第62話 帝国式アーク
グレインベルが実戦評価地点に指定されてから、帝国軍が国境を越えるまで三日かかった。
短い、と感じるべきなのだろう。
だが、待つ側にとって三日は長い。
帝国軍がどの街道を使うのか。
兵力はいくつか。
レギオン・コアは本当に完成したのか。
住民を逃がすべきか。それとも、避難の動きが帝国を刺激するのか。
確かな情報がないまま、町では噂だけが増えていった。
帝国の兵器は、一人で砦を壊す。
低魔力者を百人つないで、生きた結晶として燃やす。
エドガー=ブラッドフォードは半身を古代装置へ変えた怪物だ。
最後の話だけは、完全な嘘とも言い切れなかった。
ダリオによれば、エドガーは十年前の帝国西部戦線で右腕と左脚を失い、軍用義肢へ置き換えている。だが、恐れられている理由は外見ではない。
彼は、戦場を「条件の違う実験場」として見る。
勝てなかった兵器を捨てず、なぜ勝てなかったかを記録する。敵の装備でも、動作原理が優れていれば翌月には自軍の工廠で再現する。兵士の損失すら、入力条件の一つとして表へ入れる。
「研究者なのか?」
俺が訊くと、ダリオは首を横に振った。
「元は工廠技師。今は軍人だ」
「技師ではなくなった?」
「技師の目で、人間まで部品として見る軍人になった」
その違いを、俺はまだ理解しきれていなかった。
帝国が三日でレギオン・コアを完成させたわけでもなかった。
ミーナが集めた工廠記録によれば、帝国は以前から【群制式位相整列器】という装置を運用していた。
騎兵の突撃時刻を揃える。
砲兵の詠唱を同時に開始する。
複数の反力杭へ負荷を均等に分ける。
それ自体は、人間の判断を奪う装置ではない。合図と計測を共有する、大型の軍用補助器だ。
だが、精度が低かった。
高C-indexの術者しか同期へ入れず、恐怖や疲労で一人でも入力が乱れると全体が外れる。
「そこへ、俺たちの五入力分離とSELを入れた」
俺は古い構造図と試験記録を重ねた。
「短詠唱、媒体接触、呼吸周期、局所位相、停止意思を別々に測る方法。個人差を補う入力整形。帝国には元から大出力の結晶槽も同期塔もあった。足りなかったのは、人間側の差を処理する層だけだ」
「つまり、全部盗まれたから作れたわけじゃない」
エリシアが言った。
「ああ。向こうが持っていた兵器へ、欠けていた部品を渡してしまった」
その事実は、少しも慰めにならない。
だが、敵の能力を正しく見るためには重要だった。
帝国は俺たちのアークを丸ごと複製したのではない。
自分たちの軍事技術へ、使える理論だけを接ぎ木した。
だからアークの種より大きく、粗く、資源を大量に食う。
同時に、最初から戦場で量産できる。
「エドガーは、古い装置を捨てなかった」
ジークが図面を見て言った。
「足りない機能だけを足した。設計としては正しい」
「人間の扱いを除けばな」
「そこを除いたら、正しいとは言わん」
ジークの返答は短かった。
◇
帝国式アークの構造が判明したのは、二日目の夜だった。
ミーナの交易網を通じて、東部軍工廠から一枚の試験記録が届いた。
情報を持ち出したのは、帝国の技師ではない。
試験場へ黒鉛板を運び込んだ荷役人だった。
彼は装置の設計を理解していない。
だが、運び込んだ黒鉛が何枚で、返されたのが何枚かは数えられた。
四十枚を運び、戻ったのは三枚。
残り三十七枚は、緩衝材ではなく、焼けた廃材として処分された。
通常の入力監視だけで、それほど黒鉛を消費することはない。
さらに、荷役人は廃材に挟まっていた薄い記録紙を拾った。
そこには、レギオン・コアの入出力が時系列で残っていた。
【入力者番号:三七一】
【基礎C-index:一二】
【単独発動評価:初等未満】
【外部結晶接続後:中等相当】
【指揮同期後:高等術式の入力要件を充足】
C-index一二。
学院なら、実技課程への参加すら難しい数値だ。
その人間が、外部結晶と同期網へ接続され、高等術式の入力部として使われている。
「理屈だけなら、俺たちのSELと同じだ」
ノエルが苦しそうに言った。
「足りない整相度を外部媒体で補い、手順で入力を揃える。違うのは……」
「誰が目的を決めるかだ」
俺は記録の続きを見た。
【入力者による停止要求を検出】
【停止要求を局所ノイズとして分離】
【指揮命令を優先】
【恐怖反応を抑制】
【出力継続】
アークの種は、使用者の停止意思を五つの主要入力の一つとして監視する。
帝国式アークも、それを検出している。
検出できないのではない。
検出した上で、邪魔な信号として分離していた。
「停止機能を削ったんじゃない」
リナの声が震える。
「停止したいことを見つけるために使っている。見つけて、消しているんです」
その方が、ただ安全装置を省くより悪かった。
俺たちの設計を理解した者が、意図を反転させている。
停止意思を見つけられるなら、そこだけ切り離せる。
恐怖を危険信号として測れるなら、発動を乱す前に抑えられる。
倫理仕様は単なる飾りではない。
何が人間を守るのかを理解しているからこそ、帝国は守りを正確に外せた。
◇
俺たちは試験記録から構造を復元した。
帝国式アーク――レギオン・コアは、一人につき一基ある。
首の後ろから肩甲骨の間へ、薄い石英板を固定する。両腕の媒体線と、胸部の呼吸検出環へ接続。兵士本人の短詠唱、媒体接触、呼吸、局所位相を拾い、使える範囲へ整える。
そこまではアークの種と似ている。
違いは、五つ目の入力だ。
俺たちは停止意思を置いた。
帝国は指揮命令を置いた。
兵士の停止意思は主要入力から外され、監視対象に格下げされている。代わりに、隊長が持つ指揮核から届く命令が、すべての入力より先に処理される。
一人の兵士が迷っても、指揮核が位相を補う。
呼吸が乱れても、隣の兵士の周期を参照する。
恐怖で手が離れそうになれば、腕の固定具が媒体接触を維持する。
個人差は消え、二十四人が一つの入力源に近づく。
「一人ひとりの魔力を足しているわけではないのね」
エリシアが記録図を見ながら言った。
「ああ。出力の大半は外部結晶と地脈から取っている。兵士は巨大な出力を生む燃料じゃない」
「では、何のために人間をつなぐの?」
「許可を通すためだ」
古代から残る多くの術式は、人間の入力がなければ起動しない。
結晶だけを積んでも、術式は目的も境界も選べない。
人間が短詠唱で初期条件を置き、媒体に触れて位相を合わせることで、初めて外部資源が魔法へ変換される。
つまり、レギオン・コアに接続された兵士は燃料ではない。
もっと交換しやすい部品だ。
引き金。
「外部結晶を砲弾にして、人間を引き金にする」
フィンが吐き捨てた。
「それをアークって呼ぶのかよ」
「帝国は呼んでいない。レギオン・コアという別の名を付けた」
「名前を変えれば別物になるって?」
「少なくとも、責任の出所は見えにくくなる」
ナタリアが記録紙へ書き込んだ。
「それ、記事に使うわ」
「まだ公表するな」
「分かってる。証拠が一枚では、帝国は偽造だと言うでしょうから」
彼女は悔しそうにペンを止めた。
事実があっても、届けるための条件がいる。
魔法と同じだった。
◇
試験記録の裏面には、入力者三七一の身体状態も残っていた。
【氏名:テオ・ランバート】
【年齢:十九】
【右手指の熱傷】
【恐怖反応:高】
【装着継続に支障なし】
「支障があります」
リナが即座に言った。
「右手を焼いて、恐怖反応が高い。それでも続けるなんて、医療判断ではありません」
「軍の評価では、入力を維持できるかどうかだけが支障の基準なんだ」
口にしながら、胃の奥が冷えた。
名前があった。
入力者三七一ではない。
テオ・ランバート。
十九歳。
右手を焼いた一人の人間。
記録の端には、本人の発言が一行だけ転記されていた。
【質問:停止要求が無視された理由を知りたい】
回答欄には、エドガーの署名がある。
【回答:入力者に停止判断は不要】
エリシアの指が、机の縁を強く握った。
「この人を、実戦へ出すの?」
「二十四基配備の中に、三七一番が含まれている」
「助けられる?」
簡単に答えることはできなかった。
帝国軍はまだ国境の向こうだ。
停止箱・第一型は、相手のR-IDが分からなければ動かない。
テオ一人の装置を止めても、残り二十三基がある。
しかも、外部結晶へ接続した状態で急に核を切れば、蓄積した熱と反力が人体へ戻る可能性がある。
止めることは、壊すことではない。
安全に止めるには、出力がどこから入り、どこへ逃げるかまで知らなければならない。
「今のままでは、助けると約束できない」
俺は言った。
「でも、助ける条件は探せる」
リナはしばらく俺を見て、それから頷いた。
「なら、身体へ戻る反力の計算は私も見ます」
「頼む」
◇
三日目の朝、グレインベル自治評議会から使者が来た。
帝国東部軍、約三千。
大型結晶槽十二。
移動式反力杭六十。
魔導砲二十四。
そして、黒い石英板を積んだ塔材が三基分。
帝国軍は国境を越えず、東部峡路の手前で停止している。
使者は一通の書状を机へ置いた。
【ノルデン辺境連邦グレインベル自治評議会へ】
【帝国軍事技術の窃取犯、ユウマ・アマシロおよび協力者を引き渡せ】
【不法に占有された東部鉱区と地脈設備を帝国の管理下へ戻せ】
【正午までに応じない場合、武力による回収を開始する】
技術を盗んだのは帝国だ。
だが書状では、俺たちが窃取犯になっている。
東部鉱区も、帝国が所有した記録はない。
欲しいものを先に自分のものと定義し、抵抗する側を盗人に変える。
論理としては壊れている。
戦争の口実としては、それで十分なのだろう。
「評議会は?」
ミーナが訊いた。
使者は疲れた顔で答えた。
「引き渡しを拒否した。グレインベルは王国でも帝国でもない。鉱区は、この町で働く者のものだと」
「連邦の援軍は?」
「最短で五日。帝国は正午まで待つと言っている」
実際には、待つつもりなどない。
遠くで、低い音がした。
雷ではない。
一定の間隔で三度。
地面の下を、強いマナの波が通り抜ける。
机の上の石英片が、一斉に東を向いて震えた。
ノエルが観測板へ駆け寄る。
「外部から地脈杭が打ち込まれました。三点……いえ、三本の基準線を作っています」
三基の黒い塔。
帝国は交渉期限より先に、同期網の構築を始めた。
表示板に、アークの種の警告が浮かぶ。
【大規模な外部同期を検出】
【複数の人間入力を確認】
【停止意思の分離を検出】
まだ砲撃は始まっていない。
それでも、俺たちには分かった。
兵士たちは、すでにレギオン・コアへ接続されている。




