第68話 停止箱・第二型
敵を選ばない規則が、アークの表示板へ登録された。
【設計者による敵味方の例外命令:なし】
白い文字を確認した直後、ミーナが帝国軍の通信を傍受した。
【三塔再調整、夜明け前に完了予定】
【全レギオン・コア、最終接続】
【夜明けと同時に総攻撃へ移行】
窓の外では、帝国軍の同期塔が白く明滅している。
砲撃が止まっているのは、諦めたからではない。
今日集めたグレインベルの結界記録を使い、次の攻撃を組み直しているからだ。
夜明けまで、残り六刻。
その間に二十四基のレギオン・コアと三基の同期塔を、安全に止める装置を作らなければならない。
◇
停止箱・第一型には、三つの限界があった。
一つ。
対象のR-IDが分からなければ、停止信号を届けられない。
二つ。
一基分の低出力しか受け止められない。
三つ。
停止後の熱と反力を、箱の黒鉛へ逃がすだけでは足りない。
レギオン・コア二十四基を束ねる同期網へ第一型をそのまま接続すれば、最初の箱が出力を受け止めた瞬間に焼き切れる。
「名前だけ第二型にすれば、性能も変わらないか?」
フィンが、試験で焦げた第一型を持ち上げた。
「変わらない」
「じゃあ、第二型って呼ぶのは完成してからだ」
「珍しく慎重だな」
「第一型を五時間で旧式にした奴が言うな」
反論できなかった。
ただ、第一型が失敗だったわけではない。
第一型をテオの核へ接続したから、本人の停止意思がどの順番で切り離されるのかを観測できた。
グレインベルの結界補助核へ接続したから、味方の装置にも同じ危険があると分かった。
試作は、完成品になれなかった装置ではない。
次に何を直すべきかを、実物で教える装置だ。
「変えるのは三つ」
俺は設計板を机の中央へ固定した。
「接続方法。出力の逃がし方。それから、停止対象を見つける方法だ」
◇
最初に変えたのは、停止信号の入口だった。
レギオン・コアには整備端子がある。
テオの背中へ残された核にも、外装の下に三つの端子があった。
位相調整。
負荷試験。
緊急遮断。
兵士本人の停止入力は無効化されている。
だが、工廠技師が修理するための緊急遮断までは消されていなかった。
「人間を守る停止経路は削ったのに、兵器を守る経路は残したのね」
エリシアが言った。
「故障した一基が、同期網全体を巻き込むのは困るからだ」
「そこへ割り込むのか?」
ダリオが訊く。
「ああ。帝国が自分の設備を守るために残した入口を、入力者を守る入口へ変える」
ジークがテオの核から端子の寸法を写し、三種類の接続爪を作った。
細い端子用。
標準規格。
摩耗した端子へ噛ませる広い爪。
「軍用規格なら、一種類で足りるんじゃないですか?」
ノエルが訊く。
「紙の上ならな」
ジークは銀線を削りながら答えた。
「同じ図面でも、工廠が違えば幅がずれる。前線で無理に差し込まれた端子は曲がる。泥も入る。百個作れば、百個に癖が出る」
「規格化されていても、実物は同じにならない」
「だから、百人が直せる形にするんだ」
三つの爪には、接触した瞬間に信号を送らない仕組みを入れた。
まず端子の位相を測る。
逆流がないことを確認する。
整備端子だと判定できてから、監視線を開く。
接続を急いで、別の出力端子へ停止信号を入れれば、止める前に箱が破裂する。
間違えない技師を連れていくのではない。
間違えても、すぐには危険な動作へ進まない構造にする。
◇
二つ目は、出力の逃がし方だった。
「箱で受け止めるのをやめる」
俺が言うと、フィンが五層に重ねた黒鉛板を見た。
「テオの核で試験した後、残留熱への対策として五層に増やしたばかりなんだけど」
「その判断は正しい。第二型でも黒鉛板は必要だ。ただし、大出力をすべて受ける主負荷にはしない」
「なら、最初からそう言え。せっかく増やした分を全部外すのかと思った」
「言い方が悪かった。短い残留熱と監視回路への逆流は、その五層で受ける」
「それなら使えるな」
フィンは不満そうに言いながらも、黒鉛板を設計板の脇へ戻した。
停止箱の黒鉛は、監視信号と短い残留熱だけを受ける。
魔導砲へ向かう大出力は、同期塔がもともと持っている反力経路へ逃がす。
帝国の同期塔には、故障時のために三つの安全経路があるはずだった。
熱を受ける黒鉛負荷。
運動量を地面へ落とす地脈杭。
位相のずれを、使われていない同期線へ散らす分岐路。
停止箱は、新しい力で砲撃を押し返す装置ではない。
塔自身が持つ逃げ道を先に開き、その後で同期をほどき、最後に供給を切る。
「順番を間違えると?」
ナタリアが訊く。
ジークが設計板へ三本の線を引いた。
「先に結晶供給を切れば、塔の中に入った出力が行き場を失う。砲か入力者へ戻る」
「先に同期を崩せば、二十四基の位相差が一度に塔へ返る」
ノエルが続けた。
「塔が割れる可能性があります」
「だから、最初に逃がす」
フィンが三本の爪を机へ並べた。
第一の爪。
【逃がす】
第二の爪。
【ほどく】
第三の爪。
【切る】
文字を読めない状況でも分かるように、図記号も刻む。
地面へ向かう矢印。
ほどける縄。
離れる結晶。
「三本とも、好きな順番で引けるのは危険だ」
ダリオが言った。
「煙で表示が見えないかもしれない。砲撃で手が震える。第一を引かなければ第二へ指が入らない。第二を引かなければ第三が動かないようにしろ」
フィンが木製の案内枠を爪の上へ取り付ける。
最初の爪を引くと枠が横へ動き、二本目が現れる。
二本目を引いて初めて、最後の爪へ触れられる。
正しい手順を覚えている人間だけが使える装置ではない。
恐怖の中でも、間違った順番を選びにくい装置。
それも、倫理を形へ落とすことだった。
◇
三つ目は、停止対象を見つける仕組みだった。
第一型は、対象のR-IDを宛先として停止信号を送る。
人間にたとえるなら、名前を指定して手紙を届ける方式だ。
そのため、帝国がR-IDを変更すれば、停止信号は宛先を失う。処理署名を追加で確認するだけでは、この問題は解決しない。相手を見つけられなければ、どれほど正確な判定条件を用意しても信号そのものが届かないからだ。
第二型では、R-IDを停止信号の宛先として使わない。
同期塔の緊急整備端子へ物理的に接続し、その端子を通過する制御信号を直接監視する。
「遠くから名前を呼ぶのではなく、装置の中へ入って流れを見張るんですね」
ノエルが言った。
「そうだ。整備端子へつながっている限り、R-IDが変わっても接続先そのものは変わらない」
同期塔は、八基のレギオン・コアへ命令を分配する。
その途中でR-IDが変更されても、命令信号は必ず整備回路の内側を通る。第二型は、登録された名前を探すのではなく、実際に流れてきた信号を入口から追跡する。
使用者本人または現場の安全担当者から、停止入力が入る。
第二型は、その信号がどの経路を進むかを見る。
停止入力を受け取った処理。
指揮命令と比較する処理。
停止経路を切り離す処理。
指揮命令を優先する処理。
退避入力を破棄する処理。
出力を継続する処理。
停止入力が途中で失われた場合、その信号を無効化した処理まで経路を遡り、同じ場所へ切離し要求を入れる。
「つまり、対象の名前ではなく、停止する権利が奪われた場所を探す」
エリシアが言った。
「ああ。帝国がR-IDを何度変えても、本人の停止意思を上書きするなら、その動作は装置の中に残る」
R-IDは記録と比較には使う。
どの装置で、いつ、どの位相が使われたのかを後から検証するためだ。
だが、R-IDの一致を停止の必須条件にはしない。
【第一型】
【固定R-IDを宛先として停止信号を送信】
【第二型】
【整備端子へ物理接続】
【本人または安全担当者の停止入力を起点に処理経路を追跡】
【禁止挙動を行った処理層だけを切り離す】
「これなら、R-IDを変えられても停止経路を見失いません」
ノエルが設計板へ書き込む。
「ただし、同じ整備端子には正常な制御信号も流れます。停止入力がないのに、似た処理を見つけただけで切断するのは危険です」
「だから、処理署名だけでも止めない」
第二型が監視するのは、処理の形だけではない。
実際に本人または安全担当者から停止入力が出たこと。
その入力が、別の権限によって無効化されたこと。
無効化した後も、装置が出力を続けようとしたこと。
この因果関係が連続して確認された場合にだけ、禁止挙動の候補とする。
外形や名称が違っても、人間から止まる権利を奪う装置には、同じ因果が残る。
第二型は、変わり続ける名前を追いかけない。
装置の内側で、誰の停止意思が、どこで奪われたのかを追跡する。
◇
ただし、禁止挙動を検出しただけで、第二型が自動停止するわけではない。
誤検出は起こり得る。
恐怖を感じながら、自分の意思で続ける人間もいる。
安全担当者が、事前に合意した人命基準に基づいて装置を止める場合もある。
処理の一部が似ているというだけで、すべてを封鎖すれば、停止箱そのものが危険になる。
箱が行うのは、禁止挙動の検出。
停止を実行できる状態へ入れるには、人間側の確認も必要だった。
「誰へ権限を渡す?」
ミーナが訊く。
「俺は持たない」
全員の視線が集まった。
「設計者が遠くから一人で止められる構造にすれば、停止する力が俺へ集まる。目的が違っても、エドガーの指揮核と同じ形になる」
「では、前線指揮官か?」
「それも一人へ集まりすぎる」
最終的に、確認権限は三つへ分けた。
戦場の状況を判断する運用担当。
入力者の身体状態を見る医療担当。
出力と反力経路を見る設備担当。
ダリオ。
リナ。
マーサ。
マーサは、グレインベルの結界補助核で、使えない停止札を渡されていた女性だ。
三人には、それぞれ異なる確認札を渡す。
【運用停止】
【人体停止】
【設備停止】
三つのうち二つ以上が停止を必要と判断すると、第二型は実行待機状態へ入る。
ただし、それだけでは動かない。
接続先で禁止挙動が確認され、なおかつ入力者本人または現場の安全担当者から停止信号が出た時にだけ、三本の爪を順番に動かす。
「三人が止めたいと思っても、禁止挙動がなければ止まらない」
エリシアが確認する。
「ああ」
「禁止挙動があっても、確認が一人だけなら?」
「警告と記録だけを行う。反力が人体へ戻るような緊急時は、医療と設備の二系統で待機へ入れる」
「あなたが例外命令を出すことは?」
「できない構造にする」
アークの種が表示を出した。
【設計者権限による単独停止:登録なし】
自分を信用しないためではない。
自分一人の正しさを、世界へ強制しないためだった。
◇
試験には、改修を終えたグレインベル東壁三番核を使った。
マーサの停止経路は、すでに指揮上書きから分離してある。
まず通常状態。
【使用者停止:有効】
【安全担当者停止:有効】
【指揮命令による上書き:なし】
【封鎖対象外】
帝国製ではないから安全なのではない。
危険な挙動を解消したから対象外になる。
次に、試験用の弱い出力だけを入れ、古い上書き経路を一時的に戻した。
マーサが停止札を切る。
試験用の指揮鍵が、その入力を無効化する。
【安全担当者停止を検出】
【指揮命令による上書きを検出】
【停止経路の切断を検出】
【禁止挙動:三項目一致】
第二型の試作箱が黄色から赤へ変わる。
ダリオが運用確認札を入れた。
マーサが設備確認札を入れる。
【独立確認:二系統】
【停止実行待機】
マーサがもう一度、停止札を切る。
第一の爪が動いた。
【反力経路を開放】
続いて第二。
【指揮同期を分離】
最後に第三。
【結晶供給を遮断】
結界の光は急に消えなかった。
外側から静かに薄くなっていく。
蓄積していた圧力は反力塔へ。
石英核の熱は黒鉛床へ。
担当者の媒体杖にも、マーサの身体にも戻らない。
「完全停止」
ノエルが時間と波形を記録した。
「成功です」
「まだだ」
ジークが試作箱を持ち上げた。
接続爪の一本が、わずかに歪んでいる。
「本番の塔は、これより振動が大きい。今の固定では途中で抜ける」
「二重爪にする」
フィンが答えた。
「箱の台座も増やす」
「重くなるぞ」
「落ちるよりいい」
「それでいい」
完成という言葉は、まだ使えなかった。
◇
夜明けまで、残り四刻。
三基の同期塔は、それぞれ八基のレギオン・コアを担当している。
どれか一基の塔が止まっても、残り二基が入力者を引き継ぐ。
一基だけへ停止箱を接続しても、担当していた八基が別の塔へ移される。
二基を止めても、最後の一基が出力を落として砲撃を続ける。
三基すべてへ、同時に停止経路を作らなければならない。
必要な停止箱は三基。
だが、最後の一基へ使う銀線が足りなかった。
結界補修用を回せば、防壁の安全率が下がる。
アークの種から外せば、研究所の監視機能が止まる。
「どっちを削る?」
フィンが訊いた。
どちらも削れない。
材料は、計算しても増えない。
ミーナが不足量を工房組合へ伝えた。
半刻後、研究所の前に一台の荷車が止まった。
壊れた地脈探針。
営業を止めた宿の保温器。
避難済みの夜学校から外した照明板。
工房の古い呼鈴。
火を落とした東区の炉から取り外した予備線。
どれも高純度ではない。
太さも、焼き方も、被覆も違う。
「これを全部持っていったら、町の設備はどうする?」
フィンが訊く。
東区の老人が答えた。
「宿に泊まる客はいない。夜学校も空だ。呼鈴は声で呼べる。炉も今夜は動かさん」
「返せる保証はないぞ」
「町が焼けたら、どのみち戻らん」
ミーナは提供された部材を一つずつ帳簿へ記録した。
所有者。
重量。
状態。
返却できなかった場合の補償。
「こんな時でも書くの?」
ナタリアが訊く。
「こんな時だから書くのよ」
ミーナは手を止めなかった。
「緊急事態だから無償で差し出せと言い始めたら、力の弱い人から順番に物を奪われる」
集まった銀線を、フィンとジークが選別する。
抵抗の近いものを組にする。
太い線は接続爪へ。
細い線は監視回路へ。
劣化した部分を切り、短い線同士を交換式の固定具でつなぐ。
均一な高級素材で作るより、何倍も手間がかかる。
それでも、辺境研究所が目指してきたのは、理想の素材で一台だけ動く装置ではない。
そこにある材料で作れ、壊れた場所だけ直せる装置だ。
最後の固定具が締められた。
三基の箱が、床へ並ぶ。
不格好な外装。
三本の爪。
交換式の黒鉛板。
幅の異なる接続端子。
側面には、全員の確認印が入っている。
技術。
医療。
運用。
記録。
「名前を付けていいぞ」
フィンが言った。
「停止箱・第二型」
「そのままかよ」
「現場で迷わない」
「格好よくはないな」
ジークが一基を持ち上げた。
「何をする道具か分かる。それで十分だ」
彼の口から「十分」という言葉を聞いたのは、初めてだった。
◇
残る問題は、三基を同期塔へどう接続するかだった。
第二型は、R-IDを宛先として遠隔停止信号を送る装置ではない。
同期塔の整備端子へ物理的に接続し、その内部を流れる停止入力と制御信号を直接監視する必要がある。
ダリオが古い測量図を広げた。
「峡路の下を通る旧採掘路がある。今は排水溝として使われているが、第一塔と第二塔の近くまで行ける」
「第三塔は?」
「途中に格子がある。そこから先は帝国の補給路へ出る」
ミーナが帝国軍の輸送札を机へ置いた。
「塔の外へ出る部分は、あたしが通す。東部軍の監査外套と、本物の輸送番号がある」
「どこで手に入れた?」
「持ち主は今、酒場で眠ってる」
「何をした」
「本人が注文した酒へ、少し眠りやすくなる薬を入れただけよ」
詳しく聞かない方がよさそうだった。
停止箱の設置は、フィンとジーク。
処理経路の確認は、俺とノエル。
監視結晶の回避はエリシア。
潜入経路と護衛はダリオ。
偽装はミーナ。
七人で向かう。
リナは救護所に残り、人体停止の確認札を持つ。
マーサは東壁の設備監視所。
ナタリアは中央観測所で三者の記録を統合する。
三本の細い有線経路は、旧鉱山の呼鈴線を使う。
アークの種本体は研究所から持ち出さない。
奪われれば、停止箱だけでなく、これまでの倫理仕様まで帝国へ渡るからだ。
「Ωは使わない」
ノエルが確認する。
「ああ。三基の箱は、最後まで独立して判定する」
アークが送るのは、停止命令でも対象のR-IDでもない。
処理経路を確認するための照合方法だけだ。
一基が間違っても、残る二基がその判定へ引きずられないようにする。
広域同期で一つへまとめれば速い。
だが、帝国と同じ形になる。
総攻撃まで、残り三刻。
三基の停止箱・第二型を背負い、俺たちは夜の旧採掘路へ入った。




