11 オレンジジュースとジンジャエール
「ようやくひと息つけたね」
湯気立てる緑茶が入った湯呑みを口に運び、息を吐き出した吟丸。
隣で同じように緑茶を飲み、ホッと息を吐き出す夕柊。
玄葉と槐を送り出した後、馨と綸は客間に通されていた。漆塗りの大きな座卓には事前に湯呑みと大福が用意されており、流れるようにおもてなしされていたのだ。
「ほら、遠慮なく飲んでよ。美味しいオレンジジュースだから」
「じゃ、じゃあ。いただきます」
湯呑みを両手でつかみ口に運んだ馨。
だが、綸は戸惑っていた。
(オレンジジュース? 湯気が立っていて、匂いは緑茶。それなのに……)
「あ、オレンジジュースだ。おいしい」
「でしょう。もう一口飲んでみなよ」
夕柊は馨にもう一口飲むように促した。
そして馨が口に含んだ瞬間――
「あ、間違えた。ジンジャエールだった」と訂正する。
「うぐっ……、ジンジャエール……飲む前に教えてよ!」
予測してなかった炭酸にむせた馨。
「言うの遅くなっちゃった、ごめんね」
と、夕柊はまったく悪びれる様子もない。
「どういうことだよ!」
喉が落ち着いた馨は夕柊に怒りを露にする。
彼は「あたま」と、馨の頭を指さして答えた。
言われたまま頭に手を置く馨。その手に何か柔らかいものが当たった。直後、指先に走る痛み。手を引いた馨だったが、指先に何かがぶら下がっていた。
「あ、ちまちゃん!」
馨の指先に付いていたものを見て綸が声を上げる。
ちまは馨の指先を噛んでいた。痛みの正体だ。ちまは馨の指先を咥えたまま「うー、うー」と、可愛らしいうなり声をあげている。
痛みはあまりないようで、馨は冷静に指先を座卓に近づけると、ぶら下がっているちまをゆっくりと座らせた。安定したお尻の感触に、口を開いて馨の指先から離れたちま。
顔を近づけてちまを見た二人は、その変化に気付く。
「あ、口がない」
「お口、消えちゃいましたね」
当の本人は首をこてんと傾げる。その仕草は主である夕柊にそっくりだ。
「ちまは攻撃するときだけ口が現れてね」
夕柊は、座っているちまを自分の元に呼んで手のひらに乗せる。
「それに、まだお披露目していなかったからね。『コロポックル』の能力」
ちまの小さい顔を撫でながら、夕柊は馨へ視線を向けた。「自分?」と自らに指を向け馨は考え込む。思い当たるものはただ一つ。
「飲み物でしょう? でもどういう能力なの?」
自分へ向けていた指先を湯呑みへ向けた馨は夕柊に尋ねた。
「綸、どう見えていたか教えてあげてよ」
「……私には、那珂町さんが夕柊くんに言われたことをそのまま思い込んでいるように見えました」
先程の馨の様子を思い出し自分の見解を述べた綸。
「え? それってどういう――」
「その通り」
戸惑いの声を上げた馨を遮って夕柊が答える。
「コロポックルの能力は『誤想』。口に出した事を思い込ませることができる、というもの。つまり、さっきまで馨は俺の操り人形だったってこと」
「言い方悪いな……。でも、すごい能力かも。何の疑いもなく夕柊の言葉を信じ込んでいたし。今思えば、湯気も出ていれば途中で中身が変わるはずもないのに」
「うちのちまはすごいのよ」
ちまを懐に戻しながら得意げに鼻を鳴らした夕柊。
そんな彼らに小さく笑った吟丸が口を開く。
「お楽しみは終わったかな? それじゃあ今後のことについて説明をするね。……と、その前に柊にはおつかいを頼もうかな。『無凧』に彼らの制服を取ってきてもらいたいんだ」
「ほい、任された」
月が照らす飛石を渡って祠に辿り着いた夕柊は、社さんに丁寧に頼む。
「社さん、またお願いね。行き先『呉服屋 錦』」
到着を知らせてくれる本坪鈴の音。
祠を出ると、呉服屋の裏口に通ずる庭へと出た。現代では珍しい趣深い四階の建物だ。
「たの――」
「はいはい、夜中だから大声は控えてね」
「たのもー」と声を出そうとした夕柊を遮り、柔らかな声を発して現れた人影。
「あ、『真幌』くん。なんでわかったの?」
「吟丸先生から伝書が飛んできたからね」
真幌と呼ばれた好青年の手には、さきほど吟丸が神使の玖に託した伝書が握られていた。
全体的に茶と白が交じり合った髪は肩甲骨ほどの長さの三つ編みに、柔らかな顔立ちの両頬にはえくぼが浮かぶ。
「はい、頼まれていたもの」
夕柊は真幌から平らな風呂敷を受け取る。
「ありがとう、真幌くん」
「いーえ」
真幌は目を細め口で弧を描く。両頬にできたくぼみは彼のアイデンティティ。
「じゃあ、気を付けて帰ってね」
「うん。また学校でね」
首にかけた風呂敷を片手で支えながら、夕柊は真幌に手を振って呉服屋を後にした。
―― 一方、葦名道場では
「まず、君たちに通ってもらう学校は『神威学園』。妖専門の退治人いわゆる『退魔師』を育成するところ。空蝉の基本的な仕組みから妖についての知識、そして妖術の技術面の習得及び実践ができる唯一の学校だ」
吟丸による説明会が開かれていた。
「この学校に通える人は、器を持っている人、ということですよね?」
馨の質問に吟丸は頷く。
「そうだね。君たちみたいな元現世人もたくさんいるんだけど、『一族』と言って昔から空蝉で生きている人間たちのほうが多いんだ」
「玄葉さんと槐さんは一族の人たちですか?」
次いで問う馨。
「いや。あの子たちは元現世人だね。五年前に学園を卒業した子たちだ。さっき名前を出した『無凧』は一族だよ。営んでいるのは『呉服屋 錦』」
「呉服屋。空蝉専門のですか?」
「いい質問だね、馨くん。それが現世も対応しているんだ。情報収集のためにね。いわゆる窓口かな? 現世の人たちと直接かかわることでしか得られない情報もあるからね。君たちにも馴染みがあると言えば……ああ、駄菓子屋とかかな?」
「駄菓子屋って、もしかして『駄菓子屋 東久邇』ですか!?」
「うん。現世の日常に驚くほど溶け込んでいるでしょう?」
驚きの声を上げる馨に、そういう反応を待っていた、と言わんばかりに吟丸は楽しそうに微笑んだ。
「神威学園への入学を希望するということは、妖と前線で戦うことを選んだということ。死と隣り合わせだ。だから希望しない人のほうが多くてね」
「では、希望しなかった一族の方々が、現世に構える店舗経営をするということですね」
「平たく言うとそうかな」
綸の解釈に肯定を示す吟丸。
一旦話を区切り吟丸は湯呑みを手に緑茶を飲む。一息つくと再び口を開いた。
「少し踏み入った話をしようか」
その一言がわずかに空気を引き締める。
「君たち現世から来た人間にはその選択権すらない。強制的に前線行きだ。それを非道と考えるか、また羨ましいと思うかは人それぞれだけどね」
「羨ましい?」
首を傾げる綸。
「そうだ。学園への入学を喉から手が出るほど望む人にとっては、無条件で入学できる君たちが羨ましいのさ。一族の者は”御前試合”で認められた数人のみ、入学を許可されるからね」
座卓の上で手を組んだ吟丸は笑みを消して二人を見つめる。
「入学はできたとしてもその後、一族の者たちとは明確に差が開くことになるだろう。それでも食らいついて、死に物狂いの努力をして生き残った者たちが卒業を手にする。その意味が分かるね?」
「……はい。入学したとて必ず卒業できるとは限らない」
馨は吟丸の言葉をしっかり咀嚼し、理解を示した。
「そうだ。入学時の人数が卒業時には三分の一というのもざら。定期的に試験があり、その都度ふるいにかけられる」
優しく穏やかであった声が、低く威圧的なものへと変わる。
「もう一度言おう。生半可な気持ちでここに立つな。偽善はいらない、同情もいらない。覚悟を履き違えるな。誰かを殺しかねない優しさならもつな。自分で自分を守れない人間は、この世界には必要ない」
馨は先程口の中で感じた、甘さから突然くる刺激を再び味わった。




