第五十七話 アヤカミ 6
茂みから出てきたのは綸。
分身おこめを追いかけ終えると、そのまま一人で神使らを探していた彼女。ふと、トトの笑い声が聞こえたために手伝おうと追いかけたのだが、田々を圧倒していたため出るタイミングを逃していたのだ。
綸が覗いていることをトトは察知していた。彼女が茂みから出てくると、手を後ろで組んだまま綸へと視線を向けて首をやや傾ける。
「ね、お願い綸ちゃん」
「か、畏まりました……!」
大きく頷いた綸は走って煉を追いかけた。そんな彼女に向けてトトは口に右手を当て言う。
「能力はもうないよー」
その言葉を聞いた綸は一瞬立ち止まりトトにペコリとお辞儀をすると、先刻よりスピードを上げて走り出した。
トトは口に当てた手を頭の上に持ってきて手を振りながら綸を見送ると、また後ろで手を組む。
「能力がなくなればもう怖くない。全力で追いかけられる。なにせ僕らは神の恵みを受けているからね。だから、追いつくのなんてわけないさ」
誰にともなく呟いたトト。
煉とあんなに距離が離れていた綸だったが、もう手の届く距離にまで迫っていた。
「なっ、速すぎだろ……!」
もう追手が背後に迫ってきていることに慌てる煉。必死に逃げるが虚しく、距離は縮まる一方。
「君らは神恵子を甘く見過ぎている」
トトは再び呟くと、反対方向へ体を向け優雅に歩き出した。
「捕まえました……!」
嬉しそうな綸の声をトトは後ろ手に聞く。
綸は煉の左袖を掴んで捕まえた。捕まった煉がゆるやかに速度を落とすと、彼女は袖から手を離す。膝に手を当て荒い息をする煉とは裏腹に、綸は息一つあげていない。「大丈夫ですか?」と心配そうに彼の顔を覗き込んでいる。
下を向いたまま、綸に左手を見せて大丈夫だと合図を送る煉。そして大きく息を吐くと、上にグッと背伸びし笑顔で綸に向き直る。
「神恵子って凄いな。主だけじゃないんだ」
その言葉を聞いて、綸は一瞬驚くも微笑んだ。
「神の恵みがあってこそです」
謙虚な綸に眉を下げて微笑み返した煉は、綸に手を振ると田々が倒れている方へと駆けていく。
控えめに右手を振り煉を見送る綸。彼が田々を立ち上がらせるのを見ると、綸は手を下ろし先程のやりとりを思い出していた。
(あの時、田々さんの左手は能力を使おうとしていた。二度使うというルール違反をしてまで、トトさんを捕まえようとしていたということ。それほどまでに神使たちにとってトトさんは脅威。私たちにとっての夕柊くんと同じように。……この勝負、夕柊くんとトトさんどちらが勝つのでしょう。少しだけドキドキしちゃいますね)
ふふっ、と笑った彼女は、再び神使を探すために駆け出した。
「そろそろ出てきたら?」
足を止めたトトは視線を正面へ向けたまま呟く。
「あちゃー、バレてた」
と、木の枝に足をかけ逆さまの状態で姿を現した夕柊。
「二戦目といこうか、夕柊くん」
トトは後ろで組んでいた手を解くと、風に煽られ所在を失っていた左側の髪を耳にかける。顕になったタッセルの耳飾りが風に揺れ、ガラス玉は太陽の光を帯び一度光った。
(他の神使の気配はなし。理想の展開にはそうそうならないか。さっき逃したのが痛かったなぁ)
思考を巡らせつつも顔では余裕を見せるトト。
「そうそう思い通りにはいかないものよ」
まるで彼の思考を読んだように返した夕柊は、いまだ腕を組んだまま枝にぶら下がっている。表情は無いが、こちらも声色から僅かに伺える余裕。
「思考が読まれているみたいだ。ああ、君の中にいるもう一つの魂『夕』くんの仕業かな?」
首を傾げたトトに合わせて耳飾りも傾く。
(うーん、彼鋭いね。先ほど生じていた焦慮の匂いが消えた)
夕柊の脳内に語りかける、妖の魂・烏天狗の夕。彼は魂の匂いがわかるのだ。
(食えない奴だよね)
同じく脳内で答えた夕柊は、「よっ」と体を軽く前後に揺すり地面に着地した。
「勝算はあるの?」
袖に隠れた右手を口元に持ってきて首をこてんと傾けた夕柊はトトに問う。
「今のところないね。でも、追いかけるのは僕だ。鬼ごっこならいつだって追う側が有利なんだよっ!」
最期の言葉を発すると同時にトトは地面を蹴って夕柊へと向かった。夕柊も彼が動き出すことを読んでいたようで後ろに一つ飛ぶと、背を向けて走り出す。
初速はトトの方が早かったために夕柊の隣へと並んだ。前を向いていた夕柊が顔をこちらに向ける。いつもと何ら変わらない無表情、の中に垣間見えたわずかな笑み。
(……いや、違う。並ばされた……!)
トトがその思考に至った時すでに、彼の体は吹っ飛ばされていた。木に背中からぶつかる。その衝撃で歪む顔。幸い受け身を取ったため痛みは最小限だ。
「……なに、が……(一瞬のことすぎて、よく分からなかった)」
状況を理解しようと自分の体を見ると、その腹にはなぜか手のひらサイズの木の板があった。
(なるほど、これで蹴られたわけね……。たしかに、これならタッチ判定にはならない……!)
トトの目は開き、口は自ずと笑む。その表情から伺える彼に対する尊敬と恐怖。
夕柊は、あの一瞬で懐に忍ばせておいた木の板を取り出し、その板を間に入れることでトトに直接触れずに蹴ったのだ。
「……しまった、にげら──」
自分の動きが止まっていることに遅れて気が付き動きだそうとしたトトだったが、
――ゴンッ
突如頭を襲った衝撃で目の前がチカチカし、脳が揺れた。
辛うじて上を見上げると、舌を出しながら一枚の紙を持ちヒラヒラさせてトトを見下ろす夕柊がいた。
「……この、石頭がっ……」
トトの悔しさが滲んだ言葉を聞くと、夕柊は僅かに口角を上げその場から立ち去っていく。追いかけようとしたトトだったが、軽い脳震盪を起こしておりまともに体が動かせない。
彼は揺れる脳を落ち着かせるため木に寄りかかった。その頭上に落ちてくる一枚の紙。先程夕柊が持っていたものだ。口をとがらせ上向きに息を吹きかければ紙は再び浮き、ひらりと彼の手の上に舞い落ちる。
「……なにこれ、顔?」
それには、ひとりの似顔絵が描いてあった。左耳から垂れている、丸と四角が上下に連なった物質が特徴的だ。紙の下部には彼のものと思われる拇印が押されている。
「あはっ、これ僕か。ヘッタクソだなぁ」
夕柊が描いただろう似顔絵は、お世話にも上手いとはいえない出来だった。
「紙一枚挟んで頭突きとか想定できないし。てか、似顔絵描けるほど自分は余裕だって言いたいわけ?」
トトは長いため息を吐き出すと空を見上げる。空蝉物怪録と目が合ったような気がしたが、それは錯覚だろう。彼の者はすべてを見ているのだから。
「……ほんと予測できないな、あの子だけは」
夕柊はトトを蹴飛ばした後、彼がぶつかった木の後ろへと潜んでいた。そして、頃合いを見て懐に忍ばせておいた自作の似顔絵の紙を取り出すと、それを自分の額に当て頭を下げるようにトトへと頭突きをしたのだ。
「はいはい、僕ひとりじゃ君には敵わないよ。ちょっと、きゅうけーい」
目を瞑ったトト。その口元は弧を描いている。
束の間の休息で彼は何を思い、考えるのか。
ここは裏山の端の高所に建てられた木の小屋。小屋の片側面は端から端まで横長の窓が設えており、裏山を一望できるようになっている。
その窓の前にはデスクが置かれており、デスク上には複数のモニターがあった。モニターには、夕柊たちが『アヤカミ』をしている様子が映っている。裏山には小型カメラが瞳に内蔵された梟らが無数に飛んでおり、その瞳で映したものがこのモニターに送られてくるのだ。
「残り25分で確保人数5人。この勝負どう見ます?」
椅子に座り両手で頬杖をつきながらモニターを見ている陽炎は、隣に座って窓から生徒らの様子を直接見ている吟丸に問いかける。
「そうだねぇ、神恵子側が優勢かな」
後ろで腕を組んだ吟丸は外を見続けたまま穏やかな顔で告げた。
「ですよね。ほとんどの神使は能力使っているし、純粋な鬼ごっこだったら運動能力的に神恵子側が圧倒する」
頬杖をやめて両腕を上に伸ばして伸びをした陽炎も同意を示す。
「でもこれは『アヤカミ』。一発大逆転の可能性も十分にある。最後まで分からないよ?」
外からモニターへ視線を移した吟丸は目を細め笑った。
そんな吟丸を右手で頬杖をつきながら見やる陽炎。能面に爪が当たり木特有の音が鳴る。
「そうですか? 僕が神恵子側だったらそうなるように誘導しますけどね」
小面の能面を被っているせいで表情は読み取れないが、陽炎は淡々と述べた。
「そうなるようにとは?」
「あえて最後の一発大逆転を狙わせる。来るのがわかっていたら万全の体制で捕まえられますから」
首を傾けて陽炎へと視線を向け尋ねた吟丸に、両手を顔の横に掲げて言葉を返す陽炎。
「名付けて『飛んで火に入る夏の虫』大作戦すね」
そして、右手で炎、左手で虫を模すと、右手の炎に向けて左人差し指を虫のように動かし近づける。右手に左人差し指がつくと、左手を広げて蚊を仕留めるようにパチンと両手を打ち鳴らした。
「なるほど」
顎に手を当て二度頷く吟丸。
「かけてもいいっすよ。高級アイスでどうです?」
「おっ、いいね」
「僕は当然神恵子側で」
陽炎は神恵子側のメンバーが固定で映されているモニターを指さす。
「じゃあ僕は妖側、と」
反して、吟丸は妖側のメンバーが固定で映されているモニターを見た。
「個人にもかけません? 期待している奴がいるんですよ」
楽しさが滲む声を出した陽炎は、ひとつのモニターの画面を指で広げズームさせる。
「こいつです」
と、映っている神恵子側のメンバー馨を吟丸へと見せた。
「へぇ、いい目の付け所だね。うん、なら僕はこの子にしようか」
陽炎に見せられたモニターを見て眉を上げた吟丸は、同じくひとつのモニターをズームさせ見せ返す。
「……本気ですか?」
そこに映ったメンバーを見て、信じられないと言わんばかりに問い返す陽炎。
「本気だよ」
吟丸は楽しそうに笑う。
「あ、分かった。かけるものが小さいから面白さ優先してんだ」
「そういうわけじゃないけど、そうだな……。高級肉一年分とかはどう? 勿論僕が負けた時のみね」
「マジですか。それでも変えないんすね」
「変えないよ」
「財布潤ってるなぁ、羨ましい」
「いい皮肉だね」
「肉だけに?」
小屋に二人の乾いた笑い声が響く。
ひとしきり笑ったあと、二人はまたモニターへと視線を戻した。
さて勝つのはどちらか?
そして、吟丸の財布は守られるのか。
ご高覧いただき感謝の至りでございます。
一度掴まり平の助力によって逃げた後、木の上でひとり似顔絵を描いていました。ちなみに綸と馨の分も書いてあります。時間があれば初羽の子ら全員分書くのかも?




