第十五話 神威学園教師陣
こんばんは。
『暮色 ―ぼしょく―』と申します。
「それじゃあ、出発するよ」
二人の準備が整ったことを見計らい吟丸が声をかける。彼もまた着物の上に白の羽織を羽織った。この羽織が神威学園教師の正装である。
「そういえば、神威学園ってどこにあるんですか? それにここもどこなのか」
夕柊を先頭に屋敷を出て庭を移動中、馨は疑問を口にした。
「神威学園があるのはざっくり言うと山梨県だね。ここは東京」
答えたのは吟丸。
「ってことは地方を跨いでの移動を一瞬で……。社さん恐るべし」
馨の呟きに、頷いて同意を示す綸。
「社さんがいてくれるだけで日本中どこにでもひとっ飛びできちゃうんだから」
と、なぜだか偉そうな夕柊。そして、社さんの元まで駆けていった。もちろん、庭にいる烏天狗たちに「いってきます」の挨拶も忘れない。
「祠はどういったところに置かれているのですか?」
前方に見えてきた祠を見つめ、綸は吟丸に尋ねた。
「後で詳しく話すことになると思うけど、主要な場所には必ずあるね。あとは各県に等間隔で置かれているよ。どこにでもすぐ移動できるように。君たちが昨日入ったのが正にそれだ」
「なるほど。それで『長野県 伍』だったのですね」
吟丸の答えに納得を示した馨。それから改めて、空蝉の非現実感に頭を悩ませるのだった。
「おはよう、社さん」
夕柊が頭を下げて挨拶すると、社さんも木の体を前に曲げて挨拶を返す。正面に向き直ると、社さんは彼らを招き入れるように観音開きの扉を開いた。
「行き先『神威学園 正門』」
夕柊の言葉を合図に、社さんは神威学園前の祠との扉を繋げる。すぐに音を立てた本坪鈴。本当に一瞬での移動だ。
迅速に移動し対処しなければならない事案が発生しやすい空蝉において、社さんの存在は欠かせない。誰もが敬意を払う偉大なお方なのである。
祠を出ると目の前には山が広がっていた。山道の前には、真っ赤な大鳥居。
「……ここ? 学校というか、山?」
「この先にあるのですか?」
馨と綸がそれぞれ思ったことを口に出す。
「そうだよ」
と、吟丸はにこやかに答えた。
「ど、どれくらい登れば……(先が見えないっ!)」
早くも馨は、果てしなく続く山道に心が折れかけていた。それを悟られないように黒縁眼鏡のブリッジを押し上げたが、生憎レンズは入っていない。表情は丸見えだ。
「とりあえず鳥居をくぐろうか」
吟丸を筆頭に鳥居をくぐる。
鳥居をくぐった先に広がった光景は、まるで別の場所に迷い込んでしまったかのようだった。山や生い茂る木々はなくなり、広々とした空間が広がっている。
まず待ち構えていたのは、阿吽の大きな龍の像。人間の二倍の大きさの双龍が守るように入口に立っている。その先には参道が伸び、脇には大きな神木や手水舎、噴水、ベンチなど、まるで境内と公園が合わさったような造りになっていた。
驚いた顔のまま固まっている馨と綸。
鳥居をくぐる前にはなかった空間だ。驚くのも無理ない。
「え? え?」
と、馨はキョロキョロと周りを見渡している。
驚いた顔のまま前向きで後ろへ下がり、一旦鳥居を出て姿を消した綸。そして、もう一度鳥居をくぐってくる。戻ってきたその瞳はキラキラと輝いていた。
「童話の世界みたい! すごい、すごい!」
手を胸の前で握り何度も踵を上げ下げする。その度に制服のスカートがふわりと広がった。
「これも妖術なのですか?」
興奮冷めやらないまま綸は尋ねる。
「そうだよ。鳥居を起点として、外と中が違う空間になっているんだ。鳥居の外からは雄大な山があるように見える。だが、あの山は見せかけ。この場所を隠すための幻術だ」
「じゃあ本当に造られているのはこっちなんだ! でも、鳥居をくぐると辿り着ける場所ってことは、普通の人達が迷い込んじゃうこととかないんですか?」
吟丸の解説を聞いて興味津々に問うた馨。
「鳥居も一般人には見えないんだよ。だから、ただ山があるように見えるだけ」
「でも実際には山なんてないんですよね。登山家とかこの山好きそうだし、子どもとか興味本位でこの山に踏み入るとかないですか? そうしたら、幻術だし消えちゃってバレちゃうとかありそうなものだけど」
「おっ、いいところに気がつくね。たしかに幻術は触れられないし、幻術と分かれば解けてしまう。だから、一般人が近づけないようにしているんだ。本能的に嫌な感じを受け取らせてね」
「これまたすごいことを……」
馨は自ずと苦笑いしてしまう。聞いたらなお、謎が深まってしまった。
「それに、この阿吽の龍像が人を選別し出入りを制限しているから、万一辿り着けたとて一般人はまずここには入れない。悪さを企む者も入れなくなっているから、この『神威学園』は安全なんだ。子どもたちが自由に伸び伸びと学べるような造りだからね」
「……本当によく出来ていますね」
「そうなの、そうなの」
馨が零した称賛の言葉に反応したのは、着いてから静かにしていた夕柊だった。
「珍しく静かだね。翼生やして真っ先に飛んでいきそうなものなのに」
思ったことをそのまま夕柊に言った馨。愚痴をこぼされるかと予想していた彼だったが、返ってきた言葉は意外なものであった。
「うん。今日目立っていいのは俺じゃないから」
「……」
何も言葉が返せず黙っていた馨に、こんどこそ夕柊は不満を露にした。
「なによ」
「いや、ちょっと意外だったから」
「入学式という晴れ舞台なのに生徒でもない俺が目立っちゃいかんでしょ」
そう言い残し、先を歩いていた二人に追いつくと綸になにかを耳打ちする。何を言ったのかは馨には聞こえなかったが、綸の綻んだ笑顔から楽しい言葉であったことは伝わった。
(……でも、夕柊が生徒じゃないってどういうことだろう?)
「さ、入学式が始まる。遅れる前に行こうか、馨」
振り返り、立ち止まっていた馨に声をかける吟丸。
「あ、はい!」
浮かんだ疑問を頭を振って払い、馨は前を歩く三人に追いつくために駆け出した。
――リン
ふと聞こえてきた鈴の音。馨は視線を彷徨わせる。
目に入ったのは、参道を竹ほうきで掃く木綿着物を纏った初老の男性と花壇の手入れをしている初老の女性。彼女も初老の男性の着ている着物の柄と同じ柄の着物を纏っている。
彼らは馨らに気付くとにこやかな顔で頭を下げてくれた。馨と綸も頭を下げ返す。
「神威学園の用務員さん、『橘』夫妻だよ。現役を引退してなお、こどもたちのためにと尽力してくださっていてね」
そう説明した吟丸は、「いつもありがとうございます」と丁寧に頭を下げた。
橘夫妻も頭を下げ返す。が、口は縫い付けられているように弧を描いたまま開くことはなかった。
――リン
と再び鈴の音。ちいさいものらがコロコロと笑っているような愛らしい音。
次第に音が小さくなり後ろを振り返ると、橘夫妻の姿はもうそこにはなかった。
暫く歩き、赤い太鼓橋を渡ると見えてきたのは大きな学び舎。木でできた横に広い平屋式の学び舎だ。
「講堂はこっちだよ」
学び舎から少し離れた位置にある講堂へと歩き出す吟丸に続く三人。
横にスライドする扉を開け講堂へ入る。講堂にはすでに人が集まっていた。
「君らと同じ入学生だね」
吟丸は講堂の椅子に座っている子達に目を向け、綸と馨の肩に手を置いて告げる。
入ってきた4人にチラチラと集まる視線。こそこそと話し合う声も聞こえてきた。
本能的に顔を俯かせた馨だったが、突然背中を叩かれ背筋が伸ばされる。
「あ、ごめん。ちょっと蚊がいたもので」
叩いた張本人の言い分はそうであった。
「……ありがとう」
お礼を言う馨。
彼の強張っていた表情はいつのまにか和らいでいる。馨には、その平手に「大丈夫だ」という解しと「前を向け」という激励がこもっているように感じた。
吟丸に案内された席に座り講堂を見渡した二人。同じく椅子に座っている子たちは三十人ほど。それ以上に多いのが、講堂の壁際に立ちこちらを見ている人たち。講堂の壁はほぼ埋め尽くされていた。
馨は興味本位で壁際に目を向けてしまったがためにそのうちの一人と目が合ってしまう。言うまでもなく、彼は一瞬にして目を逸らした。
「なんだか、現世の入学式とは雰囲気から違いますね」
「そ、そうだね」
あまりの緊張感にすぐに会話が止まってしまう二人。
「……そういえば、この前入学式したばかりなのにね」
「はい。そうそう体験できるものではありませんよね?」
二人は顔を向け微笑み合う。だが、その顔には明らかな不安が漂っていた。
―― 一方、吟丸と夕柊は講堂の右前方の職員席へと向かっていた。
「……やあ、吟丸」
近づいてきた吟丸に気が付き、職員席に座っていた男性が頬杖をついたまま片手を上げた。
「おはようございます。今年はどうです?」
「まずまずだな。例年より一族以外のやつらが多いが」
吟丸の投げかけに男性はそう答えると、大きな欠伸をひとつする。
髪は右半分が黒、左半分が白のセットされていない無造作な髪。とろんとしたタレ目と、右目尻の下に泣き黒子のようについているクリスタルのピアス、猫背が特徴的で、目の下のクマと覇気のない顔をしているためか、常にやる気がなさそうに見える。だが、この学園の教師の一人である。
名を『交久瀬 暖』(28)。
「『だんだん』ったら、また覇気のない顔だ」
夕柊は吟丸の後ろから顔を出し、暖にそう声かけた。そして、彼の隣の空いている職員席に腰掛ける。ちなみにここは吟丸の席である。
「なんだ、クソガキか」
暖は頬杖をついたまま顔を傾け夕柊に目線を合わせる。
「およそ先生の使っていい言葉遣いじゃないね」
「お前こそ、先生に対する呼び方がなってねぇな」
「だって先生らしくないもん」
そんな夕柊の言い草を聞いた暖は、困り眉で微笑み夕柊の頭をくしゃっと撫でた。ちらりと覗いた舌にもクリスタルのピアス。髪で隠されてはいるが、左右の耳にも同様に無数のクリスタルのピアスを付けていた。
「二人とももう揃っていたのか」
そう言いながら近づいてきた男性は腕組みをしながら少し首を傾ける。
長身、よく鍛えられた体、精悍な顔つき、髪のほとんどが白く左側頭部だけが黒、右側に流したオールバック、実年齢が計れない若々しさ。その要素すべてが彼をより色男たらしめていた。そしてここにやってきたということ、即ち教師の一人だ。
名を『門廻 北斎』(41)。
「おはざっす、北斎先生」
頬杖をやめた暖は、北斎にゆっくり頭を下げた。
「おはよう北斎さん」
吟丸は腕を組んだまま微笑んで挨拶をする。
「おはよー」
「おお、柊。お前もいたか」
片手を上げて挨拶する夕柊に微笑んだ北斎。
「暖、今年は有望そうなのはいたか?」
夕柊の隣の椅子を引いて座った北斎が暖に尋ねる。
「『光穂』一族、『銘苅』一族から一人ずつ、あとは一般で二人。……その他はこれからの伸びに期待っすね」
暖は再び頬杖をつき、新入生を見つめながら答えた。
「そうか。吟、お前のところはどうなんだ?」
夕柊の座る椅子の後ろで立っていた吟丸に視線を移し、問う北斎。
「どうかな? 謙虚で真面目で、真っ直ぐな子達だよ」
吟丸は馨と綸へ視線を向け答えた。その眼差しはとても優しく、期待も込められていた。
「みなさん揃っていますね」
そう声をかけながら、こちらへ近づいてきた人物。
夕柊らは視線を向けた。
長身に纏わせた着物、やや低めの澄んだ声。だが、その容姿は変わっていた。顔を隠すように雑面がかけられているのだ。雑面の中央にはひとつの丸障子が描かれており、まるで閉じられた一つ目のよう。
後ろでひとつに緩く括られた白金の長い髪と、雑面にかかるように垂れた前髪が耳にかけられており、顔は見えていないのに妙に色気がある。
その人物を見て夕柊は口を開いた。
「……あ、ボス」
ご高覧いただき感謝の至りでございます。
雑面は、顔を隠すようにつけられた布のようなものをイメージしていただけるとわかりやすいと存じます。




