第四十話 地獄特訓 with非常勤講師
「はぁ……、はぁ……、はぁ……」
(おじいちゃん。俺は今、ある人にいじめられています)
「ほらほら、馨くん。立って」
(今、悪魔が僕の顔を覗いています)
馨の視界には、茶髪と白髪が混じり合った三つ編み、山なりに弧を描いて瞑られた目に、上げられた口角によって両頬にはえくぼが見られた。
「起きないならこのまま投げ――」
「おおお、起きますっ!(起き上がったら即逃げる……、起き上がったら即逃げる!)」
「っうぐぇ!」
その願い虚しく、馨は再び地面に投げられた。
(おじいちゃん。今日、空を見上げたのはこれで二十回目になります)
青い空に細い雲が横に並んで二つと、その下に一つ。まるで笑った顔のようだった。だが、なんか鼻につく笑み。馨には空まで自分を嘲笑っているように感じた。
そして、空にはもうひとつ大事なものがある。
そう、『空蝉物怪録』だ。
(俺のこんな間抜けな姿も見られているのか。……はぁ)
横へ視線を送れば、右方向には陸斗、左方向には丈が同じく投げ倒されていた。
三つ編みを下げた悪魔が再び馨の顔を覗く。
「よし。もう一戦――」
「もう、勘弁してくださーい!」
第二運動場に馨の叫び声は響き渡った。
遡ること三十分前。
「それでは本日は体術を学んでもらいます。僕が一人で指導に当たるとなると時間がかかるので、今日は三人の非常勤講師にお手伝いをしてもらいます。今から名前を呼んでいくから、それぞれ指定された運動場に向かってね。講師の方々はもう運動場にいるから」
第二運動場に名前が呼ばれたのは、馨、陸斗、丈、綴。
着いた運動場の中央には人が一人立っていた。小柄ではないが、細身な体、風に靡く三つ編み、優しそうな顔立ちに頬にはえくぼ。
だから、馨らには無意識に油断が生じてしまったのだろう。
「自己紹介は手短に。僕は『無凧 真幌』。よろしくね」
彼の自己紹介が終わる頃には、馨ら四人は地面に投げ倒されていた。
「「「……え?」」」
そして、今に至る。
四人の中で一番善戦しているのは綴であった。長いリーチを生かし、持ち合わせている武術を駆使して真幌に立ち向かうが、それでも最後には投げ倒されてしまう。
真幌にはかなりの余裕があり、四人が一斉に立ち向かっても負けるであろう、と四人が意思を共有で来てしまうほどその差は歴然だった。
「大丈夫?」
倒れている馨に差し伸べられた手。馨はその手に掴まり上半身を起き上がらせる。
「ありがとう、綴くん」
綴は無言で頷くと馨の隣に座った。
「……俺は自惚れていたようだ。師匠に『お前には才がある』と言われ、この学園への入学を進められた。だから想像していた」
馨は視線を綴に向けていたが、綴は前方で真幌に翻弄されている陸斗と丈を見ている。
「想像ってなにを?」
特段聞いて欲しそうではなかったが、馨が気になったために問いかけた。
「え? 『お前凄いな!』『師匠と呼ばせてくれ!』――『いや、すまない。弟子はとっていないんだ』……って、状況を」
綴は無表情で淡々と述べた。
「……ん?」
「きっと俺は学園で一目置かれるんだろうなあって、想像していたんだよ」
(……え、ちょっとまって綴くんって……)
「神宮城で吟丸先生にかかってこいって言われた時も、内心で小さな俺はラッパを吹いて飛び跳ねていた。願ってもない状況にウッキウッキだった」
真幌に簡単に投げ倒された陸斗を見終えて、綴はやっと馨に視線をよこした。
「ところがどっこい、俺は敗北を喫する。ここでも簡単に投げ飛ばされたし」
言いたいことを言い終えた、とわずかに表情をやわらげた綴は、頭の後ろに手を置いて地面に寝転がった。反動で足がやや浮く。
「俺は井戸を泳ぐ蛙、大海原はまだ知らない、ブレーメン」
そして馨に、ニコッと笑顔を向けた。
馨の綴へと向ける顔は引きつっていたことだろう。
(……良い笑顔で何言ってんだ、この人)
なんせ、聡明で冷静沈着だと思っていた人が蓋を開けたら、どこかに頭のネジを落としてきていそうな人だったのだから。
「ほらー、馨くん、綴くん、休憩は終わりだよー」
三つ編み下げたえくぼの可愛らしい悪魔に呼ばれ、二人はのそりと立ち上がった。
地面に投げ倒されたまま空を見上げて独り言ちる陸斗。
「なんで俺はいつもこうなんだろうか。あいつらならきっと……」
そして、歪む顔を見られないように腕で塞いだ。
――――――
今から五年前、俺が十歳だった時の話。
俺には仲の良い友達が二人いた。ジュジュとコニーだ。それぞれ違う一族出身だけど、いつも三人で集まって現世で遊んでいた。
「なあなあ、りっくん。俺ら三人これからも仲間だ、って証が何か欲しくない?」
コニーが唐突に提案した。こいつはいつもそうだ。先頭切って何かをするのはいつもコニー。真ん中は控えめなジュジュ、そして殿を務めるのは俺だった。
「いいね! でも何がいいかな?」
「あれはどう?」
ジュジュは、商店街の一角にある雑貨店の棚に並ぶ首飾りを指さした。薄紅色の桜の首飾りだ。残りは丁度三つだった。
「いいじゃん! ジュジュナイス!」
コニーは店に飛び込んでいった。
「大声出したら迷惑だよ」
そんなコニーをジュジュは困り顔で追いかける。俺はそんな二人が面白くて笑う。お決まりだ。
「よし、これで俺ら三人は仲良し『さくら組』だ!」
「えー、もっとましな名付けにしてよ」
「文句言うならりっくんがつけろよ」
そんな言い合いの末、やっぱり『さくら組』となった。
いつも通り、さくら組で空蝉に遊びに来ていた時のこと。
「コニーはいっつもそうだ! 僕の言うことなんか聞きやしない!」
「なんだよ! ジュジュだっていっつも俺のすること止めるだろ!」
「それはコニーが間違ったことをしている時だけだ!」
ジュジュとコニーが喧嘩をした。
原因は、近くで朽篭が発生し一族の人らが戦っているから見に行く、行かない、の喧嘩だ。
十歳を迎えた俺らは器を獲得していた。妖も穢れも見られるようになった。だから大人の仲間入りをしたと思っていた。その気持ちが強く出ていたのがコニーだ。
参考になるから見に行こうと誘った。だが、ジュジュは危ないし邪魔になるから行ってはいけない、と止める。そして喧嘩になった。
ここは俺が仲裁をしないと、そう思って無理に笑顔を作って声をかけた。
「ちょ、ちょっと、二人とも喧嘩は――」
「りっくんは黙ってて!」
珍しいジュジュの怒りに俺は怯んでそこで言葉をやめてしまった。
やめなければよかった。殴ってでも喧嘩を止めればよかった。でもそれは後の祭り。
「もういいよ! じゃあ一人で行けばいいじゃん! どうなったって僕は知らないから! 怪我したって自業自得だから!」
「ああ、わかったよ! 一人で行ってやる!」
そして、コニーは現場に走って一人で向かっていった。
俺ら二人は帰ることはせずコニーがここに帰ってくるのを待つことにした。ジュジュは心配そうに何度もうろうろしては座り込んだり、呻いたりと落ち着かない。
「大丈夫だって。座って待ってなよ」
「う、うん」
その直後だった。
――ドーンッ
なにか重くて硬いものが落ちた音が響いた。
ジュジュは走り出した。音のした方向はコニーが向かった方向と同じだったから。俺もジュジュを追いかける。だが、彼の足はとても速く差は離れていく一方。
「コニー! コニー!」
ジュジュは何度もそう名前を呼んでいた。
角を曲がれば、数十メートル先にジュジュは佇んでいた。
「ジュジュ!」
俺は駆け寄ろうとした。だが、足が止まる。
ジュジュの足元、倒壊したコンクリートの大きな破片の下に血だまりがあったからだ。そして、近くには割れた薄紅色の桜の首飾り。
ジュジュはゆっくりとこちらへ振り向いた。涙に濡れた顔で、悲痛に満ちた顔で俺の名を呼ぶ。
「……りっくん……」
そんな彼の顔にかかる影。
「ジュジュッー!!!」
そんな俺の叫び虚しく、彼の頭上にもコンクリートの大きな破片が降り注いだ。
一瞬にして、視界からジュジュが消えた。彼が先程まで立っていた場所には大きなコンクリートの塊。
「……っっ……うあああああ!!!」
血が出るほど顔に爪を立てた。痛さはなかった。
「……ああ、あ……」
その場にくずおれて泣きじゃくる俺の元に着物をはためかせた男性が一人空から降り立った。背中には真っ黒な烏のような大きな翼。
俺はその足元に縋り付いた。
「……助けて!! 二人が、友達がコンクリートの下にいるんだ!! まだ生きているかもしれないから助けてくれっ!!」
「……仕事が優先だ」
男性は冷たく言い放ち、掴んでいた俺の手を突き放すように飛んでいった。あの黒い大きな翼で。
忘れない。お前のその翼を忘れない。
お前を、俺は決して許さない……。
――――――
「……ぅああ……」
嫌な記憶を思い出し、陸斗の口から漏れる声。
向こうでは、遊ばれているように投げられている馨と、最初より立っている時間が長くなってきている綴が、笑顔の真幌と戦闘訓練を行っていた。
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