第四十七話 黒い翼をもつ者
「……え? なにが起こって……」
「一瞬、でしたね……」
目の前で起きた一瞬の出来事に目を丸くしているトトと茉李。
次の瞬間――
「「「わああああ!!!」」」
「ヒューヒュー!」
学生から歓声があがった。指笛で喜びを表す者もいる。
「……か、かっくいいー!! なっ?」
両手を上にあげ喜びを露にした恒心は近くで見ていた澪に投げかけた。大きく数度頷き返す澪。両手を胸の前で握っている姿から彼も興奮している様が見て取れる。
「……吟丸先生のあの翼って……」
吟丸の姿を見て陸斗が零す。その声はひどく震えていた。
――バサッ、バサッ
無数の翼がはためく音が響く。
上空に百を超える烏天狗が飛んでいたのだ。一様に濡羽色の翼、ブロンドの髪と瞳、烏の嘴を持ち、髪を組紐で結っていた。
彼らはやおら降り立つと吟丸に跪く。
吟丸が煙に包まれ一度姿を消すが、現れた時には背の翼を消えており、代わりにふわりと宙に浮いている烏天狗『萑』の手をエスコートするように下から支えていた。
上空で旋回していた八咫烏『玖』も降り立ち煙を出して人間の姿へ変化すると、吟丸の手から離れた萑と共に、彼の面前に跪く。
彼の者らは皆、吟丸の神使だ。中でも玖と萑は筆頭神使である。
「主、無事終了いたしました」
「うん、ご苦労」
代表して報告をする玖に柔らかく答えた吟丸。
彼の声を聞き終えると神使らは、息を吹きかけられた火のようにふっと姿を消した。
吟丸は首に柊のように赤い組紐を巻き、後ろで蝶々結びをする。結び終わると彼の髪は純白から烏の羽のような黒色へと戻っていった。その髪を普段通りに垂らし団子に結わえると、そこには見慣れた神威学園の教師・一学年初羽担任の『吟丸』がいるのだった。
「……髪が真っ白? 妖術で変えたのか? いや、でも髪が白髪になるのは恵みで……」
口に手を当てて思考している馨の顔を覗いて答えたのは夕柊。
「いや、これが本来の先生の姿だよ。首に巻いてあるあの赤い組紐は先生の創式妖術『封刻之結び』。先生の本来の器に封印をかける組紐」
そう言いながら、夕柊は自分の首で組紐を解くジェスチャーをして見せる。
「首の組紐を取ったから封印が解けて……。じゃ、じゃあ先生の本当の器は大きいってこと? でも器の大きさは変えられないんじゃ……」
「変えられないよ。先生が特別なだけ。先生の体には器がふたつある。まあ、かくいう俺も本当の器は初めて見たけどね」
「そうだったのですね。これが本来の吟丸先生……」
綸は、前方にいるいつも通りの吟丸を見て静かに呟いた。
「別に何も変わりやしない。世界一かっこいい先生にね」
そう断言すると夕柊は、長い袖を振りつつ吟丸に向かって走り出す。並ぶとそのまま二人で、気絶している反逆者を式神を貼り合わせて作った縄で拘束。式神は簡単に破られそうに見えるが、その実縄よりも頑丈なのだ。
夕柊が指笛を空に向けると鳴き声を上げ大きな梟が舞い降りてきた。妖専門の警察組織『神来』の伝書梟・聖神使『天羽』の使い、宝石と天羽の羽で作られた梟だ。その梟の目は宝石の瑠璃。故に名も『瑠璃』と言う。
吟丸はその背中に反逆者二人を乗せると、自分も乗り込み空へと飛び立った。あの梟の行き先はひとつ。神宮城だ。神様『御影』の元へとあの反逆者らは連れていかれる。それから何が待っているのかは想像に難くないだろう。
袖で隠れた手を大きく吟丸に振ると、夕柊は背中から翼を生やし低空飛行でどこかへと飛んでいく。
空へと昇って行った吟丸を見上げながらトトが疑問を口にした。
「……うーん、僕には能力をあえて隠すメリットが分からないんだけどな。この世界って強くてなんぼじゃない?」
「約束なんだよ。死んだ兄貴との、な」
悲しさを滲ませた微笑みを浮かべて北斎が答える。41にしては若い精悍な顔立ちに刻まれた皺が、今はいつもより深く映った。
「……へぇ、吟丸先生って兄さんいたんですね。長男って感じがしていたんだけどな」
「しっかり者にならなきゃいけない状況だったから無理して大人びた結果、それが板についちまったんだろうな」
おもむろに空から隣の北斎へと視線を移したトトは問う。
「……吟丸先生って、何者なの? 存在感あるのに、存在が薄すぎるんです。あんなに容姿も人格も優れていて、尚且つ神恵子になりたい人なら誰でも通るこの学園の先生。なのに、名が知られていない」
トトを横目で見つつ、話に耳を傾けている北斎。
「それだけじゃない。博物館に先生に関する資料はひとつもなかった。この学園の資料にすら載っていない。……まるで、存在を隠されているみたいだ。伝説の100期生よりも厳重にね」
もう姿は見えないが、梟が飛んでいった先の空を見ながら北斎は口を開いた。
「……最大級の器『傑器』をもつ黎明現最強の男、それが吟丸だ。これ以上でも以下でもないさ」
そして、トトの頭に手を置いて微笑むと大きく伸びをして「終わった、終わった」と呟きながら、いまだ興奮冷めやらない生徒らをまとめに向かう。
北斎が向けていた空へと再び視線を戻したトト。
(本来の器を封印していても最強、封印を解いたらなお最強。まるで非の打ち所がない人だ。……いや、本来の器を封印し、今後小さな器でも戦えるように編み出したものが、自身の妖力と他の妖力を結びつけること、なのか。あの技は、滅多なことがない限り封印は解かないようにする先生の決意の表れなのかな?)
トトは吟丸を手放しで尊敬せざるを得なかった。
北斎とトトの会話を背後で聞いていた暖はひとり肩を竦める。
(……やめてほしいぜ、まったく。いんのよね、こういう探り入れてくるタイプ。どれだけ隠しても暴かれるだろうなという恐怖が付き纏ってくるこの感じ。よく知っているよ。……つか、一年後にうちに来んの? うっわ、やなんだけどー)
そんな彼に怪訝な顔を向ける茉李。
「何ひとり顔芸やっているんです? 北斎先生はもう復旧作業に取り掛かっていますよ。ほら、出遅れです、出遅れ」
「あー、そうね。やろうやろう」
およそやる気があるようには見えない猫背具合。陰気なオーラも垂れ流しだ。反して、右目尻の下や舌についたクリスタルのピアスは太陽を反射させギラリと輝き、どっちつかずのギャップを感じさせた。
「覇気が足りていませんよ、まったく」
「覇気はお袋の腹の中に置いてきたさ。俺は独りじゃ何も出来ない、人の手を借りなきゃ生きられない人間だからな」
「みんなそうでしょうに」
自嘲する暖に茉李は淡々と返す。見慣れているのか返しも手馴れている。
「1人でなんでも出来ちゃうやつだっていんだよ。俺はそういう人間になりたかったね」
「なのに、産まれる前から手放してしまった、と」
「俺はそういう星の元に生まれたのさ」
「わあ、めんどくさい。私は一生関わりたくないタイプですねー」
「言っとけ言っとけ」
虫を払うように手を振った暖は、のろのろと復旧作業に取り掛かっている北斎や生徒らの元へと向かっていった。
「……本当、言動が一致しない方ですよ、貴方は。(だからこそ、周りに勘違いされてしまう。もっと、堂々としても良いのに)」
ため息をついた茉李は眉を下げて小さく笑うと、壊れた壁の一部を持ち上げようとしている暖の元へと小走りで向かう。
「……おい、そっち持てっ……。俺の力だけじゃ、持てない……」
近づいてきた茉李は見るや否や助けを乞う暖。
「はぁ……、はいはい。(まあ、基本的にはダサいんですけどね)」
茉李からは自ずと二度目のため息が出るのだった。
「……黒い翼、くろい、翼……」
「りっくん、どしたん? 復旧作業取り掛かろうや」
顔を俯かせてぶつぶつと同じ言葉を繰り返している陸斗の顔を覗き込んだ市露。団子をまとめている折り鶴のついた簪が、重力に素直に傾く。
「……吟丸先生の名字って、何?」
顔は俯かせたままに横目で市露を見やった陸斗は問うた。揺れている彼の深緑色の瞳。
「吟丸先生の? あー、なんやったけなぁ。思い出せへんわ」
「思い出すも何も聞いてないよ。自己紹介の時からずっと『吟丸』だけだったよ」
首を傾げた市露の後ろから出てきた恒心が答える。その手には籠を抱えており、中には小さな破片やらが入っていた。
「そうやった?」
しゃがんで大きな破片を見ている綴に確認を取る市露。
「たぶん。でも、それがどうしたんだ?」
一人で持てると判断したのだろう。綴はその破片を両手で持ち上げながら答えた。
「……吟丸先生が使った能力は重力操作だった。つまり、烏天狗の能力」
先刻まで吟丸が立っていた場所に目を向けながら陸斗が零す。地面に無数にある凹んだ跡はところどころに血が残っており、仄かに彼の背を震わせた。
「夕柊と同じだね」
陸斗の隣に並んだ馨が呟く。夕柊の親代わりであり実際に血は繋がっていないのだが、背に翼を生やした姿は、馨の瞳には本当の親子のように映っていた。
「夕柊くんは半魂だからいいけど、先生は状況が違うんだよ」
「何かおかしいの?」
陸斗の言い草に馨はすかさず問う。
「吟丸先生は神恵子。つまり烏天狗と契約をしているってことだ。……ははっ、わけわかんねぇよ。だって、烏天狗と契約しているのは『蘆名』一族なんだよ?」
乾いた笑い声を漏らした陸斗は愁いを帯びた瞳で、一族出身者である市露、丈、澪へと視線を送った。
「……あ、蘆名一族!? ……って、あの『悲劇の一族』、やんな?」
「悲劇の一族?」
言葉を繰り返しながら首を傾げた恒心に頷いた陸斗は語り出した。
「今から十五年前に、反逆者によってひとつの一族が滅ぼされるという大きな事件が起きた。広大な屋敷は跡形もなく壊され、五大一族に含まれるほど優秀な人材が揃っている一族だったのに、たった一日で悲惨な姿で全滅させられたらしい。その被害者が蘆名一族だ」
その事実を知らなかった者らが息を呑む。流れた沈黙を破ったのは馨だった。
「……じゃ、じゃあ、吟丸先生はその生き残り?」
陸斗は馨に顔を向けた。何も動かさず、何も発さず、ただ見つめるだけ。無言の視線が表すもの、それは肯定だ。
(……そうか、あの日博物館で見た『葦名悲譚』。あしな、に聞き覚えがあったのは、俺たちが空蝉に来て初めて訪れた場所が『葦名道場』だったからか。そしてそこは、吟丸先生と夕柊の家。あの広い庭と広い屋敷は、かつてそこに大勢が住んでいたからだったんだ)
馨は無意識に空を仰いでいた。観音開きの大きな扉が変わらず自分らを見下ろし、記録をしている。生きた時を刻んでいる。変わらずそこにあり続けてくれる存在がこんなにも心を落ち着かせてくれるのだと、馨は初めて気づいた。
反して顔を俯かせている陸斗。その場に力なくしゃがむと震える息を漏らし、ふつふつと湧き上がる負の感情を押し殺そうと膝小僧に額を打ち付けた。鈍い痛みは幾らか心を鎮めてくれる。
(……五年前、俺は黒い翼を生やした人物に会っている。そいつをずっと、ずっと恨んできた。……それが、吟丸先生なのか……?)
その問いに答えてくれる者はいない。そして、その問いの答えを知る者も、またいないのだ。
ご高覧いただき感謝の至りでございます。
烏天狗の能力は憑依型。吟丸が背から烏の翼を生やしている時、彼には『萑』が憑依していました。
そして、烏天狗は話せません。嘴では人の言葉を操れないためです。




