13 千日草 組:④責任の在処
――ベン
突如体育館内に響いた音に恒心は辺りを見渡した。
「……何の音?」
――ベン、ベン
再び聞こえてきた音に警戒を募らせていた二人。
だが、目の前に広がった光景に唖然とする。
パニックを起こしていた生徒、必死に平静を装っていた教師、体育館にいたすべての人間が一斉に立ち上がり、騒動などまるでなかったかのようにゆっくりと出入口に向かっていったのだ。
「え? なにが起きて――」
「心配するな。あれは識の妖術だ。それより結界が揺らいでいる」
背後に現れた玄葉と槐に安堵した恒心。だが玄葉の指摘通り、動揺から閉鎖領域に揺らぎが生じていた。揺らぎにより乃々子と恒心の姿が垣間見え、二人は彼らの居場所を特定することができたのだ。
「識の契約神使『琵琶牧々』の能力だ。琵琶の音色で催眠をかけることができる。大方“教室に戻る”的な催眠をかけたんだろうな」
恒心の閉鎖領域の上から閉鎖領域を張り直していた槐が立ち上がり告げる。
「上はあの二人に任せておけば問題ない。このまま閉鎖領域は維持できるか?」
自らの問いに頷いた恒心に「よし」と答えた玄葉は、「ついてこい」と自分が受け持つ中等部のクラスに二人を誘った。
◇
「ほう。ついてこれるようになったではないか、柊」
「えくぼの悪魔にしごかれているものでね。桐丸くんこそ前より動きが速いよね」
夕柊、桐丸、二人の戦いは決まって肉弾戦である。重力操作は互いに打ち消し合ってしまい、無意味と化すために。
――蘆名流
蘆名一族に代々受け継がれてきた体術の流派だ。相手の動きを最小限の力で“いなす”ことが基本であり、的確に急所や壺をつく『静』の体術。
対する力強さを前面に押し出した『動』の体術は、『燕流』という『燕昇司』一族に受け継がれている流派である。
「えくぼの悪魔と称される人間は蘆名にいただろうか?」
「『無凧』一族の人だよ。なんでも先生に憧れていてね。卒業するまでの三年間、指導してくれと付きまとったみたい」
「それは難儀な」
互いに一歩も引かず、互いにダメージもない。相手が狙う場所を熟知しているが故の均衡。
「渋々折れた先生は、俺に教えることを条件にえくぼの悪魔に手ほどきをしたのよ」
「蘆名の流派を他族に教えるなど、あいつも気が触れたか」
一度後ろへ飛び距離を取った夕柊。俯かせていた顔を上げるとブロンドの目を剥く。
「……何言っているの? 流派を伝える相手はもう残っていないでしょ。だって、蘆名一族は先生を残してみんな死んじゃったんだから」
「……そうだったな」
構えていた腕を下げた桐丸は夕柊へ向けていた視線を、目を瞑って琵琶を弾いている識へ移した。そして、背から翼を生やすと彼に向かっていく。
「しきっ!」
遅れて動き出した夕柊。
(まにあわ――)
「……変化『土嚢』」
彼の口から無意識に零れた妖術の詠唱。
勢い良く羽ばたかせた桐丸の翼から舞った二枚の羽が、夕柊の詠唱に合わせて土嚢へ姿を変えた。小さい土嚢だったが、彼の調節ミスにより見た目以上の重さをもった土嚢は桐丸の右足に落ちる。
まさに夕柊の創式妖術が覚醒に至った瞬間だった。自身の羽のみならず、他者の羽をも姿を変える。反射によって、放棄されていたトリガーがこの時を持って引かれたのだ。
墜落とまではいかないが大きくバランスを崩した桐丸。その一瞬の乱れを夕柊は逃さない。
「『乖離一空』」
重力操作を自身にかけ、桐丸の背に飛び乗った。彼は重力に耐えきれず、夕柊を背に乗せたままとうとう屋根に墜落する。
ミシミシと音を立てて凹んでいく屋根に、桐丸から漏れる呻き声。
「ねぇ、どうして、桐丸くん。これは俺と君の勝負でしょう? 今までもずっと一騎打ちだったのにどうして? ねぇ」
怒りで眦を裂く夕柊。桐丸は必死に抵抗するが、かかる重力に意識は飛びかかっていた。息を吐き出した夕柊は重力を解き、うつ伏せている桐丸の体を仰向けに変え、馬乗りのまま両手で襟を掴む。
「関係ない人を巻き込まないで」
「……柊、奴はひ――」
言葉半ばで途絶える桐丸の声。なにかが夕柊の頬をかすった。
「夕柊!!」
琵琶を置いた識は、咄嗟に夕柊の首に腕を回し自分へと引き寄せる。直後、再び何かが下から上に向かって飛んできた。
「……かはっ」
仰向けの桐丸の口から勢いよく吐き出された鮮血。そして、胸元には大きく風穴が空いていた。
「うはあ、体育館から空が見えてる。ってことは、うまくいったかんじ? さすが僕だわ」
「最初の一発外したじゃない」
「だってこれ使うの初めてだし」
体育館内から聞こえるくぐもった声に、識は夕柊に回す手に力をこめる。
「……きりまる、くん……」
「夕柊、しっかりせい。まだ敵さんはおるで」
「で、でも、桐丸くんが……」
震える夕柊の背を撫で落ち着かせつつ、識は桐丸を見やった。不規則に連続して口から吐き出される血に、胸から流れ落ちる血は傾斜のある屋根を伝っていく。
(心臓も持ってかれとる。あれは、もう助からんな……)
「きゃっ! ああ、きったないわね。血が落ちてきた」
「じゃあさっさと上行こうよ。回収、回収」
「そうね。いい実験材料になるわ!」
声を弾ませながら、呆然自失になっている夕柊の前に姿を現したのは、数日前にも一戦交えた美匠に凪である。
識の腕を振り払って立ち上がり、涙の滲む瞳で二人を睨みつけた夕柊。
「どうして桐丸くんを……。仲間じゃないの……?」
「まあ表面上は仲間ね。でもそいつ、余計なことを口走りそうだったんだもん」
ライフルを小脇に抱えたまま、「よいしょ」と、息絶え絶えの桐丸を肩に担いだ凪は、「ほら油打ってないで行くよ」と美匠に声をかける。
胸元からどんぐりのような木の実を取り出すと片手で握りしめ、二人はこの場から姿を消した。
「……また――」
崩れ落ちた夕柊の横腹に襲い来る衝撃。空気を吐き出した夕柊は吹き飛ばされ、屋根上を転がる。脇腹を押さえて片膝をついた夕柊の面前に一瞬にして現れた人影は、彼の胸倉を掴んで強引に立ち上がらせた。
青みがかった黒い髪、深海のような濃紺の瞳、下がった目尻から漂う哀愁、首元にほくろのある青年だ。長身の彼に掴まれたことにより、夕柊の足が僅かに浮く。
「僕と戦ってよ」
青年は淡々と告げると夕柊の胸倉から手を離した。彼を見つめる夕柊の目は開かれ、小さな唇は震えている。
着物の背から双剣を取り出した青年は、顎をしゃくって夕柊に促す。言われるがまま創式妖術で双剣を創り出した夕柊。後ろに飛び青年と距離を取って息を整えた彼は、感情を押し殺した声で答えた。
「……うん、わかったよ」
意を決し双剣を構えると、口角を上げた青年に振りかざす。剣筋が読まれていたようで受け止めはじき返されるも、夕柊は止まらず攻撃を仕掛けた。だが――
「わかるの?」
夕柊の攻撃は悉く青年に読まれていた。もはやこの場所に攻撃が来ることを知っており、事前に受け流す構えをしていたほどに。
「お前の動きはすべて知っている」
幾度となく受け止められた双剣はとうとう壊れる。すぐさま創り出したが、その際一瞬の隙が生まれ、夕柊は屋根に押し倒されていた。
苦しくない程度に首に回される手。もがこうとするも着物を膝で踏まれているために身動きできない。
「夕柊!」
こちらに向かってくる識に腕を伸ばした彼の頬に、ふと落ちる水滴。顔を向ければ、上から覗き込む青年と視線が交わる。
光の届かない瞳からとめどなく落ちた涙は、夕柊の頬を濡らし続けた。
「……お前が、いなければ……」
掠れた声で呟き、頭を振り乱して声の限り叫ぶ青年。
「お前のせいでみんな死ぬ! おまえがいなければいい。お前が死ねばいいのに!」
あまりの剣幕に夕柊のブロンドの瞳は揺れ動いた。
「なんや、ええかげんに――」
青年を夕柊から離そうと腕を振りかざした識の背後から伸びる手。それは識の襟を掴むといとも簡単に投げ倒し、屋根に抑えつけた。苦しげに漏れる彼の声。
「君こそ少し黙っていてくれないかい? あれは喧嘩さ。よくあることだろう?」
「よくあるって、喧嘩の範疇を超えとるやろう」
「まあまあ」
識を抑えつけた男性は朗らかに微笑み、優しさに満ちた眼差しで夕柊と青年を見つめた。
その男性は、あの日夕柊がやっと見つけた彼である。夕柊ら魂の欠けた人間を『半魂』にして救ってくれていた恩人。
「やあ、またあったね」
彼は夕柊と視線が合うと、目を細めて告げる。
「よそ見をするな」
だが、青年に頭を押さえられ強引に顔をもどされる。涙は再び夕柊の頬に降り注いだ。思わず伸ばしかけた手を自制するために、強く着物を握り締め問う。
「……どうして?」
「どうして? 問いたいのは僕の方だ! お前のせいで豹紋くんとリラくんは……」
言い淀んだ青年は、嗚咽を漏らしながら顔を歪めた。
「……君は知らないよね。でも、お前をかばって豹紋くんのお姉さんは死んだんだ! 二人が反逆者になってまでこっちに来たのは、お姉さんを生き返らすためだ。お前を生け捕りにすれば、お姉さんを蘇生してくれるって……。そんなことできるわけないのにっ」
自分の知らない真実に、夕柊の口からは荒い息が吐き出される。
「どうして優しい二人があんな姿にならないといけないの!? 全部、全部、お前がいるからなんだ!! 気づかないの!? 君と関わりある人が次々に殺されていることにっ!」
「……やめて……」口から無意識に零れる拒否。耳を塞いでしまいたい。
「お前が死ねば、みんな幸せでいられたの――」
「『椋』、少し落ち着きなさい」
背後から腕を伸ばし、青年――椋の口を塞いだ男性。
「……先生」
見開いていた目は次第に平静を取り戻し、男性と向き合うと解放された口で彼を呼ぶ椋。男性は椋を夕柊の上から離すと、夕柊の細い腕を掴んで上半身を起き上がらせる。
「ごめんね、柊。また会おうか」
「……ま、まって!!」
椋を支えて立ち上がった男性は夕柊へ緩やかに手を振り、懐から取り出した木の実を握り締めその場から姿を消した。
彼に伸ばされていた夕柊の手は力なく垂れさがる。駆け寄ってきた識は、彼の背を支えて顔を覗き込んだ。
「怪我はない?」
「ない。でも……」
「ああ。つらいことぎょうさん耳に入ってもうたな」
「豹紋くんも、リラくんも、桐丸くんも……全員、俺のせいで……」
「それはちゃう。俺が保証したる。お前は救おうとしてたやろう? 命を奪ったんは、あちらさんや。お前はなんも悪くない」
識は、項垂れる夕柊の頭に優しく手を置いた。




