:ダイクの初講義——あるいは担任の「辛うじて」
担任レアンペ・ソサの氷藍色の、「期待」に満ちた視線に教壇へ縫い止められ、ダイクは爪の裏が滝のように汗をかくのを感じていた。
尻尾は硬直して後ろへ垂れ、耳も緊張でわずかに後ろへ倒れている。
教室の、一斉の視線が、彼に突き刺さる。
「え、えっと……」
ダイクは咳払いを一つ。声は少し乾いていた。
彼には少し細すぎるチョークを、爪の不器用な手つきで握り、黒板へ向き直る。
黒板には、レアンペが書きつけたばかりのタイトル。そこに、彼が内容を書き足す番だ。
彼は真央学院に入る前に、予備校や家庭教育、そしてあの分厚さでゴブリンを確実に撲殺できる『新入生入学手帳』で、断片的に目にした関連内容を必死に思い出そうとする。
——しかし、高圧下の頭脳は、真っ白に近い。
「あの……百七十年前の、例の……有名な『終末戦争』ですよね?」
試しにそう口にし、レアンペを見る。
レアンペは無表情で教室の側後方に立ち、腕を組んだ。顎をわずかに上げて、続きを促すだけ。
その態度は、まるでこう言っているようだった。
——俺が知らないことを言ってみろ。
「えっと……あの大戦で、勇者と魔帝陛下が相打ちになって……それで、いろんな種族、特に僕たち魔族と人間族が、すごくたくさん死んで……」
ダイクは必死に言葉を紡ぐ。
「その後、《永久休戦協約》(正式名称は《暫時平和及び相互不可侵条約》なんですけど、みんな通称で永久協約って呼んでます)が結ばれて……世界は平和になりました」
「平和?」
レアンペが、不意に口を挟む。声は静かだが、突き抜けるような響きがある。
「ダイク。一枚の契約書を交わしたくらいで、数紀元にわたる憎悪が、きれいさっぱり終わると思っているのか?」
「え?そ、それは……」
ダイクは詰まる。耳がぴくぴくと震える。
「せめて……表面上は、戦争がなくなった、と?」
「表面」
レアンペがその言葉を繰り返す。感情は読めない。
「続けろ」
ダイクは存在しない冷や汗を拭う。
「それで……魔族は……えっと、息を吹き返して?国を立て直して?」
「いろんな場所が復興して、僕たちの真央学院も、その後に大きく発展した教育の模範で……」
——話題を学院に引き寄せれば、もう少し何か言えるかもしれない。
「社会構造だ」
レアンペが注意を促す。指で自分の腕を軽く叩きながら。
「要点」
「社会構造……社会構造……」
ダイクは焦って、尻尾の先を小刻みに、速く振り始める。
「つまり……昔は、魔帝陛下を中心に、各大魔王や魔尊、古い氏族や強い種族が、それぞれの領分を抱えてたんです。なんていうか……ゆるいけど、ちゃんと階層はあって?戦争の時はまとまって?戦後は……」
必死に考える。
「戦後は、魔帝陛下がいなくなって、十大魔王が担ぎ出されて……つなぎ役、みたいな?」
「要点を言え」
レアンペが、ゆっくりと教室前方へ歩いてくる。ダイクを見てはいないが、圧力は微塵も減っていない。
教室の空気が、さらに重くなる。学生たちは無意識に俯いた。
ダイクは完全に詰まった。
爪の中のチョークが《パキッ》と地面に落ち、二つに折れる。
彼は固まったまま、顔に窮地と無助をいっぱいに浮かべる。
——その時。
一筋の平静で、細やかな精神波動が、彼の脳裏に流れ込む。格賀だ。
《焦るな。要点は、戦後の「緩やかな連合」から「機能的な共治」への転換だ。「魔王議会」の初期形成、古い氏族の影響力の低下と、新興の学院派(真央など)や技術系勢力の台頭、そして契約に基づく限定的な種族横断の交流機構——このあたりを言え。矛盾は残っているが、形が変わった、と》
格賀の助け舟に、ダイクは必死にすがりつく。
大きく息を吸い込み、落ちた半截のチョークを拾う(爪が少し震えている)。
「せ、先生」
声はまだ強張っているが、必死に格賀の筋書きを追う。
「僕が思うに……戦後の魔族社会構造で、一番大きい変化は……昔の、わりとゆるい、絶対的な武力(魔帝)と古い伝統を中心にした帝国式の連合から、『機能性』と『契約による拘束』を重視する、共治の形に移ったことだと思うんですけど……」
言いながら、レアンペの反応を窺う。
担任は依然として無表情だが——少なくとも、遮りはしなかった。
「十人の魔王って……もしかしたら、実力や威厳だけじゃなくて、いろんな分野で発言権と能力を持った代表が必要で、できた……初期の『議会』、みたいな?」
「戦後の復興や、契約で生まれた新しい状況に対応するための?」
ダイクは話すうちに、少しずつ思考がクリアになっていく。
「同時に、真央学院みたいな教育機関が台頭して、新しい技術や考え方も広まって、昔みたいに古い氏族と血筋の力だけで回ってた状況が、ゆっくり変わってきてる……古い勢力はまだ強いけど」
彼は黒板に、曲がりくねった丸をいくつか描いた。《魔王議会》《古い勢力》《新興勢力(学院・技術)》——それぞれを線で結び、相互の牽制と協力を表す。
「平和に関しては……」
一拍置き、さっきのレアンペの問いを思い出す。
「契約を結んだからって、全部の矛盾が消えたわけじゃないけど、少なくとも衝突の形は変わった。大規模な戦争は禁止されたけど、小さないざこざや資源の奪い合い、考え方の違いは今もある。それが経済や文化、あるいは……学院の競技みたいな形に変わったんじゃないかと」
「それに、契約のおかげで人間とか他の種族との、限定的で慎重な交流の窓口も開いた。お互い警戒はしてるけど、完全に閉ざすよりはマシ、っていうか……」
言い終えて、おずおずとレアンペを見る。
教室は、しんと静まり返る。
レアンペは数秒黙り、氷藍色の瞳で、黒板に描かれたダイクの拙い(しかも字が汚い)図解と分析をなぞる。
そして、ゆっくり口を開く。
「穴だらけだな。論理は弛んで、用語は不正確で、歴史的な細部も欠けている」
ダイクの肩が、一瞬で落ち込む。尻尾も、力なく床に垂れた。
「だが——」
話が転じる。語気は、依然として冷たい。
「『機能的な共治』と『矛盾の形の転換』という、戦後構造変遷の核心を、二つ掴みかけてはいる」
一拍置き、言葉を選んでいるようだった。
「……辛うじて、私がお前に話させた数分を、無駄にしなかった、という程度だ」
——これはおそらく、この冷面担任の口から聞けた、最も「肯定」に近い評価だった。
それでも、やはり「お前は救いようのないバカではない」と言われているようにしか聞こえない。
「席に戻れ」
レアンペが促す。
ダイクは赦しを得たように、ほとんど歩調の揃わない足取りで自分の席へ戻る。まるで戦いを終えた気分だ。
——座った時、背中の毛が少し湿っていることに気づいた。
「では」
レアンペは教壇へ戻り、指先の氷霜でダイクの落書きを、優雅に、正確に拭い去る。
「ダイクによる……辛うじての前振りを踏まえ、今日の本題に入る——《終末戦争後の魔族社会再構築:崩壊の縁から有限の秩序へ》」
彼の講義が始まった。
筋道は明瞭で、論理は厳密。史料は緻密で、視点は鋭い。
魔帝が崩落した後の権力の真空が招いた短期の混乱から、十人の魔王がいかにして様々な勢力の駆け引きと妥協の中で担ぎ出されたか。
古い血脈の氏族が、いかに伝統的な影響力で特権の一部を守り続けたか。真央学院などの新興機関が、いかに人材育成と技術革新によって権力構造にじわじわと食い込み、変えていったか。
《永久休戦協約》がもたらした外部圧力と内部の統合要求から、魔族社会の価値観が純然たる「力の崇拝」から「力と規律の並立」へ、微かに傾いていく様まで——
冷たい声が教室に響く。それなのに、まるで魔力を帯びたかのように、宏大で複雑な、戦後魔族の百年を描く一幅の絵巻を、新入生たちの前にゆっくりと広げていく。
ウォフでさえ真剣に聞き入る(多くの細部は、おそらくすぐ忘れるが)。爪原は必死にノートを取る。格賀の魂火は穏やかに燃え、明らかに自分の知識体系と照らし合わせ、補完している。
マッシュルは相変わらず静かだが、体のキノコの成長速度さえ、少し遅くなったような気がする。まるで聞き入っているかのように。
ダイクも必死に聞く。心の中は、五味雑陳だった。
一方で、さっきのつっかえつっかえの解説を恥じる。もう一方で、レアンペの正式な講義が、自分のぼんやりした認識がいかに浅いかを、思い知らせる。
だが同時に——担任の「辛うじて」という評語は、一粒の小さな火種のように、彼の心のどこかを、それほど冷たくないものにしていた。
もしかすると……あの、見た目はめちゃくちゃ怖くて、口はめちゃくちゃ悪い担任は……意外と、悪くないのかもしれない。
「——よし、授業終了」
ちょうどチャイムが鳴る。まだ多くの者が、あの情報量の多い歴史の授業に浸っていた。
「ダイク」
レアンペは教室を出る直前、逃げ出そうとしていた豹人を呼び止めた。
ダイクがびくりとする。
「は、はい!」
レアンペは彼を見る。氷藍色の瞳は、依然として温度を持たない。
「お前は格賀の助けを借りて解説を終えたが、それでもクラスの大多数を上回っている。だが——次は、独力で、正確に解説できるよう望む」
「……はい!」
ダイクは大きな声で答える。心の中は、なぜかほっとしていた。
——少なくとも、これは明確な指示だ。全面否定の嘲笑ではない。
「うん……」
レアンペは振り返り、深青色の袍の裾を、扉の向こうに消していく。
「ふう〜」
ダイクは長く息を吐き出し、椅子にぐったりと沈み込む。
「やるじゃないか、ダイク!」
ウォフが彼の背中を力強く叩く。
「まさか泣かされなかったとはな!」
「僕は先生って……実は、そこまで嫌ってないのかも?」
爪原が小声で言い、犬耳をぴくぴく動かす。
「ちゃんと指導してくれてる気がする」
格賀は本を片付けながら、魂火を穏やかに揺らす。
「彼は、お前の思考の中の正しい方向を指し示した。過程は見るに堪えなかったがな。単なる批判や、形だけの励ましより、価値がある。どうやら『期待している』は、完全な嫌味でもないようだ」
マッシュルがのろのろと、一音だけ漏らす。
「……ぐ〜」
ダイクは仲間たちを見て、さらに、もう消されたが痕跡が残っているかのような、黒板の自分の「大作」を見て、頭を掻いた。
どうやら……こんなにさんざんな「解説」を経て、彼はこの冷面担任と、「学ぶ」ということ自体に、少しだけ違った感覚を抱き始めていた。
過程は苦しいし、前途は相変わらず「多難」だが……
でも、どうやら、完全に悪いことでもないらしい?
真央学院の学園生活は、やはりどこもかしこも「サプライズ」と「試練」だ。そして「解説」について——
豹生の学園生活は、悲惨な主旋律の中に、たまに……そう悪くない音符が混ざることもあるらしい。
たぶん、だけど。




