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第三十四話 新月の守護者


 「以上。りっくんと――」

【丈による】

「空蝉『一族』図鑑でしたー」

【空蝉『一族』図鑑でした!】


「「「おおー」」」

 控えめに上がる拍手と感嘆の声。


 (かおる)も食堂にいる他の生徒の妨げにならないように拍手をしていたが、丈の書く謳い文句を読みながら疑問に思っていたことを口にした。


「あの、五代一族が二つしか出てきてなかったんだけど、それはどうして?」


「あ、たしかに」

「そういえば」

 馨の疑問に同意を示した恒心と文哉。


 馨が聞かなければ自分が聞いていた、と言わんばかりの綴に、綴の隣にただ座っているだけの(らい)


 トトはというと、

「スケッチブックに手を出したのはいつ頃? 字が奇麗だね。書道を嗜んでいたとか? それとも頻繁に字を書いていくうちに奇麗になったとかかな?」

 と、自身の隣に座っている丈に矢継ぎ早の質問というちょっかいをかけていた。


 当の丈は至極迷惑そうな表情を浮かべ、ちらちらとわざとらしく馨に視線を送っている。


(これをどうにかして、と言いたげだな)


「……あ、七々扇(ななおうぎ)さんに、銘苅(めかり)さん」

 なんと声をかけようか迷った挙句、視線を逸らさせるという思考に至り、何の巡り合わせか、学び舎に向かう参道を歩く女性二人を見かけた馨は迷わず名を零した。


「どこどこ?」

 食いついたトトに指を差して教える。


 馨は、トトに対して『女性が好き』という印象を抱いていた。そして、それは間違いではなかったとここで確信する。


「じゃあ、僕は先に失礼」

 と、彼女らを見た途端下膳に向かったからだ。


 皆に理由を問わせる間もなく立ち上がり下膳して食堂を出たトトは、軽く手を振りながら彼女らの元へと小走りで向かっていった。そんなトトに気が付いた綸は手を振り返したが、乃々子が彼女の腕を引いて逃げるように走り去ったために、結局トトはぽつんと一人取り残された。小走りをやめた彼は肩を竦めると、ひとり歩いて学び舎へと向かっていったのだった。


「ははっ。そんじゃ、俺らも戻りますか」

 トトの一部始終を見て笑った陸斗の一言に立ち上がった彼らは、めいめい下膳し食堂を後にする。馨の投げかけた疑問に答えが返ってきていないという状況を忘れているかのように。


 実際に幾人かは忘れていたのだろう。なんせトトのインパクトが大きかったために。


 だが、馨には陸斗は忘れたのではなく、意図的に話を切り上げたように感じた。故に、疑問が疑問のままでいる不快感はあるにしろ、追って無理に聞き出そうとはしない。


(今じゃなくとも、いつか知れるだろう)

 と、自分に言い聞かせ、喉元までせりあがっていた「ちょっと待った」を飲み込んだ。



 どこからともなく聞こえてくる梟らの声と、遠方より微かに聞こえてくる鹿威(ししおど)しの音。夜半(よはん)の訪れに、学園を守りし阿吽の双龍の像はおもむろに瞼を閉じた。


 浴衣の上に羽織を着た馨はひとり寮の外に出て、星を眺めていた。

(いつもより夜が暗いと思ったのは、今日が新月だからか)


 夜を象徴する月は姿をくらまし、空いた穴を埋めるように星たちは自ら瞬いている。


 馨は少し肌寒い風を遮るように羽織の前を両手で閉じた。

(ちょっと気分も変えられたし、そろそろ戻ろう)


 寮への道につきながら馨は今日一日のことを思い浮かべる。

(本当、異世界に来たような感じだったな。天空に行き、神様と出会い、自分の不甲斐なさに落胆して、またクラスメイトとの明確な差に絶望して、でも励まされて)


 思わず零れた笑み。彼の脳裏にはへんてこな能面保健医の姿が浮かんでいた。

(明日からも、ちょっとずつかもしれないけど頑張ろう)


――コツン

 ふいに背後で聞こえてきた音に、晴れた心に浸っていた意識が戻される。蹴った石が何かに当たったような小さな音。だがそれは、はっきりと馨の耳に届いた。その状況が指し示す事実。


 馨の口から震えた息が零れる。

(……背後に、何かがいる)


 振り向かず走れ。本能が警告を発する。頭では足を動かそうとしているのだが、体が言うことを聞かない。


 自分の影を優に隠す大きな影が覆いかぶさった。馨の項に重く冷たい息がかかる。

(人間じゃ、ない……)


「い、い? いい、いー」

 人間の喉から発せられない不気味な声が真後ろから聞こえ、短い悲鳴を上げた馨。


(……う、動け、動け! 動けよ、俺の足!)

 だが、反してびくともしない。


 視界に映るのは影のみ。その影が動いた。腕を大きく振りかぶり馨めがけて下ろされる。恐怖から馨が目をきつく瞑った刹那、


――リン

 と響いた軽やかな鈴の音。ちいさいものらがコロコロと笑っているような愛らしい音。


 強く吹き付けた風に導かれるように目を開いて、馨は背後へと視線を向ける。


 視界に映る、結わえられたはためく白髪に、靡く白いひげの男性。そして、夜光を反射させた刀身、飛び散る鮮血と切り落とされた腕。 


「ギィィヤアーッ!」

 直後響く耳を劈く甲高い悲鳴。


 頭と胴がつながった巨大な生き物が後ろに反り返る。その右腕からは鮮血が迸っていた。


「子らにお痛はよしなさい」

 しわがれた渋い声を発した男性は、腕を切り落とした体勢から左足を軸に上体を立て直し、引いた刀を勢いのまま生き物の胸に突き刺した。


 男性は刀を握っていない左手の人差し指と中指を伸ばし揃える。そして『刀印(とうしん)』をつくり、口の前に持ってくると落ち着いた声で唱えた。


「『破邪顕清(はじゃけんせい)』」

 すると、生き物に突き刺している刀の刀身が光り出す。


「ギィィヤァー!」

 再び苦しそうに叫んだ生き物は光に包まれ、もがくもあっけなく体は崩れていくように消えていった。


 男性は刀身についている鮮血を、刀を払って地面に落とし、慣れた手つきで鞘へと刀を収める。


 あまりの一瞬の出来事に腰を抜かした馨。そんな彼の様子を見て、「おやおや」と優しげな声を発した男性が馨に手を差し出す。暗くて見えていなかった顔が、馨の瞳に映し出された。


「……た、(たちばな)、さん」


「お怪我はありませんかな?」

 細められた目尻と上げられた口角の脇に刻まれた皺が、男性の生を重ねた年数を象徴している。


 自分へと差し出された、皺が多く、だが、よく鍛えられた様がありありと伝わる硬い手に自分の手を乗せた。ほんのりと伝わる暖かさに潤む馨の瞳。


 軽々と立ち上がらせてもらった馨は、頭を下げた感謝の意を示した。


橘翁(たちばなおう)!」

 その声と共にこちらに駆けてくる足音に顔を向ける馨。


 その見知った顔に馨の目は更に潤んだ。

吟丸(うたまる)先生、夕柊(ゆうひ)……!」


 彼らの他にも二つの影。吟丸より頭一つ分大きい男性が馨の前に立つと、眉を下げてその大きな手を彼の頭に乗せた。


「こら、ダメだろう。新月の夜に寮の外に出ては」

 『優羽(ゆうば)』クラスの担任教師、『門廻(せど) 北斎(ほくさい)』だ。


「張り紙貼ってなかったっけ?」

 北斎の後ろから姿を現した、目の下にクマが濃く浮かんでいる猫背の男性がゆったりと疑問を口にした。『真羽(しんば)』クラスの担任教師、『交久瀬(かたくせ) (だん)』である。


「貼ってあるはずですが、(しゅう)、確認してきてくれるかい?」

「あーい」

 吟丸に指名された夕柊は、長い着物の袖を揺らしながら小走りで男子寮『蓮の棟』へと向かっていった。


「橘翁、うちの生徒を助けていただき感謝の言葉もありません」

 馨の背に手を添えて頭を下げる吟丸。馨ももう一度深く頭を下げた。


「いやはや、間一髪。寄る年波には勝てぬものですね」

 鎖骨ほど長さのあるひげを撫でながら笑い声を零す橘翁。


「いえ、お見事でございました」


 吟丸のその言葉を聞き終えぬうちに、鯉口(こいくち)を切った橘翁は背後へ振り向き刀を鞘から抜きながら生き物の胸辺りで留めおく。左手で刀印を結ぶと、「『破邪顕清』」と唱えながら光る刀で生き物ごと器を一刀両断し、刀を鞘に納めた。


 一呼吸の間に迎えた終幕に、馨は驚きを禁じ得ない。


 先程とは違い、生き物は黒い煙となって霧散した。


 鼻を掠めた嗅いだことのある匂いを思い浮かべた馨。

(……この匂い、墨だ。さっきは崩れるように消えて、あの日の夕柊の時は――)


「さあ、馨。寮へ戻ろうか」

 吟丸に背を押され思考が途切れた馨は、吟丸と視線を合わせて「は、はい」と頷く。


 振り返ると、橘翁は皺が深く刻まれた顔で優しく笑み、左手を後ろに置いて右手で手を振っていた。


「新月の夜、双龍の瞼は閉じられる」

 寮へと戻る道中、口を開いたのは北斎だった。


「……学園の鳥居の前で人を選別しているという、あの阿吽の龍の像のことですか?」


「ああ。瞼を閉じて眠りに入る。故に、その時間だけは選別が行えない」


「つまり、誰でも入れる状況ということですね」


「そうだ。そして、この情報はあちら側にも漏れていること。要は、あちらさんにとっては妖を仕向ける、またとない日というわけだ」


「だけどね、大誤算。この学園には鉄壁の守護者がおられる」

 北斎に続いて口を開いたのは吟丸。


「安心しな。橘翁がいる限り、新月の夜が脅かされることはないさ」

 後ろから馨の両肩に手を置いて暖は告げた。


 妖が襲いに来ているというのに、背後から刀が空気を切り裂く音や、妖の不気味な悲鳴が聞こえてくるというのに、馨は妙に落ち着いていた。やはり、目の当たりにしたからだろう。彼は安心して眠りに付けそうだ、と仄かに笑みを浮かべる。



 教師三人は、職員室の窓から外を眺めていた。


「毎回、バッタバッタとなぎ倒されていく妖共を見るのは爽快っすね」

 椅子に反対向きに座り、背もたれに顎を乗せた暖がゆったりと呟く。その顔にはいたずらっ子のような笑みが浮かんでいた。夜光に仄かに照らされる彼の目の下や耳には無数のクリスタルのピアス。


「新月の日は俺ら教師も万一に備えて泊まり込みだが、必要ない気がしてきてならないな」

 腕を組んで苦笑いを零す北斎に、頷いて同意を示す吟丸。


「先生、あったよ」

 高くも低くもない抑揚のない声が、三人の教師を振り向かせた。夕柊が戻ってきたようだ。


 左右の角を持って紙を突き出した夕柊。例の貼り紙だ。だが、その紙にはひどく皺が入っていた。まるで丸められていたかのように。


「あったよ、ゴミ箱に」

「ほう?」

 北斎が片眉を下げて口角を上げる。


「はあん、誰かが捨てたってことじゃあねぇか。見つけられたのは大きいね。よくやったクソガキ」

 夕柊に向けて軽く指を差す暖。


 男子寮の掲示板を見て貼り紙がなくなっていることを知った夕柊は、(ゆう)に体の操作権を渡し匂いで探索をしてもらったのだ。目的物がごみ箱にあると理解した二人は脳内でじゃんけんをし、負けた夕が取ることになったのだが、体は夕柊のままだと気付いて意気揚々とごみ箱を漁ったため、二人は喧嘩になった。


 あっさりと見つけた割に時間がかかった原因はここにある。


「この事実も含めて理事長に報告か。あー、やだやだ、一つ仕事が増えた」

 額に手を当ててため息を零した吟丸に、「ドンマイ」と他人事を決め込んでいる北斎と暖。


「まあ、誰も怪我人が出なくてよかったね」

 その夕柊の一言がすべて。


 教師陣は改めて学園内での警戒を強める意向を示し合わせた。


ご高覧いただき感謝の至りでございます。


橘翁が私用している妖刀は、『橘一文字きついちもんじ』という名です。彼のために作られた妖刀ですよ。

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