第五十五話 アヤカミ 4
「四人じゃない! 三人だ!」
インカムから届くトトの焦った声で振り返った恒心。わずかに細められた夕柊のブロンドの瞳と視線が合う。
恒心は足の向きを変えて手を伸ばした。反対側からも乃々子がこちらへ駆けてきていた。
だが、間に合わない。
夕柊ら四人は円の中へ両足を入れる。刹那、プシューと音を立て辺り一面が薄紫の霧で覆われた。門番二人の視界が奪われる。
急に発生した霧を吸い込んで咳込み、次の瞬間にはクラっと目眩を起こしてその場に膝を着いていた。
「……うっ……なに、これ……」
「少量の毒だ。軽い目眩を起こす。解毒剤を置いておく、霧が晴れたら飲むといい。直ぐ正常に戻るだろう」
恒心の苦しそうな声に誰かが反応する。姿は霧に紛れていて見えない。
「……くそ、やられた」
反射的に右腕から襷を取り口と鼻を塞いだ恒心は、眉間に皺をよせ悔しそうに呟く。
息を整え内線を繋げる。
――ジジ……
「……ごめん、トトくん。やられた」
「いや、人数を伝えてなかったこっちのミスだ。大丈夫、まだ挽回はできるよ」
そうトトに励まされ、恒心は闘志が燃えた。
思っていたより早く霧は晴れたものの、当然白線の中には誰一人いない。円を挟んで反対側には、同じく膝を着いた乃々子がいた。
「姉さん、大丈夫?」
男性が苦手である彼女を気遣い、距離は詰めずに声をかける恒心。襷を口元から下ろし四つん這いになって落ちている小瓶――解毒剤のひとつを拾うと、まず自分がと解毒剤を飲み干し何も無いことを見せた。
乃々子が頷いたことを見計らい、もう一つの解毒剤を彼女へ投げ渡す。
「ありがとう」
両手で解毒剤を受け取った乃々子に、恒心は片手を上げて微笑んだ。
本当によく効く解毒剤だったらしく、一分もしないうちに正常通り動けるようになっていた。
――ジジ……
恒心が腕に襷を巻きなおしていると、再び内線が繋がる。
「こちら陸斗。常葉くんと木歳の二人を捕まえた。もうそろそっちに着く頃だと思う」
陸斗からの報告だ。
「「了」」
声を揃えて答えた二人は顔を見合わせ頷き合う。次こそは逃がさない、という意志の共有だ。
「へいへい、袖なし少年に黒髪少女」
ほどなくして、笑顔で左手を上げた常葉が木歳を片手で抱きながらやってきた。
恒心はすっと常葉に近づくと、今度は逃さまいとその手を取り白線の中へと連れていく。
「なんだ、エスコートか? 感心、感心」
丸い眉を上げて目を瞑った常葉の口は緩やかに弧を描いていた。
――残り35分。確保人数2名。
◇
「毒霧攻撃上手くいったね」
言ったのは繕。その足取りは軽く、今にもスキップをしだしそうだ。
「ど、毒……大丈夫かな?」
両手を胸の前でギュッと握り震えた声を漏らす磐。その目には涙が溜まり、今にも零れそう。
「よく効く解毒剤を置いてきた。心配要らない」
丈の神使・蟒蛇の『平』は、心配そうな磐の肩に手を置きやや口角を上げた。
『蟒蛇』
【鼓毒:体内で生成した毒を吐く】
「来てくれてありがとう、平くん。助かったよ」
「役に立てて良かったさ」
平はお礼を述べた夕柊へと顔を向け、胸の高さで片手でサムズアップをした。
つと立ち止まる夕柊。
木々の間を走り去る風に同じく立ち止まった三人は顔を顰めた。
「残り35分。好きに暴れておいで」
普段より少しく柔らかな声で告げた夕柊の顔は、風で揺れた木々の間から差した光で反射してしまい三人からは見えない。それでも、声色からほんのり笑っていることが伝わる。
「「「了」」」
声を揃えて答えた三人は各々飛んで別の道へと駆けていった。
「……今日はいい天気だね」
顔の前に手を翳し太陽を見上げる夕柊。太陽の光が、人形のように整った彼の顔を照らす。
◇
「居ませんね」
立ち止まった綸は小さく息を吐き出す。
「ここに居ると思うたんやけど……」
一緒にいた澪は肩をすぼめ小さく声を零した。
そんな申し訳なさが滲み出た澪の頭に手を置いた市露。
「まだ時間はある。他のところ探そか」
顔を傾け小さな澪の顔を覗いて目を合わせると、彼はニカッと笑う。肩から滑り落ちる髪はまた少し長さが伸びたようだ。耳から上の髪を団子にまとめている簪の先では、小さな折り鶴が揺れている。
澪は長い前髪で隠れた目を市露に向け、小さく頷いた。
「……いる」
焚が呟く。目を瞑りひくつかせる鼻。
「1,2,3……3いる。同じ匂い」
「ほんまかぁ、でかした」
市露は、自分を見上げてきた焚の頭に手を置き優しく撫でる。嬉しそうに目を閉じて身を任せている焚。
「焚くんは鼻がいいのですね」
口に手を当て、腰を曲げながら反対側にいる焚を見やる綸。
「……同じ、匂い」
一方、澪は焚の言葉を反芻しながら考えていた。
「見つかってしまいましたか」
声を発しながら木の上から何かが降りてくる。それらは華麗に着地した。
狸の尻尾、垂れた目元はやや黒く、きちんと前が閉じられた男物の着物の胸元に差されているのは煙管。澪の神使・隠神刑部の『おこめ』だ。だが、同じ容姿のものがその場に三人いる。
「捕まえてみなさい」
中央のおこめが告げると、三者はそれぞれ別の道へと駆けていった。
『隠神刑部』
【分身:自身を複数に分身】
「どいつがほんまもんか分からへん。別れて追いかけや」
すぐさま指示を出した市露は、そのまま真ん中を駆けていくおこめを追いかける。
「「了」」
答えた綸と焚も、それぞれ左と右のおこめを追いかけた。だが、澪だけがそこに立ち尽くしていた。
顔を俯かせ、両手を腹の前でギュッと握っている。なにか思考している時の彼の癖だ。結論が出たのか左右へ視線を彷徨わせると左脇道へと入っていく。
「……ふぅ、撒けましたかね」
胸に右手を当てて息をついたおこめ。これこそが本物。木の上から動いてはいなかったのだ。三方向へ逃げたおこめはどれも分身。おこめの狙いは澪達四人をバラバラにすることであった。
容易く為せた状況に苦笑いのおこめ。
が、現実に引き戻されるように体がグラリと揺れる。
「……っと」
木を掴みなんとかバランスをとり、「ふふっ」と笑った。
「……お見事」
肩越しに振り返り賛辞を送ったおこめの視線の先にいたのは、口当てと長い前髪で顔が隠されている少年。
「つ、捕まえた……!」
顔を上げたことで前髪が靡き、彼の片目が露になる。目尻が垂れたこげ茶と薄茶が混ざり合った大きめな瞳だ。
その場に残った澪だけが、逃げたおこめの中に本物はいないと見抜いていた。あの時、彼は俯きながら必死に音を聞いていたのだ。上からほんのりと木の軋む音がして本物が上にいると気づいた澪は、身軽な体でこっそりとおこめの背後に回りその腕を優しく両手で掴んだ。
「捕まってしまいましたね」
おこめは澪に優しく微笑みかける。その言葉に頷いた澪は、おこめから腕を離した。
直後、傾く澪の体。おこめから腕を離したことでバランスを崩したのだ。この木は地面からかなりの高さがある。落ちたら怪我は免れない。
澪は咄嗟に木の枝を掴もうとするが上手くいかず、その身体は下へと落ちていく。おこめは木の上から澪の腕を取ろうとしたが届かないと察し、木から飛び降りると宙で澪の体を横抱きする。そのまま澪を抱き抱えつつ着地。
その反動で胸元から煙管がカランと落ちた。
「……ふふ、これではどちらが捕まったのか分かりませんね」
おこめは、前髪が自然と流れたことにより覗いた澪の目を見て自身の目を細める。男物の着物を着ているがやや膨らみを持つ胸元。男性的な声に容姿、そして仕草だが、微笑む姿はさながら姉のよう。
意図せず広がった視界に瞬時に顔を両手で覆う澪。
「覆わなくても良いのに」
クスリと笑ったおこめは澪を抱き抱えながら歩き出す。
「……ひ、一人で歩ける」
澪は顔を手で隠しながら足をジタバタさせ降ろすよう促した。
「それは残念」
目を瞑り心底残念そうに呟くとおこめは澪をゆっくりとその場に降ろす。
降ろされた彼の耳は真っ赤に染まっている。再び長い前髪で隠されてしまったが、恐らく顔も真っ赤に染まっていることだろう。
そんな澪の顔を見ようと腰を屈め前髪に触れるおこめ。サラッと前髪を分けると、案の定真っ赤な顔が覗いた。
おこめに顔を覗かれたことを一拍遅れて気づいた澪は、サッと後ろへ下がり距離を取った。乱れた前髪を直し、また目を隠す。
「ふふ、可愛らしい」
そんな澪の様子に口に軽く握った手を当て笑うおこめ。
早くなっている鼓動と、上下する肩を抑えようと澪は大きく深呼吸をした。
「そんなに可愛い顔をしているのになぜ隠すのです? 私が結ってあげましょうか?」
両手を後ろで組み、愛おしいものを見つめるように首を傾けたおこめ。
澪は激しくかぶりを振った。
「……怖くて出せへんよ。見られるのも、見るのも、怖い……」
前髪を両手で抑え、澪は小さな声を零すと俯く。
「……そうですか」
眉を下げて笑み穏やかな声で答えたおこめは、澪に近づくと小さな頭を優しく撫でた。
「では、貴方がいつか自分で見せることができる日まで、私が守りましょう」
その手を頬まで滑らせると、両手で包み顔を上げさせる。零れた前髪の隙間から澪の揺れた瞳が覗いた。
「……ですから、俯かないでください」
おこめは澪と目を合わせると、丸みを帯びた額に自分の額を当てる。ひやりとした冷たさに目を瞑って澪は小さな声で答えた。
「……うん」
「それでは私は黄泉へ向かいます。頑張ってくださいね」
その言葉に、澪は胸の前で両の手で拳をつくり大きく頷く。そして、おこめに向かって控えめに手を振る。
自ずと笑みが零れたおこめは片手を振って答えると、手を後ろに回して組み歩き出した。
(なんて可愛らしいお方だろう)
そう思いながら、またクスッと笑う。
――ジジ……
「こ、こちら澪。おこめ、捕まえました」
インカムに触れ報告をする澪。すぐさま、機械を通した特有の揺らぎが生じた声が返ってくる。
「やるやん」
「澪くん、すごいです!」
「こっち、ニセモノ」
市露らの声だ。
向けられた言葉を素直に受け止めた澪は嬉しさを噛みしめているように目を伏せ微笑んだ。
ご高覧いただき感謝の至りでございます。
『おこめ』が名付けられた経緯。
澪は神使を大切にする、と意気込みました。
故に、神使の名に自分の好きなものを充てました。
『おこめ』『おもち』二択の末、今の気分で『おこめ』に傾いたのでした。




