第四話 日本七不思議
はじめまして。
『暮色 ―ぼしょく―』と申します。
日本 長野県
2230年4月同日 正午過ぎ
――ある高校 一年生の教室にて
「お前、知っているか?」
振り向きざまに聞いてきたのは、黒縁にレンズ無しの眼鏡をかけた男子生徒である。彼の後ろの席に座っていた男子生徒『那珂町 馨』は小さく首を傾げた。
馨は物静かで地味な生徒だ。長身ではあるが猫背で声も小さく、長い前髪により表情が見えない。そして、どこか生気のない顔をしていた。
反して眼鏡の生徒『渡辺 勇成』は、表情豊かで明るくおしゃべり好きだ。クラスの中心的人物で友人もたくさんいる。
正反対な二人だが、学校ではよく一緒にいた。正確に言うと、勇成が馨の近くにいることが多く、一緒に居るように見えるのだ。
四時間目の授業を終え昼休みを迎えた今も勇成は馨に話しかけていた。
「やっぱり知らないだろう?」
(なにをがわかれば知っているかもしれないんだけどね)
皮肉交じりにため息をついた馨は、彼が求めているだろう返答を返した。
「……しらない」
「そうだろう、そうだろう。では、俺が話してやろう!」
「あー、はいはい」
こうなったら話は長そうだ、と馨はもう一度ため息をついた。
「『日本七不思議』だ!」
それは、日本の中で解明できていない七つの謎のこと。誰ともなく作られ今も世間を騒がせている。『神隠し』がいい例だ。
だが『七不思議』の資料は数少なく、その詳細は明らかにされていない。上辺だけの情報が世間に広がっているのだった。
「聞いて褒めろ。俺は成し遂げてしまったのだ!」
勇成は眼鏡のブリッジを押し上げ馨に顔を近づけると、口を横に大きく開いて得意げに笑った。
「……ああ、詳しいことがわかったんだね」
「おうよ! 今までタイトルしか得ていなかったその④とその⑥の情報をついに発見した!」
馨は『日本七不思議』について以前も勇成から聞いていた。しかし、タイトル――例えば学校七不思議の『トイレの花子さん』的な一言で表せる情報のようなもの――しかもっていないものがあった。それが、その④とその⑥。
それ以外の五つを集められていることは称賛に値するのだが、本人が調子に乗りそうなので馨もそこはあえて言及しない。
「お前忘れていそうだからおさらいな。
その① 『鎖国宣言をした者』
今から約二百年前、ある国に侵略されそうになった日本を救ったのはたった5秒の音声だった。名前、人数、顔も誰も見たことなく、その実態は不明。実在するかもわからない。だが、一夜にして侵略に関わっていたものが殲滅されたという功績のみが残っているのだ。
その② 『神隠し』
今や世間を震えさす超常現象。前触れもなく目の前から突然姿が消え、そして二度と戻ってはこない。誰にでも起こりうる恐怖の失踪。
その③ 『死因のない死体』
外傷無し、原因無しの死体が見つかることがある。どれほど腕の優れた解剖医が解剖しても体内に異常はなく、誰も死因を特定することができないのだ。
その⑤ 『人ならざるもの』
そのもの、長い手足を持つ。そのもの、目が無数にある。そのもの、奇妙な言葉を話す。それは実在する生物か、はたまた幻か。
その⑦ 『鎖国国家 日本』
鎖国がされてから今日まで、日本が侵攻されたことはない。日本という小さな国に攻め入ろうとした国はあっただろう。だが、実際になにかに閉ざされているかのように何者の侵入も許さないのだ。
……とまあ、こんな感じね」
その語り口調は手慣れていた。馨の目には一瞬だけ、高座に座って扇子を突き出す彼の姿が映った。
(将来は落語家が向いていそうだ)
「そして気になるその④とその⑥!
その④ 『透明な壁』
海外への飛行機は飛んでいない。ある者は考えた。空がダメなら海を行こう。船を買って海を渡った。だが、ついぞ辿り着くことはなかった。その者は語った『まるで透明な壁があったようだ』と。
その⑥ 『死に誘われる踏切』
車が通れないほどの小さな踏切。その踏切で少年少女らは命を落とす。見た者は言う『自分から踏切に飛び込んでいった。いきなりだった』。気を付けろ、その踏切渡るべからず。
――どうよ!」
語り終わった勇成に小さく拍手を送った馨。彼は我が意を得たりと豪快に笑った。
そんな勇成を尻目に席を立った馨はひとり教室を出た。昼休みで人の賑わう廊下を縫って歩く。
彼はふと廊下の端で四つん這いになった。
「え、うそ。王子が這いつくばってんだけどー」
「きったなぁ」
「動画とろーぜ」
突然の彼の行動に生徒らは笑い出した。その目は明らかに見下している。しまいにはスマートフォンを取り出し動画を撮る者もいた。
嘲笑は気に留めず、彼は四つん這いを続ける。
他の者が同じ行動をとってもここまで笑われることはないだろう。彼だからだ。彼のあだ名は『王子』。決して彼を称した言葉ではない。他の者を指す名称なのだ。
故に、不運、その一言に尽きる。
ある学園の中等部に『王子』と称されるほど眉目秀麗で温厚篤実な生徒がいた。馨はその者と同姓同名であったのだ。
始まりは、王子と称される者と同じ学園の中等部出身者の一言だった。
「え、あの王子と同姓同名? 雲泥の差じゃん! 笑えるんですけどー」
悪意のこもったその一言で彼の生活は一変した。一挙手一投足が笑われるのだ。
(いい迷惑だよ、本当……)
俯いた馨の視線にかぶさる長い前髪。そのわずかな隙間に小さな手が現れた。彼の視線の先に広げられた手のひらの上には画鋲が一個乗っていた。
「これ、ですよね? ありがとうございます」
雪を解かす春の日差しのような暖かな声に、馨はおもむろに視線を上げる。
陶器のように滑らかで白い肌、色素の薄い茶色の柔らかな髪。長いまつ毛に囲まれた髪と同色の大きな瞳。さくら色の頬と唇。彼女の小さな口が緩やかに弧を描いた。
そのあまりの美しさに目を奪われた馨は言葉を返せない。
立ち上がった彼女は馨に手を差し出す。赴くままに彼女の手に自分の手を置いて立ち上がった彼。
長身の馨を見上げ微笑んだ彼女は壁に向きを変えると、一方を指さす。
「ここ。一箇所画鋲が外れています。いち早く気が付いたあなたは誰かが踏んで怪我をする前に見つけようとした。私が見つけてしまいましたが、あなたの姿を見ていなければ素通りをしていたと思います。ですので、ありがとうございます」
そう告げた彼女はポスターの右角に画鋲を刺す。
高校に入ってまだ日は浅いが、初めてだった。自分の行動の意味を理解してくれた者は。馨は胸がほのかに暖かくなった気がした。
「……あ、あの」と、突然振り向いた彼女。その目は若干潤んでいた。
申し訳なさそうに、彼女はポスターの右角を指さす。
「ご、ごめんなさい。さ、刺せないです……」
華奢な彼女では力が足りず、画鋲は先しか壁に刺さらなかったようだ。
そんな可愛らしい彼女にくすりと笑った馨は代わって画鋲を刺し込んだ。
「ありがとうございます」
何度目かもわからないお礼に、馨は照れくさそうに「うん」と返す。
(彼女は同じ中等部出身の……)
「七々扇、さん」
「はい。『七々扇 綸』です。那珂町 馨さん」
綸は可憐に微笑んだ。まるで花の精のようであった。馨も微笑み返す。
会釈し合った二人は、一瞬にして他人に戻ったように別の方向へ歩いて行った。
馨が向かったのは購買。昼休みになってから時間が経っていたからか残りは少ない。唯一残っていた総菜パンのコロッケパンを一つと、こぶし大ほどのクリームパンを一つ買い購買を後にする。
(教室に戻るとあいつの話に巻き込まれそうだし、どこか静かな場所に行こう)
馨は日の差さない裏庭に向かった。日が当たらずじめじめしており、二人掛けの木のベンチは今にも壊れそうなため寄りつく人がいないのだ。
案の定誰もいない。座ると軋むベンチに恐る恐る腰掛け、馨は息を吐き出した。やっとゆっくりできそうだ。
コロッケパンを袋から取り出し齧る。じゅわっと広がるソースの旨味と素朴なジャガイモの甘味、食感がアクセントになるキャベツ、ふわふわのパンが口の中で合わさり、彼の頬は無意識にほころんでいた。
(初めて食べたけど、これ購買パン俺的一位かも。味わってゆっくり食べよう)
「――ねぇ、それおいしい?」
それは唐突であった。
後方から聞こえてきた、高くも低くもない抑揚のない声。
馨は機敏に振り向いた。だが人影はない。首を傾げて視線を正面に戻す。
「んー、おいしい」
もう一度同じ声が聞こえ、次は逃さまいと瞬時に反対方向に顔を振り向かせた。彼の長い前髪が覆った狭い視界に映ったのは、自分の髪とは違うブロンドの柔らかな髪。
(動物の毛?)
違うと分かっていながらそう思ってしまうほどにふわふわと奇麗な髪だった。
馨の視線に気が付き顔を上げたブロンド髪の少年。彼の色の異なる瞳と馨の焦げ茶色の瞳が合わさった。
(……奇麗な子。人形のようだ)
急にここに現れたことよりも、少年のその奇麗な顔に馨は心底驚いていた。声を出すという反射さえも無視してしまうほどに目を奪われる。
瞬きのために伏せられたまつ毛は、右と左で色が異なっていた。右はブロンド、左は淡い茶色、とそれぞれの瞳の色と同じだ。
視線が合わさって二秒後、先ほどまで止まっていた少年の口がたちまち動き出した。明らかに何かを咀嚼している動き。一瞬で思考した馨は自分の右手に握られているコロッケパンを見やる。
残っているのは半分ほど。馨は一口しか食べていない。明らかに減っている。
再び合った視線。少年はチロリと少し舌を覗かせた。
「……やられた!」
それは馨のここ最近一番の大声であった。
ご高覧いただき感謝の至りでございます。
鎖国により平和になった日本は以降、文明を進化させていくことより現状維持を選びました。現代から約二百年後の世界ですが、日本の暮らしは大きな変化を見せていません。
と、いう背景設定です。




