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魔力最下位の理系転生者は、魔法を誰でも使える技術に変えたい ~詠唱はコード、魔法陣は回路。才能がないなら、法則を探せ~  作者: Ita
第7章 封印書庫に眠る、もう一つの答え

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第32話 クラリス先生の秘密


 封印書庫へ行きましょう。


 自分でそう言った時、俺はそれが「次に調べる場所」の名前だと思っていた。


 だが、学院という組織において、場所の名前はただの場所を意味しない。

 そこには権限があり、規定があり、責任者がいて、閲覧記録が残り、誰が何を見ようとしたかまで政治的な意味を持つ。


 第六実験室での報告は、あくまで現場報告だった。


 魔獣襲撃時の時系列。

 負傷者の有無。

 使用した補助手順。

 リナによる治療記録。

 カイの退避誘導。

 リオネルとエリシアの戦闘判断。

 フィンの反力アンカーと、俺の即応手順。


 要するに、あれは「何が起きたか」を整理するための報告だった。


 だが、封印書庫の名前を口にした瞬間から、話は別の段階へ移った。


 問題は、森で何が起きたかではない。

 なぜ、学院の管理林に、登録されていないR-IDを持つ異常個体が現れたのか。

 そして、そのR-IDが現行の学院式、王国軍式、工房ギルド式、教会式聖印のどれにも一致しないなら――どの資料群に照合すべきなのか。


 クラリス先生は、あの場で即答しなかった。


 ただ、角片を封印箱へ戻し、透写羽ペンで短い申請文を書いた。


【管理林襲撃事件における異常個体角片の未登録R-ID照合のため、封印資料第三分類の限定閲覧を申請する】


 その一文が、俺たちを次の部屋へ連れていった。


     ◇


 翌朝。


 報告室ではなく、学院長室の隣にある審議室へ呼び出された時点で、俺は話の性質が変わったことを理解した。


 現場報告なら、クラリス先生と担当教員、必要なら学院長への提出で済む。

 だが、封印資料閲覧は違う。


 閲覧申請は規定上、学院長の承認が必要になる。

 さらに、封印資料の一部は王国と教会の共同管理対象だ。

 つまり、申請書を出した瞬間、副学長――特に教会寄りのザレスの目にも入る。


 分かりやすく言えば、昨日までは「森で危ないことが起きました」という報告だった。

 今日は「危ない知識が眠っている扉を開けていいですか」という審議である。


 同じ報告の続きに見えて、実際には全く違う。


 前者は事故処理。

 後者は禁忌への接近だ。


 そして俺――天城ユウマは、めでたく監視等級を一段階引き上げられた。


 めでたくはない。


 学生証の赤い表示は、以前よりも少しだけ濃くなっていた。


《監視付き理論特待生》

《研究活動:制限中》

《未登録術式調査対象》

《封印資料閲覧:要学院長承認》


 便利だ。

 本人が何か説明する前に、周囲へ「こいつは面倒です」と通知してくれる。

 前世でいうなら、白衣の背中に“取扱注意”と印刷されているようなものだ。


「ユウマ、お前、その札さらに禍々しくなってない?」


 隣を歩くフィンが、俺の学生証を覗き込みながら言った。


「禍々しさは主観だ。表示色が濃くなったのは事実だけど」


「それを禍々しいって言うんだよ」


「学院のUI設計に文句を言ってくれ」


「ゆーあい?」


「人間に不安を与える表示設計のことだ」


「たぶん違う気がする」


 フィンは苦笑しながら、工具袋の紐を締め直した。

 森の実習以来、彼の工具袋にも追加の封印札が貼られている。

 持ち込み媒体の検査対象、というやつだ。


 フィンはそれを見て、「俺の工具まで出世した」と笑った。

 笑っていたが、手は少しだけ硬かった。


 笑える状況ではない。

 けれど、笑わないとやっていられない状況でもある。


     ◇


 審議室に入ると、すでに面子は揃っていた。


 長机の奥に、ゼノス=グランヴェル学院長。

 黒衣をまとったザレス副学長。

 数名の監査官。

 そして、端にクラリス=エルダーレン先生。


 クラリス先生はいつものように穏やかな顔をしていた。

 だが、机の上に置かれた透写羽ペンは動いていない。

 記録していない、というより、記録する前の沈黙を選んでいるように見えた。


 その横には、エリシア=ヴァーミリオン。

 背筋をまっすぐ伸ばし、紅のリボンを胸元で静かに結んでいる。

 リオネル=グレイもいた。

 腕を組み、窓際に立っている。顔つきは不機嫌だが、以前のような一方的な敵意ではない。


 リナとカイも呼ばれていた。

 森で同じ班だった全員だ。

 証人というより、当事者として集められたのだろう。


 机の中央には、二つのものが置かれていた。


 一つは、黒い封印箱。

 中には、異常個体の角片が入っている。


 もう一つは、クラリス先生が提出した閲覧申請書。

 そこには、俺が昨夜口にした「封印書庫」という言葉が、学院の正式文書として記されていた。


 ゼノス学院長は、俺たちを一人ずつ見てから口を開いた。


「本日の議題は三つです。第一に、管理林襲撃事件の追加調査。第二に、異常個体の角片から検出された未登録R-IDの解析。第三に、クラリス先生より申請のあった封印資料閲覧の是非」


 最後の言葉で、部屋の空気が少し変わった。


 封印資料。


 昨日、俺が「封印書庫へ行きましょう」と言った時には、まだ調査先の候補にすぎなかった。

 だが、申請書に記された瞬間、それは学院制度の中に実体を持った。


 学院では、あまり口にしない言葉らしい。

 学生の間では噂として聞いたことがある。

 地下にある禁書庫。

 教会と王国が共同で封じた古代写本。

 触れた者は異端審査にかけられる。

 夜になると本が勝手に呻く。


 最後のはたぶん盛られている。

 だが、前二つは否定できない。


 ザレス副学長が、申請書の端へ指を置いた。


「学院長。封印資料閲覧など論外です。そもそも、この申請は早計に過ぎます。異常個体の角片に未登録R-IDが残っていたからといって、それが古代資料と関係するとは限らない」


「通常登録簿に該当なし。王国軍術式録にも該当なし。工房ギルドの公開R-IDにも該当なし。教会式聖印にも一致しません」


 クラリス先生が静かに言った。


「それを確認するために、私が照合しました」


「クラリス先生。あなたの解析は認めます。しかし、だからといって封印書庫を開く理由にはならない」


「では、副学長はどの資料群で照合を続けるおつもりですか?」


「通常手続きに従い、教会へ照会を――」


「教会へ照会すれば、角片そのものの提出を求められます」


 クラリス先生の声は柔らかかった。

 柔らかいのに、逃げ道を塞ぐような声だった。


「そして提出した瞬間、学院の解析権限は失われます。王国学院として、それを許容しますか?」


 ザレスの眉が動いた。


「教会を疑うのですか」


「いいえ。制度の話をしています」


 クラリス先生は、そこで初めて透写羽ペンに触れた。


「知識には、管理者がいます。学院、王国、教会、ギルド。どの組織も、自分が管理する知識を手放したがりません。だからこそ、学院の内部で確認できる資料を先に確認すべきです」


「封印書庫の資料は危険です」


「危険だから封じたのか。封じたから危険になったのか。それも、確認しなければ分かりません」


 沈黙。


 俺は思わずクラリス先生を見た。

 いつもの穏やかな先生ではない。

 いや、穏やかさは変わらない。

 ただ、その奥にあるものが見えた。


 胆力。

 そして、後悔。


「先生」


 俺は小さく声をかけた。


「封印書庫に、入ったことがあるんですか」


 クラリス先生の指が、透写羽ペンの上で止まった。


 ほんの一瞬。

 だが、その沈黙だけで答えは十分だった。


「……ええ」


 先生は静かに言った。


「学生だった頃に、一度だけ」


 ザレス副学長の目が細くなる。

 リオネルがわずかに眉を動かし、エリシアも先生を見る。


「その時、私は知りました。知識は、人を救うこともあります。けれど、準備のない者に渡れば、人を壊すこともある」


「事故が、あったんですか」


 フィンが思わず訊いた。


 クラリス先生は答えなかった。

 ただ、封印申請書の端を指先でなぞった。


「だから私は、一度、知識を閉じる側に回りました」


 その声は、いつもの柔らかさを保っていた。

 けれど、柔らかいものほど深く刺さることがある。


「今でも、それが完全に間違いだったとは言い切れません。けれど、閉じた知識は、別の場所で腐ります」


 部屋の空気が、さらに重くなった。


「今回の角片が、その腐った匂いでないことを、私は確かめたいのです」


 ゼノス学院長が小さく息を吐く。


「天城君」


「はい」


「君は、封印資料を閲覧する危険性を理解していますか」


「資料の内容によります」


 ザレスが鼻で笑った。


「また言葉遊びを」


「いいえ。危険には種類があります。術式として危険なのか、思想として危険なのか、政治的に危険なのか、あるいは読者の理解不足によって危険になるのか。分類しないと対策が作れません」


 リオネルが小さく呟いた。


「本当に、こういう場でも変わらないな」


「再現性のある性格だからな」


「褒めていない」


「半分くらいは?」


「一割だ」


「厳しい」


 フィンが肩を震わせた。

 ザレスの視線が刺さったので、すぐに真顔に戻った。

 戻ったが、遅い。


 ゼノス学院長は、俺たちの軽いやり取りを見てから、机上の封印箱へ目を向けた。


 箱の中には、森で制圧した異常個体の角片が入っている。

 黒く、硬く、ねじれた角。

 表面には細いルーン状の傷があり、その奥に、現行術式とは違う位相署名が残っている。


 クラリス先生の測定では、R-IDは安定していない。

 むしろ、複数の署名が無理やり重ねられたような痕跡があるという。


 自然発生の魔獣ではない。

 少なくとも、完全な自然ではない。


「条件を付けます」


 ゼノス学院長が言った。


「封印資料の閲覧を許可します。ただし、対象はクラリス先生の監督下に置かれる者のみ。資料の持ち出し不可。写本不可。複製不可。高出力術式の実演不可。閲覧中は封印監視結界を起動します」


 ザレスが立ち上がりかけた。


「学院長!」


「副学長。これは許可ではなく、管理です」


 ゼノスの声が、少し低くなった。


「我々は、森で起きたことを理解しなければならない。理解しないまま禁止すれば、次も同じことが起きます。その時、死者なしで済む保証はありません」


 ザレスは唇を引き結んだ。

 聖印指輪が、彼の指で鈍く光る。


「……記録は、教会監査の対象となります」


「承知しています」


 ゼノスは俺を見た。


「天城君。君の発言と行動は、今後さらに厳しく見られるでしょう。それでも行きますか」


「はい」


「理由は?」


「測れない危険を、放置したくないからです」


 答えると、エリシアがほんの少しだけこちらを見た。

 リオネルは無言。

 フィンは小さく親指を立てた。

 リナは緊張した顔で頷き、カイは「まあ、そう言うよな」という顔をしている。


 クラリス先生は、初めて少しだけ微笑んだ。


     ◇


 審議はそれで終わらなかった。


 許可が出たからといって、すぐに地下へ降りられるわけではない。

 封印資料閲覧には、閲覧者名簿、目的欄、監督者署名、封印鍵の貸与記録、退出時の身体検査、発話記録の扱い、そして閲覧後の沈黙義務まで、細かい規定が山ほどある。


 ザレス副学長は、その一つひとつに異議を挟んだ。


「同行者は最小限にすべきです」


「森で角片を直接観測した者を外せば、照合精度が落ちます」


「非連結者を封印資料に近づける必要はありません」


「角片の未登録R-IDを最初に異常と認識したのは天城さんです」


「工房生の工具袋は持ち込み不可です」


「分解、記録、複製に使える工具は置いていきます。封印札付きの保守用具のみ許可してください」


 クラリス先生は、静かに、だが一歩も引かずに応じた。


 穏やかな口調のまま、必要な条件を通していく。

 強引ではない。

 だが、退かない。

 まるで柔らかい布で刃を包み、そのまま押し返しているみたいだった。


 俺はその横顔を見ながら、ようやく少しだけ分かった気がした。


 この人は、ただ封印書庫を知っているだけではない。

 封印される側と、封印する側の両方を知っている。


 だからこそ、制度の言葉で戦える。


 やがて、すべての署名が終わった。


 ゼノス学院長が最後の印璽を押す。

 羊皮紙に青白い光が走り、閲覧許可証が発行された。


 その瞬間、クラリス先生の透写羽ペンが、ようやく動き出した。


【限定閲覧許可、成立】

【閲覧目的:異常R-ID照合】

【監督者:クラリス=エルダーレン】

【同行者:天城ユウマ、エリシア=ヴァーミリオン、リオネル=グレイ、フィン=クロード、リナ=フェルミナ、カイ=トラヴァース】

【制限:写本不可、複製不可、資料持出不可、高出力術式不可】


 羽ペンが止まる。


 クラリス先生は許可証を受け取り、俺たちを見た。


「準備をしてください。封印書庫へ向かいます」


 その声は静かだった。

 だが、さっきまでの審議室の重さとは違う響きがあった。


 扉を開ける許可は出た。


 問題は、その先に何が眠っているかだった。


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