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第四十五話 自分たちのすべきこと


 「よく頑張ったね」

 儚げな男性、トトらの担任『吟丸(うたまる)』が振り向いて微笑んだ。彼の動きに合わせて、首の後ろで蝶々結びされた長い組紐の先が揺れる。


 強張っていた体から力が徐々に抜けていくことを感じるトト。


 夕柊を後ろから烏の羽で抱きしめていた女性、吟丸の神使・烏天狗の『(すい)』は煙を出して人間の姿へ変化すると心配そうに呟いた。


「あら、(しゅう)ちゃん。また手をこんなにしちゃって」

 先ほどまであった烏の翼と烏の嘴はなくなり、人間そのものの姿だ。


「主、この男たちどうしますか?」

 短剣の切っ先を男らの首に当てている男性、吟丸の神使・八咫烏の『(きゅう)』が尋ねる。男らに向ける視線は「動いたら首をはねる」の意がこもっていた。真っ黒な瞳は鋭く光っている。


「とりあえず、ここは狭いから移動しようか」

 吟丸はそう言うやいなや指を鳴らした。


――パチンッ

 その音に反応してどこからか飛んできた大量の式神が男らや妖共に張り付いていく。


――バシバシバシバシ


「はぁ!?」

「なぁにこれ~、外れないんだけど」


たちまち式神は男らを覆い隠した。体をよじるが、外そうともがけばもがくほど張り付いて離れなくなるのだ。


――パチンッ

 もう一度鳴らされた指。式神に包まれた男らはその場で宙に浮き、そして吟丸が指先を動かす方向へと式神らは意志を持っているかのように移動する。包んでいる対象ごと割れた窓を通り庭へと放り出た。


 一瞬にして静かになった食堂。


「後は僕が引き受けよう。だから避難してね」

 吟丸は再び夕柊とトトに微笑むと、八咫烏の姿に戻った『玖』と烏天狗の姿に戻った『萑』を連れて庭へと向かっていった。


「……っはぁぁ。死ぬかと思ったー!」

 その場にへたり込んだトト。そんな彼を、袖で口を隠しながら小さく笑っている夕柊。


 夕柊を軽く睨みながら立ち上がったトトは、庭へと視線を向けた。


「……でも、まだ終わってない。奴らはまた(いと)ちゃんを狙いに来る」


「いや、その心配はないね」

「……え?」



――カァ、カァ

(烏の、鳴き声……?)


 綸の手を握って走っていた馨は上方へ視線を動かす。彼らの上を烏が旋回していた。


「ほう。これで安心ですな」

 突然朗らかに笑い出した橘翁を初羽の子らは不審げに見つめる。


 だがその直後、橘翁が言っていたことが事実であると彼らは知る。綸を狙うように向かっていた妖共が一瞬で動きを止めたからだ。そして、烏に導かれるようにして一方へと向かっていく。


「……どういうこと?」


「先生の神使・八咫烏の『玖』ちゃんの能力は『導き』。物も視線も思いのままに導ける。もちろん制限はあるけどね」


 疑問を零した乃々子に答えたのは、随分前に分かれたはずの声だった。


「……ゆ、夕柊……!」

 聞き馴染んだその抑揚のない声を聞いて思わず涙が零れそうになる馨。


「みんな、さっきぶりー」

 夕柊の後ろには、笑顔でこちらに手を振っているトト。制服に付着している血や口元の血を拭った形跡はあるものの、腹部の切れた制服の下から覗く肌は奇麗に治っていた。


「……っトト~!」

 涙を流して彼に抱きつく恒心。陸斗も笑顔で近づいていく。


「ゆ、ゆうひ、くん……」

 トトの元気な姿を見て安堵した綸は大粒の涙を零す。左手の甲で拭うも流れる量のほうが多くあまり意味はない。夕柊は彼女を抱きしめた。


 そんな二人を微笑ましく見ていた馨に市露が声をかけた。


「まだ手、握っとるなぁ」

 冷やかしが込められた言い方。


 彼の言葉をゆっくり噛み砕いた馨はおもむろに自分の手に視線を落とす。仄かに伝わってくる温度。馨の大きめな手は綸の小さくて柔らかい手を握っていた。


「……うわあ! ごめん、七々扇さん!!」

 反射的に手を離した馨はすかさず謝罪を口にする。


「いえ。とても安心しました。ありがとうございます」

 綸は涙に濡れた目を瞑り、嬉しそうに微笑んだ。


 頬をわずかに紅潮させて眼鏡のブリッジを押し上げる馨の脇腹を誰かがつついた。丈だ。ニヤニヤとした顔で数度つつく。


 反対の脇腹もつつかれた。こちらは綴だ。


「へぇー。ふーん」

 と、小さく呟きながら何かを悟ったような顔をしている。


「ちょっと、やめて!!」

 馨はさらに顔を赤くし両脇にいる二人を押しのけた。


 これは誰も知る由はないのだが、抱きしめてくれている夕柊の肩に顔を埋めていた彼女の頬もまた紅潮していたのだ。握られていた手のひらはまだ彼の温度を保っている。


 ……いや、夕柊の後ろにいた彼――トトにだけは見えていた。


 皆の視線から逃れるため窓の外を見やった馨。


「……なっ! なんだあの大量の妖……!」

 馨の叫び声に皆の視線も窓の外、学園の庭へと移される。


「こんなに侵入されていたのか……」

 眉を顰めて陸斗が呟く。


 妖共は広い学園に散りばめられていた。だが、玖の能力『導き』により一箇所へと集められ、その数は想像の数倍いたのだ。


「あっ! 双龍の像が壊されてる!」

 指を差した恒心。学園を守るように入口に立つ阿吽の双龍の像が無惨なまでに壊され、庭に倒れていた。


「それが原因で侵入されたわけだね。勝手に壊れはしないだろうから、誰かが壊したんだろうけど」


 トトは肩をすくめて言いつつ、その犯人にも心当たりがあるようだ。


「でも、大丈夫? あの大量の妖を前に吟丸先生しかいないけど」

 綸の肩を抱き締めるように抱えている乃々子が呟く。


「問題ないよ。でも、こうしてられない。俺も行くしか――」


――グイッ

「だと思った」

 翼を出して飛んでいこうとする夕柊の襟首を掴んで止めるトト。


「離せ」

「やだね」

「なんで止めるの?」


「……はぁ、君今自分がどんな翼をしているかわかっている?」


 トトに指摘され視線を翼に送った夕柊。普段の大きな翼から一回り小さくなっている。それほどの量、羽を使ってしまったのだ。


「……まだいけ――」

「いけない。それに、避難してねって言われたでしょう?」

 夕柊の言葉を遮って言いきったトトは、再びため息をついた。


「あれは俺には言ってない」

「どうしてその中に君が含まれてない計算になんのかな。ほら、いいから行くよ」


――ズリズリ

 トトは夕柊を引きずるようにして歩き出した。


「……トト、強いな」

「で、ですね」

 と、苦笑いで顔を見合わせた馨と綸。


「重いから自分で歩いてくんない?」

「だったら襟から手を離して」

「そうしたら君飛んでいくでしょうに」

「うん」

「うん、じゃないから」


 自ずと呆れ笑いが零れたトトだったが、彼の手が自分から離れないと知ると夕柊は途端全身の力を抜いた。


「……っ、こいつ……!」


「全体重かけて最大限重くしているよ。本当ああいうところは子どもっぽいよな」


「さっきまではかっこよかったのになぁ」


旋毛(つむじ)を曲げる】

(※気分を害して意固地になり、わざと人に逆らうこと)


 声を潜めて陸斗と市露、スケッチブックで丈がそれぞれ思ったことを述べた。


「……後で覚えとけよ」

「へーんだ」


――ゴンッ


「今やったな、嘘つき」

「ああ、ごめんごめん。つい手が」


 拳という制裁が下ったのはあとではなく今だったようだ。


「……今、奇襲にあってるんだよね?」

「……きっと、吟丸先生ならやってくれると信頼しきっているのでしょうね」


「そうだね」

 言い合いしている夕柊とトトの後ろを歩く馨と綸はまた顔を見合わせて、今度は笑顔を零した。



北斎(ほくさい)先生、学生の避難があらかた完了いたしました」

 避難誘導場所として使用されている武道場『東棟』で、資料を片手に近づいてきた生徒が、三学年『優羽(ゆうば)』担任『門廻(せど) 北斎』に声をかけた。


 緩いサイドテールに口元の黒子が印象的な色気のある青年。

 名を『宝生(ほうしょう) 茉李(まつり)』(18)。宝生一族の一人。『優羽』であり、神威学園の生徒会長だ。


「ああ、ご苦労」


「人数の確認が取れました。初羽の行方がわかっていません」

 北斎の元に駆け足で近づいてくる生徒が告げる。


 髪は半分の割合で白く、地毛は淡い紫。両手には焦げ茶色の皮手袋。やや垂れた大きな目は犬を彷彿とさせる。

 名を『(かけはし) 紫雨(しぐれ) 』(16)。桟一族の一人。茉李同様『優羽』で、副生徒会長だ。


「一人もか?」

 怪訝そうな表情を浮かべた北斎。


「いえ、彼だけ確認できています」

 紫雨は、端にひとりで縮こまっている少年――『澪』を横目で見ながら伝える。


(皆さん、どこ行ってはるん? なんもないとええんやけど……)

 長い前髪が視界を覆ってくれており幾らか平静を保てているが、クラスメイト誰もいない状況は彼を時間の経過とともに不安にさせる。


「クソッ、こういう時に限って優羽の半数が外部に出払っている。すぐ駆けつけたいが、こっちを手薄にするわけにもいかねぇからな」


 北斎は苛立たし気に頭を掻いた。三学年ともなると実習やらで定期的に組織に身を置くことがある。今の時期がまさにそれなのだ。


――スタッ

「探しに行きますか? 俺行きますけど」


 なぜか上から降り立った、二学年『真羽(しんば)』の担任『交久瀬(かたくせ) (だん)』が尋ねる。


 北棟に来ていた妖を倒していたが玖の導きによって強制的に離れていったため、お役御免となった彼は北棟上方の開いていた窓から中に飛び降りたのだ。


「暖、いい所に来た。任せる」

 そして、暖が動き出そうとした時、


「遅くなりましたー。逃げ遅れの初羽ですー」

 夕柊の襟首を掴んで引きづるトトを筆頭に初羽一行が北棟へ入ってきた。


「自力で危機を乗り越えたのか、流石だね」

 とろんとした目の覇気のない顔で微笑む暖。


「……無事だったか。よし、これで全員の確認が取れたな。……いやはや、橘翁(たちばなおう)が付き添っていらしたのですね。これは無事なわけです」


 北斎は胸を撫で下ろし、一行の後ろに控えていた橘翁を見て深く頭を下げた。


「私は何もしておらなんだ。自分たちのすべきことをよくわかっている子らでしたよ。ほっほっほっ」


 橘翁は長い顎髭を撫でながら笑い、いまだトトに全体重を預けている夕柊に優しい視線を送った。


ご高覧いただき感謝の至りでございます。


式神は自身の妖力を流すことで自在に動かすことができます。誰もが使える妖具の一種です。

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