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魔力最下位の理系転生者は、魔法を誰でも使える技術に変えたい ~詠唱はコード、魔法陣は回路。才能がないなら、法則を探せ~  作者: Ita
第12章 世界をつなぐ、開いた輪

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第101話 消せない声


 Ωの上で光り始めた最後の問いが、はっきりとした文字を結んだ。


【根が枝を上書きした時、枝の意思をどこへ残すか】


「根の記録庫だけでは駄目だ」


 俺が言うと、エリシアが頷いた。


「消した側が、消された記録まで管理することになるものね」


「じゃあ、各自のアークへ残す?」


「アークを持っていない人の方が多い。それに、端末を壊されたら終わる」


『保存先の数を固定した場合、そのすべてを支配した者が一括削除できます』


 一か所では消される。


 本人だけでは奪われる。


 三か所と決めれば、その三か所を押さえられる。


 数を増やすだけでは、根本的な解決にならない。


『なら、複製先を固定しなければいいわ』


 雑音を割り、ミーナの声が通信へ入った。


「あちこちへ送る?」


『そう。鐘楼、治療所、工房、個人板。送れる時に、種類の違う場所へ三つ以上ばら撒くの』


 ミーナの口調には、追跡される側として経路を分け続けてきた経験が滲んでいた。


『全部を消したければ、誰が写しを持っているのか、世界中へ訊いて回るしかないようにする』


「でも、治療記録や個人名まで拡散することになる」


『本文まで送る必要はないわ。照合印だけでいい』


「照合印?」


 エリシアが訊き返した。


『封蝋印と同じよ。中身を読めなくても、あとで封が替えられたかは分かるでしょう』


 原本の内容から、短い照合印を作る。


 照合印だけを離れた複数の場所へ送っておけば、個人名や治療内容は漏れない。


 後から原本の一文字でも書き換えれば、同じ方法で作った照合印が一致しなくなる。


 誰かが何を訴えたのかを公開しなくても、訴えがその時刻に存在し、改竄されていないことは証明できる。


『公開する記録と、伏せる記録は分けた方がいいわ』


 続いて、ナタリアの声が入った。


『命令が出た時刻、停止要求が送られた事実、それが処理されたかどうか。そこまでは、誰でも照合できるようにする。でも、治療内容や個人名まで勝手に開くのは駄目よ。本文は、本人の許可がない限り伏せておく』


「根命令が届く前に照合印を作れる?」


『処理の順序を変えれば可能です』


 アークが、現在の記録経路を表示した。


 これまでは、枝から送られた入力が最初に根へ届く。


 根が入力を受理してから、初めて受領記録が枝へ返される。


 根が拒否すれば、記録そのものが作られない。


 だから、停止を訴えた者の側には、訴えた証拠さえ残らなかった。


「逆にしよう」


 俺は経路を入れ替えた。


「枝が停止を入力した瞬間、その場で受領票を作る。本文は本人の近くへ封じて保存する。照合印だけを複数の別経路へ送る。そのあとで、根へ要求を渡す」


『根は、受理・拒否・保留の応答と理由を、後続記録として追記できます』


「でも、最初の要求には触れられない」


『はい。追記は可能。削除と置換は不可能とします』


 銀の式が組み上がる。


【枝の入力を、上位処理より先に局所追記記録へ保存する】


【根は応答と理由を追記できるが、枝の原記録を削除・置換できない】


【照合印を、保存方式の異なる複数の経路へ分散する】


【本文の公開範囲は、本人または事前に指定された者が選択する】


 その瞬間、オルフェウスが杖を上げた。


『では、こうしましょう』


 白い海の底から、赤い光が噴き上がった。


 最初の一文字が、俺たちの目の前へ叩きつけられる。


【停止】


 二つ目。


【停止】


 三つ目。


【停止】


 次の瞬間には、白い海を埋め尽くすほどの文字が溢れていた。


 治療所。


 生活炉。


 王都西橋。


 飛行石。


 世界中の枝へ、同じ停止要求が一斉に流し込まれていく。


 実際の使用者は、一度も装置へ触れていない。


 すべて、オルフェウスの根署名から作られた偽の要求だ。


『すべてを受理すれば、世界は止まります』


 赤い文字が銀の道へ積み重なる。


『選別すれば、選別する者が新たな神となる。そなたが開こうとしている出口は、悪意に対しても開かれているのです』


『警告』


 アークの表示が赤く染まった。


『入力源、教皇根署名。送信数、毎秒一千二百万件。局所記録容量を超過します』


 赤い【停止】が足首まで積み上がる。


 文字でありながら重い。


 一つ一つが記録容量を奪い、本物の停止要求を押し流そうとしている。


 白い海の向こうで、治療具を止めようとする患者の入力が赤い洪水へ沈んだ。


「本名登録を必須にすれば――」


 エリシアが言いかけ、首を振った。


「駄目ね。それでは、停止を求めた人の名が根へ集められる」


「名前じゃなく、その装置と関係があることだけを証明する」


 俺は流れてきた偽要求の一つを掴んだ。


 聖都西区の治療具へ対する停止要求。


 強い根署名はある。


 だが、患者の身体が治療具へ接続された時に作られる局所受領票がない。


 装置の近くにいる治療者へ発行される短期署名もない。


 遠くの根が、権限の強さだけで使用者のふりをしている。


「装置を使い始める時、その場だけで使える短い証明を作るんだ」


『一時能力証明を提案します』


「能力?」


『ここでの能力は、強さを意味しません。その装置へ、その時間、その目的で入力できる関係にあることを示します』


 預けた荷物を受け取るための札に近い。


 札を見ても、本名や身分は分からない。


 だが、その荷物を預けた本人だということは確認できる。


 治療具なら患者と担当治療者。


 炉なら、その時間に炉を扱っている職人。


 飛行石なら、現在そこへ乗っている人。


 装置との関係が終われば、証明も使えなくなる。


「本人の停止要求は、その一時証明で優先する」


「周囲の人が危険を見つけた場合は?」


「別の欄へ入れる。本人の停止と、第三者からの危険報告を混ぜない」


 エリシアが、赤い洪水の中から一つの入力を拾い上げた。


 工房の隣人が、壁越しの異常な熱を報告している。


「この人は炉の使用者ではない。でも、危険を見つけた可能性はあるわ」


「だから無関係として捨てない。炉の温度計、煙の量、周囲からの別の報告と照合する。ただし、報告数が多いだけで正しいとは決めない」


『同一人物が一億件送信した場合でも、多数の観測にはなりません』


「同じ発信源から同じ内容が繰り返されたら、一件へ束ねる。削除はせず、何回送られたかを横に記録する」


『処理します』


 アークの青い光が、赤い洪水を横切った。


 一億の【停止】が、次々に一つの束へ折り畳まれていく。


 海を覆っていた赤い文字が急速に減る。


 最後に残ったのは、一枚の巨大な記録だった。


【発信源:教皇根署名】


【同一要求:一億件】


【対象との局所関係証明:なし】


【対象設備の危険検出値:変化なし】


【処理:強制停止要求として受理せず、帯域妨害および公開攻撃試験として隔離】


 その横に、本物の患者が送った小さな停止要求が浮上する。


【局所関係証明:有効】


【対象:本人の治療接続】


【要求:出力低下】


 赤い洪水へ埋もれず、別の色で残った。


「入口を開くことと、誰でも他人の身体を止められることは違う」


 俺は新しい条件を式へ加えた。


【局所関係を示す一時証明を使用し、本名・血統・身分の提示を必須としない】


【本人の停止要求と、第三者による危険報告を別の経路で処理する】


【反復入力は原記録を保持したまま束ね、正当な入力の帯域を奪わせない】


【入力制限を実施した事実と条件も、公開照合記録へ残す】


 オルフェウスが送った一億件の偽要求は消さなかった。


 開環仕様が最初に受けた攻撃試験として、そのまま記録へ添付する。


 三つの問いへの、動作としての回答が揃った。


 Ωが低く響く。


 白銀の輪の表面に、細かな光が走る。


 だが、中心の候補欄はまだ開かなかった。


『現行三権限との互換性が未定義です』


 アークが告げる。


「登録、基準、同期を全部消すだけでは駄目なのね」


 エリシアが、Ωの中を流れる金、白、黒の光を見る。


「そうだな。三つの機能そのものは必要だ」


 登録がなければ、治療具は使用者の体質や扱える出力を判別できない。


 基準がなければ、危険温度や致死出力を、違う地域の人間同士で比べられない。


 同期がなければ、災害警報や安全手順の更新を遠くへ届けられない。


 悪いのは、三つの機能が存在することではない。


 登録する者が人間の価値まで決めたこと。


 基準を決める者が、正しい生き方まで一つにしたこと。


 同期する者が、情報ではなく服従を配ったことだ。


「金の登録権限から変える」


 俺は金色の線を掴んだ。


「人間を階級へ入れる権利じゃなく、装置を使うために必要な能力と、互換方式を説明する目録にする」


『個人の登録公開は任意とします。ただし、装置使用時に必要な能力情報のみ、目的と時間を限定して提示できます』


「例えば、【火属性三級】じゃない」


 俺は古い登録名を消し、動作条件へ書き換えた。


【安全に扱える温度:八百度まで】


【連続使用可能時間:三呼吸】


【必要な補助具:黒鉛製帰還板】


【未訓練項目:広域炎術】


 血統や家名ではない。


 その装置を安全に扱うため、本当に必要な情報だけを示す。


「次は、白の基準権限」


 白い線へ触れる。


「教義や正しい生き方を配るためには使わない。温度、圧力、人体負荷、帰還限界みたいな、測って比べられる安全基準を共有する」


「祈りの形式は?」


 エリシアが訊く。


「教会や、魔法を使う本人が選べるようにする。祈りを禁止しない。祈らない人を危険とも決めない。同じ結果を測れて、停止条件を確かめられればいい」


「好きな言葉で、同じ火を扱えるのね」


「うん。言葉が違うことを、出力の誤りにしない」


 最後に、黒い同期線へ手を伸ばす。


「黒の同期権限は、強制命令を配らない。安全手順の更新案と、災害や故障の警報を配る」


『受信した更新を採用するかどうかは、各枝が判断します』


「ただし、古い版を使うなら、既に見つかっている危険を表示する。知らずに使うことと、危険を知って選ぶことを同じにしない」


 三つの光が、それぞれ別の形へ変わっていく。


 金は、能力と接続方法を示す目録へ。


 白は、測定可能な安全基準へ。


 黒は、更新案と警報を届ける通信路へ。


『互換層が必要です』


 アークが、三つの光の外側へ灰色の輪を描いた。


『既存の血統術、祝祷術、軍用装備の多くは、現在の根から返される応答形式を前提としています。新しい形式へ即時変更した場合、正常に動作しません』


 古い治療具へ、いきなり新しい言葉で命令しても理解できない。


 血統印は、家名と属性等級を返されることを前提に術式を組んでいる。


 生活炉は、根から【許可】か【拒否】の二つだけが返る仕組みになっている。


 根を一度に抜けば、独占は終わる。


 同時に、それへ依存している生活も止まる。


「古い枝には、今までと同じ形で返事をする」


 俺は灰色の輪へ、内側と外側を繋ぐ線を描いた。


「古い入力を受け取ったら、互換層の内側で新しい公開仕様へ翻訳する。新仕様から返ってきた結果も、古い装置が読める形へ戻す」


「古い魔法具を、すぐに捨てなくてもいいのね」


「うん。でも、内側では、停止要求や消費量や拒否理由を新しい規則で記録する。使う人には、何が翻訳されたのかを見られるようにする」


 灰色の輪が、橋のように三つの層を囲んだ。


 登録は能力目録へ。


 基準は物理安全へ。


 同期は提案と警報へ。


 古い術式と新しい術式の間を、互換層が繋ぐ。


 その全体が、魔法APIの形になる。


 API。


 魔法を使うために、どんな入力を渡せばよいのか。


 何が返ってくるのか。


 失敗した時、どの理由が表示されるのか。


 どこから停止できるのか。


 それらを共通の約束として記した、魔法の呼び出し口だ。


 これまでは、教会、王家、帝国軍の権限保持者だけが、その入口の内側を知っていた。


 一般の術者へ見えるのは、成功か失敗かだけ。


 失敗しても、なぜ拒否されたのか分からない。


 どれだけマナを消費したのかも分からない。


 止めたい時に、停止要求がどこで消えたのかも分からなかった。


 公開仕様になれば、必要な能力、受理された入力、消費量、停止方法、失敗理由を、誰でも同じ記録から確認できる。


 入口の形は、地域ごとに違っていい。


 聖教会の祈りでもいい。


 学院の数式でもいい。


 辺境の職人が使う刻み木でもいい。


 声を出せない人が触れる板でもいい。


 違う入口から呼び出しても、本人の停止要求を黙って捨てないという最小条件だけは変えられない。


『そなたは、誰もが禁呪を使える世界を作るのですか』


 オルフェウスの声が低く響いた。


「公開仕様と、無条件実行は別です」


 俺は式へ、利用条件の欄を加えた。


「危険な術式には、訓練、設備、周囲の安全確認が必要になる。使えない時は、何が足りないのかを表示する」


『入口を閉じることに変わりはありません』


「違う。血統や教会籍だけを理由に閉じるんじゃない。必要な訓練を受ける。安全設備を用意する。周囲の同意を得る。条件を満たせば、誰でも同じ審査を受けられるようにする」


『悪意を持つ者も学びます』


「独占されていた時も、悪意を持つ者は使った」


 ヴァレン。


 エドガー。


 停止方法を隠したまま、人を従わせるために技術を使った者たち。


「秘密だったから、被害を受ける側は何が起きているか分からなかった。公開するのは、危険な術式を無条件で発動する鍵じゃない。危険の検出方法と、止め方と、誰が使ったかを隠さないための規則だ」


『それでも、誤る者は現れます』


「現れる。だから、後から直せるようにする」


 その言葉を拒むように、オルフェウスがゆっくりと杖を掲げた。


 白い三重冠の奥で、完成しかけた公開仕様を焼き払うための光が生まれようとしていた。


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