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魔力最下位の理系転生者は、魔法を誰でも使える技術に変えたい ~詠唱はコード、魔法陣は回路。才能がないなら、法則を探せ~  作者: Ita
第8章 知識は檻を越える

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第47話 非連結者狩り


 水路橋の騒ぎから、半日も経たないうちに王都に貼り紙が出た。


 聖教会王都支部および王国監査部連名。


 文面は、いつものように整っていた。


 王国指定保護対象の所在確認に関する協力要請。

 非連結者および非連結疑いの者の申告義務。

 未登録術式の通報義務。

 外部媒体を用いた無許可発動補助手順の所持禁止。

 疑似スキル互換層、外部演算、Ω、大域同期に関する口頭伝達および写本の禁止。

 違反者は保護観察、または異端審査の対象とする。


 天城ユウマの名は、そこにはなかった。


 だが、誰のことを指しているのかは明らかだった。


 保護。

 観察。

 協力。

 確認。


 柔らかい言葉が並んでいる。

 けれど、それを読んだ者たちの顔は柔らかくならなかった。


 王都の市場で。

 工房通りで。

 学院前の広場で。

 聖教会王都支部へ続く北区の大通りで。


 同じ貼り紙が、雨上がりの風に揺れている。


 人々は立ち止まり、読み、周囲を見て、すぐ目を逸らした。


 誰が非連結者なのか。

 誰が低魔力なのか。

 誰が退避札を持っているのか。

 誰が天城ユウマの実験を見たのか。

 誰が「戻れ」という停止語を知っているのか。


 疑いは、火より早く広がる。


 王都は、まだ昨夜の雨に濡れていた。

 だが、空気だけは乾いていた。

 息をすれば、喉の奥が引っかかるような乾きだった。


     ◇


 学院では、午前の授業が半分ほど空席になった。


 低魔力学生たちが、親に呼び戻されたのだ。


 理由はそれぞれ違う。

 体調不良。

 家業の都合。

 一時帰省。

 親族の看病。


 だが、皆分かっていた。


 非連結者申告令のせいだ。


 学院は表向き平静を保っていた。

 掲示板には通常授業の予定が貼られ、講堂ではいつも通り鐘が鳴る。

 だが、廊下の声は小さくなり、実技場で灯される火は明らかに減っていた。


 マレク=オルトは、教室の隅に座っていた。


 手元には、以前ユウマから渡された停止語の練習紙がある。

 そこには、何度も同じ言葉が書かれていた。


 戻れ。

 戻れ。

 戻れ。


 火を止めるための言葉。

 自分が初めて火を消せた言葉。


 けれど、その紙を持っているだけで、今は危険かもしれない。


 マレクは紙を折ろうとして、やめた。

 捨てようとして、できなかった。

 机の下で握りしめたまま、ただ俯いている。


 扉が開いた。


 入ってきたのは、学院監査官と、白衣の聖務官だった。


 教室の空気が、音を立てずに固まる。


「マレク=オルト」


 名前を呼ばれた瞬間、マレクの肩が跳ねた。


「はい……」


「あなたは低魔力適性者として登録されている。初等火花SEL再現試験に参加した記録がある。事情確認を行う」


 白衣の聖務官の声は淡々としていた。


 事情確認。


 また柔らかい言葉だ。


 マレクは立ち上がろうとして、足をもつれさせた。

 椅子の脚が床を擦り、教室中に乾いた音が響く。


 その時、教室の後方から声がした。


「その確認には、担当教員の立ち会いが必要です」


 ミリーナ=セイルズだった。


 淡い灰色の髪を揺らし、古写本を抱えたまま、いつもの授業口調で歩いてくる。


「マレク君は、魔法史基礎の補習対象者です。今は私の授業時間です」


「聖教会の確認が優先される」


「学生保護規定では、未成年学生への個別聴取には学院教員の同席が必要です。確認が保護目的であるなら、なおさらですね」


 白衣の聖務官が眉をひそめる。


「あなたは、聖教会の手続きに異議を唱えるのか」


「いいえ。手続きを正確にしています」


 その言い方は、どこかユウマに似ていた。


 教室の隅で、何人かの学生が顔を上げる。


 ミリーナはマレクの机へ近づき、彼の手元にある紙を見た。

 そこに書かれた「戻れ」の文字。


 彼女はその紙を取り上げなかった。

 破りもしなかった。

 隠すように奪うこともしなかった。


 ただ、授業資料の間に挟んだ。


「これは、火災防止に関する安全語の練習ですね」


 マレクが目を見開く。


「先生……」


「火をつける練習ではなく、火を止める練習です。魔法史上、安全語の教育は古くからあります。授業記録として保管します」


 白衣の聖務官はしばらく黙っていた。


 だが、教室中の目がある前で、それを異端資料として奪うことはできなかった。

 安全語を禁じるということは、火災防止教育を禁じると言うに等しい。


「後ほど確認する」


「ええ。正式な照会書をお持ちください」


 ミリーナは穏やかに頷いた。


 聖務官たちは去っていった。


 扉が閉まると、マレクは椅子に崩れ落ちた。


「先生……僕、もう火を灯したらだめなんですか」


 ミリーナは、少しだけ考えてから答えた。


「今は、灯さない方がいいでしょう」


 残酷な正直さだった。


 マレクの目に涙が浮かぶ。


「でも、止め方を忘れてはいけません」


「忘れたくないです」


「なら、覚えていなさい。声に出せない時は、心の中で。紙に書けない時は、手順として。人に見せられない時は、誰かを助ける時まで」


 マレクは小さく頷いた。


 ミリーナは授業資料を閉じる。


「知識は、持っているだけで罪になることがあります。けれど、忘れることで誰かを危険にする知識もあります。安全語は、後者です」


 その言葉に、教室の空気が少しだけ戻った。


 誰も大きな声は出さなかった。

 けれど、何人かの学生が、自分の手元の紙を捨てるのをやめた。


     ◇


 学院の別棟では、リオネル=グレイが王国監査官の聴取を受けていた。


「水路橋付近で、あなたは追跡風読みの報告を行った」


「はい」


「北門側を優先すべきだと判断した理由は」


「聖印信号が水路に沿って北へ流れていたためです」


 リオネルは淡々と答えた。


 嘘ではない。

 ユウマの拘束具は、実際に水路へ投げ込まれ、北へ流れていた。


「旧排水路への逃走可能性は考えなかったのか」


「雨で熱の残滓が散っていました。橋下は地脈ノイズも強い。あの状況で断定するのは危険です」


「結果として、対象は見失われた」


「結果から逆算すれば、そうでしょう」


 監査官の目が細くなる。


「あなたは、天城ユウマに協力したのか」


「私はグレイ家の者として、北区の警備判断に従事しました」


「問いに答えていない」


「答えています。現場で得られた信号に基づき、北門側の封鎖を優先した。それが私の判断です」


 リオネルは視線を逸らさなかった。


 貴族の立場は、盾にも鎖にもなる。

 今は盾として使う。

 必要なら、鎖になった時に引きちぎればいい。


「報告書を提出してください」


「すでに草稿はあります。ただし、風読みの誤差範囲を明記する必要があります。雑な記録は、後の検証を誤らせますので」


 それも、ユウマなら言いそうな言葉だった。


 監査官は不快そうに眉を動かしたが、それ以上は踏み込まなかった。


 リオネルは退室すると、廊下の窓から学院の中庭を見下ろした。


 雨は上がっている。

 だが、石畳にはまだ水が残っていた。


「急げと言ったが」


 彼は誰にも聞こえない声で呟いた。


「本当に急ぐべきなのは、ここに残った僕らの方かもしれないな」


     ◇


 王都の下町では、別の動きが始まっていた。


 カイ・トラヴァースは、平民街の裏路地を走っていた。

 昨夜、旧排水路の痕跡を消したばかりの足は重い。

 けれど、休んでいる時間はなかった。


 手には古い配達袋。

 中にはパンではなく、小さな布札が入っている。


 退避札ではない。

 正確には、退避札に見えない退避札。


 表には、パン屋や鍛冶屋や薬草店の印。

 裏には、点と線で描かれた簡単な道順。


 教会の聖印灯を避け、監査官の巡回路を横切らずに、旧排水路や市場裏へ抜けるための地図だ。


「カイ兄ちゃん」


 路地の奥で、少年が手を振る。


「母さんが、うちは関係ないって言えって」


「言っていい」


 カイは布札を渡す。


「でも、夜に黒衣が来たら、台所の裏口から出ろ。井戸の横を通って、染物屋の裏へ。そこから薬草店。薬草店のおばさんに、この印を見せる」


「僕、非連結じゃないよ」


「関係あるかどうかを決めるのは、今は向こうだ」


 少年は黙った。


 カイはしゃがみ、目線を合わせる。


「怖かったら逃げていい。逃げるのは悪いことじゃない。戻る場所を残すために逃げるんだ」


「天城の兄ちゃんも?」


「そうだ」


「じゃあ、戻ってくる?」


 カイは一瞬、言葉に詰まった。


 それから笑った。


「戻ってくるさ。ユウマなら、置きっぱなしの問題が多すぎるって言うだろうし」


「置きっぱなしの問題って?」


「俺たち」


 少年は少しだけ笑った。


 カイは立ち上がり、次の路地へ向かった。


 逃げ道は、一度使ったら終わりではない。

 覚えている人間がいれば、道は残る。

 消される前に、別の形に変えればいい。


     ◇


 同じ頃、王都新聞社の小さな編集室で、ナタリア・リースは貼り紙の写しを机に叩きつけていた。


「保護観察、ねぇ」


 彼女は鼻で笑う。


「この手の言葉が出てくる時は、たいてい保護される側の許可を取ってないのよ」


 隣の若い記者が困った顔をする。


「ナタリアさん、これ記事にするんですか? 教会案件ですよ」


「だから記事にするの」


「止められますよ」


「止められる前に、何を止められたのか記録するのが記者」


 ナタリアはペンを取る。


 彼女の弟、ノエル・リースは学院で魔導理論を学ぶ学生だ。

 ユウマと直接話したことはない。

 それでも、外部媒体、再現性、低魔力者の発動可能性――そうした言葉を、夕食の席で小声で話すようになっていた。


 昨夜、ノエルは泣きそうな顔で言った。


「姉さん、ぼくたちは、知っちゃいけなかったのかな」


 ナタリアは、その問いに腹を立てていた。


 知ってしまった子どもに罪を着せる大人ほど、信用できないものはない。


「見出しは?」


 若い記者が恐る恐る訊く。


 ナタリアは少し考え、紙に書いた。


《保護か、管理か――非連結者申告令の波紋》


「直接喧嘩を売りすぎでは」


「売ってないわ。値札を見せてるだけ」


「何の値札ですか」


「沈黙の」


 彼女はさらに書く。


 王都各区で出された申告令。

 学院低魔力学生への聞き取り。

 市井に広がる不安。

 聖教会の公式見解。

 王国監査部の沈黙。

 森の魔獣襲撃で死者が出なかった事実。

 そして、その時に使われたのが攻撃術式ではなく、退避と誘導と停止条件だったこと。


「大事なのは、まず事実を残すことよ」


 ナタリアは呟いた。


「誰が命じたのか。誰が呼び出されたのか。何が禁じられたのか。それを積み上げれば、隠したいものの形が見えてくる」


「載せられますかね」


「削られるわよ」


「じゃあ」


「削られた跡も、記録する」


 ナタリアはペンを止めなかった。


     ◇


 学院の旧東棟では、フィンが夜中に工具を整理していた。


 押収されそうなものは、もう隠した。

 危険なものは、分解した。

 使えるものは、部品に戻した。


 道具は、形を変えると生き延びる。


「黒鉛板、二十枚。銀線、細いの三束。石英片、小袋二つ。マナ結晶の欠片……これは危ないな。置いてく」


 独り言を言いながら、彼は箱に詰める。


 箱の蓋には、工房廃材と書いてある。

 中身は、未来の実験室の骨だ。


 扉が開いた。


 トマス・エールが立っていた。


 実技至上主義の上級生。

 以前なら、ユウマの理論を鼻で笑っていた男だ。


「何してんだ」


 フィンが身構える。


「見りゃ分かるだろ。片付けだよ」


「その箱、監査に出すのか」


「出すわけないだろ」


「なら、こっちへ寄こせ」


「は?」


 トマスは不機嫌そうに頭をかいた。


「俺の実技倉庫は、誰も理論資料があると思わねぇ。隠すならそこだ」


 フィンは目を丸くした。


「お前、手伝うのか」


「勘違いすんな。俺はあの理屈っぽい一年が嫌いだ」


「じゃあ」


「でも、森で助かった」


 トマスはそっぽを向いた。


「借りは返す。以上だ」


 フィンは少し笑った。


「不器用だな」


「うるせぇ。箱を寄こせ」


 その夜、旧東棟の廃材箱はいくつも姿を変えた。


 一部は実技倉庫へ。

 一部は治療棟へ。

 一部は平民街の工房へ。

 一部は、いつか辺境へ送るための荷に紛れた。


 すべてを守ることはできない。

 だが、全部を同じ場所に置かなければ、全部を一度に失うこともない。


 それもまた、同期を切るということだった。


     ◇


 裁きの塔では、クラリスが取り調べを受けていた。


 参考人聴取という名目は、すでに形だけになっている。

 扉の外には教会兵が立ち、彼女の私物はすべて取り上げられていた。


 窓のない部屋。

 机。

 椅子。

 聖印灯。


 マルティン審問官が向かいに座っている。


「天城ユウマの逃亡に、あなたは関与したか」


「私は、封印書庫閲覧の責任者として抗議文を提出しました」


「問いに答えよ」


「抗議文を提出しました」


「それが時間稼ぎであった可能性は」


「時間は、手続きに必要です」


「あなたは、いつもそうだ」


 マルティンは記録板を閉じた。


「十二年前も、今も。手続き、記録、検証。美しい言葉で、神の境界を削る」


 クラリスは静かに答えた。


「境界を削っているのではありません。境界がどこにあるのかを測っています」


「測れぬものを測ろうとするから、異端が生まれる」


「測れぬと決めるのは、誰ですか」


「教会だ」


「ならば、結論は最初から決まっていますね」


 マルティンの目が細くなる。


「あなたは、後悔していないのか」


 クラリスは少し沈黙した。


 十二年前の友人の顔が浮かぶ。

 火を灯して笑った顔。

 止まらなくなった時の恐怖。

 割れた媒体。

 白い治療室。

 封印報告書に署名した自分の手。


「後悔しています」


 彼女は言った。


「だから、同じ後悔を繰り返さないようにしています」


「天城ユウマは逃げた」


「逃亡を正当化するつもりはありません」


 クラリスはまっすぐにマルティンを見て、静かに答えた。


「ですが、彼が生きていなければ、彼の研究が何だったのかも、教会が何を恐れたのかも検証できません」


「彼を庇うのか」


「いいえ。検証不能にすることを拒んでいるだけです」


 マルティンはしばらく黙っていた。


 聖印灯の白い光が、机の上で揺れる。


「あなたは、自分がどちら側にいるか分かっているのか」


「はい」


「なら言ってみろ」


 クラリスは穏やかに答えた。


「知識を未来へ逃がす側です」


     ◇


 王都の夜、貼り紙の一枚が剥がされた。


 誰が剥がしたのかは分からない。

 代わりに、小さな紙が貼られていた。


《火は、止め方を知っていれば怖くない》


 翌朝には、すぐ剥がされた。


 けれど、その言葉を見た者がいた。

 覚えた者がいた。

 口に出さず、心の中で繰り返した者がいた。


 非連結者狩りは始まった。


 だが同時に、別のものも始まっていた。


 名前のない抵抗。

 紙に残らない手順。

 小さな退避路。

 忘れないための停止語。

 散らされた部品。

 削られても残る記事。

 正確さを盾にする教師。

 曖昧さを武器にする貴族。


 ユウマは王都にいない。

 それでも、彼が置いた問いは消えていない。


 知識は、封印札で消えない。


 そして、人は一度見た火を、完全には忘れられない。


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