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魔力最下位の理系転生者は、魔法を誰でも使える技術に変えたい ~詠唱はコード、魔法陣は回路。才能がないなら、法則を探せ~  作者: Ita
第10章 奪われた理論、戦場を止める選択

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第65話 救護所の限界


 昼過ぎに途絶えた帝国軍の砲撃は、日が落ちても再開されなかった。


 第二防壁まで迫っていた歩兵も、夕刻には東門の外まで後退している。


 第一日の攻撃は、いったん終わった。


 だが、停戦したわけではない。


 帝国から攻撃停止の通告はなく、グレインベル側も停戦には合意していない。ただ、一日の戦闘で集めた記録を分析し、レギオン・コアと三基の同期塔を調整するために、帝国軍が攻撃を止めているだけだった。


 城壁の観測兵からは、敵陣で結晶槽を交換する荷車と、赤熱した黒鉛板を運び出す兵士が見えたと報告されている。


 レギオン・コアを外された入力者も、後方の天幕へ次々と運ばれていた。


 帝国軍も、昼間と同じ出力を休みなく維持できるわけではない。


 砲身を冷やす。


 消耗した結晶を交換する。


 乱れた入力者を別の兵士へ替える。


 そして、今日得たグレインベルの結界記録を使い、明日の攻撃手順を組み直す。


 この静けさは、戦いが終わった証拠ではない。


 次の攻撃を、より正確にするための時間だった。


 暗い峡路の向こうでは、三基の同期塔が一定の間隔で白く明滅している。


 その光が消えていない限り、いつ砲撃が再開されてもおかしくない。


 夜明けまで待つ保証すらなかった。


 だから東門と第二防壁には見張りを残し、自治兵は交代で結界を維持している。警報が一度鳴れば、救護所にいる者も壁際へ伏せる。二度続けば、動かせる負傷者から西坑道へ移すことになっていた。


 町が与えられたのは、休息ではない。


 負傷者を運び、壊れた結界を補修し、次の砲撃へ備えるための短い猶予だった。


 その猶予を最も必要としていたのが、下層の救護所だった。


 回復魔法は、傷をなかったことにする奇跡ではない。


 裂けた皮膚を閉じるには、新しい組織を作る材料がいる。


 失った血を補うには、水と塩と栄養がいる。


 砕けた骨を戻すには、正しい位置へ固定する手と時間がいる。


 乱れた身体を整えるほど、その乱れを別の場所へ移すための低エントロピー媒体が必要になる。


 薬草。


 糖液。


 清潔な布。


 冷却水。


 小型結晶。


 どれも有限だ。


 そして、帝国軍が次の攻撃を始めれば、負傷者はさらに増える。


 今ある物資をすべて使えば、目の前の人間を救えるかもしれない。


 だが、夜明けまでに同じ数の負傷者が運び込まれた時、今度は何も残っていない。


 砲撃の止まった夜、救護所では別の戦いが続いていた。


「火傷用の冷却布、残り十二」


「糖液は?」


「薄めれば二十人分。でも、重傷者へ使う濃度なら八人です」


「薄めないで。重傷者を優先します」


 リナは答えながら、自治兵の腹部へ圧迫布を当てていた。


 結界を抜けた石片が脇腹へ刺さった男だ。


 隣では、エリシアが傷口周囲の熱だけを抜く。


 火属性の高出力魔導士が、今は指先ほどの範囲を冷やしている。


「もう少し下げる?」


「下げすぎると血流が止まります。そのまま維持してください」


「分かったわ」


 リナは傷口を閉じない。


 先に異物を除き、出血を減らし、感染源を洗う。


 派手な光はない。


 だが、順番を間違えれば人が死ぬ。


 救護所では、攻撃魔法より小さな操作の方が難しかった。


     ◇


「ユウマさん、そこの水を」


 言われて、桶を持つ。


「これは飲ませる?」


「洗浄用です。飲み水は青い印。洗浄は白。混ぜないでください」


「了解」


「返事より、印を見て」


「はい」


 完全に補助員だった。


 理論を考える余地はない。


 汚れた布を分ける。


 道具を煮沸する。


 名前を記録する。


 呼吸の止まりかけた者がいればリナを呼ぶ。


 痛みに叫ぶ者の手を押さえる。


 人は、数字のように一列へ並ばない。


 同じ火傷でも、年齢、体力、吸い込んだ煙の量、治療までの時間で危険度が違う。


 しかも、先に来た者から診ればいいわけではない。


 今すぐ処置すれば助かる者。


 少し待てる者。


 できることがほとんど残っていない者。


 リナは入口で一人ずつ見て、寝かせる場所を決める。


 その判断をするたび、彼女の顔から何かが削られていくように見えた。


 入口で、男が声を荒らげた。


「先に娘を診てくれ!」


 腕の中に、十歳ほどの少女がいる。


 額から血を流しているが、意識はあり、泣いている。


「名前は?」


「そんなことより回復魔法を!」


「名前と、怪我をした時刻を教えてください」


「ミアだ! 鐘が鳴った後、倉庫の石が落ちた!」


 リナは少女の瞳、呼吸、手足の動きを確認した。


「頭の傷を洗って縫います。意識確認を続けるので、青い区画へ」


「光で治せないのか? 学院の治癒術なら、一瞬だと聞いた!」


「今、細胞成長を強く促せば、頭の内側で出血していた場合に悪化します。先に状態を見ます」


「でも、血が出てる!」


「見えている血より、見えない傷を確認する方が先です」


 父親は納得できない顔をした。


 目の前で子どもが傷ついている。


 派手な回復魔法を使わない医療が、何もしていないように見えるのだ。


 リナは声を弱めた。


「泣けています。私の質問にも答えられる。今は、それが良い徴候です。光を強くすることが、治療を強くすることではありません」


 ミアが父親の服を握った。


「お父さん、痛いけど、聞こえてる」


 その声で、男の肩から少し力が抜けた。


「……青だな」


「はい。必ず誰かがそばにいます」


 ミリィが青い布を持って駆け寄った。


「こっちです。わたしが名前を書きます」


 自分も避難してきた子どもだ。


 それでも、文字の読めない負傷者の名を聞き、区画札へ書く役を引き受けていた。


 魔法を使えなくても、救護所でできることはある。


 役割が恐怖を消すわけではない。


 ただ、震えたまま立つ場所を作る。


「休んでくれ」


「次の砲撃も休んでくれますか」


「……休まない」


「なら、私も今は休めません」


 正論ではない。


 身体には限界がある。


 だが、ここで無理に止めても、彼女は自分を責める。


「一刻後に交代する」


 俺は言った。


「拒否しても、医療担当者の継続条件を超えたら止める。君が決めた規則だ」


 リナの手が一瞬止まった。


 それから、小さく息を吐く。


「分かりました。一刻後です」


 他人を止める規則は、自分にも向けなければ意味がない。


 一刻後、本当に交代の時刻が来た。


 リナは次の負傷者へ手を伸ばしかけた。


 俺が止めるより先に、ミリィが彼女の袖を引いた。


「一刻です」


「あと一人だけ」


「火が出た後の『あと一回』は駄目って、リナさんが言いました」


 リナは言葉を失った。


 周囲の補助員も、彼女を見ている。


 自分だけを例外にはできない。


「……分かりました。半刻休みます」


「一刻です」


 ミリィが訂正する。


「厳しいですね」


「必要だからです」


 どこかで聞いた会話だった。


 リナはようやく、小さく笑った。


     ◇


 捕らえた帝国兵は、救護所の一番奥に寝かされていた。


 名は分からない。


 右足首は折れている。


 頭部にも打撲。


 背中には小型のレギオン・コアが残ったまま。


 エリシアが供給線を焼き切った後、自治兵が黒鉛札で残留熱を吸った。外側の光は消えている。


 それでも外せない。


「固定針が、背骨の両側へ入っています」


 リナが構造図を描いた。


「無理に抜けば神経を傷つけます。銀線の一部は皮膚の下。呼吸検出環は肋骨に沿って固定されています」


「装備じゃないな」


 フィンの声が低くなる。


「ほとんど手術で付けてる」


 ジークが核の縁へ探針を当てた。


「整備用の蓋はある。だが、内側からしか固定を外せない」


「装着者が自分で外せないように?」


「それもある。もう一つは、戦場で敵に奪われないためだ」


「壊せば?」


 ノエルが訊く。


「残留出力の行き先が分からん。石英核を割れば、一番近い導体へ逃げる」


 一番近い導体。


 装着者の身体だ。


 汗と血液を含む人体は、銀線ほどではないがマナを通す。


 停止のつもりで核を壊し、内部の出力を心臓や神経へ流せば、助けるどころか殺す。


「だから停止箱には、遮断だけでなく逃がし先が必要なんです」


 ノエルが呟く。


「そうだ」


 止めるとは、入力をゼロにすることではない。


 すでに入ったエネルギーを、壊さず、人へ戻さず、安全な場所へ移すことだ。


 火なら熱を水や黒鉛へ。


 運動量なら地脈杭へ。


 同期の位相差なら、空いた枝へ分散する。


 停止箱・第一型の五層黒鉛でも、レギオン・コア二十四基分の出力は受けられない。


 構造を変えなければならない。


     ◇


 帝国兵が目を覚ましたのは、夜半だった。


 最初に動いたのは右手だった。


 何かを握ろうとするように指が閉じる。


 だが、手の中には媒体杖がない。


 指先には古い火傷と、新しい裂傷がある。


「杖はありません」


 リナが静かに言った。


 兵士の目が開く。


 周囲を見て、身体を起こそうとした。


「動かないで。右足が折れています」


「ここは……」


「グレインベルの救護所です」


 敵地だと理解した瞬間、兵士の呼吸が速くなる。


 背中のレギオン・コアが、わずかに光った。


 供給線は切れているのに、内部の小型結晶が反応している。


【恐怖反応を検出】


 俺たちの観測板へ信号が出た。


 続いて、別の処理。


【恐怖抑制を開始】


「抑制を止めろ」


 停止箱・第一型を整備端子へ当てる。


 対象R-IDは、今この核から取れる。


 黄色の爪。


 監視開始。


 赤い爪。


 停止信号を送る。


【指揮命令なし】

【停止要求を保留】


 止まらない。


 指揮核から命令が来ていない場合でも、既定動作として恐怖抑制を続ける設計だ。


「黒鉛へ迂回させる!」


 フィンが外部負荷をつなぐ。


 俺は抑制回路の入力だけへ、逆位相を入れた。


「……phase inverse。局所処理、切離し」


 核の光が落ちた。


 兵士が大きく息を吸う。


 恐怖が戻る。


 目が見開かれ、全身が震えた。


 リナは鎮静術を使わず、彼の視界に入る位置で言った。


「怖くて大丈夫です。今は砲へ接続されていません。あなたの手も固定されていません」


 兵士は何度も呼吸した。


 やがて、自分の右手を見た。


 指が動く。


 自分の意思で、開く。


「離せる……」


 掠れた声だった。


「何を?」


 俺が訊くと、兵士は手を見たまま答えた。


「杖を。今なら、離せる」


 俺とリナは顔を見合わせた。


「名前を訊いてもいいですか」


 リナが言う。


 兵士はすぐに答えなかった。


 捕虜になった恐怖。


 帝国への忠誠。


 何を話せば仲間を売ることになるのかという迷い。


 それらを、今度は装置が消さない。


「テオ」


 やがて彼は言った。


「テオ・ランバート」


 試験記録の入力者三七一。


 十九歳。


 右手指の熱傷。


「記録で見た」


 俺が言うと、テオの表情が強張った。


「帝国の?」


「レギオン・コアの試験記録だ。停止要求が無視された理由を訊いていた」


 テオは唇を噛んだ。


「答えは、入力者に判断は要らない、だった」


「ああ」


「それでも装着した?」


「断れなかった」


 短い答え。


「家族に、配給が出る。俺は魔力が低くて、普通の魔導隊には入れなかった。レギオンなら役に立てるって」


「自分で望んだ部分もある?」


 テオは長く黙った。


「最初は」


 その言葉を、否定してはいけない。


 強制された被害者だから、本人の希望は一つもなかったと決めれば、彼の過去までこちらの都合で書き換えることになる。


「最初の試験で、火が出た」


 テオは続けた。


「俺みたいな低魔力でも、砲を動かせた。嬉しかった。でも、熱くなって、止めようとした。手を離したかったのに、固定具が締まった」


 右手が震える。


「止めたかったのに、手が離れなかった」


 記録紙の一行では分からなかった重さが、声になった。


     ◇


 テオから、レギオン・コアの運用を聞いた。


 二十四人は四班に分けられる。


 六人で一つの魔導砲を安定させ、指揮核が四つの砲群を同期する。


 翌朝の攻撃では、二十四基すべてを同時接続する予定。


 目標は東門ではない。


「町の東区」


 テオが言った。


「結界柱と、反力塔と、倉庫。三つを一度に壊す。町が砲撃を続けられなくなるまで」


「住民区も入っている」


「エドガー閣下は、避難済みと判定した」


「何を根拠に?」


「警鐘の後、人が西へ動いたから」


 避難は完了していない。


 歩けない負傷者がいる。


 家を離れなかった老人もいる。


 救護所へ運びきれていない者もいる。


 だが、遠くから見れば「住民は西へ移動した」という一つの条件になる。


 エドガーの計算では、残った人間は誤差なのだ。


「総攻撃は夜明けです」


 テオが言う。


「その前に、俺が戻らなければ予備の兵が付けられる」


 彼一人を助けても、砲は減らない。


 救護所の寝台を見回す。


 処置を待つ者。


 眠れない者。


 もう声を出さない者。


 リナは一刻の交代を終え、再び次の負傷者へ向かっていた。


 明日の砲撃で、この人数がさらに増える。


 その時、糖液はない。


 冷却布もない。


 寝台も、人手も、時間もない。


 救護所の限界は、治癒魔法の性能ではなかった。


 怪我をする速度に、救う速度が追いつかないことだ。


 なら、次の負傷者を運び込む前に、怪我を作る仕組みを止めなければならない。


 俺はテオの背中に残る黒い核を見た。


 自分の理論が、そこにある。


 見たくないほど、正確な形で。


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