第二十三話 眼鏡の王子
こんばんは。
『暮色 ―ぼしょく―』と申します。
あれから神室を後にした一行は学校に戻ってきていた。そして、余韻に浸る間もなく授業が再開されたのである。
こどもたちに背を向け黒板に文字を書いていく吟丸。
「はい。次に、『妖』『器』『妖力』の関係について知っていこう。人ならざるもの『妖』ないし『物怪』。そんな『妖』には善と悪がいます。現状、『善の妖』より『悪の妖』が圧倒的に多い。そして『悪妖』は人の負の感情を好む。それを喰うことを楽しみに生きていてね」
吟丸は黒板に自身が描いた簡素な人間の周囲に、チョークでぐるぐると靄を描いていく。負の感情の表現のようだ。
「だから、負の感情を持つ人間を唆して心に棲みつき、長い時間をかけて人間の心をじわじわと蝕んでいく。棲みつかれた期間が長くなればなるほど負の感情は増し続け、やがて爆発。要は自我を崩壊させちゃうのさ。自我が崩壊すれば自身で制御が効かなくなり、もう取り返しがつかないところまでいってしまう。犯罪に手を染めてしまったり、自害してしまったりとね」
今度は、翼の生えた吊り上がった一つ目の妖が人間を食べようとしている絵を描きながら説明していく。デフォルメ調で怖くはないが、特徴を捉えたわかりやすい絵だ。
「このように『妖』は人間にとってとても恐ろしい存在だ。だから、倒さなければならない。そのためにも『妖』について知る必要がある。知った上で適切な対処を施そうね」
「「「はーい」」」
ちゃんと返事のできるいい子たちだ。
それには吟丸も嬉しそうに「うん、うん」と頷く。
「続けるよ。人間と『妖』の共通のものは『魂』だ。魂はそのものを形作るものだからね。……では、ここで問題。丈」
自分が指名されるとは思わず、反応遅れて軽く手をあげた丈。
「『妖』と人間の大きな違いは?」
スケッチブックにペンを走らせている音が響く。
【実体があること】
書き終わると丈はスケッチブックを立てて吟丸に見せた。
「うん、いいね。市露、君は?」
「えーと、『器』の使い道が違う、やったっけ?」
「二人とも素晴らしい! しっかり勉強してきているね。そう。人間と妖の大きな違いはこの二つ。①実体の有無 と、②器の在り方 です」
教室に響く鉛筆をノートに走らせる音。馨や綸など詳しいことを初めて聞く者にとっては、今ほどノートに書き留めて置くべき内容はないだろう。
吟丸はクラスの様子を見ながら黒板に加筆していく。
「特に大切なのは②。そもそも、神が妖――人ならざるものの理として作ったのが『器』だ。ではどのようにして『器』を理としたのか」
吟丸は黒板に二つの絵を描いた。ハートと簡単な心臓だ。
「神は人ならざるものを創る上で要らないものとしてあげたのが、『心』と『心臓』だった。『心』は人間を人間たらしめるものと考えられていたから、まず初めになくしたそう。
そして『心臓』。人間は限られた命の中で生きるからこそ美しい、と神は感じていた。だから終わりのない生をと考え、『心臓』をなくした」
この話を聞いて、夕柊はなんとなく自分の胸に手を当ててみた。トクン、トクンと感じる鼓動。彼と彼の中にいる夕の生を象徴している。
「それはつまり、死のない妖は永遠に現世に居続けることになるということ。人間にとってそれは恐怖そのものだ。では、見えなくさせよう。そうお考えになり、神は人ならざるものに理を作った」
茶碗のような器を描き、周囲に砂粒のようなもの描きながら説明をしていく吟丸。
「見えなくするにはそもそもの生命力を人間とは違うものにすればいい。人間には見えず、人間と『妖』を明確に分ける物質を創ろう。そして創られたのが『妖力』。その『妖力』を取り込む場所として『器』が作られた。それと同時に『器』を核とし、人ならざるものにも平等に死を訪れさせた。その死には病気や寿命がないから、器が壊れた時のみだけどね」
説明の最後には、器にギザギザを描いてひび割れを表現。
馨は、あの日夕柊が倒した妖のことを思い出した。そして今、彼があの時行ったことを理解した。
(あれはただの攻撃じゃなかったんだ。妖の体が変な風にずれたからよくわからなかったけど、核である器を壊したから妖は跡形もなく消えたのか)
「『妖』を『妖力』を媒体とする生きものに変えたことで、『妖力』がないと存在できないようにした。『妖力』は人間の目に見えないため、『妖力』でできている『妖』も即ち人間の目に映らない。こうして『妖』は現世から実体がなくなったというわけだね」
トンッ、と黒板に打ち付けられたチョーク。削れた微細な粉が黒板を伝ってパラパラと落ちていく。
(なるほど。妖が現世の人には見えないことにそのようなカラクリがあったのですね)
綸は、今自分の理解が深まっていることをひしひしと感じ高揚感を覚えていた。これが学ぶことの楽しさだろう。
「そして、好き勝手しだした『妖』を倒すべく考えた矢先出てきた案が、人間にも『器』を持たせてみたら? ということだった。ただし、心臓を『器』に変えるのではなく、『器』を見えないもうひとつの心臓として与えた。人間にとってなくても困らないものとしたんだね」
チョークを置き、手をはたきながら付け足す吟丸。
「その見えない器官『器』は、妖の『器』と造りは同じだから、ただ在り方が違うだけ。『妖』にとっては命そのもの。人間にとってはもうひとつの生き方……としてね」
「もうひとつの生き方ができる世界が『空蝉』ってこと?」
「君たちのように現世で生きていた人たちにとっては。そういうことになるね」
恒心の疑問に吟丸は丁寧に答える。
「俺ら一族の人間にとっては、それが普通の生き方なんだけどな」
陸斗の呟きに、同じ一族出身の市露、丈、乃々子が同意を示した。
「みんな違ってみんないい」
「それ意味違うから」
唐突な夕柊の言葉にも、間髪入れず返す馨。そのなんとも甲斐甲斐しいことか。
クラスメイトたちの反応に笑みを零した吟丸は「ちなみに」と続ける。
「一族と所縁のない一般人でもまれに『器』を持っていることがあるんだよ。自分で気がついてないだけでね。若見えする人や長生きする人とかは『器』を持っているってことが多い」
「ふーん。じゃあ、もうひとつの生き方ができたけどしなかった人ってわけだ」
「言い方に棘あるな……」
今度はトトに突っ込む馨。夕柊に比べてやや控えめに。
「まあ、今は巻き込まれることがないように一般人で器を持つ人を見かけたら壊すようにはしているんだけどね」
説明はこれで終わり、と言うように吟丸は手を打ち付ける。
「ということで、実践に移っていこうか。はい、運動着に着替えておいで。各自ロッカーの中に入っているから。更衣室は、女子は教室を出て右側に、男子は教室を出て左側、その隣二つも更衣室として使えるよ。着替えたら教室に戻ってきてね」
「「「はーい」」」
~男子更衣室にて~
「これが運動着。予想はしていたけど……」
「着物だね。校章つきの」
ロッカーに入っていた巾着ごと更衣室に持ってきて、取り出した運動着を見て呟いた馨。に、同意を示したトト。
「制服の時も思ったが、普通の着物よりなんていうか伸びる?というか、動きやすいよな」
既に運動着を着用していた文哉が膝辺りの着物を伸ばしながら感想を述べた。
「『無凧』の作る和服は用途に合わせて作り替えることができるから、伸びや性能が現世のものと段違いだと思う」
運動着には着替えないものの男子更衣室に来ていた夕柊が説明する。
「妖『土蜘蛛』と契約しているからこそなせる業、か」
運動着を着て腕を組み感心している陸斗。そして、腰を落とし、糸を出して操るふりをしながら言い表す。
「『土蜘蛛』能力は糸の生成及び操作。その名も『糸巻』!」
飄々としているが案外こういうのが好きな夕柊も混じりだした。そして、何もわかっていなくとも「たのしそー」で参加しちゃう恒心。彼の運動着はまたもオーダーメイドのようで袖がなかった。
「そないなことしてへんと、はよ教室戻ろうね」
ここはさすが17歳のお兄ちゃん。おふざけ三人組の頭に手を乗せ促す。
「「「はーい」」」
三人は親ガモについて行くカルガモのように、市露の後ろをついて行った。
「よし、全員揃ったね。それじゃあ行こうか」
吟丸を先頭に一行は移動を始める。
「あー、吟丸先生ー!」
「うっそ、吟丸先生!?」
吟丸の姿を見て頬を染めたり手を振ったりする生徒に、彼は微笑みを向けた。途端上がる黄色い悲鳴。
「す、すごい人気だ……!」
その勢いに眼鏡のブリッジを押し上げた馨。
「あれほどの容姿をしていて人気じゃない方がおかしくない?」
馨の隣を歩いていたトトが苦笑いで告げる。「確かに」と馨は同意を示した。
「それにしても……」
馨の顔を見て言い淀んだトト。
「なに?」
「いや、前髪に白髪が入ったことでより一層『王子』様みたいだなぁ、と」
その言葉に馨の肩が跳ねる。
「前から思ってはいたんだよ。王子様みたいな顔立ちの子だなって」
「め、眼鏡かけているのに?」
動揺を隠そうともう一度眼鏡のブリッジを押し上げた馨。
『王子』は以前通っていた学校での彼のあだ名だ。しかし、それは侮蔑的な意味の。だが、トトは知らない事情。
「元の顔立ちが奇麗だし、それにその眼鏡レンズないじゃん。隠れていなーいよ?」
(あっ、そうだったー。勇成の奴、なんて眼鏡しているんだよ)
「だから君のこと『王子』って呼んでもいい?」
「えっと……(でも、トトのこの言葉から裏は感じないし、まあいいか)」
頷いた馨。彼は心の広い人間であった。
「……いいんだ」
トトのその呟きは馨には聞こえなかったようだ。
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前半、世界観の説明がびっしり詰まっていて申し訳ないです。今ここですべて理解せずとも読み進めていただけると自然と理解できてくる内容となっておりますのでご安心を。
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