第53話 ジークとの出会い
ジーク・ハイエンに会う機会ができたのは、地脈探針を修理した翌朝だった。
夜明け前、鉱山組合から使いの男が旧測量小屋を訪れた。
東坑道へ戻された二本の探針は、どちらも正常に動作したらしい。強い地脈流を受けた後も針は基準位置へ戻り、俺が使用を避けるよう伝えた深部区画では、事前に予備器へ交換されたという。
さらに、修理後の探針が示した細かな偏向から、坑道脇に設置された反力杭の劣化も発見された。
大きな事故を防いだわけではない。
ただ、事故になる前の異常を一つ見つけた。
辺境では、それが信用になるらしい。
使いの男が差し出したのは、鉱山組合工廠への一時入場札だった。
「東坑道から探針を一本、検査用に引き上げた。ジーク技師が、修理箇所を設計者自身に開かせて説明させろと言っている」
フィンが目を輝かせた。
「向こうから呼んだのか?」
「探針の修理方法を確認したいだけだ。呼ばれたからといって、ジーク技師がお前たちを信用したわけじゃない」
使いの男は念を押すように答えた。
ミーナが隣で小さく笑う。
「十分よ。道具に興味を持たせれば、職人本人との話は始められる」
「修理が悪かった場合は?」
「工廠から追い出されるでしょうね」
「分かりやすい評価制度だな」
「辺境は、肩書きより動いたものを見るから」
俺は一時入場札を受け取った。
昨日直した探針が、次の扉を開いた。
ただし、その扉の向こうにいる男が、歓迎してくれる保証はない。
◇
鉱山組合の工廠は、グレインベルの上層区画にあった。
天井は高く、梁から滑車と太い鎖が下がっている。壁には煤が染みつき、奥では大型炉が赤く鳴っていた。
王都の工房のような装飾はない。
工具。
型枠。
黒鉄の台車。
坑道用の反力杭。
分厚い石英板。
補修待ちの地脈測定器。
置かれているもののほとんどが、見せるためではなく、動かすために作られている。
金属と熱と油の匂いが混ざる空気の中を、組合の案内役について進む。
工廠中央の検査台には、木箱が一つ置かれていた。
昨日修理した地脈探針が入った箱だ。
蓋には東坑道の返却札と、未分解を示す封印紐が残っている。
その横に、一人の男が立っていた。
ジーク・ハイエン。
年齢は三十代半ばほど。
肩幅が広く、作業着の袖を肘までまくっている。指は太く、細かな傷と古い火傷の跡がいくつも残っていた。
彼は俺たちではなく、木箱を見ていた。
「修理したのは、どちらだ」
「二人です」
フィンが答えた。
「黒鉛層と固定具は俺。銀線疲労の原因を判断したのはユウマです」
ジークが俺を見る。
「開けろ」
挨拶はなかった。
フィンは少しだけ眉を動かしたが、何も言わずに封印紐を確認した。
「切っていいのか?」
「そのために呼んだ」
フィンは工具袋から細い刃を取り出し、封印紐を切った。
木箱を開ける。
中には、東坑道から引き上げられた探針が固定具に留められていた。
フィンは探針を検査台へ移し、留め具を順番に外していく。
ジークは手を出さない。
ただ、フィンがどの工具を選び、どの順番で分解し、外した部品をどこへ置くかを見ていた。
(探針だけじゃない)
(作業手順を見ている)
フィンも気づいたらしい。
最初は少し速かった手の動きが、途中から一定になる。部品を外すたび、配置と向きを揃えて並べていく。
黒鉛層が露出したところで、ジークが口を開いた。
「ここを入れ替えた理由は」
「湿気を吸って固まってた。削るだけだと内部の偏りが残るから、層ごと交換した」
「材質は」
「組合標準より質の悪い黒鉛。だから厚みを増やして、石英粉を少し混ぜた」
「質の悪い材料を使ったのか」
「使える材料がそれしかなかった」
「結果は」
「東坑道で動いたんだろ」
ジークは表情を変えなかった。
だが、否定もしなかった。
次に銀線を指差す。
「疲労を履歴と判断した根拠は」
今度は俺が答えた。
「単純な断線なら、針は不規則に止まる。だが、修理前の探針は強い流れを受けた方位で固定されていた。銀線の一部が塑性変形して、過去の偏向を保持していると考えた」
「見ただけで分かったのか」
「針の戻り方と、銀線の変色から仮説を立てた。分解して確認したら、同じ方位に疲労亀裂があった」
「仮説が外れていたら?」
「別の原因を探す」
「最初から正解だったように話すな」
「そのつもりはない。修理記録にも仮説と確認結果を分けて書いてある」
俺が記録紙を差し出すと、ジークは受け取り、短く目を通した。
成功した理由。
失敗の可能性。
交換した部品。
使用を避けるべき条件。
次回検査の目安。
記録紙を読み終えると、ジークは探針の銀線を指先で軽く持ち上げた。
「修理は悪くない」
フィンの表情が少しだけ明るくなる。
「ただし、細い」
「何が?」
「銀線も固定具もだ。王都の机の上なら、これでいい。坑道では振動と粉塵で長く持たん」
フィンの顔が引き締まる。
「修理用の材料が限られてた」
「だから直せないとは言っていない」
ジークは外した固定具を指で弾いた。
「次は形を変えろ。線を太くするだけでは曲がりにくくなる。固定点を増やし、交換しやすい構造にしろ」
フィンが探針を見下ろす。
「……確かに。太くするより、短い線を分けてつないだ方が現場で替えやすい」
「そうだ」
短い肯定だった。
褒めているのか、叱っているのか分かりにくい。
だが、少なくとも話をする余地はある。
少しだけ、ガルドに似ていると思った。
口数は少なく、簡単には認めない。
その代わり、道具を見る目は正確だ。
◇
探針を元の形へ戻した後、ジークはフィンに言った。
「再組立ては悪くない。検査記録も、組合のものより細かい」
「それ、褒めてる?」
「評価だ」
「同じじゃないのか?」
「違う」
フィンが俺を見る。
「この人、やっぱり厳しいな」
「相性が良さそうだ」
「どこが?」
「説明より先に問題点を出すところ」
「お前同士で会話してくれ」
ミーナが小さく咳払いした。
ここまで来た目的は、探針の評価だけではない。
彼女が俺へ目配せする。
俺は持ってきた設計板を検査台の端へ置いた。
「もう一つ、見てもらいたいものがある」
ジークはすぐには手に取らなかった。
「何だ」
「低魔力者と非連結者の入力を検出する補助装置だ。最初は発動させない。入力の監視と停止意思の検出だけを行う」
「探針とは関係ないな」
「直接はない。ただし、地脈から供給を受ける。反力と余剰出力を安全に逃がす台座が必要になる」
ジークの視線が、設計板へ移った。
「だから俺か」
「大型設備と反力処理について、俺たちには経験が足りない」
「正直だな」
「嘘をつけば、動かした時に壊れる」
ジークは設計板を手に取った。
外部演算核。
入力整形。
非連結入力の検出。
停止補助。
地脈からの供給制御。
細い線を目で追う。
その沈黙は長かった。
フィンが小声で言う。
「これ、怒ってる?」
「集中しているだけだと思う」
「怒ってる集中じゃねぇ?」
やがて、ジークは設計板を机へ戻した。
「無理だ」
低い声だった。
「まだ詳しい説明をしていない」
「線を見れば分かる」
ジークは設計板の中央を指で叩いた。
「演算核を支える台座が細すぎる。地脈入力の逃がし先が一系統しかない。石英核の品質を前提にしすぎている。銀線は高純度品が必要。黒鉛層は均一でなければ補正誤差が出る」
ジークの指が、設計板の中央にある空白部分で止まった。
「この『古代素子相当部』というのは何だ」
「封印書庫に残されていたアークの構造記録に記載されていた部品だ」
俺は設計板の注釈を指した。
「ただし、実物も詳細な製造法も残っていない。記録から判断できるのは、演算核から生じる複数の入力を分離し、位相を整えながら次の層へ渡していたらしい、ということだけだ」
「つまり、何で作られていたかも分からないのか」
「分からない。便宜上、古代素子と呼んでいるだけだ。現代の石英、銀線、黒鉛層を組み合わせて、同じ機能を分割して再現するつもりだった」
ジークは設計板を見下ろしたまま、低く息を吐いた。
「実物なし。材質不明。製法不明。それなのに、一つの部品で同じ機能を再現しようとしている」
指が、石英核と銀線の経路を順番に叩く。
「高純度の素材も足りない。予算もない。現地で交換できる構造にもなっていない。このままでは無理だ」
フィンが横で小さく呟いた。
「すげぇ。説明が早いけど心が折れる」
ミーナは平然としていた。
「言ったでしょ。ジークは現実的だって」
「現実的というより、会話の初期値が崖だな」
ジークは俺の言葉を無視した。
「一個だけなら作れるかもしれん」
「無理ではないのか」
「今の設計では無理だ。材料を選び、職人が付ききりなら、一個は動く」
「なら、まず試作を――」
「だが、運用できない」
ジークが遮った。
「壊れる。直せない。部品が揃わない。現場が扱えない。作った本人がいなければ止められない。そんなものは装置ではない。見世物だ」
「試作で動作原理を確認することには意味がある」
「ある。だが、試作で満足するなら、ここへ持ってくるな」
ジークの声は低いままだった。
「一個だけ動く装置は、職人の自慢だ。百個動き、百人が直せる装置は社会を変える」
その言葉で、俺は少しだけジークを見る目を変えた。
彼は反対しているのではない。
完成品の条件を、最初に突きつけている。
「あなたは、量産まで考えているのか」
「作るならな」
「まだ動くかも分からない」
「動いた後に考え始めれば遅い。交換できない部品を中心に置けば、後から構造を変えることになる」
フィンが目を輝かせた。
「いいこと言うな、この人」
「お前も考えろ」
「今考えてる」
「遅い」
「厳しいな!」
ジークはフィンの工具袋を一瞥した。
「王都式の細工は悪くない。だが、線が細い。辺境ではすぐ切れる」
「俺の工具に喧嘩売ってんのか」
「売ってない。評価だ」
「やっぱり同じだろ」
工廠の炉が低く唸った。
その赤い光を背に、ジークはもう一度設計板を手に取った。
無理だと言いながら、突き返すつもりはないらしい。
彼の視線は、今度は図面の欠点ではなく、どこまで削れば現実の材料で動かせるかを探していた。
「無理だと言った割に、まだ図面を見ているな」
俺が言うと、ジークは設計板から目を離さず答えた。
「まだ評価の途中だ」
どうやら、最初の試験には通ったらしい。
ただし、次に試されるのは探針の修理技術ではない。
俺たちが、理想のために何を捨てられるかだった。




