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魔力最下位の理系転生者は、魔法を誰でも使える技術に変えたい ~詠唱はコード、魔法陣は回路。才能がないなら、法則を探せ~  作者: Ita
第12章 世界をつなぐ、開いた輪

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第105話 神をほどく


【緊急書き込み窓の閉鎖まで:一分三十秒】


 オルフェウスの三重冠から、三本の光が落ちた。


 金。


 白。


 黒。


 金の光は、世界の登録層を支配する。


 人や装置を識別するための情報から、名前、所属、資格だけを選んで奪い、根の認めた分類へ入れ直す力だ。


 白の光は、基準を書き換える。


 熱いものを冷たいとし、苦痛を正常とし、拒絶を同意として扱う。現実を変えるのではなく、何を正しい状態と呼ぶかを塗り替える。


 黒の光は、金と白が決めた内容を、世界中の枝へ強制的に実行させる。


 三本が重なる中心に捕まれば、非連結者である俺も無事ではいられない。


 根へ登録されていないから消せなかった存在を、今度は【分類不能の欠損】として消去するつもりだ。


「左右へ!」


 俺とエリシアは、銀の道を別方向へ蹴った。


 直後、金の光が二人の間へ落ちる。


 轟音はなかった。


 代わりに、銀の道の一部が音もなく消えた。


 靴底の下から、自分の名前が抜け落ちていく感覚がした。


 ユウマ。


 天城。


 前の世界から持ってきて、この世界でも呼ばれ続けた名前。


 学院でフィンに怒鳴られた。


 辺境でガルドに坊主と呼ばれた。


 クラリス先生は天城君と呼んだ。


 エリシアは、何度もユウマと呼んでくれた。


 それらすべてが、【登録なし】という一つの分類へ押し込まれようとする。


 喉が塞がる。


 自分が誰だったのかを思い出そうとしても、記憶の中から名前だけが削られていく。


「俺は、ここにいる!」


 声を絞り出す。


 自分の名前を証明するために、王家の印も、教会の承認も必要ない。


 俺が名乗ったという現在の記録。


 それを誰かが聞いたという別の記録。


 その二つが残ればいい。


 七秒遅れて、Λフレームの遅延環に保持されていた俺の位置記録が、銀の影となって現れた。


 七秒前の俺が、今の俺とは少しずれた場所に立っている。


 物理世界で外部待機しているアークが、その記録を読み上げた。


『ユウマは、七秒前にも同じ位置で、自身の存在を確認しています』


「ユウマ、こっちよ!」


 エリシアの声が、金の光を切り裂いた。


 俺自身の申告。


 Λフレームに残された過去の位置記録。


 そして、俺以外の人間であるエリシアの観測。


 三つの記録が一致する。


 金の光に削られていた輪郭が、足先から戻った。


 息を吸う。


 次に来たのは、白の光だった。


「伏せて!」


 エリシアが俺の前へ入り、炎の盾を広げる。


 白光が炎へ触れた。


 炎全体が、一瞬で同じ温度へ揃えられていく。


 高温部から低温部へ熱が移る、自然な均衡ではない。


 白の基準から外れた場所を、最初から存在しなかったことにする強制補正だ。


 炎の揺らぎが消える。


 平らな白い板へ変わった盾に、細い亀裂が走った。


「盾を保とうとしなくていい!」


 俺は叫んだ。


「でも、外せばあなたに当たるわ!」


「外さなくていい。形を保つのをやめるんだ! 熱くして、冷まして、盾の中に差を作って!」


 エリシアは奥歯を噛み締めた。


 均一になりかけた盾が、大きく脈打つ。


 右上の炎が赤くなる。


 左下が暗くなる。


 次の瞬間には、右上を冷まし、左下を熱くする。


 場所ごとに温度を変える。


 変える時刻まで揃えない。


 一つの正しい盾へ戻そうとする白光は、どの状態を基準に補正すればよいのか決められなくなった。


 白光が炎の表面で枝分かれする。


「開いたわ!」


 盾の中央へ、一瞬だけ暗い穴が生まれた。


 俺とエリシアは同時にそこを駆け抜ける。


 背中を白光が掠めた。


 皮膚ではなく、自分の考え方を薄く削られたような寒気が走る。


 振り返る暇はない。


 最後の黒い光が、海面を這って追ってきた。


『全枝へ命令』


 オルフェウスの声が、世界中の扉から響く。


『外部観測体を拘束しなさい』


 白い海の下で、無数の扉が一斉に開いた。


 王国の登録鎖。


 教会の祈りの帯。


 帝国の同期杭。


 生活炉の導線。


 治癒具の補助腕。


 本来は人を助けるために作られた魔法網が、オルフェウスの手足として伸びてくる。


 鎖が銀の道へ突き刺さった。


 蔓が足首を狙う。


 何百本もの白い腕が、Ωの書き込み口を覆い隠そうと迫る。


【残り一分二十一秒】


「アーク、書き込みまでの手順を!」


『Ωの緊急書き込み窓には、三つの保護段階があります』


 Λフレーム側から、アークの声が届く。


『第一段階。現在の完全同期に蓄積された過渡負荷を、安全な場所へ逃がす』


『第二段階。重ねられた登録、基準、同期の三機能を、本来の役割ごとにほどく』


『第三段階。各機能と権力者を結んでいる専有署名だけを切り離す』


「途中で順番を変えたら?」


『過渡負荷を逃がす前に機能をほどけば、世界中で余剰出力が噴出します。機能をほどく前に専有署名を切れば、生活設備まで命令経路ごと停止します』


 順番は変えられない。


 世界規模になっても、基本は同じだった。


 逃がす。


 ほどく。


 切る。


 俺たちが何度も試し、何度も失敗し、そのたびに直してきた停止手順だ。


     ◇


 第一動作――逃がす。


 俺はΩの切れ目へ両腕を差し込んだ。


 触れた瞬間、全身が内側から押し潰された。


 世界中のエネルギーが、本当に俺一人の身体へ流れ込んだわけではない。


 Ωが、各地へ蓄積された圧力を、操作者にも分かる感覚へ変換して返しているのだ。


 それでも、受け取る情報量は人間の限界を超えていた。


 何億もの人と装置が、一つの瞬間へ押し込められた圧力。


 違う速さで動こうとする炉や橋や治癒具を、無理やり同じ拍へ留めている力。


 視界が白く弾ける。


 耳の奥で、世界中の鐘が同時に鳴った。


『各地点が事前に受け入れを表明した負荷先を確認』


 アークが読み上げる。


『グレインベル黒鉛槽。王都旧導線。帝国無人演習場。南部貯水層。聖都外環水路。その他、小規模蓄積槽および無人帰還路』


『総数、一万二千四百六十一地点』


「全体へ均等に流さない」


 均等にすれば、遠い場所にも同じ時刻、同じ量を押しつけることになる。


 それではオルフェウスの完全同期と変わらない。


「受け入れを返した地点だけを使う。近い出口から提案を送り、上限は各地点が申告した容量の八割。現地から停止が来たら、すぐ次へ回して!」


『地点ごとに、流入開始時刻と終了時刻に差が生じます』


「差を残す。全員を同じ速さにしない!」


『実行します』


 銀の式が、枝分かれしながら地平線へ走る。


 最初に光ったのは、グレインベルの黒鉛槽だった。


 工房の床が大きく持ち上がる。


 吊り下げられた工具が一斉に跳ね、金属片が壁へ叩きつけられた。


 フィンとノエルは、流入弁の取っ手へ両腕でぶら下がっている。


『蓄積率、七十九!』


 ノエルが叫ぶ。


 次の瞬間、表示が跳ねた。


『八十一!』


「八十で切れ!」


 フィンの怒声が工房に響く。


 ジークが非常爪へ槌を振り下ろした。


 火花が爆ぜる。


 黒鉛槽へ続く弁が物理的に閉じ、グレインベルへの流入が止まった。


 目標を一だけ越えたが、槽そのものの限界までは十九残っている。安全余裕は失われていない。


 行き場を変えた余剰光が、次の空き導線へ曲がる。


 王都地下。


 使われなくなった旧導線が、銀の奔流に照らされる。導線の敷かれた保守路は、石壁が透けて見えるほど明るくなった。


 地上では、王都西橋が一度だけ大きく跳ねる。


 橋板が軋む。


 荷車の車輪が浮く。


 だが、カイたちが事前に張っていた物理索が欄干を引き戻し、二度目の共鳴を防いだ。


 帝国東部の無人演習場へ、白い光柱が落ちる。


 地面が融ける。


 砂が赤く焼け、硝子へ変わった。


 流入を検出したテオたちは、防寒炉側の分岐線を自分たちで閉じる。


「二番線、遮断!」


「防寒炉、逆流なし!」


 兵士たちが切離し爪を握り、光が野営地へ戻らないよう導線を一つずつ外していく。


 南部農区では、貯水層の表面が激しく泡立った。


 水温が一気に上がる。


 中央命令を待たず、農民たちが古い放水門を開いた。


 熱を含んだ水が空の用水路へ逃げ、白い蒸気が夜空へ噴き上がる。


 世界の暗闇に、場所ごとに色の異なる光柱が立った。


 同じ太さではない。


 同じ時刻にも消えない。


 容量へ近づいた場所から流入を止め、まだ受け入れられる場所へ次の提案を送る。


 逃がし先を俺一人が決めているのではない。


 各地が、今の温度、設備の状態、人が退避できているかを見て、受け取れる量を返している。


『過渡負荷処理率、六十二パーセント』


 背後から黒い鎖が飛んできた。


 一本が肩へ巻きつく。


 次の一本が腰を締め上げる。


 オルフェウスが腕を引いた。


 身体がΩから引き剥がされる。


 指先が切れ目から抜けかけた。


『そなたの遅い手順によって、既に四百三件の設備損傷が発生しています』


 黒い鎖がさらに食い込む。


『我であれば、損傷を零にできました』


「あなたの零は、傷を記録から消した数字だ!」


 エリシアの炎が、鎖の一節へ突き刺さった。


 黒い表面が赤熱する。


 一本が弾ける。


 だが、切れた鎖から噴き出した黒光が彼女の腕へ絡み、皮膚の下へ痣のような紋様を残した。


 エリシアは痛みに顔を歪めながら、二本目へ杖を振り下ろす。


「こちらの損傷は、全部残すわ!」


 蒼炎が爆ぜた。


「壊れた場所も、壊した理由も、直す責任も! 零だったことになんてしない!」


 二本目の鎖が切れる。


 俺はΩの縁を掴み直した。


「損傷地点を記録! 人命に危険がある場所は流入先から外してくれ!」


『記録を継続します』


 アークの表示が走る。


 破断した安全爪。


 焼損した導線。


 亀裂の入った黒鉛板。


 状態不明の設備もある。


 現時点で、直接の死亡は確認されていない。


 だから安全だったとは書かない。


 確認できた範囲と、まだ確認できない範囲を分けて残す。


『過渡負荷処理率、八十八パーセント』


 白い海全体が激しく揺れた。


『九十三パーセント』


 残った七パーセントは、各地の通常安全槽とΛフレームの遅延環で吸収できる範囲へ入った。


『安全域へ到達しました』


「第一動作、完了!」


 Ωの第一保護層が開いた。


【残り五十八秒】


     ◇


 第二動作――ほどく。


 金、白、黒の三権限は、今や一本の太い縄のように絡み合っている。


 力任せに引き千切れば、王家の専有だけでなく、個人の名前まで失われる。


 教会の教義だけでなく、治癒具が参照する致死限界まで消える。


 帝国の再武装命令だけでなく、災害警報を遠くへ送る経路まで止まる。


 必要な機能と、それを独占する命令を分けなければならない。


 俺はΛフレームへ残る紫の線を呼んだ。


「クラリス先生、比較鍵を借ります!」


『用途を答えてください』


「三権限の境界照合です。違いを見るためだけに使います。書き込み権限の取得には使いません」


『終了条件は?』


「鍵が発熱した時。先生が返却を求めた時。それから二十秒が経過した時。このどれかで外します!」


『承認します』


 物理世界のΛフレームから、細い紫光が神域へ届いた。


 クラリス先生の比較鍵が、三色の縄へ触れる。


 重なって一本に見えていた光の中へ、細い境界が浮かび上がった。


 王国の登録層は、人の所属と、装置を扱うための能力情報を同じ欄へ書いている。


 だから、王家に認められていない者は、必要な技術を持っていても装置を使えない。


 教会の基準層は、致死温度の超過と、教義への不服従を、同じ【不適合】として返している。


 だから、危険だから止められたのか、祈らなかったから拒否されたのか、使用者には分からない。


 帝国の同期層は、避難を促す警報と、兵士を動かす再武装命令を、同じ強制力で送っている。


 受け取るべき情報と、拒否できない命令が区別されていない。


「分ける!」


 俺は紫光が示した境界へ、銀の式を差し込んだ。


 人の名前と所属から、装置に必要な能力情報をほどく。


 物理的な安全基準から、教義による適否判定をほどく。


 情報の配信から、命令の強制実行をほどく。


 一本だった縄が、少しずつ三つの機能へ戻っていく。


 ほどくたび、オルフェウスの巨大な身体から光が剥がれ落ちた。


 三重冠の一段目へ亀裂が走る。


『我がいなくなれば、誰が正しさを保証するのです!』


「一人の権威には保証させない!」


 俺は銀の式をさらに奥へ差し込む。


「測定する。別の場所でも試す。同じ条件で同じ結果になるかを確かめる。違ったなら、違った記録を消さずに、もう一度直す!」


『信仰まで実験台へ載せるのですか』


「何を信じるかは測らない!」


 白い縄が裂ける。


「でも、信仰の名で放った火が誰かを焼いたなら、その温度も、傷も、止められたかどうかも測る!」


 三重冠の二段目が砕けた。


 白い海の中へ、無数の祈りが戻ってくる。


 全員が同じ聖句を唱えているのではない。


 教会の言葉で祈る者。


 家族の名前だけを呼ぶ者。


 何も言わず、傷ついた人の手を握る者。


 教皇の基準から離れても、祈りそのものは消えなかった。


 最後に、黒い縄をほどく。


 三重冠の三段目が軋んだ。


 その内側から、別の記録が漏れ出した。


 オルフェウスが教皇になるより前の記憶。


 三権限を分ける作業によって、現在の専有署名に覆い隠されていた人間の記録が露出したのだ。


 神域では、記憶は一秒ずつ再生されない。


 一つの記録が流れ込んだ瞬間、見る者の意識の中で、長い光景として展開される。


 現実の時間では、ほんの一瞬だった。


 記録の中に、若い日のオルフェウスがいた。


 三重冠を持たず、泥のついた白衣で戦場の礼拝所を走っている。


 王国兵と帝国兵が、同じ熱病に倒れていた。


 右側の寝台では、王国の司祭が聖句を唱えている。


 左側では、帝国の治療官が番号式の詠唱を繰り返している。


 使っている薬も、必要な冷却温度も同じだった。


 それなのに双方は、登録と教義が違うという理由で、相手側の治療法を拒んでいた。


 若い司祭は、二つの区画を隔てる幕を引き裂いた。


 王国式と帝国式の共通部分を拾い、両側の患者へ同じ治癒光を向けた。


 何人かは助かった。


 間に合わなかった者たちの名前が、白い床へ幾百と並んでいた。


『私は、異なる正しさが人を殺す光景を見ました』


 現在のオルフェウスの声が、若い司祭の記憶へ重なる。


『王は国益を語った。帝国は成果を語った。教会は教義を語った。誰も、そこにいるすべての者を救わなかった』


 白い海に浮かぶ老人の顔が歪む。


『ゆえに私は誓ったのです。すべてを一つの基準へ戻すと。所属も、思想も、迷いも越えて、一つの救済へ統合すると』


「最初に幕を破ったことは、間違いじゃない」


 俺は言った。


 オルフェウスの目が揺れる。


「所属より、目の前の身体を見た。同じ治療を使えるようにした。それで助かった人がいた。その選択まで否定するつもりはない」


『ならば、なぜ我を拒むのです』


「その次に、あなた自身が幕になったからです」


 若い司祭の記録と、巨大な教皇の姿が重なる。


「自分が見つけた治療だけを正しいと決めた。患者が痛いと訴えても、止めたいと願っても、全体の救済という言葉で塞いだ」


『一つへ揃えなければ、人は再び争います』


「争いを完全になくす仕組みじゃない」


 俺は答えた。


「争っても、勝った側が相手の停止する権利まで奪えない仕組みを作る」


『弱い』


 オルフェウスの声が低くなる。


『遅い。不完全で、醜い』


「はい」


 否定しなかった。


「それでも、その不完全な仕組みなら、あなたが最初に幕を破った選択も、後に人の声を塞いだ事実も、どちらも消さずに残せる」


 善意を消さない。


 同時に、善意を免罪符にもさせない。


 オルフェウスは、人を救おうとした。


 そして、人を支配した。


 二つは矛盾せず、同時に真実なのだ。


 だからこそ彼は、自分の誤りを認める代わりに、誤るはずのない神へなろうとしたのかもしれない。


『ならば、そなたが座りなさい』


 空白の椅子が、再び俺の前へ現れた。


『我を否定し、なお世界を繋ごうというのなら、そなたが次の基準となるほかありません』


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