第十四話 形見の眼鏡
こんばんは。
『暮色 ―ぼしょく―』と申します。
――チュンチュン
雀の鳴き声と障子から差す太陽の光に目を覚ました夕柊。
のそりと起き上がり両手を上げて伸びをすると、あくびをしながら寝巻きである浴衣を着替え始める。柔らかなブロンド髪は、枕により左側頭部がぴょこりと上に跳ねあがっていた。
障子を開けて縁側に出ると夕柊は茶の間へ向かって歩き出す。
「おはよー」
「おはよう、柊」
「あれ? 先生は?」
茶の間に入ると、吟丸の神使・八咫烏の『玖』が割烹着を着て座卓に朝食を並べているところだった。だが、普段であれば座して湯呑みで茶を飲んでいるはずの吟丸の姿がない。
「いつものところじゃないか?」
「そっか。いってくる」
居場所に心当たりがあった夕柊は玖にお礼を述べ茶の間を後にする。
華美ではないが格式の高さが伺える襖に夕柊は手をかけた。なるべく音を出さないように開く。その先に探していた吟丸はいた。彼は正座をして両手を合わせていた。目前には仏壇。
夕柊は吟丸の邪魔をしないように彼の斜め後ろに正座をすると、同じように手を合わせて目を瞑った。
「おはよう、柊。どうしたの?」
夕柊の気配に気が付き声をかける吟丸。目を開けて合わせていた手を膝の上に乗せると、首を回し彼の顔を見る。
「おはよう。先生を探しに来た。今日は長かったね」
手を降ろして目を開けた夕柊は、視線を仏壇に向けたまま答えた。
「話したいことが沢山あったからね」
と、吟丸も仏壇へ視線を戻す。
仏壇には遺影が一枚。移っている人物は絵に描いたような無邪気な笑顔を浮かべていた。どこか目元が吟丸と似ている。
「『蓼丸』さんに会ってみたかったな」
「うん。きっと君みたいな子、兄さんはすごく可愛がるだろうね」
「そっか。なお、会いたくなっちゃう」
立ち上がった吟丸は組んだ両手を上にあげて背筋を伸ばした。
「そろそろ朝食の準備が終わる頃かな。馨を起こしてきてくれる?」
腕をゆっくりと下に降ろして吟丸は夕柊に笑みを向けた。
「お安い御用」
頼みごとを受けた夕柊は袖に隠れたままの右手を頭に持ってきて了解の意を示すと、襖を開いて馨が寝ている一室へ向かいだす。
夕柊を送り出し仏間に一人残された吟丸。
ふと、背後から微かに笑い声が聞こえて振り返る。もちろん人影はない。
「……蓼丸兄さん?」
思わずその名を零した吟丸だったが、そんなわけないと自らに言い聞かせ茶の間へと踵を返していった。
――バンッ
勢いよく障子を開けて馨のいる和室に飛び込む夕柊。
「おきろー」
と、声をかけたが馨に反応はない。
「馨?」
彼の顔を覗き込んだ夕柊の目に映ったのは、酷くうなされている姿であった。
何も言葉を発さず馨に近づいた夕柊は、彼の顔の傍らに正座をする。そして、汗で湿っている馨の前髪を持ち上げ額に左手を当てた。
深く深呼吸をして目を瞑り唱える。
「『玉響』」
◇
――バチャ、バチャ
重たい足の感覚に、馨は視線を足元に移した。
「……水たまり?」
そう呟いた時、耳に飛び込んできた激しい音。雨がコンクリートに叩きつけられる音だ。この瞬間、馨は現在自分がいる場所を悟った。
「屋上……。でも、なんでここにいるんだ?」
自分がなぜこの場所にいるのか思い出せず頭を抱えて俯く馨。
長い前髪が覆う狭い視界に、じりじりと鮮やかな色が映り込んできた。雨に交じって流れ彼の上履きに辿り着く。
「……え?」
混乱した脳を助長させるように響いた耳を劈くような悲鳴。
悲鳴を辿るように後ろを振り向いた馨。開け放たれた屋上の扉の先、校舎には点々と垂れた深紅が続いていた。
ヌメっとした感触を手に感じ、彼は恐る恐る手のひらを視界に入れる。視界いっぱいに広がる、赤、赤、赤。
手は震え、息がうまく吸えないほど呼吸が荒くなる。
脳裏を駆け巡っていく記憶。忘れてしまいたいのに忘れられない記憶。
「……っあああああ!!」
雨に薄まった血が広がるアスファルトに膝をついた彼は、張り裂けんばかりに叫んでいた。髪を掻きむしり頭を振り乱す。
そんな彼の手を覆うように何者かの手が重ねられた。柔らかく、でも氷のようにひやりとした感触に馨は我に返る。
開いた視界が映したのは、血の混じる雨水を吸い淡い赤に染まった着物の膝元。
その人物の顔を見ようと視線をおもむろに上げる。だが、その顔には黒い靄がかかっていた。
◇
ゆっくりと目を開ける馨。
(ああ、嫌な夢を見てしまった。けど、あれは誰だったんだろう……)
「おはよう、馨」
抑揚のない落ち着いた声が聞こえ、視線を横に移す。枕元には夕柊が正座していた。
「……うわあ!」
予想だにしていない状況に声を上げた馨。
そんな馨を意に介さず立ち上がった夕柊は障子に手をかけて振り向き、一言。
「綸の寝顔が見られるけど、どうする?」
「……いかせていただきます」
そんなこんなで綸の眠っている一室へと足を運ぶ二人。
「なんか、ひよこみたいな寝ぐせついているけど」
馨は夕柊の側頭部の跳ね上がった寝ぐせを指摘する。
「うむ。こうすれば治る」
と、寝ぐせを手で押さえた夕柊。手を離せばその言葉通り寝ぐせは治っていた。
「マジックかよ」
「そこは、『妖術かよ』でしょう。でぃすいず『UTUSEMI』じょーく」
「さいですか」
よくわからないことを言っている夕柊をスルーし、馨は反対の着物の袖同士に腕を通す。彼の、着物を着た時に一度やってみたかった仕草、である。
「ゆっくりね、しずかにね」
「わかっているって」
目的地にたどり着き、障子の前で声を潜める二人。
馨と頷き合い、夕柊はゆっくりと障子を開いていった。
が、そこはもぬけの殻。
「あれ? 間違えたかな?」
「ちょっとしっかりしてよ」
和室の中を見渡して首を傾げる夕柊に不満を漏らす馨。
その二人の背後に近づく一つの影。
「どうなされたのですか?」
「「ひっ」」
突然かけられた声に二人の肩が跳ね上がる。そろりと振り向けば、そこには身だしなみの整った綸が立っていた。
携えている笑みからわずかに滲み出ている陰り。
「その部屋の前で何をしていらっしゃるのでしょう?」
追い打ちをかける尋ねに、夕柊と馨は素直に頭を下げた。
「あらまあ、男の子たちったら可愛い綸ちゃんの寝顔が見たかったのねぇ」
綸の背後から聞こえてきた妖艶な声。
「あ、『萑』さんが起こしたの?」
「そうよ。だって、女の子の寝顔ほど無防備なものはないもの」
萑と呼ばれた女性は綸を後ろから抱きしめながら諭すように言う。
抱き締められている綸からは先程の陰りある笑みは消え、今は嬉しそうに微笑んでいた。
「え、えっと、はじめまして」
初めて見る顔にすかさず頭を下げた馨。
「あら。実ははじめましてではないのよ?」
「え?」
「昨日会ったじゃない?」
「ん?」
頬に手を当てて首を傾げる萑に、馨もまた首を傾げた。
そして考え込んだのち、「……あ!」と声を上げた。なにか思い出したようだ。
「あの手を振ってくれた方だ」
「そうよ」
組紐で緩く結われたウェーブのかかったブロンドの髪、今は割烹着を身に着けているが、着物に収まりきらない包容力のある女性らしい体つき。類似点があった。だが、烏の嘴がなかったためにすぐに気づくことができなかったのだ。
「と、いうことは人間に変化できる烏天狗なのですね」
「ええ。これでも私は玖ちゃん同様、吟丸様の筆頭神使なのよ」
「萑さんは、お食事を作ったり、お掃除をしたり、この屋敷の管理を任されていらっしゃるらしいのです!」
頬を紅潮させて語る綸に、萑は母のような眼差しを向ける。
「さっ。折角の朝食が冷めてしまう前に行きましょうか」
萑のその言葉に頷き、一行は茶の間へと足を速めた。
「「「ごちそうさまでした」」」
朝食を食べ終えた後、吟丸に別室へと呼び出されたこどもたち。
「早速本日から学園に通ってもらうことになるね。はい、これ」
吟丸は、膨らんだ風呂敷を馨と綸それぞれに渡す。
「制服とか学園で必要な諸々が入っているから安心してね。もちろんお金を請求したりはしないからその点も安心してね」
「「ありがとうございます!」」
「なんの、なんの」
「早速制服に着替えてきたら?」
吟丸の隣に座っていた夕柊が提案する。
「そうだね。そっちとそっちに和室があるから着替えておいで」
吟丸に促された通り和室に向かっていった二人。
ほどなくして、綸が戻ってきた。
「ど、どうでしょうか?」
普段から着物で生活する空蝉の学校らしく、制服も和テイストだ。帯の位置から始まる膝丈のスカートは袴イメージで、袖には浅めの袂。デザインは重視されつつも動きが妨げられないような配慮もしてあった。
「うん、かわいい」
「似合うよ、綸ちゃん」
夕柊と吟丸それぞれが彼女を褒めたたえる。
(この制服、すごくかわいい!)
綸は嬉しそうにその場で一周回る。風を孕んでふわりと膨らんだスカートは、より彼女の可憐さを引き立たせた。
―― 一方、馨は……
「本当にいいのね?」
「はい、お願いします。おもいきり!」
和室の中で、萑と向き合っていたのだった。
「馨遅いー」
そう夕柊が呟いた時、
「待たせてごめん!」
と馨が息を切らして戻ってきた。
男子の制服もまた和テイストだ。袴よりはややタイトなズボンは動きやすく、袖は女子のものと同様、浅い袂のある袖。
(こういう制服初めて見たけど、すごく好きかも)
馨は自分の着ている制服を今一度見つめた。そして、皆の反応を伺うように顔を上げる。
だが、そこには沈黙が流れていた。
「……うん、とっても似合う」
口火を切ったのは吟丸。目を細めて馨に微笑んだ。
「あ、ありがとうございます」
照れくさそうにお礼を述べた馨に、グイっと近づいた夕柊。
「目、見えている」
「う、うん。萑さんにお願いしたんだ」
和室に萑を呼んだ馨は、彼女に前髪を切ってもらえるよう頼んだのだ。
なぜ前髪で隠していたのかと問いたいほど、彼もまた整った顔立ちをしていた。わずかに目尻が垂れた伏せ気味な目と小さな顔は、長身でありながらも繊細さを感じさせる。
綸は馨の姿を見て、口を押さえ目を見開いていた。
「というわけで――」
手に持っていた形見の眼鏡をかけた馨。それはそれで聡明さが加わり、また違った彼の魅力が引き出されている。
「こっちの世界では、僕はこのスタイルで行きます!」
彼の強い決意の表れであった。
ご高覧いただき感謝の至りでございます。
第二章『神威学園 入学』篇
始まりました。
一風変わった学園の世界観をどうぞお楽しみください。
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