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魔力最下位の理系転生者は、魔法を誰でも使える技術に変えたい ~詠唱はコード、魔法陣は回路。才能がないなら、法則を探せ~  作者: Ita
第10章 奪われた理論、戦場を止める選択

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第66話 技術者の罪


 救護所を出た時、夜はすでに深くなっていた。


 帝国軍の砲撃は止まっている。


 だが、静かではなかった。


 東門では崩れた石を運ぶ音が続き、下層からは負傷者を呼ぶ声が聞こえる。峡路の向こうでは、三基の同期塔が一定の間隔で白く明滅していた。


 次の攻撃を準備する光だ。


 俺は研究所へ戻らなかった。


 戻れば、停止箱の設計を続けなければならない。


 フィンたちの前に立ち、次に何を作るのかを決めなければならない。


 その判断をすることが、怖かった。


 東門から少し離れた斜面に、古い鉱石倉庫がある。


 昼の砲撃で屋根の半分が落ち、壁には斜めの亀裂が走っていた。中には砕けた石英と、使われなくなった鉱車が転がっている。


 風が吹くたび、屋根から細かな砂が落ちた。


 誰もいない。


 研究所からも、救護所からも、東門からも少し遠い。


 考えるには静かだった。


 逃げるには、都合がよかった。


 救護所で何度も手を洗った。


 それでも指先には、血と薬草の匂いが残っている気がした。


 負傷者の腹を押さえた感触。


 水を求める声。


 名前を呼んでも返事をしなかった男。


 毛布の上で、父親の服を握っていた少女。


 記録板に書かれた死者十一名という数字が、もう数字には見えなかった。


 俺は割れた作業台へ、持ってきた記録を並べた。


 共通魔法コード。


 アークの種の入力仕様。


 暗号化に使い回した位相種。


 帝国の試験記録。


 レギオン・コアの推定構造。


 グレインベルの被害報告。


 一枚ずつ離して置いても、線は消えなかった。


 俺が低魔力者の入力を分解した。


 俺が手順として記録した。


 俺が外部媒体へ接続できると示した。


 俺が誰でも再現できる形へ共通化した。


 俺が通信鍵を使い回した。


 帝国が盗み、停止意思を切り捨て、兵器へ組み込んだ。


 最後だけ、主語が違う。


 それでも、前の五つがなければ、最後の一つへは届かなかった。


「救うための理論だった」


 口にしてみる。


 倉庫の壁へぶつかり、空しく返ってきた。


 その言葉は、誰に向けたものなのか。


 死んだ十一人か。


 負傷した人々か。


 それとも、自分か。


 目的が正しければ、結果への責任が消えるのか。


 消えない。


 知らなかったと言えばいいのか。


 軍事転用の危険は考えていた。


 だから倫理仕様を作った。


 停止意思を残した。


 監査と記録を入れた。


 停止権限を一人へ集めないようにした。


 危険を考えていたのに、盗まれた。


 考えていたのに、防げなかった。


 なら、何も考えなかった者より悪いのではないか。


 危険を理解しながら、完成させたいという欲を優先したのではないか。


 アークの種が動いた時、俺は嬉しかった。


 ルカたちが初めて火を灯した時、理論が正しかったことに興奮した。


 共通魔法コードが工房へ広がるのを見て、世界を変えられると思った。


 その高揚の中で、俺は自分の判断を過信していなかったか。


 倫理仕様さえ組み込めば、安全に広げられる。


 停止手順さえ先に配れば、失敗しても戻れる。


 そう考えた。


 だが、帝国は倫理仕様を使わなかった。


 停止手順を削った。


 俺が守りとして作ったものは、採用しないという選択だけで外された。


 昼間、十二本の光が一本の刃のように揃った瞬間。


 俺は恐怖より先に、その精度を理解した。


 入力のずれが消えている。


 位相補正が成立している。


 理論上可能だと考えていた統合が、目の前で動いている。


 ほんの一瞬だけ、綺麗だと思った。


 その直後に、東門が砕けた。


 人が死んだ。


 救護所へ運ばれた帝国兵を見た時も、最初に浮かんだのは、助けなければという言葉ではなかった。


 この核からR-IDを取れる。


 そう思った。


 人間より先に装置を見た。


 エドガーと同じではないと言い切れるのか。


 違う目的を掲げているだけで、俺も人間を入力と出力へ分解しているのではないか。


     ◇


 前世の実験室を思い出す。


 深夜。


 真空チャンバーの低い振動。


 計器の針が、予測した範囲を越えていく。


 予定にはなかった共振。


 警告灯。


 非常停止へ伸ばした手。


 止まるはずだった装置。


 届かなかった指。


 白い光。


 あの時の事故は、俺一人を殺した。


 自分で作った条件に、自分が巻き込まれた。


 だから、この世界では止め方を先に作ろうとした。


 同じ失敗を繰り返さないために。


 だが、今度は違う。


 俺の手順を知らない人間が、俺の理論で傷ついている。


 俺が非常停止へ手を伸ばした時のように、テオも止めようとした。


 けれど、装置がその意思を無効にした。


 世界が変わっても、俺は同じ場所へ戻ってきたのかもしれない。


 実験を止められない場所。


 自分が作った条件に、人間が殺される場所。


 しかも今度は、一人では終わらない。


 机の端に、共通魔法コードの原本がある。


 破るべきだと思った。


 燃やす。


 研究所の記録も、SELの定義も、アークの種の構造も消す。


 これ以上、誰にも使えないようにする。


 俺が研究者であることをやめれば、少なくとも俺から次の兵器が生まれることはない。


 教会が禁書を焼いた理由も、最初は同じ恐怖だったのかもしれない。


 理解できないものが広がることへの恐怖。


 誰かが悪用することへの恐怖。


 取り返しのつかない結果を生むことへの恐怖。


 危険な知識を閉じれば、人を守れる。


 そう信じたくなる気持ちが、今は分かった。


 俺は焚き火用の火打ち石を取った。


 原本の端へ手を伸ばす。


 指が震えていた。


「燃やすなら、原本だけでは足りないわ」


 背後から声がした。


 振り返る。


 エリシアが、崩れた入口に立っていた。


 右袖には昼間の戦闘で焼けた跡が残っている。髪はほどけかけ、紅のリボンも煤で汚れていた。


 それでも、リボンの内側に結ばれた小さな木札は残っている。


【帰って】


 ミリィが渡した札だった。


「どうしてここが分かった」


「あなたが一人になりたい時に選ぶ場所は、条件が分かりやすいのよ」


 彼女は倉庫の中を見回した。


「人がいない。地脈が弱い。研究所から遠すぎない。入口が見渡せて、逃げ道が二つ以上ある」


「解析されたな」


「共同研究者だから」


 いつもの答えだった。


 だが、声には疲れが混じっていた。


「一人にしてくれ」


 そう言おうとした。


 言葉は喉まで上がり、出なかった。


 代わりに、別のことを訊いた。


「怪我は?」


「大きなものはないわ。火を捨てる条件も、後退条件も守った」


「そうか」


「でも、手はまだ震えている」


 エリシアが右手を開いた。


 戦場では気づかなかった。


 杖を握っていた指が、わずかに震えている。


「供給線を切った時、少しずれていたら、あの兵士の背中を焼いていた。風向きが変わっていたら、火が結晶槽へ入っていたかもしれない」


「でも、成功した」


「ええ。成功したわ」


 彼女は震える指を見つめた。


「だから、次も同じようにできると思いそうになる。それが怖い」


 成功は、安全の証明ではない。


 俺が第二防壁で考えたことと同じだった。


 エリシアは濡れた外套を鉱車へ掛けた。


 すぐに俺の手から火打ち石を奪おうとはしなかった。


 割れた作業台の向かいにも立たなかった。


 俺の隣へ来て、石の床へ腰を下ろした。


 肩が触れるほど近くはない。


 だが、遠くもない。


 しばらく、何も言わなかった。


 風が亀裂を抜ける音。


 遠くで石を運ぶ音。


 東の同期塔が明滅するたび、崩れた屋根の隙間から白い光が差し込む。


「責めないのか」


 沈黙に耐えられず、俺から訊いた。


「責めてほしいの?」


「分からない」


「では、分かるまで決めなくていいわ」


「十一人死んだ」


「ええ」


「俺の理論が使われた」


「ええ」


「俺が鍵を使い回した」


「ええ」


 否定しない。


 慰めるために事実を薄めようともしない。


 それが苦しく、同時に少しだけ救いだった。


「私は、あなたは悪くないと言いに来たのではないわ」


 エリシアが言った。


「それを言えば、今日起きたことをあなたと一緒に見ないことになるから」


「なら、何をしに来た」


「あなた一人に、判決を出させないため」


 彼女は俺の手の中にある火打ち石を見た。


「研究所の最初の規則を覚えている?」


「危険なものは、一人で開かない」


「罪悪感も危険よ。正しく扱えば、間違いを知らせる。でも、一人で抱えれば、何もかも自分のせいだという答えだけを返し続ける」


「事実かもしれない」


「なら、一緒に検証しましょう」


 エリシアはそう言って、ようやく手を差し出した。


「火打ち石を渡して。捨てはしないわ。燃やすかどうかを、二人で確かめるだけ」


 俺はすぐには渡せなかった。


 握り込んだ指が動かなかった。


 エリシアは無理に奪わず、開いた手をそのまま待たせた。


 やがて俺は、火打ち石を彼女の掌へ置いた。


     ◇


「燃やしたいなら、止めないわ」


 エリシアは火打ち石を原本の横へ置いた。


「あなたの選択だから。ただし、燃やした後に何が残るのか、一緒に確認する」


 彼女は共通魔法コードを指した。


「これを燃やす。研究所の写しも処分する。西坑道の夜学校へ送った分は?」


「回収する」


「鉱山組合と工房組合が写した分は?」


「回収する」


「ルカたちが覚えた手順は?」


 答えが止まる。


「忘れさせることはできない」


「王都や他都市へ渡った図記号は?」


「回収できない」


「帝国が復元した入力整形の理論は?」


「消せない」


「偽の手順書は?」


「残る」


「レギオン・コアは?」


「残る」


「では、あなたが燃やせるのは何?」


 彼女の問いは静かだった。


 答えは分かっている。


 分かっているからこそ、言いたくなかった。


「これから正しい手順を学ぶ人の入口」


 俺は答えた。


「それから、帝国の兵器を止めるための記録」


「そうね」


 エリシアは火打ち石を机へ戻した。


「あなたが知識を閉じても、帝国からレギオン・コアは消えない。停止意思を奪う装置だけが残って、それを止めるための知識がこちらから消える」


「分かっている」


「いいえ。頭では分かっている。でも、今のあなたは別のものを求めている」


「何を」


「罰よ」


 胸の奥を、正確に刺された。


「自分の研究を燃やせば、責任を取った気持ちになれる。研究者であることをやめれば、死んだ人たちへ誠実だと思える。自分が苦しむことで、起きたことと釣り合いを取ろうとしている」


「苦しむべきじゃないのか」


 声が低くなった。


「十一人死んだんだぞ」


「苦しまなくていいとは言っていないわ」


 エリシアの声も揺れた。


「忘れていいとも、許してもらえるとも言っていない。でも、あなたが自分を罰することと、死んだ人たちを救うことは同じではない」


「もう救えない」


「ええ」


 彼女は目を伏せた。


「亡くなった人は戻らない」


 安易な希望を口にしなかった。


「だからこそ、苦しみを償いの代わりにしてはいけないの。あなたが研究を燃やしても、明日の砲撃は止まらない。救護所の物資も増えない。テオの背中から核も外れない」


「俺が続ける資格があると思うか?」


「資格を決めるのは誰?」


「少なくとも、俺ではない」


「なら、自分で剥奪するのも違うでしょう」


「他の誰かに許可を求めろというのか」


「許可ではないわ」


 エリシアは亀裂の入った壁へ手を触れた。


 壁の向こうから、帝国の同期塔の光が細く差し込む。


「監視されること。反対されること。止められること。その全部を受け入れて、それでも必要だと判断された研究だけを続けること」


 彼女がこちらを向く。


「あなた一人の善意で始めない。あなた一人の罪悪感で終わらせない。それが、私たちの研究所でしょう」


 俺は何も答えられなかった。


「この壁を壊した光には、あなたの理論が使われていた。それは事実よ」


 彼女は続ける。


「あなたが通信鍵を使い回した。それも事実。軍事転用の可能性を完全には防げなかった。それも記録すべき失敗」


「ああ」


「でも、グレインベルを実戦評価地点に選んだのはエドガー。停止意思を消す設計へ変えたのも帝国。攻撃命令を出したのも、止めようとした兵士の入力を無効にしたのも、あなたではない」


「前の原因を作った」


「責任は、一つしか存在できないものではないわ」


 エリシアは言った。


「あなたに設計者としての責任があっても、エドガーの責任が軽くなるわけではない。帝国が悪用したからといって、あなたの失敗が消えるわけでもない。両方を残すべきなの」


「俺一人の責任にまとめる方が、簡単だからか」


「ええ」


 彼女は迷わず頷いた。


「全部あなたのせいなら、あなたが消えれば話を終わらせられる。でも、本当は終わらない。帝国も、教会も、学院も、技術を売った商会も、それを止められなかった私たちも残る」


 責任を背負うことと、世界中の責任を自分のものにすることは違う。


 後者は一見、誠実に見える。


 だが、実際には因果を単純にし、他の人間がした選択を見えなくする。


「君は、自分の責任をどうしている?」


 問い返すと、エリシアの表情が固まった。


「王都から持ち出した記録には、君の火の基準波も入っていた。帝国の熱流補正に使われた可能性がある」


「ええ」


「東門では、帝国兵の供給線を焼いた」


「ええ」


「怖くないのか」


「怖いわ」


 彼女は迷わず答えた。


「私の火が人を傷つけることも。今日、あの兵士へ杖を向けた時、迷わず狙いを定められた自分も怖い」


 震えの残る右手を、左手で包む。


「銀線だけを切れた時、安心した。同時に、次もできると思った。その考えを気持ちいいと感じそうになった」


 戦場で役に立てる力。


 誰かを救えたという実感。


 それは簡単に、もっと使いたいという欲へ変わる。


「ヴァーミリオンの名が、王国で多くの人を黙らせてきたことも忘れていない。私が学院主席として当然のように書庫へ入り、上位の媒体を使っていた間、あなたやノエルは入口にさえ立てなかった」


 紅のリボンへ触れる。


 誇りの象徴。


 同時に、彼女が受けてきた特権の印でもある。


「王国を出たから、その責任が消えたとは思っていない。でも、家名を燃やし、火を二度と使わなければ償えるとも思わない」


「どうするつもりだ」


「使うたびに選ぶ」


 彼女は一つずつ言った。


「誰へ向けるか。何を守るか。どこで止めるか。誰に止める権限を渡すか。間違えたら記録する。成功しても、次の安全を保証されたと思わない」


 それは、俺へ向けた答えであると同時に、彼女自身が繰り返してきた問いへの答えだった。


「私も、正しい答えを持っているわけではない」


 エリシアの声が少し弱くなる。


「あなたを必ず正しい方へ連れていけるとも言えない。私だって間違える。怖くなって、都合のよい理屈を選ぶかもしれない」


 彼女は俺の隣に座ったまま、わずかに距離を詰めた。


「だから、一人で決めないのよ」


 肩が触れた。


 煤と薬草の匂いがした。


「あなた一人だけを、罪の外へ連れ出すことはできない。でも、罪の中へ一人で閉じこもらせないことはできる」


 紅のリボンに結ばれた木札が、風で小さく揺れた。


【帰って】


「私は約束どおり帰ってきたわ」


 エリシアが言った。


「次は、あなたが帰る番よ」


 胸の奥に張りつめていたものが、わずかに緩んだ。


 許されたとは思わない。


 答えが出たわけでもない。


 ただ、戻る場所がまだ残っていると気づいた。


     ◇


「怖いんだ」


 ようやく言葉にできた。


「また作れば、また使われる」


「ええ」


「停止箱も逆に使える。誰かが都市の結界を外から止めるかもしれない。医療装置を止めるかもしれない。帝国の兵器を止める仕組みが、次は町を無防備にする兵器になるかもしれない」


「ええ」


「安全装置を作るたび、その安全装置を破る方法も生まれる。何を作っても同じじゃないか」


「同じではないわ」


 エリシアは焔紋の杖を床へ置いた。


「火は人を焼ける。料理もできる。だから用途だけで安全を決めれば、最後は使う人間次第という話になる」


「違うのか?」


「半分は正しい。でも、火傷しにくい持ち手を作ることも、水を用意することも、子どもが一人で触れない高さへ置くこともできる。異常な熱が出たら燃料を切る構造にもできる」


 ガルドの言葉を思い出す。


 火は飼うものだ。


 噛まれたら痛い。


 火から危険を完全に消すことはできない。


 それでも、噛まれ方を減らす柵は作れる。


「使う人間に責任があるからといって、設計者が何もしなくていい理由にはならない」


 エリシアは続けた。


「逆も同じよ。設計者に責任があるからといって、使った人間の選択が消えるわけではない」


「それでも、完全には防げない」


「完全に防げると言わなければいい」


 彼女の答えは単純だった。


「安全だと言い切らない。失敗を想定する。止める人を決める。記録を残す。そして、自分たちの装置も例外にしない」


 自分たちの装置も例外にしない。


 その言葉が、引っかかった。


「停止箱を、帝国の装置だけに効くよう作ろうとしていた」


「当然でしょう。今、攻めているのは帝国だもの」


「でも、帝国製というだけでは危険の理由にならない」


 北の鉱山で使われる帝国製揚鉱機。


 交易用の温度調整器。


 医療用の結晶ポンプ。


 帝国の技術すべてが、人間の停止を奪っているわけではない。


 逆に、グレインベルの兵器が安全だという保証もない。


 敵という名前で対象を決めれば、停止箱は安全装置ではなくなる。


 こちらに都合の悪い装置だけを止める兵器になる。


「製造元や所属ではなく、動作を見る」


 俺は記録紙を引き寄せた。


 炭筆を持つ手は、まだ少し震えている。


 それでも、線を引いた。


「使用者の停止を無効にする」


 一行目。


「恐怖や痛みを、本人の同意なく抑制する」


 二行目。


「指揮命令で、使用者の判断を上書きする」


 三行目。


「退避入力を雑音として捨てる」


 四行目。


「そうした挙動が複数確認され、現場の人間が停止を求めた時だけ、封鎖を許可する」


 エリシアが紙を覗き込む。


「敵味方を選ばない規則」


「ああ」


「連邦の兵器が同じことをしていたら?」


「止める」


「そのせいで結界が落ちるかもしれない」


「別の方法で守る」


「間に合わなかったら?」


 答えが止まった。


 正しい言葉を探しているのではない。


 その結果を、本当に引き受けられるのかを考えた。


 味方の兵器を止めたせいで、町が攻撃を受けるかもしれない。


 誰かが死ぬかもしれない。


 その時、規則を守ったから仕方がないと言えるのか。


 言えない。


 規則は、結果への責任から逃げるための盾ではない。


 それでも、味方だからという理由で停止意思の上書きを認めれば、俺たちが作るものは帝国と同じになる。


「負けるかもしれない」


 俺は言った。


「それでも止める。止めた結果も記録する。別の防御を用意できなかった責任からも逃げない」


 声が震えた。


 決意とは、恐怖が消えることではなかった。


 怖いまま、どの責任からも目を逸らさないと決めることだった。


「そこで例外を作れば、倫理仕様は敵を妨害するための言い訳になる」


 エリシアはしばらく俺を見ていた。


 それから、静かに頷いた。


「その答えなら、私は一緒に戻れる」


「まだ方法はない」


「あなたが一人で考えていたからでしょう」


 彼女は立ち上がり、鉱車に掛けていた外套を取った。


 俺へ放る。


「正しいと証明されてから進むことはできないわ。だから、間違えた時に止まれる形で進むの」


 俺は外套を受け取った。


「また間違えるかもしれない」


「ええ」


「君も?」


「もちろん」


 エリシアは、ほんの少し笑った。


「その時は、あなたが私を止めて」


「俺が止まれなくなったら?」


「私が止める。フィンも、リナも、ノエルもいる。アークにも止めさせる」


 研究所の規則。


 一人で開かない。


 止め方を先に決める。


 それは装置だけの規則ではない。


 研究者にも向けるべき規則だった。


「帰ろう」


 俺は言った。


「ええ」


「今度は、みんなで止める」


     ◇


 研究所へ戻ると、誰も俺がいなくなった理由を訊かなかった。


 フィンは停止箱の黒鉛板を削っている。


 削り屑で顔まで黒くなっていた。


 ジークはテオの核から写した整備端子を図面に起こしている。


 ノエルはR-IDの変化を並べていたが、俺たちが入ると、強く握っていた炭筆をようやく机へ置いた。


 ミーナは帝国の補給路を地図へ書き込んでいる。


 ダリオは夜明けまでの防衛線を確認する。


 ナタリアは、救護所で聞いた負傷者と死者の名前を記録していた。


 リナも救護所から戻っていた。


 疲労で顔色は悪い。


 それでも、テオの呼吸記録と停止入力の波形を抱えている。


 誰も何も訊かない。


 だが、俺の作業場所だけが空けられていた。


 戻ってくることを、前提にしていたように。


 アークの種が、机の上で淡く光った。


【ユウマ】


【作業停止時間:三刻】


【恐怖あり】


【罪悪感あり】


【判断の保留を検出】


 少し間を置いて、表示が続く。


【質問】


【設計と使用の因果を、単独の責任へ統合するか】


 倉庫へ行く前なら、統合すると答えていたかもしれない。


 すべて俺の責任だと記録し、自分を停止させればいいと思っていた。


 だが、それでは途中にあった選択が消える。


 設計した選択。


 公開した選択。


 鍵を使い回した選択。


 盗んだ選択。


 停止意思を削った選択。


 実戦へ投入した選択。


 町を攻撃した選択。


 それに抵抗した選択。


「統合しない」


 俺は答えた。


「設計しなければ起きなかった結果がある。使うと決めなければ起きなかった結果もある。どちらも消さない」


【複数の因果を記録】


【複数の選択を記録】


【責任主体の単一化を拒否】


 アークは、誰が悪いかを判決しない。


 罪悪感を消してもくれない。


 ただ、途中にあった選択を残す。


 倫理演算ができるのは、人間の代わりに責任を引き受けることではない。


 後から都合よく因果を一本へまとめないよう、分岐を見せることだ。


「罪悪感を消す補助はあるか?」


 俺が訊くと、表示が変わった。


【罪悪感:危険と責任を知らせる信号】


【自動除去:倫理仕様により禁止】


【推奨:記録、共有、休息、再判断】


 フィンが吹き出した。


「お前、自分で入れた規則に止められてるぞ」


「正しく動いている」


「休息も推奨されてるけどな」


「それも正しい」


「で、再判断の結果は?」


 俺は新しい紙を机の中央へ置いた。


【停止対象を、所属ではなく禁止挙動で定義する】


 その下へ、倉庫で書いた四つの条件を並べる。


【使用者本人の停止を無効化する】


【恐怖・痛みを本人の同意なく抑制する】


【指揮命令によって判断を上書きする】


【退避入力を破棄する】


「レギオン・コアを止める」


 一度、全員を見る。


 俺の判断だけで始めないために。


 反対する者がいれば、その理由を聞くために。


「ただし、帝国の装置だからではない。人間から止まる権利を奪ったから止める」


 ダリオが最初に口を開いた。


「連邦側の装置に同じ挙動があった場合は?」


「同じ条件で止める」


「戦闘中でもか」


「例外にしない」


 ダリオはしばらく俺を見た。


 やがて、ゆっくりと頷く。


「条件が明確なら、現場で判断できる」


 リナがテオの記録を机へ広げた。


「本人の停止入力を、基準の一つにできます。恐怖が強まった直後、呼吸と筋肉に退避の信号が出ています。でも、核がその信号を切り離している」


 ノエルが方眼ノートを開く。


「固定R-IDが分からなくても、処理の順番なら検出できるかもしれません。停止入力が入り、それを指揮命令が上書きする。その挙動自体を署名にします」


 ジークが図面の整備端子を叩いた。


「遮断後の出力を逃がす経路もいる。止めた瞬間に入力者が焼けたら、救助にならん」


「黒鉛板を増やす」


 フィンが赤い爪を机へ置いた。


「第一型を作り直すぞ。相手の名前を知ってる時だけ止める箱じゃない。相手が何をしているかを見て止める箱だ」


 ミーナが地図から顔を上げる。


「作れたとして、どうやって帝国の装置へ届かせる?」


「同期塔を使う」


 俺は答えた。


「レギオン・コアへ命令を送っているなら、保守と調整の経路も塔へ集まっている。三基の塔へ停止箱を接続できれば、現場の核へ届く可能性がある」


「接続するには、塔まで行く必要があるわね」


 エリシアが言った。


「ああ」


 危険は消えていない。


 むしろ、これから近づくことになる。


 それでも、もう一人で答えを出そうとは思わなかった。


 ナタリアが新しい記録紙の上へ日付を書く。


「失敗も判断も、全部残すわ」


「頼む」


「罪悪感も?」


 一瞬、迷った。


「ああ。それも消さない」


 死者十一名。


 負傷者の名前。


 テオの停止意思。


 俺の鍵の使い回し。


 帝国の選択。


 これから俺たちが行う選択。


 すべてを同じ記録へ残す。


 罪悪感を消したから進めるのではない。


 正しいと確信できたから進むのでもない。


 怖さと責任を持ったまま、それでも明日の砲撃を止めるために進む。


 夜明けまで、もう半日もない。


 暴走は理論で止める。


 ただし、理論だけでは止まらない。


 装置へ落とす。


 現場へ渡す。


 誰が判断し、誰が停止を選ぶのかを決める。


 そして、その規則を自分たちにも向ける。


 そこまでやって、初めて止め方になる。


 俺は炭筆を握った。


 指の震えは、まだ消えていない。


 それでも今度は、一人ではなかった。


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