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第四十三話 欠けた一人


――バサッ

 大きな翼のはためく音。

 夕柊(ゆうひ)は背中から濡羽色(ぬればいろ)の二対の翼を生やすと宙に浮かんだ。


「逃げてね」

 初羽(ういば)の子らにそう言い残し、風を起こす勢いで食堂の上方を飛んでそのまま校舎へと入って行く。


 飛んでいると、校舎の窓から一匹の妖が這い上ってきているところだった。


創式妖術(そうしきようじゅつ) 幻想具現(げんそうぐげん)千変万化之烏(せんぺんばんかのうば)変化(へんげ)『双剣』


 飛んだままに腕をクロスして背中に生えている左右の翼から羽を一枚ずつ取り唱えれば、その羽は煙を出してたちまち漆黒の双剣へと変わる。


 夕柊は勢いを殺さず、妖の中心めがけて双剣を振り下ろした。


「ギィヤァ!」

 およそ人からは出せない奇妙な奇声を上げて妖は、黒い煙となって霧散した。あたりに漂った墨の匂い。だが、夕柊がはためかせた翼によって薄まっていく。


 なぜ彼だけは、刀印(とういん)を作らず、そして『破邪顕清(はじゃけんせい)』を唱えずとも妖の器を壊せるのか。それは彼が生まれつき精神干渉できる能力『玉響(たまゆら)』を持っているからである。器は妖の核――言わば精神だ。故に直接干渉でき、瞬く間に器を破壊できるのだ。彼だけにできることである。


 夕柊は次から次へと校舎に入ってくる妖を倒していく。


 だが、双剣の元は羽だ。耐久性はない。ヒビが入れば再び羽を取り唱える、を繰り返して、夕柊は数えきれないほどの妖を倒していった。


 双剣の創造が間に合わなければ烏天狗の固有能力『重力操作』を使い、妖を床に押し付け器を割る。


 心なしか夕柊の背に生えている翼は小さくなっていた。


(きりがないね)

 夕柊の脳内に語りかけられる声。夕柊の魂の半分、妖『烏天狗』の『(ゆう)』だ。故に夕柊は烏天狗の能力が使える。


 つと、足を止めた夕柊は脳内で夕に問いかけた。

(ねぇ、夕くん。この現状を起こしたのは回し者の■■■なのは予想つくけど、じゃあ目的は?)


(純粋に襲撃なんじゃないの? 何か思い当たることが?)


(ない、けど、違和感がある。だって無謀すぎるから。先生たちや俺がいるこの時間帯だよ?)


(相当な手練れが来ているってこと?)


(違う……。ちがう、狙われているのは綸だ!)

 夕柊は翼から羽が数枚もげて落ちてしまうほどのスペードを出して食堂へと踵を返していった。



――ガシャンッ

 割られた食堂の窓から迫ってくる複数の妖。


 食堂には初羽の子らも含めてまだ生徒が残っていた。だが、妖は分散するでもなく一斉に初羽の子らが固まっているところへと向かってくる。


 真っ先に動いたのは一族の陸斗と丈に、綴と(らい)。四人は戦う意志を見せた。市露(いちろ)(たき)を守るように抱きしめる。そして、同じく一族の名を持つ彼女もまた動いていた。


「結界!」

 乃々子はそう叫んで瞬時に結界を張る。妖はその結界に勢いよくぶつかり後ろに弾き飛ばされていく。だが、再びこちらに向かって、また結界にぶつかる。それを何度も繰り返していた。知能がない妖のようで結界が貼られているということに気が付いていないようだ。


「……怪我はない?」

 黒い髪を靡かせて振り返った乃々子。


「「ね、ねぇさん……」」

 その乃々子の凛々しさに陸斗と恒心の口から思わず零れる尊敬の念。


「ね、ねぇさんっ!? ……というか、なんで戦おうとしているの! 結界が防いでくれているうちに逃げるわよ!」


「「はい! 姉さん!」」

 真っ赤な顔で訴える乃々子に、二人は元気よく従った。


「それ止めてってば!」

 そして、彼女の顔は更に赤くなるのだった。


 逃げられるように誘導してくれる、三学年『優羽(ゆうば)』の人らに続く初羽の子ら。


「……七々扇さん?」

 彼女がついてきていないことに気が付いた馨が振り返る。彼女は誰かを支えていた。小さな体で大きな体を支えていた。今にも傾きそうだ。


「……かはっ」

 その者が口から血を吐いた。その傍らには深紅の液体が付着した短剣が落ちている。黒い制服でもわかるほど腹部から流れている血。食堂の床にも足を伝って小さな血だまりができていた。


「……っトト!!」

 駆け寄る馨を手で制するトト。


「……だいじょう、ぶ。それより……」

 トトが横に視線を向ける。妖たちのワンパターンな体当たりにより、乃々子が張った結界にヒビが入っていたのだ。


(結界は今にも割れそう。でもトトが……!)

 そんな、馨の予感は的中。自分が二人の元へ駆け寄るより早く妖は結界を破り二人へ襲い掛かった。


 トトは綸を庇うように血塗れの手で彼女を抱きしめ反転し、妖の攻撃を受けるよう背を向けた。両手の鎌を振り上げる妖怪。


「トトっ!!」

 馨が伸ばした手は届かない。


(また、俺は……)

 馨の顔が悲痛に歪んだ時、


――バサッ

 翼のはためく音が聞こえた。何度も聞いたあの音を。


「『乖離一空(かいりいっくう)』」

 その声と共に妖は一斉に床に押し付けられた。床が凹むほど押し付けられ、そして瞬き一つの間にすべての器が割れた。ガラスのように破片になって消えるもの、黒い煙となって消えるもの、床に押し付けられて血を流し消えるもの。だが一様に跡形もなく消えでいる。


「……夕柊」

 そう、彼の名を零し、馨はその場に座り込んだ。彼が来たことへの安心感の表れだ。食堂の入り口にいた初羽の子らも皆安堵の表情を浮かべている。


「……かはっ」

 だが、トトがもう一度血を吐いた。無理に動いたせいで腹部からの出血はひどくなっている。


「……夕柊、くん。トトさん、私を庇ったせいで……」

 翼を仕舞いながら降り立った夕柊は綸を安心させるように、その頭に手を置いた。


「大丈夫。大丈夫だから」

 涙を零し続けている綸の頭を何度も撫でる。


「馨。綸を連れてここから逃げて」

「でも――」


「いいから。向こうから橘翁(たちばなおう)が向かってきてくれているから、落ち合って綸を守ってもらって」


 夕柊の真っ直ぐな瞳を見て、そして『橘翁』という心強い名を聞いて馨は素直に頷いた。


「……わかった」

 頷いた馨は綸の手を取って歩き出す。夕柊の言っていた通り入口には橘翁の姿。何も言わなくとも綸の傍に移動してくれた。


 食堂には夕柊とトトの二人のみ。

 力を失ったように倒れるトトを支えた夕柊は彼を床に寝かせて正座をすると、腹部の傷に両手をかざした。淡く光る彼の体。


「『加密列之箱庭(かみつれのはこにわ)』」

 トトの傷はみるみる塞がっていく。


「……ありがと、夕柊くん。……これでも、警戒は、してたんだけどな、ははっ……」

 小さな声で途切れ途切れ零すトトは自嘲気味に笑った。


「俺こそ、ごめんね。本人自ら手を下すという考えに至ったのが遅かった」


「いーよー、こうして、間一髪の時に来てくれたんだから」

 トトは優しく微笑み、夕柊の手に血塗られた自分の手を添えた。


「……っ……」

 彼が、あの夕柊がポロポロと涙を零していたからだ。冷たい雫がトトの制服に染みを作っていく。


 淡い光が収まり、トトの傷は完全に塞がった。上半身を起き上がらせたトトは眉を下げて、長い袖で涙を拭っている夕柊の柔らかなブロンドの頭を撫でる。


 必死に嗚咽を堪えている姿がトトに、彼が普段どれほど感情を押し殺しているのかを痛いほど伝えてきた。


(敵に、知能のある妖に弱点を見せないよう、彼は自分を偽っている。ふざけるのが好きで、悪乗りだってしちゃうし、本当は腹から声を出して笑いたいだろうに。毎日妖に命を狙われて、泣き叫びたいほど怖いだろうに。こんな運命から逃げ出したいだろうに。彼はそんな様子をおくびにも出さない。なにか騒ぎを起こしてよく怒られているから勘違いされやすいけど、本当はこんなにも優しい子なんだよね、彼は)


 トトは目を瞑って口角を上げると、撫でている手を止めて言う。

「……そんなに一人で抱え込まなくていいんだよ、夕柊くん」


「……うん」

 震えた声で、彼は小さく答えた。



 「……はぁ、はぁ……はぁ」

 男はひとり廊下を走っていた。校舎の中をうろつく妖はまるで彼が見えていないかのように素通りだ。なにせ、彼は自身に閉鎖領域を貼っているのだから。


 自分の手を見やる。血が付いていた。彼は制服の腹元で必死に血を拭う。だが、奇麗には落ちてくれなかった。細かい皺の隙間に入り込んだ血がまるで彼を責め立てるように、ここから出て行かないぞ、と訴えているように思わせた。


「やっと一人になってくださいましたね」

 背後から低めの澄んだ声が聞こえ、彼は足を止め振り返る。その目は、なぜ自分が見えているのか、と問いているようだ。


「見えているのが不思議ですか?」

 澄んだ声の主、神威学園長、聖神使の『天司(てんし)』は、ふふっと妖艶に笑った。息によって揺れた雑面(ぞうめん)


 男が瞬きをするために目を一度閉じたその最中(さなか)、天司の雑面に描かれていた丸障子が開かれた。現れたのはひとつの目。


 天司は告げた。

「この瞳はすべてを見通す私の目です」


 だが、素顔ではない。顔には雑面がかかったままだ。雑面に描かれているものが変わったのだ。閉じられたひとつの丸障子から、障子が開かれ奥に隠れていた目が露になったものへと。


 天司はその瞳で男を見つめ、冷たい声を放った。


「……あなたをここで排除します。『野呂 文哉』」



「……ねぇ、『ふーみん』は?」

 橘翁に守られながら妖から逃げている最中、振り返った恒心が人数を確認しながら口にする。


「あの人よくトイレ行くからなぁ」

 走りながら呆れ声を漏らして頭を掻いた陸斗に、市露と綴も同意を示す。


「せやんなぁ。どうせならこの騒動が収まるまでトイレ籠っといてほしいねんね」

「うん、むしろそっちの方が安全だ」


(……そういえば。食堂で襲撃合図の龍の鳴き声を聞いた時にはいたのに)

 最後尾にいるのは馨だ。後ろを振り向かなくとも彼がここにいないことは明白だった。


(あの状況でトイレ行くのは考えられないし、逃げ遅れた、もないかな。どこかではぐれたとか? ……あれ、彼っていつからいないんだ?)


 馨に握られたままの手に視線を落とす綸。ここにいる者の中で彼女だけは、彼がいなくなった理由を知っていた。


ご高覧いただき感謝の至りでございます。



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