第61話 奪われた理論
帝国へ向かう購入記録を見つけた夜、俺たちは朝を待たなかった。
偽の手順書と帝国への部材流出を突き止めた夜に作り始めた【停止箱・第一型】の設計板を、辺境研究所の一番広い机へ固定する。
目的は単純だ。
【製造元を問わず、低出力補助核を外部から停止する】
だが、単純な目的ほど実装は難しい。
補助核ごとに銀線の配置が違う。石英核の品質も、短詠唱の形式も、余剰出力の逃がし方も違う。停止信号を受け取る端子がなければ、外から止めようとしても装置は命令を雑音として捨てる。
しかも、帝国へ流れた帳簿の最終行には、はっきりと書かれていた。
【安全系統:不要】
【出力効率を優先】
「不要なものを、後から取り付けられると思うか?」
ジークが低い声で訊いた。
「相手が完全に閉じれば難しい。ただ、補助核には保守用の入口がいる」
「壊れない装置はないからな」
「帝国が安全端子を消しても、整備端子までは消せない。そこを共通の入口にする」
俺が設計板へ線を引くと、フィンが隣から炭筆を奪った。
「待て。整備端子から止めるなら、接続を間違えた時にこっちへ出力が戻ってくる。先に受け側を作る」
「黒鉛負荷を入れる」
「一枚じゃ足りねぇ。相手がどれだけ出すか分からないんだぞ」
「最低三層」
「五層」
「携行できない」
「死ぬより重い方がいい」
聞き覚えのある言い方だった。
ジークを見ると、彼は何も言わずに五層分の線を引いた。
どうやら、フィンにも工廠式の判断が染み始めているらしい。
◇
夜が明ける頃、停止箱の外形だけが決まった。
掌に乗るアークの種より、一回り大きい。
中央に受信用の低品質石英。周囲に交換式の黒鉛板。銀線は入力、判定、遮断の三系統に分ける。操作は二つだけ。黄色の爪で監視を始め、赤い爪で停止信号を送る。
誰でも使えるようにするなら、戦場や坑道で長い手順書を読ませるわけにはいかない。
ダリオは二つの爪を確かめてから言った。
「赤を引けば、必ず止まるのか」
「今は、止めたい装置のR-IDが分かっている場合だけだ」
R-ID。
詠唱や魔法陣が持つ、共鳴周波数と位相の組み合わせだ。人間でいえば名前と声紋を合わせたようなもので、同じ火属性術式でも設計が違えばR-IDも変わる。
「対象の名前が分からなければ?」
「無関係な設備を止める危険がある。だから、現段階では赤を引けない」
「製造元を問わず止める、という目的と矛盾するな」
「ああ」
最初から見えていた矛盾だった。
誰でも止められるよう条件を広くすれば、止めてはいけない装置まで巻き込む。
対象を正確に限定すれば、相手がR-IDを隠しただけで届かない。
「まず帝国が何を作ったかを知る必要がある」
俺が言うと、ミーナが窓際から振り返った。
「その前に、あたしたちが何を盗まれたかを知った方がいいわ」
彼女の手には、記録室の封印板があった。
個人記録を保管している箱ではない。
研究所から外部の協力者へ送った文書の控えを保存する、通信記録箱の封印板だ。
縁に、ごく細い傷が走っている。
◇
記録箱は壊されていなかった。
封印も開けられていない。
だが、外部へ送った位相署名の一覧に、存在しないはずの応答が一つ混じっていた。
「十日前。ゼフィル連合の仲介商会へ、共通魔法コードの真正証明を送った時ね」
ミーナが記録紙を指で叩く。
「正しい手順書には、この研究所が発行したと確認できる位相署名を付けた。偽物を見分けるためよ」
「公開文書だな」
「ええ。文面も署名も、見られて困るものではない」
ナタリアが紙を光へ透かした。
「でも、同じ日に非公開の連絡も送っている。アークの種に使う銀線の注文と、工廠ごとの加工誤差について」
俺は二枚の記録を並べた。
一枚は公開された共通魔法コード。
もう一枚は暗号化された部材仕様。
どちらにも、同じ位相種から生成した署名が使われていた。
文書へ署名する目的は、それが誰から届き、途中で改竄されていないかを確かめることだ。
暗号化の目的は、内容を読ませないこと。
本来、二つの鍵は分けなければならない。
俺たちは追跡を避けるため、通信経路を細かく分けた。個人情報と検証記録も別の鍵で封じた。
そこまではよかった。
だが、物資不足を理由に、公開文書の署名と連絡文の暗号化へ、同じ位相種を使い回した。
公開文書は、変換前の文章も変換後の署名も誰でも見られる。
帝国はその組み合わせを大量に集め、位相種の癖を逆算した。
「鍵を力ずくで破ったわけじゃない」
ノエルの顔が青ざめる。
「開いた手紙と封印された手紙に、同じ癖が残っていた。開いた方を見て、封印の作り方を推定したんですね」
「そうだ」
難しい暗号理論を知らなくても、危険性は分かる。
町の掲示板へ押した印章と、金庫の鍵に同じ刻みを使ったようなものだ。
公開した印影を何度も測れば、金庫の鍵まで削れてしまう。
ただし、公開文書だけから短期間で位相種を復元するには、帝国にも大量の試料が必要だった。
誰かが、俺たちの通信を一か所へ集めている。
ミーナは通信経路を逆に辿った。
研究所から鉱山組合。
鉱山組合からゼフィル連合の仲介商会。
そこから三つの飛脚組合へ分かれ、各地の工房へ向かう。
本来なら、帝国がすべてを集めることはできない。
だが、仲介商会の応答記録に、同じ中継員の署名が七回残っていた。
「ペル・オーデン。商会の文書係」
ミーナが名を読む。
「公開文書も、部材注文も、彼の勤務日に中継されている。偶然にしては重なりすぎね」
「今どこにいる?」
「三日前に退職。借金をすべて返して、東行きの隊商へ乗った」
「帝国へ売ったのか」
フィンの声に怒りが混じる。
「まだ断定しないで」
ナタリアが止めた。
「脅されたかもしれない。家族を使われた可能性もある。本人に聞けない以上、分かるのは、彼の端末を通った文書が集められたことだけ」
内通者の痕跡はある。
だが、その人間を悪と決めれば漏洩の説明が終わるわけではない。
ペルが集めたとしても、同じ位相種を使わなければ非公開文書までは読めなかった。
逆に、鍵を分けていても、同じ中継員へ情報を集中させ続ければ別の形で破られたかもしれない。
人の弱さと設計の弱さ。
どちらか一方へ原因を押しつければ、もう一方の穴が残る。
フィンが拳で机を叩いた。
「それを決めたのは誰だ」
俺は答えた。
「俺だ」
部屋が静かになった。
「通信機材が足りなかった。鍵を増やせば照合に時間がかかる。偽の手順書を早く見分ける必要があると思って、既存の位相種を流用した」
「あたしも承認した」
ミーナが言う。
「輸送経路を分ければ十分だと判断した。通信の中身までは、ユウマだけの責任じゃない」
「でも、危険は説明できたはずだ」
「今ならね」
彼女の声は冷静だった。
「失敗ログを、罪人探しに使わないで。次の侵入口を塞ぐために使うの」
研究所の規則六。
記録は消さない。
都合の悪い失敗を残したから、破られ方を追えた。
だが、追えたことと、被害を戻せることは違う。
アークの種が、机の端で淡く光った。
【暗号鍵の再利用:危険】
【中継経路の集中:危険】
【質問】
【記録を消去すれば、同じ失敗の再発率は低下するか】
「逆だ」
俺は答えた。
「盗まれた記録を消しても、相手の手元からは消えない。こちらが破られ方を忘れるだけだ」
【回答を記録】
【失敗記録は、再発防止に使用】
機械的な応答かもしれない。
それでも、自分の失敗を自分の言葉で定義させられた。
失敗は罪の証拠である前に、次の設計条件だ。
◇
解読された可能性がある文書を一覧化した。
銀線の分割構造。
石英核への五入力。
低魔力者の入力を狭い位相帯へ整形する方法。
R-IDの生成規則。
地脈参照を外部入力から分離する方法。
アークの種そのものを再現できる完全な図面ではない。
中央核の細かな焼き締め条件も、発振事故後の補正値も、倫理仕様の優先表も含まれていない。
だが、帝国には帝国の工廠がある。
足りない部分を埋める技師も、試作に使える資材も、失敗を兵士へ押しつけられる権力もある。
「この断片だけで、どこまで作れる?」
ダリオが訊く。
ジークが記録を睨んだ。
「入力整形器は作れる。質は悪くても、結晶を多く食わせれば動く」
「停止検出は?」
「作れる」
「倫理仕様は?」
俺は首を横に振った。
「文書には概要しかない。何を禁止するかは読めても、衝突時の優先条件までは送っていない」
エリシアが静かに言った。
「なら、向こうは削ったのではなく、最初から作らないかもしれないわ」
その方が正確だった。
盗まれたものに倫理が含まれていなかったのではない。
倫理は、部品表だけでは移せない。
何度も議論し、誰が止められるかを決め、失敗を記録し、運用で更新する必要がある。
帝国が欲しいのは、その遅さではない。
低魔力の兵士を、外部結晶へ接続する速さだ。
◇
昼過ぎ、ミーナが帝国東部軍の通信を一つ傍受した。
暗号化されていたが、調達符号は前夜に見つけた帳簿と一致した。
【魔導兵器統合試験・第三段階】
【既存試作核二十四基の改修完了】
【入力者二十四名】
【個体差補正、許容範囲】
【恐怖反応による位相乱れ、抑制処理を追加】
【現場停止権限を削除、指揮系統へ統合】
【計画責任者:E・B】
「第三段階……?」
ノエルが息を呑んだ。
「漏洩が起きたのは十日前です。それなのに、もう兵士を使った試験まで進んでいるんですか?」
「待って。続きがある」
ミーナが通信の添付記録を開いた。
現在の報告書とは異なり、日付の古い試験記録だった。
【第一段階――単独入力者と外部結晶槽の接続】
【実施時期――二年八か月前】
【結果――出力増幅に成功。位相偏差により連続稼働不能】
【第二段階――八入力の指揮同期】
【実施時期――七か月前】
【結果――同時発動に成功】
【個体差による同期崩壊。試作核三基焼損】
【計画を凍結】
研究所の中が静まり返った。
帝国の計画は、俺たちの理論が盗まれてから始まったものではなかった。
二年以上前から、複数の兵士を外部結晶槽へ接続し、一つの命令で魔法を発動させようとしていた。
だが、人間の入力は揃わない。
魔力量だけではない。
詠唱の長さ、媒体へ触れる強さ、呼吸、恐怖、疲労。わずかな違いが同期を崩し、出力を重ねようとするほど位相のずれが大きくなる。
帝国はその問題を解決できず、第二段階で計画を止めていた。
「では、この第三段階というのは……」
ノエルの視線が、解読した文書の一覧へ移る。
銀線の分割構造。
石英核への五入力。
低魔力者の入力を狭い位相帯へ整形する方法。
「俺たちから盗んだ技術の開発段階じゃない」
俺は言った。
「帝国が以前から進めていた計画の第三段階だ。止まっていた計画に、俺たちの入力整形を継ぎ足した」
フィンが古い記録と新しい通信を並べた。
「既存試作核の改修ってことは、装置も一から作ったわけじゃねぇな」
「ああ。石英核も、結晶槽も、指揮系統へつなぐ回路も、すでに帝国側にあった。足りなかったのは、ばらばらな人間の入力を同じ範囲へ収める方法だ」
十日で新しい兵器を完成させたのではない。
二年以上かけて作り、同期の問題で動かせずにいた兵器へ、盗まれた理論が最後の部品として入った。
だからこそ、速い。
帝国には試作核も、加工設備も、実験記録もあった。
そして、試験の危険を理由に止める者がいなかった。
「第三段階の追記は、九日前です」
ミーナが報告書の端を示した。
【個体差補正方式を変更】
【五入力整形を採用】
【低魔力入力の接続試験を再開】
五入力。
短詠唱、媒体接触、呼吸周期、局所位相、停止意思。
俺たちが、魔力の弱い人間でも無理なく入力を整えられるよう選んだ観測項目だった。
帝国はそのうち、最初の四つだけを使っている。
五つ目の停止意思は、観測対象ではなく、排除すべき雑音へ変えられていた。
「恐怖反応の抑制処理は、私たちの設計にはありません」
リナが言った。
「別の技術です。おそらく、帝国軍が以前から使っていた精神鎮静術式を転用しています」
「帝国は、俺たちの設計をそのまま複製したわけじゃない」
俺は通信紙を見つめた。
「自分たちが持っていた結晶槽、指揮同期、精神抑制。それらの間を、盗んだ入力整形でつないだんだ」
流出したのは、完成した兵器の設計図ではない。
完成できずにいた兵器を動かすための、欠けていた理論だった。
入力者。
使用者でも、術者でもない。
帝国は最初から、人間を装置の入口として数えている。
アークの種は恐怖を危険信号として残した。
帝国は恐怖を位相の乱れとして抑えようとしている。
アークの種は停止意思を最優先の入力として扱った。
帝国はそれを同期を乱す不要な信号として切り捨てた。
俺たちが一つずつ守ったものが、帝国の既存技術と結びつき、一行ずつ反転していた。
最後に、改修後の試験装置の名称が記されている。
【Legion Core――集団魔導統合核】
「レギオン・コア」
ノエルが読んだ。
「二十四人を指揮系統で束ね、軍団全体を一人の術者のように扱う装置……」
アークの種が、通信紙の横で表示を出した。
【構造類似を検出】
【既存帝国式技術との混成を検出】
【目的関数の相違を検出】
「目的関数?」
ナタリアが訊く。
「装置が、何を良い結果として選ぶかだ」
俺たちのアークは、出力だけでなく、安定性、使用者の選択、停止成功、記録可能性を評価する。
レギオン・コアは、命令された出力を維持できたかだけを見る。
同じ入力整形を使っても、最適化する先が違えば結果は反対になる。
「道具は中立だ、では済まないのね」
エリシアが言った。
「少なくとも、何を成功と数えるかは設計者が決める」
火力が出れば成功なのか。
命令に従い続ければ成功なのか。
それとも、人間が自分で止められて初めて成功なのか。
その定義が、アークとレギオンを分けていた。
俺は通信紙を握った。
救うための理論だった。
魔力が低いという理由で、魔法へ触れられない者の入口を作るための理論。
失敗しても、自分で止まれるようにするための理論。
それが今、帝国が二年以上完成させられずにいた兵器へ組み込まれ、人間の違いを消して命令へ揃えるために使われている。
「俺が鍵を使い回さなければ、帝国の計画は今も第二段階で止まっていたかもしれない」
「その可能性はあるわ」
エリシアは否定しなかった。
「別の入口を見つけたはずだなんて、簡単な言葉で片づけるつもりもない」
彼女は俺から通信紙を取り、机へ戻した。
「あなたの判断が、止まっていた計画を進めた。その事実は記録するべきよ」
「ああ」
「でも、責任があることと、ここで立ち止まることは同じではない」
「向こうはもう、第三段階まで再開している」
「なら、私たちも次へ進む」
エリシアは停止箱の設計板を指した。
「奪われた理論を嘆くのは、止め方を作った後にしなさい」
厳しい言葉だった。
だが、必要だった。
俺は設計板へ向き直る。
停止箱・第一型。
まだ対象のR-IDが分からなければ使えない。
なら、調べる。
何を盗まれ、帝国のどの技術と結びつき、どこへ接続されたのか。
技術者として見る。
見たくないものほど、正確に。
日が傾きかけた頃、帝国から二つ目の通信が届いた。
【統合試験、成功】
【既存試作核二十四基の実戦転用を承認】
【東部軍魔導兵器統合部隊へ移管】
【実戦評価地点――ノルデン辺境連邦、グレインベル】
実戦評価。
その無機質な四文字が、研究所の空気を凍らせた。
帝国が次に欲しがっているのは、試験場で得られる数値ではない。
人の暮らす町へ撃ち込み、どれだけ壊せるかという記録だ。
そして、その最初の標的に選ばれたのは、俺たちが研究所を作った町だった。




