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第五十八話 アヤカミ 7


 「始まって約半分、まだ一人も会っていないとはな」

 木の上から下の様子を伺いつつ綴はとなりの(らい)へと視線を向けた。肯定の意で頷く來。


 始まってまもなくトトらと別れここで敵が来るのを待っていた二人だったが、二人の前に神使らは一人も現れていない。それどころか味方にも会っていないのだ。


「逃げるなら裏山の端に来ると思ったが判断ミスだったか」

 額に手を当てた綴は俯きがちにため息をつく。


「いや、綴の読みは合っていると思う。ただ逃げる前に捕まっているだけだ。判断ミスではない」

 綴へと真っ直ぐな視線を送る來。一点の曇りもない眼は、綴の判断をまったく信じて疑っていない何よりの証拠。


「……そうだな。もう少し待ってみるか」

 來の視線を受けて頬を少し緩ませた綴。


その時、

「ここまで逃げりゃ当分は大丈夫っしょ」

 一人の獲物が下を通った。


 一度捕まったが、夕柊と平のおかげで逃げることができた哀れな獲物、恒心の神使・枕返しの『(ぜん)』だ。


「……合図したらはさむぞ」

 綴は息を潜めつつ片手を上げて來に指示をする。來は綴を一瞥すると頷いた。


「てか、この裏山広すぎな。ここまで来るの結構時間かかったし。これかなり時間稼げんじゃね?」


 裏山の端ということもあり誰もいないと踏んだ繕は完全に油断している。鼻歌を歌いながらスキップをするほどに。


 隣にいる來に横目で視線を送る綴。

「……GO」

 綴が挙げた片手を軽く下げて合図を送ると、二人は繕を挟むように地面へと降りた。


「うっげー、マジか」

 前方には來、後方には綴が立ち塞がり、繕は眉を顰め腰に手を置く。


「いると思わなかったんだけど。……でも、俺能力残ってんだよね」


 言葉と同時に着物の襟を掴むとバッと広げる。露になった胸から腹にかけて、彼の体には枕が埋め込まれてあった。青の青海波模様の枕に手を置くと彼は唱える。


「『反転』」

 そして、埋め込まれている枕をひっくり返した。裏面の枕の模様は水色の流水紋。


 繕の行動を見ていた二人だったが、突如地面に崩れ落ちた。否、普通に立つことが出来なくなったのだ。


「な、なんだ、これ……」

 綴は四つん這いで、目を右手で覆いながら言った。


「……うっ、きもち、わる……」

 來も肘をついた四つん這いで、右手で口を抑えて声を漏らす。


「分かるよ、分かる。急に上下反転すると立てなくなるよねー。せいぜいそこで効果が切れるのを待つんだね。ちなみに5分は続くけど」


 二人を見下ろす繕はしたり顔。軽やかな足取りで鼻歌を再開させると裏山のさらに端へと歩き始めた。彼の体に埋め込まれてある枕はゆったりと動き、砂時計のように一定の速さで表へと戻っていく。


『枕返し』

【反転:対象の物・者、感覚を反転。効果は枕が表に戻るまで】


「……大丈夫か、來」

 口を両手で抑え蹲っている來に、四つん這いで近づいた綴はその華奢な肩に手を置く。


「……う、うん」

 綴に顔を見せよう上げた來だったが、反転しているため反対に動いてしまい、「うっ……」と、顔を歪めて目をきつく瞑った。


「無理するな」

 眉を下げた綴は來の肩をポンと軽く叩き立ち上がる。そして、その場で軽く三度ジャンプした。視界すらも上下反転しているというのに安定している。


「少し慣れてきたな」

 左右も反転しているため、足・手・目など体や顔を動かし動作確認をする綴。反対に動く様に違和感を抱きながらも、何度か繰り返すうちにスムーズに動かすことが出来るようになっている。


「なるほど、こうか」

 一通り確認し終えた綴は、來の傍に片膝をついてしゃがんだ。


「俺に任せろ」

 表情をやわらげ微笑んだ綴はおもむろに立ち上がると、地面を踏みこんで走り出した。上下左右反転しているとは思えないほどのスピードが出ている。


「ま、まって、綴っ……!」

 弱々しい声で呼び止めた來。だが、その声がもう届かないところに彼はいってしまっていた。手すら伸ばせない今の自分がもどかしくて情けなくて、來は唇に歯を突き立てる。



 見えなくなっていた繕の姿が見えてくる。

「捉えた」

 無意識に呟きさらにスピードを上げる綴。


 微かに聞こえてくる足音にバッと後ろを振り向いた繕は目を見開き走り出した。


「うそっしょ!? まだ効果切れてないよな? ……って、反転したまま走ってるってこと!? 化け物かよ!」

 繕も全力で走っているが、綴との距離は次第に縮まっていく。


「……かける人、間違えたな……」

 振り向いて綴との距離を確認し苦笑いを浮かべた繕の目前には、もう綴が手を伸ばして迫っていた。



 綴が繕を追ってすぐさま來も立ち上がろうとしていたが、反転しているため体が思うように動かない。その上、上下反転になっている視界で酔ってしまい目を開くことができない。


「……置いて、いかないで……」

 蹲りながら一層弱々しい声を漏らす來。


「……まだできる、から……」

 目を開け立ち上がろうとするが、右足を動かしたつもりが左足が動きバランスを崩して倒れてしまった。


「足でまといには、ならない、からっ……」

 気持ちは十分にある。だが、気持ちだけでは何ともならないのだ。


________


 ここは、ある廃公園の片隅。來はそこで一人修行をしていた。

 背後から砂が擦れる音が聞こえ來は動きを止める。


「君はどうして綴くんの隣にいるんだい?」


 右手に杖、左手を背に置き両目を瞑っている男は、息を荒らげ四つん這いになっている來に淡々と尋ねた。


「……え?」


「だって、相応しくないじゃないか。彼の隣は君みたいな無能がいていい場所じゃないんだよ」


 聴き心地のいい低音で、男は目を瞑り困り眉で微笑みながら言うが、言葉には優しさの欠けらも無い。


「……」

 來は四つん這いのまま、男の顔を見上げる。視線が合うと男は杖を前に傾けて腰を曲げ、來の耳元で囁いた。


「はっきり言って足でまといの約立たずだ」


 彼の言葉を拒絶するように視線を地面に戻す來。息がだんだん荒くなり、流れ落ちる汗が地面に染みを作る。


 背筋を伸ばした男は、少し離れた位置にいた綴へと視線を向け言った。

「ほら、綴くんも何か言っておやり。」


 男のその言葉に來はバッと顔を上げて綴を見る。その視線には期待が籠っていた。綴はきっと否定してくれる、と。


「……」

 だが、そんな期待とは裏腹に綴は何も言わず來を見つめるだけであった。


「……ほう、何も言うことは無いんだね。否定もしない、と。」


 來の顔は絶望に染っていく。ガクン、とまた視線は地面へと向く。


「分かったかい? 彼も君を足でまといだと思っているみたいだ。」

 追い打ちをかけるように男は再び耳元で囁くと、杖を突きながら綴の元へと歩き出した。


「……師匠」

 綴は男をそう呼んだ。

 そして、二人は來を置いて歩いていく。


________


 「……うっ……。」

 消し去りたい過去を思い出して吐き気を催した來は口を抑えた。蹲って吐かないように堪える。


 脳裏に浮かぶのは、離れていく綴の背中。

(やめろ、やめろ、やめろ!!)


 來は地面に額をぶつけてその姿を消そうとする。額から垂れる生温い液体を頬が感じたことで血が流れていることを知った來。痛みはそんなに感じなかったが、少し冷静になれた。


 血が出ているにも関わらず額をそのまま地面に付けて蹲り、來は時が過ぎるのを待った。


(もういいから、早く5分過ぎろ……)

 5分過ぎれば効果は切れ、綴を追いかけることができるからだ。


(後何分だ……、はやくしてくれっ……)

 そんな思考を遮るように來の頭に誰かの手が乗る。体を震わせた來。


「もう終わったよ」

 力強く、だが優しさが滲みでている声が聞こえた。綴の声だ。


 彼の手は頭から離れ肩へと置かれる。時間が過ぎたのか、妖術が解かれたのか、反転は正常に戻っていた。


「立てるか?」

 心配そうな顔と声を出した綴は、蹲っている來の顔を覗き込もうと顔を近づける。


 來は綴が戻ってきた事に安堵した。と同時に、追いつけずこうしてまた手を貸してもらっている自分を嫌悪する。

 情けない自分を綴に悟られないよう努めて顔を上げ、來は彼と視線を合わせた。


 上げられた來の顔を見て驚いた表情を浮かべる綴。その顔を見て繕うことに失敗したと思った來だったが、

「その血、どうしたんだ」

 綴は來の血の出た額を見て驚いていたようだった。


(……あぁ、血が出ていたんだっけ)

 來は額に手を当て、ぬめりとした感触に血が出ていることを思い出した。


「すぐに治すから」

 來の腕を掴んで立ち上がらせると綴は、血の出た額に右手をかざして目を瞑り唱える。


「『加密列之箱庭』」


 彼の手が淡く光ると、たちまち來の額の傷は塞がっていく。流れた血は消えないため、胸元からハンカチを取り出した綴は優しく來の顔を拭った。


「……ありがとう」

 目を伏せてお礼を述べた來は、また先をいってしまった綴に少し絶望する。


 小さく息を吐き、顔に出さないように目を合わせ來は言った。

「……綴は、凄いな」

 そして、弱々しく微笑んだ。身長差があるため見上げる形になる。


 綴は再び來の額に手を置き傷が完全に塞がったことを確認すると、目を伏せて笑み返した。


ご高覧いただき感謝の至りでございます。


枕返しの能力『反転』は枕が裏から表に戻るまでの間効果が持続し、一度使うごとに人数や範囲が加味され綿が減っていきます。使用限度は綿が無くなるまでです。

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