第二十四話 破天荒な神恵子
こんばんは。
『暮色 ―ぼしょく―』と申します。
「ここが神威学園の武道場だ。この他にも武道場は三つあって、それぞれ『北棟』〜『南棟』と名称が付いているよ。初羽が使うのは『北棟』ね」
学び舎から出て渡り廊下を進むと見えてきた武道場。中に入り説明をする吟丸。
「うわー広い!」
恒心が声を上げる。
「お隣さんと感覚を十分に取って広がってね」
吟丸の指示通りに感覚を開けるように広がる初羽の子たち。馨、綸、恒心、文哉、トトは現世にいた時の名残か両手を横に広げ感覚を取っている。
「それじゃあ実践的な授業を始めるよ。まずは簡単に妖力を放出してみようか」
――パチンッ
吟丸が指を鳴らすと、それぞれを囲うように半球型の小さい結界が張られた。
「この結界は妖力・妖術をある程度吸収するもの。気兼ねなく妖力を放出していいよー」
後ろで手を組んだ吟丸は、自分から離れた距離にいる子にも届くように声を張り上げた。
「一瞬で結界を幾つも展開。吟丸先生、本当すごいな」
結界の中で感心している陸斗だったが、突然の轟音に体を跳ねさせた。
「え、なに!?」
音のほうへ視線を向けた陸斗の目に映ったのは、無惨にも破られたひとつの結界だった。煙が上がっていて結界の中は見えない。
陸斗の隣では市露があんぐりと口を開けていた。彼にはその結界を壊した人物が見えているようだ。彼はその名を零した。
「……み、澪?」
煙が落ち着き結界の中が露になる。人影はすぐに見当たらない。いや、床に蹲っていた。
「すみません、すみません、すみません……」
小さい声で謝罪を連呼しながら、小さい体を丸めて澪は蹲っていた。
羽織を靡かせ近寄る吟丸。
「大丈夫? 怪我はない?」
片膝をついて澪の背に手を置き様子を伺う。
「へ、平気です。でも、結界を壊してもうて……。すみません……」
上半身を起き上がらせ小さな声で答えた澪。長い前髪と口当てで表情は見えないが、声がひどく震えていることから彼が今にも泣きそうな状況にあると吟丸は察し、彼を安心させるように笑みを浮かべた。
「君に怪我がないならそれでいいよ。結界はむしろ、君の妖力を吸収できなかったのだから欠陥があったということだ」
澪が落ち着いたのだろう。吟丸は立ち上がると、彼の腕の下に手を入れて持ち上げるように立たせた。その直後――
――ドゴンッ
澪が出した音に勝る轟音が響く。
皆の視線を集めながら、その人物は黒髪を靡かせ颯爽と結界の中から出てきた。乃々子だ。
腕を組んだ彼女は睨みつけるようにして一言。
「口ほどにもない」
「うん、君はやっぱり凄い子だ」
だが吟丸は彼女の言動は意に介さず、微笑んで賛辞を送った。
「……なによ、それ……」
吟丸の言葉が彼女の何かに触ったのか、彼女の顔が険しいものへと変わっていく。
「なんでよっ! ムカつく!」
武道場に響き渡るほどの声で叫んだ乃々子。その頬は怒りで紅潮し、目も悔しさから潤んでいた。
後ろで手を組んだ吟丸は彼女へと歩みを進めた。
乃々子は咄嗟に両手を顔の前に置き、ぎゅっと目を瞑る。震えている体、すくんでいる足、カチカチと歯がぶつかり合い漏れる音。怯えている様が容易に想像ついた。
その様子にいち早く気が付いた吟丸は足を止め、その場で彼女に優しく告げる。
「少し、頭を冷やしておいで」
吟丸に促され、彼女は走り去るようにして武道場を後にした。
(乃々子ちゃん、もしかして……)
乃々子の様子を見ていた綸は彼女に近づこうと手を伸ばした。だが、結界に阻まれる。
「澪、まだできそうかい?」
吟丸の問いかけに頷いた澪。頷き返した吟丸は先程よりも吸収度合いを上げた結界を彼に張った。
「さ。君たちもどんどん結界を壊していいからね」
吟丸は手を二度打ち鳴らすと、止まっている初羽の子たちに喝を入れた。
生徒ではないのになぜか自分にも張られちゃった結界を音もなく静かに壊して脱出し、翼を生やしてふよふよと浮かんでいた夕柊。
「……ねぇ、夕柊くん。吟丸先生の得体のしれない強さって一体なに?」
その手持ち無沙汰な腕を掴み自分へと引き寄せたトトは問う。彼もまた音もなく結界を破っていた。
翼を仕舞い床に降り立った夕柊。トトは彼の華奢な腕から手を離し、小さな彼を見下ろした。顔を上げた夕柊の色の違う瞳がトトの縹色の瞳と交わる。
一瞬の沈黙後、夕柊は話し出した。
「先生の出す妖力は普通の妖力じゃない。形を変えている。目に見えないほど小さくしてね。だから量もほとんど消費しない。でもその妖力は……空気中の妖力と結び付く」
夕柊の説明を聞いてトトは総毛立った。俯かせた顔から、ははっ、とひきつった笑い声が漏れる。
「……ねぇ、それって……」
「うん。空気中の妖力がなくならない限り、先生は永遠に妖力が使える。妖術は一切つかわず妖力のみで戦う唯一の神恵子、それが先生だよ」
トトは震える両手を顔に当てた。零れる笑みが抑えられない。
(そんなことがあり得るのか? それが真実だとして、あの人はどれほどの研鑽を積んでその領域に達した? 歳はたしか27。……ね、ちょっと待って。先生っていつから夕柊くんの親代わりやっているの? つまりさ、命を狙われ続ける彼を一番安全な神宮城から出せるほどの人だったってことにならない? ……恐ろしい。初めて人にこんな感情を抱いた)
トトは戻ってきた乃々子と言葉を交わしている吟丸に視線を向ける。吟丸はトトの視線に気が付くと、害のない穏やかな笑みを浮かべた。
「……夕柊くん。君の父親は、恐ろしいね……」
声に出さずにはいられなかった。儚げで俊敏に動けるようには見えない。おまけにあの恵みの少なさ。だが、舐めてかかれば一瞬にして足元を掬われてしまう。
「かっこいい、の間違いでしょう?」
首をこてんと傾けて呟く夕柊。
「……まあ、君にとってはそうなのかもね」
トトは苦笑いを浮かべながら、そう返した。
(澪くんに、乃々子さん、トト、綴くん、文哉くん、それから七々扇さん。みんな一度目の結界を破っている。なのに、俺はまだ怖くて妖力の放出すらできていない)
馨は、キュインという結界が妖力を吸収していく音を様々な方向から聞きながら、拳を握り締めていた。
「……やらないの?」
ふいに掛けられた声に、彼は床から頭上へ視線を送った。
声の主は、先程のように翼でふよふよと浮かんでいる夕柊。馨を見つめる瞳は純真無垢。彼をまったく信じて疑っていない。
それが嬉しくもあり重くもあるが、馨は深呼吸をして集中する。
(器……。心臓の当たりかな? 器に溜まっている妖力をスプーンで掬い取るようにっ)
馨がイメージをした瞬間、彼の前に出されていた右手から球体のようなものが飛び出す。
「できた!」
目を開けた馨は嬉しそうに声を上げた。だが、その球体はまるでシャボン玉のように軽やかに移動し、そして結界に当たると何事もなかったかのように吸収されていった。音も衝撃も何もなく。
「……そんな……ははっ……」
彼の顔が絶望に変わっていく。周囲との差を痛切に感じ、馨からは乾いた笑いが零れた。
近くにいた夕柊に笑って誤魔化そうとしたが踏みとどまる。そんな自分があまりにも滑稽に思えたからだ。こんな醜態をさらしておいて、剰え糊塗する。
馨は俯き、自分の唇に歯を突き立てた。比例するように歪んでいく彼の顔。
そんな馨に声をかけようと近づいた夕柊だったが、彼が目にしたのは傾いていく馨の体。
(あ、れ……体に力が……)
――バタン
結界内で馨は倒れた。
ご高覧いただき感謝の至りでございます。
やっと、吟丸先生の掘り下げが少しできました。
今後とも活躍する彼をよろしくお願いします。
縹色は、少しくすみがかった青空のような色です。霄の名字を持つトトにぴったりの色ですね。




