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第十二話 オレンジジュースとジンジャエール

こんばんは。

『暮色 ―ぼしょく―』と申します。



 「ようやくひと息つけたね」


 湯気を立てる緑茶を湯呑みで口に運び、ホッと息を吐き出した吟丸(うたまる)が言う。


 夕柊(ゆうひ)も吟丸の隣で同じように一口飲んでホッとしていた。


 玄葉(くろば)(えんじゅ)を送り出した後、(かおる)(いと)は客間に通されていた。漆塗りの大きな座卓には事前に湯呑みと大福が用意されており、流れるようにおもてなしされていたのだ。


「遠慮なく飲んでね、美味しいオレンジジュースだから」


 夕柊は馨と綸に進める。


「じゃ、じゃあ。いただきます」

 湯呑みを両手でつかみ口に運んだ馨。


 だが、綸は戸惑っていた。

(オレンジジュース? 湯気が立っていて、匂いは緑茶。それなのに那珂町(なかまち)さんは疑うことなく口に運んで……)


「あ、オレンジジュースだ。おいしい」

 一口飲んだ馨は夕柊に向けて言う。


「でしょう。もう一口飲んでみなよ」

 夕柊は馨にもう一口飲むように促した。


 そして馨が口に含んだ瞬間――

「あ、間違えた。ジンジャエールだった」と訂正する。


「うぐっ……、ゲホッ、ゴホッ。ジンジャエール……、飲む前に教えてよ!」


 予測してなかった炭酸にむせた馨。


「言うの遅くなっちゃった、ごめんね」

 と、夕柊はまったく悪びれる様子なく謝る。


 この状況についていけていない綸は、助けを求めるように吟丸へ視線を送った。が、苦笑いを返されるだけであった。


「どういうことだよ!」

 喉が落ち着いた馨は夕柊に怒りを露にする。


 夕柊は「あたま」と、馨の頭を指さして答えた。


 言われたまま頭に手を置く馨。その手に何か柔らかいものが当たった。その直後、チクッと指先に走る痛み。手を引っ込めた馨だったが、指先に何かがぶら下がっていた。


「あ、ちまちゃん!」

 馨の指先に付いていたものを見て綸が声を上げる。


 ちまは馨の指先を噛んでいた。チクッとした痛みの正体だ。ちまは馨の指先を咥えたまま「うー、うー」と、可愛らしいうなり声をあげている。


 痛みはあまりないようで、馨は冷静に指先を座卓に近づけるとぶら下がっているちまをゆっくりと座らせた。安定したお尻の感触にちまは口を開いて馨の指先から離れた。


 顔を近づけてちまを見た二人は、その変化に気付き呟く。


「あ、口がない」

「お口、消えちゃいましたね」


 当の本人は座卓にペタンと座ったまま首をこてんと傾げる。その仕草は(あるじ)である夕柊にそっくりだ。


「ちまは攻撃するときだけ口が現れるんだよ」


 座っているちまを自分の元に呼んで手のひらに乗せると、夕柊は説明をする。


(あれ攻撃だったんだ)

 ダメージがほぼない攻撃を思い出し苦笑いを浮かべる馨。


「それに、まだお披露目していなかったからね。『コロポックル』の能力」


 ちまの小さい顔を撫でながら、夕柊は馨へ視線を向けた。「自分?」と自らに指を向けた馨は考え込む。思い当たるものはただ一つ。


「飲み物でしょう? でもどういう能力なの?」


 自分へ向けていた指先を湯呑みへと向けた馨は夕柊に尋ねた。


 夕柊は馨に答えず綸の名を呼ぶ。

「綸、どう見えていたか教えてあげてよ」


「……私には、那珂町さんが夕柊くんに言われたことをそのまま思い込んでいるように見えました」


 先程の馨の様子を思い出し自分の見解を伝えた綸。


「え? それってどういう――」


「その通り」

 戸惑いの声を上げた馨を遮って夕柊が答える。


「コロポックルの能力は『誤想(ごそう)』。口に出した事を思い込ませることができる、というもの。つまり、さっきまで馨は俺の操り人形だったってこと」


「言い方悪いな……。でも、すごい能力かも。何の疑いもなく夕柊の言葉を信じ込んでいたし。今思えば、湯気も出ていれば途中で中身が変わるはずもないのに」


「うちのちまはすごいのよ」

 ちまを手のひらに乗せて懐に戻しながら自慢する夕柊。その顔は仄かにホクホクとしていた。


「お楽しみは終わったかな?」


 微笑みを浮かべている吟丸の問いに頷いた夕柊。吟丸は頷き返し口を開いた。


「うん。それじゃあ今後のことについて説明をするね。……と、その前に夕柊にはおつかいを頼もうかな」


「うん、いいよ」

 快く承諾した夕柊は立ち上がって意気揚々と翼を出した。


「飛んで移動は禁止。今は付き添いが出せない以上何かあったら困るからね。だから(やしろ)さんを使うこと、いいね?」


「はーい」

 肩を落とした夕柊はしぶしぶと翼を仕舞う。


「『無凧(いがらし)』に彼らの制服を取ってきてもらいたいんだ」


「わかった」


 いってらっしゃい、と手を振る吟丸に袖に隠れた手を振り返して夕柊は出発した。


「社さん、またお願いね。行き先『呉服屋(ごふくや) (にしき)』」


 月が照らす飛石を渡って祠に辿り着いた夕柊は社さんに丁寧に頼み、吟丸に頼まれたおつかいのための目的地へと向かった。


――シャラン、シャラン

 本坪鈴が鳴り響き、到着を知らせてくれる。


 祠を出ると、呉服屋の裏口に通ずる庭へと出る。現代では珍しい趣深い四階の建物。


「たの――」

「はいはい、夜中だから大声は控えてね」


「たのもー」と声を出そうとした夕柊を遮り、柔らかな声を発して人影が現れた。


「あ、『真幌(まほろ)』くん。なんでわかったの?」


「吟丸先生から伝書が飛んできたからね」


 真幌と呼ばれた好青年の手には、さきほど吟丸が神使の(きゅう)に託した伝書が握られていた。


 全体的に茶と白が交じり合った髪は肩甲骨ほどの長さの三つ編みに、柔らかな顔立ちの両頬にはえくぼが浮かぶ。

 名は『無凧(いがらし) 真幌』(29)。神威学園の非常勤講師だ。


「はい、頼まれていたもの」

 夕柊は真幌から平らな風呂敷を受け取る。


「あとこれは僕からのおつかいのご褒美」


 真幌は風呂敷の上に小さな小包を置いてくれた。


「一口ういろう。一人分しかないから内緒で食べてね」


 と、口に人差し指を当てて目を細めて微笑む。


「ありがとう、真幌くん」

 小包を懐から出てきたちまに手渡し、風呂敷の持ち手に頭を通すと首で背負う。そしてちまから小包を受け取るとその場で開いた。


「はんぶんこ」

 夕柊は小包の上からういろうを半分に割り片方を自分に、もう片方を真幌に渡した。


「……いいの?」


「おいしいものは誰かと分け合った方がおいしい」


「ふふ、そうだね。じゃあ一緒に食べようか」


 彼の行動に手の甲を当てて笑った真幌は、小さいういろうを口に放り込む。


 夕柊は小さくなったういろうを更に半分に割り、片方をちまに渡した。受け取ったちまはガバッと口を開いて自分の頭と同じ大きさの菓子に齧り付いた。


「俺、これ好き」


「ありがとう。愛好家冥利に尽きるよ」

 真幌は目を細め口で弧を描く。両頬にできたくぼみは彼のアイデンティティ。


「じゃあ、気を付けて帰ってね」


「うん。また学校でね」

 首にかけた風呂敷を片手で支えながら、夕柊は真幌に手を振って呉服屋を後にした。



―― 一方、葦名道場では


「まず、君たちに通ってもらう学校は『神威(かむい)学園』。妖専門の退治人いわゆる『退魔師』を育成するところ。空蝉の基本的な仕組みから妖についての知識、そして妖術の技術面の習得及び実践ができる唯一の学校だ。現世の学校とは違って年齢がバラバラなところも面白いところだね」


 吟丸による説明会が開かれていた。


「この学校に通える人は、器を持っている人ということですよね?」


 馨の質問に吟丸は頷いて答える。


「そうだね。君たちみたいな元現世人もたくさんいるんだけど、『一族』と言って昔から空蝉で生きている人間たちのほうが多いんだ」


「玄葉さんと槐さんは一族の人たちですか?」


 次いで問う馨。


「いや。あの子たちは現世人枠だね。たしか五年前に卒業したのかな?」


「一族の子たちは歳が二桁になる前に器を獲得し、十を超えると妖力を取り込む訓練を始める。そして、学園入学を希望するものたちが一族の中で『御前(ごぜん)試合(じあい)』を行い、選ばれたもののみが入学を許可されるんだよ」


「全員が選ばれるわけではないのですか?」


 綸の問いに吟丸は頷く。


「そんな優しい世界ではなくてね」

 そう零した吟丸の瞳は愁いを帯びていた。


「あ、そうそう。さっき名前を出した『無凧』は一族だよ。営んでいるのは『呉服屋 錦』」


 打って変わり明るく言った吟丸。


「呉服屋。空蝉専門のですか?」


「いい質問だね、馨くん。それが現世も対応しているんだ。情報収集のためにね。いわゆる窓口かな? 現世の人たちと直接かかわることでしか得られない情報もあるからね。君たちにも馴染みがあると言えば……ああ、駄菓子屋とかかな?」


「駄菓子屋って、もしかして『駄菓子屋 東久邇(ひがしくに)』ですか!?」


「そうそう。現世の日常に驚くほど溶け込んでいるでしょう?」


 驚きの声を上げる馨に、そういう反応を待っていた、と言わんばかりに吟丸は楽しそうに微笑んだ。


「神威学園への入学を希望するということは、妖との前線での戦いを望むということ。死と隣り合わせ。だから希望しない人のほうが多いんだ」


「では、希望しなかった一族の方々が現世に構える店舗経営をするということですね」


「平たく言うとそうかな」

 綸の解釈に肯定を示す吟丸。


 一旦話を区切り吟丸は湯呑みを手に緑茶を飲む。一息つくと再び口を開いた。


「少し踏み入った話をしようか」


 その一言がわずかに空気を引き締める。


「君たち現世から来た人間にはその選択権すらない。強制的に前線行きだ。それを非道と考えるか、また羨ましいと思うかは人それぞれだけどね」


「羨ましい?」

 首を傾げる綸。


「そうだよ。学園への入学を喉から手が出るほど望む人にとっては、御前試合をしないで入学できる君たちが羨ましいのさ。いい成績を残した者だけが辿りつける限られた道。そこまでの道のりはとても苦しいものだ」


 座卓の上で手を組んだ吟丸は笑みを消して二人を見つめる。


「生半可な覚悟ではここでは生き残れない。入学はできたとしてもその後、一族の者たちとは明確に差が開くことになるだろう。それでも食らいついて、食らいついて、死に物狂いの努力をして生き残った者たちが卒業を手にする。その意味が分かるね?」


「……はい。入学したとて必ず卒業できるとは限らない」


 馨は吟丸の言葉をしっかり咀嚼し、理解を示した。


「そうだ。入学時の人数が卒業時には三分の一というのもざら。定期的に試験があり、その都度ふるいにかけられる」


「もう一度言おう。生半可な気持ちでここに立つな。揺らぎが生じているのなら今すぐ僕がその器を割ろう。偽善はいらない、同情もいらない。覚悟を履き違えるな。誰かを殺しかねない優しさならもつな。自分で自分を守れない人間は、この世界には必要ない」


 優しく穏やかであった声が、低く威圧的なものへと変わった。


 馨は先程口の中で感じた、甘さから突然くる刺激をもう一度味わっていた。


ご高覧いただき感謝の至りでございます。


コロポックルはコロボックルとも表記されます。アイヌ語で『蕗の下の人』を意味するようです。

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