宝物探しについて
真央学院に入学して四日目。
新入生たちも次第に校内生活に慣れ始めた頃だ。
少なくとも、格賀にとっては日常などすっかり馴染んだものだった。
正式な講義はまだ開始されておらず、多くの新入生が手持ち無沙汰に暇を持て余している。
そんな中、格賀は幽寂回廊の共用休憩室の片隅に静かに腰を下ろし、魂火を淡く揺らめかせながら、『自刻霊文』の研究に没頭していた。
周囲では、数人の幽霊同級生が哲学の命題を小声で議論し、壁際ではおしゃべりな食人花の鉢植えが、植物学科の学生から辛抱強く栄養液を与えられている。
唐突に、青草の香りと高揚感に満ちた気配が一陣の風と共に流れ込んでくる。
来たのはダイクだ。
金褐色の毛皮は少し乱れ、だが尻尾は高く掲げられ勢いよく揺れ、琥珀色の瞳は驚くほど煌めいていた。
「格賀! 大発見だよ!」
声を潜めてはいるものの、抑えきれない興奮が言葉の端々から溢れ出す。数歩で骸骨の元へ駆け寄り、爪を開いて、格賀が読み耽る分厚い書頁の上に軽く置く。
格賀の魂火がぴくりと一跳ねし、ゆっくりと頭蓋を持ち上げた。
「もし咆哮原野の共同浴場、湯魔法陣爆破の件なら既に聞いている。現場は相当……熱かったらしいな」
「違う、それじゃない!」
ダイクは勢いよく首を振り、耳をぷるぷると震わせる。
「もっとすごい、宝物だ! 学院伝説の秘宝だよ!」
「ほう」
格賀の下顎が擦れ合う淡い音を立てて開閉し、無表情な声が響く。魂火はすぐに書籍へと焦点を戻す。
「また暇な上級生が、新入生をだまして落ち葉掃きか沼スライムの排泄物処理に行かせるためにでっち上げた噂だろう」
「今回は本当に違うの!」
ダイクは焦って身を乗り出し、秘めたような口調で囁く。
「図書館のフクロウ司書、倉庫で居眠りばかりしつつ数多の秘密を知る古代ゴーレム……それに食堂の肉切り師が酔っ払って漏らした話! 何人もの情報源が一致して言ってるんだ!
学院奥の『暮色禁林』深部に、建校当初から残された秘宝が隠されているらしい。千金に値する古代魔道具、あるいは失伝の錬金処方かもしれないって!」
「暮色禁林、か」
格賀はついに本を閉じ、指骨で硬い表紙を軽く叩く。
「入学案内に『無断立入厳禁』と明記された区域だ。地形は錯綜し、古の魔法罠が無数に張り巡らされ、制御不能な実験体まで徘徊する危険区域だろう」
「危機と好機は常に隣り合わせだよ!」
ダイクは拳を握りしめ、まるで励志譚の主人公のような真剣な表情を浮かべる。
「しかも一人じゃない、助っ人を連れてきた! ルームメイトの爪原だ!」
呼応するように、ダイクの背後から一人の少年が少し照れくさそうに姿を現す。
犬人族の少年・爪原だ。
茶黒の短い毛並みは整っており、立ち耳が敏感に周囲を窺い、濡れた黒い鼻先がひくひくと動く。後ろの尻尾は穏やかに小さく揺れ、友好的な気配を纏っている。
制服を着ているが、どこか埃っぽく、冒険好きな雰囲気が滲んでいる。
「は、はじめまして、格賀さん。爪原です。ダイクと同室のルームメイトです」
声は大きくはないが、犬人族特有の誠実さが宿っている。
「ダイクから秘宝の話を聞きました。僕も挑戦する価値はあると思って……嗅覚と方位感覚なら、森の中で役に立てるはずです」
格賀の空洞な眼窩が、熱血に燃える二人の獣人少年を捉え、魂火がしばらく静かに燃え続けた。
「つまりお前たちの計画はこうだ。校則違反の危険区域侵入、酔っ払いの戯言と伝聞だけを頼りに、デマの可能性極大の秘宝を探しに行く——と」
淡く状況をまとめる格賀に、ダイクは力強く頷く。
「その通り!」
「……まあ、いいだろう」
意外なことに、格賀は骨軽やかな音を立てて立ち上がった。
「この符文研究で少し頭蓋が疲れていたところだ。それに、ここまでお前たちを夢中にさせる『宝物』がどんなものか、少し興味が湧いた。
加えて、俺の魔力感知の鍛錬にもなる」
ダイクと爪原は顔を見合わせ、驚きと歓喜に満ちた笑みを浮かべた。
こうして、骸骨・豹人・犬人の奇妙な臨時宝探しチームが結成された。
真央学院という奇妙な種族の集う場所においても、この組み合わせは別段目立つものではない。
巡回する浮遊魔眼や通行する教師を巧みに避け、三人は濃密に垂れ込める暮色の靄の中へと滑り込んだ。
古木が幾重にも枝を絡ませ空を覆い、林間には湿った霧が立ち込め、辺りは薄暗い。発光苔と奇妙な真菌だけが、仄暗い微光を放って道を照らしている。
空気は異様なほど静まり返り、虫の音すら途絶え、その静けさが余計に不気味な雰囲気を強めていた。
「ここだ……」
ダイクは深く息を吸い、緊張と期待が入り混じった表情で周囲を眺める。
「匂いが複雑です」
爪原は鼻をひくつかせ、耳を立てて警戒態勢を取る。
「僕についてきて、絶対に足元に気をつけてください」
格賀は黙って後方から従い、魂火の光を少し強めて道標とし、同時に周囲の魔力の流れを精密に感知し続ける。
すぐに三人は、この森の罠が単なる噂ではないことを痛感する。
爪原が安全な小道を指し示した直後、ダイクが一歩踏み出した瞬間、地面が唐突に軟化し、泡立つ泥沼へと変貌した。
幸い格賀の反応は速く、瞬く間に枯骨を召喚してダイクのリュックのベルトを引っ掛け、爪原も慌てて格賀の腕骨を掴んで二人がかりで彼を救出した。
数歩進む間もなく、無害そうな蔓が躍動し、稲妻のように爪原の足首に巻きつく。
ダイクの鋭い爪が閃き、瞬く間に蔓を切断。切断面から刺激の強い汁液が噴き出し、ダイクは思い切り目に浴びてしまう。
「い、目が染みる!」
次から次へと罠が襲い来る。
樹冠から落下する爆発棘球、平らな地面に擬態する流砂、無音で幻覚を誘発する桃色の霧、さらに重力が乱れる特異区域まで存在し、三人は剥き出しの樹根に必死にしがみついて浮遊を凌いだ。
爪原の優れた嗅覚と聴覚は多大な力を発揮し、幾度も危機を事前に察知して警告を与えた。
だが、ダイクはいつも不用意に罠を踏んでしまう。
格賀は魔力の流れを読み取って罠の法則と安全経路を解析しようとするも、この森自体が空間と魔力を歪める性質を持ち、分析は度々乱されてしまう。
気づけば丸九時間。
三人は薄暗く危機に満ちた森の中で、模索し、回避し、奮闘し続けた。
全員がひどい有様だ。
ダイクの毛皮は泥と汁液、爆発の煤で固まり、爪原のズボンは所々破れ、格賀の真っ白な骨格にも擦り傷と焦げ跡が幾つか刻まれていた。
ついに、ダイクが不確かな情報を繋ぎ合わせて作り上げた宝の地図を頼りに、三人は螺旋模様の刻まれた巨大な古木の根元へと辿り着く。
地図の目印は、まさにこの根元にあった。
「ここだ!」
息を切らしたダイクの瞳は疲労を一切感じさせず、輝きを増している。
根元には錆びた古代ルーンに覆われた金属の箱が安置されていた。
三人は固唾を呑んで箱を囲む。(格賀には呼吸はないが、この場の空気が止まった)
ダイクは震える手で箱の蓋に触れる。
「開けるよ!」
蓋は軽やかに開いた。
眩い光も、芳しい秘香も何もない。
ただ——
「なんだこれは……」
格賀の魂火が大きく揺らぎ、空洞な眼窩からため息が漏れる。
箱の中に宝も神器も古巻物も存在しない。
ただ一人の人影が丸まって眠っていた。
蓋が開く気配に、その人影は身を伸ばし、ひらりと飛び出す。
全身を鉄の外殻と改造機関で覆われた、奇妙な姿の学生。
ヴィグ・ヴィニン。
真央学院の有名人で、留年常習、放浪癖、おせっかいで知られる問題児だ。
「あら、奇遇だね〜」
面罩越しに響くヴィグの声は、電子合成特有の軽やかさを持ちつつ、生身の人間のような活気も宿っている。
「君たち、新入りの宝探し組?」
彼は極めて自然に機械の指で胸の装甲板を弾き開く。
その内部は、なんと冷気を湛える小型収納庫——つまり移動式冷蔵庫に改造されていた。
慣れた手つきで冷たい飲み物数本と牛乳を取り出し、三人に配っていく。
「残念だけど、秘宝なんてとっくにないよ。ずいぶん前に掘り出されちゃったからね」
ヴィグは軽口を叩きながら慰問品を渡す。
「実はこの新入り宝探しイベント、とっくに廃止になってるんだ。昔は校内が大騒ぎになったけど、最後は運のいいスライムの後輩が賞品をゲットしたらしい。変形能力強化の古代核を手に入れて、嬉しさのあまり二十体に分裂して祝ったんだって」
冷たい飲み物を握りしめたダイクの表情は、極限の期待から徐々に茫然とした空白へと塗り替わっていく。
爪原の耳と尻尾は力なく垂れ、黙って飲み物を受け取る。
「この森の罠はぜーんぶ、俺の暇つぶしの仕掛けだよ」
ヴィグはヘルメットの光学センサーを瞬かせる。
「毎年、先輩の戯言を真に受けた新入りが、宝探しにやってくるんだ。本当に危険な古代禁制区域に踏み込まれるより、俺が制御可能な、命に別状のない教訓用の罠を仕掛けておいた方が安全だろ? 結構楽しかったでしょ?」
ダイクは口を開くも言葉が出ず、まるで空気の抜けた風船のように力なく佇む。
格賀は骸骨族唯一口にできる牛乳を受け取り、魂火は安定しているものの、言いようのない脱力感が漂っていた。
九時間の苦闘、数々の危機、全身の疲労、すべてが徒労に終わったのだ。
「帰路が……思い出せない」
格賀の骨質の声は異常に疲れている。
「あの複雑な罠だらけの道、もう一度辿る気にはなれない」
「僕も絶対に嫌です……!」
爪原は珍しく泣き言を漏らし、尻尾を脚の間に挟み込む。
かつて自慢の嗅覚も、今や欺瞞と徒労の匂いしか感じ取れなくなっていた。
ヴィグは意気消沈する三人を眺め、合成音に微かな笑みを滲ませる。
「帰るだけなら簡単だよ」
彼は巨大な螺旋古木へ歩み寄り、幹の特定の箇所を数回押し込む。
低い地鳴りが響き、足元の地面が淡く光り、簡易転送陣の紋様が浮かび上がる。
「ここは俺の裏庭みたいなものだから、学院塀近くに直通する予備転送口を設けてるんだ。俺だってたまには外に出たいからね」
閃光が弾け、一瞬の目眩の後。
四人は暮色禁林の境界線に立っていた。
遠く、夜に包まれた真央学院の灯りが鮮やかに煌めき、風には食堂の料理の香りと寮区の賑やかなざわめきが乗ってくる。
ダイクは手元の冷たい飲み物、みすぼらしい仲間たち、そしてまだ冷蔵庫の蓋を開けたまま余裕の笑みを浮かべるヴィグを眺め、長く長くため息をついた。
「つまり……僕たちの九時間は、一体何だったの……?」
「無駄ではない」
格賀は骨の埃と枯葉を払い、いつもの冷静な口調に戻る。
「『伝説を軽信するな』『上級生の悪戯に警戒せよ』、立派な実践講義だ。それに——」
少し間を置き、彼は機械仕掛けの先輩を眺める。
「ヴィグ先輩と、移動式冷蔵庫の実物を拝めた収穫もある」
ヴィグは機械の手を軽く振って笑う。
「また探検したくなったらいつでも呼んで! もっと面白くて安全な隠しスポットをたくさん知ってるよ。ただ冷たい飲み物を飲みに来るだけでも大歓迎だからね!」
そう言い残し、軽快な足取りで森の奥へ消え、装甲の擦れる音だけが遠ざかっていく。
三人の新入生は学院と禁林の境界に立ち、魔界の三日月が浮かぶ夜空を見上げる。
全身に残る疲労と、笑うに笑えず泣くに泣けない徒労感、そして天真爛漫な冒険心をからかうような冷たい飲み物を手に、佇んでいた。
真央学院の学生生活は、やはりどこまでも予期せぬサプライズに満ちている。
ダイクの胸に宿った宝探しの夢は、しばらくヴィグの冷蔵庫の飲み物のように、冷凍保存となることだろう。




