第五十六話 アヤカミ 5
皆と別れひとり探していた馨。だが、未だひとりも発見に至っていない。足を止めて肩を落とし落胆。
「おーい、馨くーん!」
そんな折、どこかから自分を呼ぶ声が聞こえ辺りに視線を彷徨わせる。
(この声は陸斗だ。でもどこから?)
「うえ、うえ!」
言われた通り上に視線を送れば、声の主――陸斗は木の枝の上にいた。
「よっ」と右手を挙げる彼。馨も右手を挙げて応えた。
「よこ、よこー」
次いで別の声が聞こえ、馨は指示通り横を向く。
「やあ」
茂みからひょっこりと顔を出したのはトトであった。彼は茂みをかき分けて笑顔で馨に近づく。
「トト。どうやって夕柊を捕まえたの?」
眼鏡を外しながら尋ねる馨。
神恵子側として同じ回線でインカムが繋がっているため、門番とのやり取りも馨ら他の初羽の子にも聞こえていたのだ。
馨は懐から取り出したクロスで眼鏡のフレームを拭き平静を装っているが、その実「あの夕柊を一度捕まえた」という事実に究明心が抑えられないのだ。証拠に、レンズのない眼鏡のフレームを拭いた後、太陽にかざし見えるかどうかのチェックをしている。この一連の行動にまったくもって意味はない。だって、見えるかどうかにフレームの奇麗さは関係ないのだから。
「まあ、ちょっとしたトラブル、とここでは言葉を濁しておこうかな?」
「ちょっと、なにそ――」
縹色の目を細めて朗らかに笑んでいるトトに馨が不満を口にしていた最中だった。グワンと足元が揺れたのだ。
「なんだ!?」
矢庭に馨は揺れた地面を見る。先刻まで土であった地面が泥濘になっていた。一瞬にして馨の足は泥濘に取られ、もう足首まで埋まってしまっている。
「……くっ、抜けないっ……」
もがけばもがくほど体が泥に沈んでいく。
「……トト、大丈夫か!?」
馨は同じく地面の上にいたトトの心配をし、肩越しに振り向いた。だが、そこには誰もいない。
「僕は上だよ」
視線を上に向ければ、トトは右手で木の枝に捕まっていた。地面の異変にいち早く気づき、木を蹴って飛び枝にぶら下がったのだ。
トトは体を前後に揺すり反動をつけると枝にそってぐるりと回り、体が上に来るタイミングで右手を離してそのまま掴んでいた枝の上に着地する。
「無事だったのか、良かった」
トトが無事で胸を撫で下ろした馨は、反対側の枝の上にいる陸斗へと呼びかけた。
「陸斗、ちょっと手を貸してほしい」
もう腰まで埋まってしまった馨は自力で泥濘から脱出することは不可能。彼は陸斗へと手を伸ばす。
だが、
「……え、やなんだけど。俺まで泥にはまるじゃん」
陸斗からの返答は純粋な拒否であった。心底嫌そうな顔をしている。陸斗のその態度に呆気にとられる馨。
「……本命を取り逃したか。チッ」
目を点にしている馨の前に現れたのは、ヤクザよろしく舌打ちを鳴らす綴の神使・泥田坊の『田々』に、「まあまあ」とそんな彼を宥めている來の神使・ヒザマの『煉』であった。
田々の視線は目の前の馨ではなく、トトのいる木へと向けられている。その指先や顔、着物から滴っている泥。
「やっぱりこうきたか」
枝の上で不敵に笑うトト。彼も田々へと視線を向けていた。
馨は自分が二人ないし三人の眼中にないこの状況に眉と目を下げシュンとしている。
『泥田坊』
【泥濘:触れた地面を泥濘へと変える】
「本命の僕が捕まえられなくて残念だったね」
下で自分を睨んでいる田々を挑発するように言ったトト。田々は余裕の顔を崩さないトトに舌打ちをすると、やっと馨へと顔を向け隣にいた煉を呼んだ。
「煉」
「あいよ」
応えた煉は、首にぶら下げている硬貨大ほどの数珠の連なりからひとつちぎり取ると、ぬかるんだ地面に向かって投げる。ボワッと音を立てて煉の着物や髪に灯る火。彼が手をかざすとその数珠を中心に一気に炎が上がった。
『ヒザマ』
【火事:意図的に火事を起こせ、止められる。ただし火種が必要】
火が広がり瞬時に固まっていく泥。ぬかるんだ状態で固まるため、地面は凸凹だ。火はどんどん広がり、馨の目前にまで迫ってきた。
(焼けるっ!)
と、咄嗟に強く目を瞑って動かすことのできる腕で顔を覆う馨。
だが、火は馨を飲み込む前に消えた。震えた息を漏らしながらゆっくりと目を開けた馨は自身が燃えていないことに安堵する。
「はい、一人確保」
馨の面前にしゃがみこんだ煉は得意げに笑って告げる。首からぶら下げられている数珠が隣り合ったもの同士当たって音を立てた。
「じゃあなー」
あと腐りなく立ち上がった彼は馨に手を振ると、先に逃げている田々を追うように駆けていく。煉の着物や髪に点々とついていた火は彼の意志に沿うように消えた。
「あ、まって……!」
煉に手を伸ばし引き止めようと動いた馨だったが、固められた地面により微動さえしない。
「……トト~……」
情けない声で助けを求めるようにトトがいた木へと視線を向けた馨。だが、そこにはもう彼の姿はない。
「トトならもう行ったぜ」
木から飛び降りつつ述べた陸斗は埋まっている馨へと近づくと、目線を合わせるために胡坐をかく。
じっと埋まっている馨を見ていた彼だったが、不意に吹き出し笑い始めた。
「ブフッ……アハハハハ!!」
陸斗に笑われ、馨の顔はみるみる赤くなっていく。
「わかるわー。こういう目に合うのって馨くんだよなー!」
と、地面を叩いて笑っている陸斗。
「わかんないでよ!」
腹を抱えて笑う陸斗を止めようと手を伸ばすが、宙をもがくだけで届く気配はまったくない。その状況に陸斗の笑いはますます深くなっていく。
「……笑ってないで助けろよ!」
真っ赤な顔で怒り心頭に言う馨。
「無理だって。見ろよ、これ。カチンコチン」
陸斗は目に浮かんだ涙を指で拭いながら地面をノックして見せる。およそ裏山の地面から鳴るとは思えないコンコンという音がした。
「こんな状態で引き抜きでもすれば、足、最悪腰から引きちぎれんぜ」
自身の腰を手でスパッと切るふりをする陸斗。情けない顔をしている馨は身震いしつつ「たしかに」と肩を落として共感を示した。
「……と、いうことだから残り25分ちょい? そこで捕まっててなー」
と、立ち上がり制服についた灰を払って落とした陸斗は、馨に片手を振って煉らが駆けて行った方向と反対へ歩き出した。
「そんなぁ……」
伸ばした手は誰に取られることもなく力なく地面に落ちる。腹いせ且つ試みで硬くなった地面を拳でゴンゴン殴ってみたが、ただ自分の拳を痛めただけ。
「うぅ……くそぉ……」
為すすべない現状に項垂れた馨は、惨めに目に涙を浮かべるのだった。
「あはは、僕から逃げられると思ってんのー?」
トトは笑いながら枝から枝へと飛び移り、先に逃げていた田々を追いかけていた。
「しつ、こいっ!」
田々はしつこくついてくるも中々捕まえないトトに痺れを切らし叫ぶと、方向転換をして逆方向へ走り出す。
が、読んでいたトト。枝から手を離して木を蹴ると、砂煙を上げながら地面に着地し田々の前に立ち塞がった。
「逃げるんじゃなくて捕まえにいくのはいい作戦だったね。実際一人捕まったし。でも、その後のことは考えなかったの?……あ、もしかして捕まえられないなんて考えもしなかった?」
にやけた口を隠すように片手を口に当てたトトは田々に詰め寄る。爽やかの中に黒さを孕んだ笑みだ。そんなトトに怯んだのか、少し後退り左手を後ろについてしゃがんだ田々。
「……だから甘いって」
瞬き一つの間に笑みを消したトトが呟いた次の瞬間、田々の視界は90度傾き、気づけば地面に倒れていた。トトに右腕を掴まれた状態で。
「な、何が……」
戸惑いを隠せない田々。
「少し武道をかじっていてね。まあ、自己流にアレンジし過ぎて道場を追い出されちゃったから段は持ってないんだけど」
地面に倒れている田々に目を瞑った笑みを向けるトト。
田々は悔しそうに顔を歪めた。
あの一瞬で、トトはしゃがんだ田々の足を右足で内に払い地面に倒れさせたのだ。彼が怪我をしないように右腕を掴みながら。
悔しさを滲ませて睨みつける田々。
「いいね、その心意気は認めるよ。でも甘いんだって」
トトは田々の右腕を離し今度は胸ぐらを掴んで自分の顔へと近づけた。
「……僕がそんな簡単に捕まるわけないじゃん」
今まで瞑っていた目を開けたトトは小さな声で田々に告げると、またいつものようにニコリと笑う。そして、パッと手を離した。
そのまま地面に仰向けに倒れた田々は、両腕で顔を覆い悔しそうに呻き声を上げる。
クスッと笑ったトトは、くるりと体の向きを変えると後ろで手を組んで歩き出した。
そこでバッタリと煉と出くわす。お互い動きを止めたが、田々との一部始終を見ていた煉は一目散に逃げ出した。トトは追いかけるわけでもなくただ彼の背を見つめている。その隙に二人の距離は離れていく。
そんな煉を見ながらトトは言った。
「僕は少し疲れちゃったから、後は頼むね」
まるで誰かに頼んでいるようだ。
すると、横の茂みがガサッと音を立てた。
ご高覧いただき感謝の至りでございます。
主人の情報(血や経験、性格等)に沿った神使が契約に来てくれますが、必ずしも似通った性格の妖とは限りません。現に綴と田々は似ていません。




