第三十一話 しょっぱいたまごサンド
こんばんは。
『暮色 ―ぼしょく―』と申します。
少し遡って、神威学園。
授業を終えた馨らは神威学園の食堂にいた。
「あー、お腹空いたー。ちょっと授業長引いたしねぇ」
と、お腹をさすりながら受け取り口の列へと並ぶ恒心。
「まあ、授業が長引いたってより俺らがすぐ動けなかったって感じだけどな」
恒心の後ろに並び苦笑いを浮かべた陸斗は、積み重ねられているお盆を上から二枚取ると一枚を恒心に渡した。
陸斗の後ろに並んだ丈はスケッチブックに素早くペンを走らせると、くるりと反転させ見せる。
【迅雷耳を掩うに暇あらず】
(※事態の変化が急で、対処する間がないことのたとえ)
「いや、ほんとそれね」
スケッチブックを一瞥した陸斗は苦笑いを浮かべて丈に激しく同意を示した。
スケッチブックから手を離すと、近くに設置してあるポンプをワンプッシュし手指消毒をして同じようにお盆を手にした丈。その後ろには、馨、トトと続く。
(あいつがギャラルホルンを創り出した一端は俺にもあるよね。みんなごめん)
と、馨は申し訳なくなり心の中で謝った。
「綸ちゃん、どうしたの?」
受け取り口に並ばずに視線を彷徨わせていた綸に声をかけるトト。
綸はトトへ視線を移したが、その視界の端で見つけたらしいものを追うように「べ、別で食べます!」と言い放ち離れていった。
「あれ? 七々扇さんは?」
遅れて綸が近くにいないことに気付いた馨だったが、優しく微笑んだトトにより肩を押され前に進むよう促される。
(せっかくの女の子同士の時間を邪魔するのは野暮だからね)
馨は涼やかな顔をしているトトを怪訝に思い、顔を傾けて彼の背後を覗いた。そして、トトの背中越しに見つけた綸の姿を見て目尻を下げ笑む。
(うまくいくといいね、七々扇さん)
「カニクリームコロッケ定食一つ」
自分の番が来たため、食堂の婦人に注文する馨。
寮の掲示板に貼られている『食堂一週間メニュー』を見て、昨晩から頼むものを決めていたのだ。漂う匂いから想像を膨らます馨。だが、期待と反する言葉が返ってきた。
「ごめんねぇ、今丁度売り切れちゃったのよ」
「え!?」
思わず大きい声を発してしまい、慌てて口を塞ぐ。
「かたじけない」
隣から聞こえてきた謝罪。言葉を並べて発しただけのような淡々さ。
(……え、喋った!?)
それより馨は、声を発した丈に驚いて目を丸くしていた。ほどなくして我に返った彼は、自分より前に注文した丈のお盆を見やる。その上には、最後のカニクリームコロッケが乗っていた。
顔を上げて丈と目が合うと、笑みを浮かべて「大丈夫」の意を込めて手を振った馨。だが内心は、
(楽しみにしていたのに……。なんか、俺ってこういうこと多いよな)
ひどく落胆していた。
切り替えて第二候補を告げる。
「じゃあ油淋鶏定食――」
「それも今丁度売り切れちゃって……」
今丁度売り切れてしまった、とな。
「ごめんねー」
今度は反対側から謝罪の言葉が聞こえてくる。瞑られた縹色の片目に、ちらりと覗いた舌は、さながら揶揄。謝罪する気は垣間も見えない。
(なんで俺より後ろにいたあんたが先に頼んでいるんだよ!)
申し訳なさそうにしている婦人の手前責めることができず、せめて心の中で怒りを露にした。
そして、婦人は馨にさらなる追撃を行う。
「残っているのがカレーしかないのよ」
「カ、カレー……。あ、はい。じゃあ、カレーお願いします……」
(実を言うとちょっと苦手なんだよなぁ)
と、泣きそうになりながら馨は湯気が立ち込めるカレーをお盆で受け取った。斜めになった眼鏡は、さしずめ彼の感情の代弁者だ。
◇
「乃々子ちゃん!」
食堂の入り口にひとり姿を現した乃々子の名を呼んで近づく綸。
「七々扇、さん」
「お昼、一緒に食べませんか?」
「……え?」
逡巡を見せた乃々子だったが受け取り口に並ぶクラスメイトを見ると、期待を裏切られたような顔を見せ「余計なお世話よ」と、綸を冷たく突き放した。
だが、足を止める。否、止められた。彼女の腕を綸が両手で掴んで引き止めたからだ。
「違います。二人で、食べたいんです!」
顔を上げた綸は薄い茶色の瞳で、乃々子の弱く輝く漆黒の瞳を真っ直ぐに見つめる。そして、腕を掴んだままに食堂を出た。向かったのは女子寮だ。
『菊の棟――205』の二人の部屋に入ると綸は彼女を広縁に座らせ、小さな冷蔵庫を開けて一段の重箱を取り出した。それを広縁のテーブルに乗せ自分も椅子に座ると、重箱の蓋を開ける。
中には、ロールパンが上下に三個ずつ、計六個並べられてあった。具は、ふわふわたまご、ハムチーズレタス、そして、ホイップクリームと丸々イチゴの三種類が二つずつ。
「今朝、寮の食堂を借りて作りました。本当は間食にと、私一人で食べる予定でしたが、せっかくなので一緒に食べませんか?」
照れくさそうに笑う綸に、乃々子はサンドイッチと彼女の顔を交互に見て呟いた。
「……いい、の?」
「丁度二個ずつあるので、はんぶんこ――」
「そっちじゃなくて!」
綸の声を遮って声を荒げた乃々子。
顔を俯かせて弱々しい声を零す。
「……いた、じゃない。一緒に食べようとしている人たちが」
「那珂町さんたちですか?」
「そ、そうよ。せっかくの親睦を深めるチャンスだったんじゃないの?」
流れた沈黙。
耐えきれなくなった乃々子は顔を上げて綸の顔を見た。彼女の顔は効果音が付きそうなほどホクホクとしていた。
「かわいいね、乃々子ちゃん」
「はあ!?」
反動で勢いよく立ち上がってしまった乃々子だったが、それでも綸のホクホク顔が治らないことを見ると、わざとらしく咳払いをして椅子に座りなおした。
「……仲良くなりたいと、思ったんです」
そう呟いた綸の顔はいつも通りの柔らかい顔へと戻っている。
「きっとそう思っているのは私だけではありません。兄――はよくわかりませんが、那珂町さんやトトさん、初羽のクラスメイト皆がそう思っています」
「それは……」言い淀んだ乃々子に綸は笑いかけた。
「はい。ですので、計画変更いたしました」
「……え?」
「私だけが乃々子ちゃんと仲良くなります! 独り占め計画です!」
重箱の中からふわふわたまごサンドを左右の手でひとつずつ取った綸は、片方を彼女に手渡す。
流れるように両手で受け取った乃々子は、一時サンドイッチに落としていた視線を綸に戻した。そして、目を見開く。彼女があまりにも美しかったから。
暖かな太陽に見守られて花開く春の花のように笑んだ綸は、イチゴミルクのように薄桃色に頬を染めて言った。
「……良かった。私が女の子で」
その一言に乃々子の瞳が揺らぐ。
――――――
「……そりゃあ、男性恐怖症じゃな」
銘苅一族お抱えの医師があたしに下した診断。
「……そう、ですか」
周りからの冷めた視線は今でも覚えている。
「情けない」
「たったあれしきのことで……」
大人も同年代の女の子も好き勝手に言っては、あたしを笑いものにする。
「……お願いですっ! ここに居させてくださいっ……。外は、怖いっ……」
そう願っても、あたしの声を聞いてくれる人は誰もいなかった。役立たずのあたしは一族を追放された。
外は男性で溢れている。自分に向いていない視線すらも怖かった。蹲っているあたしに善意で声をかけてくれた男性にさえ、体は勝手に拒絶を示した。
あたしが嘔吐すると、人は驚くほど捌けていった。声をかけてくれた男性すらも。
気が付いた時には、あたしは立ち上がって一人で歩いていた。
その時、感じてしまった。
あたしはひとりでも生きていける人間なんだ、と。
一人で生きていける人間は強い。だから、群れているそこらの男性よりもあたしの方が強い。
なら、男性は怖くない。
あの時はあたしがまだ小さかっただけのこと。
今はもう、男性は怖くない。
――――――――
(違う! 今だって本当は怖い! ……学園に入ってからずっと怖かった。悟られないように強がっていたけど、本当は教室を飛び出して布団に蹲っていたいほどだったの)
乃々子は痛む下腹部に目をやる。だが、視界に入ったのは自分の両手が持つふわふわたまごサンド。彼女が手渡したもの。
(クラスにはあたしの他にもう一人女の子がいた。そのたった一人の女の子は、明るくて、可愛くて、花の妖精のようで皆が好くような子。あたしとは正反対。だから――)
乃々子はふわふわなたまごの入ったロールパンに齧り付く。咀嚼するたびに口腔内に広がっていく優しさと少しのしょっぱさ。
(……また、ひとりなんだ、って思っていた。でも、違うの?)
「どうですか?」
目を細めて微笑み尋ねる綸。
「……美味しい。……けど、ちょっとしょっぱい」
もう一口齧り付いた乃々子の目から流れていく涙。たまごサンドと一緒に口の中に入っていく。
「では、今度は一緒に作りましょう」
綸の言葉に彼女は頷いた。
ご高覧いただき感謝の至りでございます。
綸と乃々子二人のお話でした。綸はずっと彼女と二人で話す機会を伺っていたようなので、良かったですね。




