第四十八話 もう一つの未来
夕柊はある場所に向かっていた。ある人物に会うために。そして、最悪を防ぐために……。
割られた学び舎の窓から体を滑り込ませるように舎内へと入った夕柊は、勢いのまま壁にぶつかるもすぐさま立ち上がり再び低空飛行して目的の場所へと向かっていく。
その最中、一人の人物とすれ違う。
夕柊の翼が発する風に白衣がはためき、顔に付けられた小面の能面がカタカタと小さく揺れた。
床に舞い落ちた抜けた羽の落とし物を拾ったその人物――陽炎は呟く。
「安心しろ。この先には僕が立ち入らせないから」
そして、翼の彼とは反対方向へと歩みを進めた。
「だーかーらー、探しに行こうって!! もう妖も全部いなくなったんだし」
木の破片を竹ぼうきで掃いている市露の袂を掴んで引っ張る恒心。
「おらんくなったんやったら、なお安心やん。そのうち自分で戻ってくるよ」
市露は意に介さず竹ぼうきを動かし続けている。
争点は「ここにいない文哉を探しにいくか」だ。
恒心の隣に澪が並んだ。これは恒心派と言うことだろう。
だが、市露の脇に陸斗と丈が並ぶ。こっちは市露派らしい。
「文哉さんももう子どもじゃないんだから」
陸斗のその言葉に、腕を組んで目を瞑り二度頷いて同意を示した丈。
「で、でも、今頃こわくて泣いてはるかも、しれへんよ」
口元に耳を近づけないと聞こえないような小さな声で澪は述べた。
「え~、泣くって、澪くんじゃあるまいし」
笑いながら朗らかに返す市露に澪は顔を俯かせた。長い前髪の隙間から僅かに覗いた彼の肌は紅潮している。
自分の失言に気付いた市露は慌てて澪と視線を合わせると誤解を解こうと必死になった。だが顔を背けられ、目が八の字になる市露。泣きそうなのは彼のようだ。
「……いいんだよ。あっちのことはあっちに任せて、さ……」
哀愁を帯びた声で呟いた陸斗は顔だけで学び舎を見やった。丈と市露も続く。
彼ら三人は、いやあの場を目撃した者は察していたのだ。食堂でのトトの一件を見た者は皆。床に落ちている短剣に、その場からいなくなった一人。どうしてその事実を無視できようか。
恒心も心の中でわかってはいた。でも信じたくなかった。探しに行けばそこにはいつもの文哉がいるかもしれない。そんな淡い期待が消えずに残っていたのだ。
「だって、だってさ……」
目に涙を浮かべた恒心の肩に、市露は優しく手を置いた。
そして、彼の元へと向かったであろう少年に自分らの思いを託すのだ。
(……夕柊)
(……夕柊くん)
(((どうか、彼を――)))
「……いつから気付いていたんだ?」
相対した天司に鋭い視線を向ける文哉。
「そうですね。入学初日から、と言えばよいでしょうか」
「ふーん。随分と洞察力の高い人がいたもんで。落ち度はなかったように思ったが」
片方の口角を上げて笑った文哉は大げさに肩を竦めた。
「物心つく前から敵意を向けられていた子ですからね。その点においては人よりも敏感でしょうよ」
その天司の言葉に「ああ」と納得した文哉は、脳裏にひとりの少年を思い浮かべた。自分らの目下の殺すべき対象を。
文哉は指の骨を鳴らし、戦闘準備に入りながら天司に尋ねる。
「あんたがここにいるってことは俺を排除するためだろう? 外でのドンパチにまったく目を向けねぇんだから」
外を横目で見ると、校舎中に散らばっていた妖がなぜか庭に集まっていた。この状況に違和感を抱いた文哉だったが、目前の敵から意識を割いてはいけないと本能が警告をしていたため、いったん外の情報をシャットアウトさせる。
小さく長く息を吐き出して答えた天司。
「ええ。あの子が来る前に片づけましょう」
先に動いたのは文哉であった。
「『創式妖術 げ――、かはっ……」
だが、詠唱の途中で吐血した文哉。おもむろに自分の腹部へと視線を落とす。前から後ろへとポッカリと開いているゴルフボール大の穴。彼の腹には風穴が空いていた。
反応遅れて流れ出した血を彼は手で押さえながら、視線を前方へと戻す。
「あなたにあのお方の力の恩恵を受ける資格はありません」
顔は雑面で隠れているが、声音から彼の相当の怒りを文哉は受け取った。
雑面に描かれている、開いた丸障子の奥の目は閉じている。
天司は唱えた。
「『風穴来喰』」
合わせて開かれた雑面の目。それに呼応して生成されたのは太陽のような赤い球体。そして、雑面に描かれた目の瞬きによって消える。――否、飛ばされたのだ。それが目に見えぬ速さで文哉めがけて飛んでくる。
体を左に反らし間一髪で避けた。そう思ったが、瞼にかすっていたようだ。血が噴き出し、文哉の右目は使い物にならなくなる。
動いたことによって腹部の風穴からは更に血が溢れ、文哉はその場に片膝をついた。
その隙を見逃す天司ではない。二度瞬きによって生成された二つの球体は、彼の右腿と右肩に風穴を開けた。吹き出す血によって力を失った文哉の体は前に傾いたが、辛うじて床に左肘をつけ倒れることを阻止。だが、彼は立てそうもない。
そんな彼の元へと近づいていく天司。荒い息遣いの文哉は顔を上げ、痙攣している左目で天司を見た。雑面の紋様は、普段の閉じられた丸障子へと戻っている。
「あなたは、『闇』と『光』。どちらをお望みですか?」
その言葉に「ははっ」と掠れた声で笑った文哉は、顔を歪めながら仰向けになる。体から流れていく大量の血を感じつつ、彼は笑んだ。
「どちらも、望まない」
「……そうですか。任務遂行を放棄し無駄死にする。憐れですね」
そう言い残し、この場を去っていく天司。
「……はぁ、……はぁ」
(……息が、苦しい。視界が、ぼやける。外の音が、聞こえない)
荒い息遣いが直接脳に響いているような感覚に自分の死期を悟った文哉は、天井を見つめた。
(任務遂行を放棄。俺もわかんねぇんだよ。どうしてあの時、トトが庇った後もう一度妹を刺さなかったのか。あの場からすぐ逃げず、閉鎖領域の中でトトが治癒されるまで見ていたのか。わかんねぇんだよ)
文哉は過去を馳せるように瞼を閉じた。
――――――
俺はどうしようもない不良だった。工業高校に通っていたなんて嘘っぱちだ。中学を中退して、いい噂の聞かない連中とつるんでいた。警察に追われるスリリングがたまらなく楽しかった。
小さいころから趣味は機械工作だった。家がそっち系の小さな会社を営んでいたから物心ついた時から見学をしていた。俺は将来もここを継ぐのだと信じて疑わなかった。
だが、会社は倒産。その時小学生だった俺は詳しいことは知らない。ただ、そのことをきっかけに親は喧嘩が多くなり、ついには離婚して母親は家を出て行った。父親は酒に溺れ、俺に暴力を振るうようになった。
だから、俺がこうなるのは必然だったのかもしれない。
喧嘩に明け暮れた。女遊びも数えきれないほどやった。軽い犯罪にだって手を染めていた。
あの日はよく覚えている。一対複数の喧嘩で負けた日のことだった。痛む体を動かす気にもなれず仰向けに倒れ空を見ていた。雨が目の中に入って痛かったことも覚えている。だから目を瞑った。何も考えたくなく、何も考えないようにした。
雨脚が強くなってきたため帰ろうと目を開ければそこは、俺の知っている世界ではなかった。正確には全く知らないわけではない。周囲の建物、音、独特なにおいは変わらない。だが、それに加えて変な生き物がたくさんいたのだ。建物を包む黒い渦のようなものも見えた。
「なんだこれっ!! ついてくんな!!」
何もいない空間に叫んだり、手で追い払ったりする俺は周囲からは異常者に見えていただろう。だが俺からしたら大まじめだったんだ。
仲間もそんな俺を気味悪がった。離れていった。気が付いた時には一人になっていたさ。
だから、かけられた声が救いの手のようだった。
「君も、見えているのかい?」
奇妙な生き物を指さして、男性が俺に声をかけてきた。瞑られた目の優しそうな三十代くらいの男性。
「君は一人じゃない」
男性――あの方はそう言って俺に手を差し伸べてくれた。
連れてこられた場所にいた人は皆、俺と同じく見えている人だった。その生き物が「妖」であること、自分たちがある組織に潰されようとしていること、殺さなければいけない人間がいることを教えてもらった。
加わってひと月後、俺にはある任務が課せられた。それは敵組織内部に潜入することだった。
「君にしか任せられないことなんだ」
その言葉で自分が必要とされているのだと舞い上がり、二つ返事で俺は受けた。今思えば、俺は体のいい捨て駒だったんだろう。
俺がすることは比較的簡単なことだった。決行日に学園の双龍を破壊して仲間を学園に侵入させる。つまり、襲撃の狼煙を上げる役目だ。
だが、状況が変わった。殺さなければいけない人間の妹が学園に入学をしてきたからだ。俺の役目がひとつ増やされた。それが彼女を殺すこと。
俺は妖が侵入してきた混乱に生じて短剣を彼女へと近づけた。誰もそんな俺に気が付いていない。
だから、トトが予測していたかのように彼女を庇ったのは予想外だった。むしろ俺のことを信頼しているとばかり思っていたから。同じ寮で過ごし、お互い元現世人、そして親に捨てられたという共通点もあった。
トトの腹から流れていく血を見て、俺は握っていた短剣を落としてしまった。
……俺は、彼女を殺す以外は誰も傷つけたくなかった。いや、本当は綸のことも傷つけたくなかったんだ。
――――――
ヒュー、と文哉から漏れ出るか細い息。
僅かに開かれていた左目を細める。
(……どうして、お前らの顔が浮かぶんだよ。やめてくれ、優しく笑いかけないでくれ。勘違いしちまうから。俺を許してくれているんだと思っちまうから。もう、笑顔を向けないでくれよっ……)
文哉の瞳から零れた涙は、床に落ち血と混じる。
(もし、あのお方より先に黎明の誰かに出会えていたら、また違ったんだろうか。更生できていたんだろうか? ……いや、表面は繕えたところでいくとこまで行った内側はもう治らない)
自分が今目を開けているのかさえ文哉にはわかっていなかった。彼の視界はもう機能していないのだ。
(あいつらといるの、ちょっとは楽しかったな。もう少しだけ、一緒にいたかった。……なんだ、これ。頭に流れてくる映像は。……そうか、もし俺が最初からこっちの人間であれたならこんな未来だったのか。なんだよ、それ。めっちゃいいじゃん)
そして、文哉は笑った。最後は笑顔で終わりたい、といった思いからではない。無意識だったと言っていいだろう。それでも、彼の最後は笑顔だった。
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