は答える。
「うん、わかった」
ラバーダックが背負ってきた爆弾、それは、焚が創り出した夕柊へのSOSだった。
ご高覧いただき感謝の至りでございます。
第五章『市露奪還』篇、始まりました。
この章は、市露と焚の物語です。




