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心の声が聞こえる地味令嬢~溺愛してくる家族を安心させる為、今日も婚活に勤しみます~  作者: 丸ノ内きみこ


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06

晩餐会が終わり、カミラは寝室で休むための準備をしていた。


「お嬢様、失礼いたします。お召し替えを」


そう言って近づいてきたのは、古株の侍女長、マルタだった。

マルタは仕事が完璧で、余計な私語を一切しないことで知られている。


カミラはベッドに腰掛け、ゆっくりと右手の白絹の手袋を外した。

マルタがカミラの背後に回り、ドレスの背中のボタンを一つずつ外していく。その指先が、カミラの背中に一瞬、かすめるように触れた。


その瞬間、マルタの低く落ち着いた「本音」が、淡々と響いた。


(……ふぅ。ようやく今日も終わりね。今夜のメイン料理の鴨肉、少し脂っこかったかしら。明日の朝食は、お嬢様の胃に優しい果物とオートミールを多めに用意させましょう。……それにしても、腰が痛いわ。寝る前にあの湿布を貼らなくちゃ)


「……」


カミラは思わず振り返りそうになった。

いつも無表情で、鉄の女のように完璧に仕事をこなすマルタの頭の中が、まさか「自分の腰痛」と「明日の朝ごはん」のことでいっぱいだなんて。


(お嬢様は、今日は少しお疲れのようね。儀式の後はどの子も知恵熱を出すものだけど、カミラお嬢様はしっかりしていらっしゃるわ。……ああ、早く仕事を終えて、冷えたエールを一杯飲みたい。そのためにも、手早くお休みさせて差し上げましょう)


カミラは、なんだか拍子抜けしてしまった。

お父様が言っていた「聞きたくない声」というのは、もっと恐ろしいものだと思っていたけれど、マルタの声はどこまでも「生活」の匂いがした。


次に、若手の侍女アナが髪を梳かしにやってきた。いつも明るくお喋りな侍女のアナは、よくカミラの世話をしてくれている。


カミラが手を差し出し、アナがその手を支えてブラシを当てる。


(わあ、お嬢様の髪、今日もふわふわで可愛い! 虹色のブローチもすごく似合ってたなぁ。……あ、そうだ。あさっての休み、街のパン屋に行くって約束してたっけ。新しいリボン、買っちゃおうかな。あ、いけない、集中集中。お嬢様の髪に毛玉を作ったら侍女長に怒られちゃう!)


(……ふふ。アナは、リボンが欲しいんだ)


カミラは鏡越しに、一生懸命に髪を整えてくれるアナを見た。彼女の頭の中は、カミラへの賞賛と、自分のささやかな休日の予定で交互に埋め尽くされている。そこに、ドロドロした悪意や、恐ろしい企みなんてどこにもなかった。


(みんな、口には出さないけれど、心の中でいろんなことをお喋りしているんだ。腰が痛かったり、ビールが飲みたかったり、リボンが欲しかったり……。なんだか、おもしろいな)


カミラは自分にだけ聞こえる「夜の合唱」を聴きながら、温かなシーツの中に潜り込んだ。


「おやすみなさい、マルタ。アナ」


「おやすみなさいませ、お嬢様。良い夢を」


侍女たちが灯りを消して部屋を出ていく。

カミラは暗闇の中で、自分の小さな手を見つめた。

女神様がくれたこの力は、もしかしたら大人の「がんばり」を知るためのものなのかもしれない。


そんなことを考えながら、五歳のカミラは心地よい眠りへと落ちていった。


◇◇◇◇


カミラが健やかな寝息を立て始めた頃、書斎の重厚な扉が閉じられた。

部屋の中に漂うのは、先ほどまでの華やかな空気とは打って変わった、張り詰めた沈黙。

主人のフリードリヒ、その妻イザベラ、そして叔父のセルジオ。三人は暖炉の火を囲み、誰にも聞かせられない話を始めた。


「……さて。兄上、義姉上。改めて、カミラちゃんの『恩恵』について整理しましょうか」


セルジオは先ほどまでのおちゃらけた態度を完全に捨て去り、鋭い眼差しで二人を見つめた。


「彼女が授かったのは、単に思考が聞こえるというレベルじゃない。肌が触れた瞬間に、相手の『魂の深淵』まで覗き込んでしまう力だ。これは、本人が望まなくても『真実』を突きつけられるということですよ」


「ええ……。今日、あの子はカイルを助けるふりをして、わざと触れていたわ。」


イザベラが、膝の上で震える手を重ねた。


「その時のカミラの顔……凄く優しい顔をしていた。あの子は、「本音」が素敵なものばかりだと思っているかもしれないわ。」


フリードリヒが、重々しく頷く。


「私に対してもそうだ。あの子は私の不器用な親心を、言葉にする前に受け取ってしまった。……だが、家族ならいい。問題は、あの子がこれから出会う『他人』だ。貴族社会は、嘘と虚飾で塗り固められた世界。そこであの力が知れれば、どうなるか」


「利用されるか、魔女として排除されるか……。あるいは、人の悪意に当てられて、カミラちゃんの心が壊れてしまうか。……その三択ですね」


セルジオが淡々と、しかし残酷な現実を口にする。

フリードリヒは、暖炉の火を見つめたまま拳を握りしめた。


「だからこそ、徹底的に隠し通す。カミラには、手袋を決して外さないことを習慣づけさせる。幸い、社交界には『潔癖』や『肌の弱さ』を理由に手袋を常用する貴族も珍しくない。それを徹底させるんだ」


「……ところで兄上。教会の記録には『脳内への響き』として届け出たとのことですが。……万が一、これが虚偽だと発覚した場合の備えはできていますか?」


フリードリヒの眉間に、深い溝が刻まれた。


リリカル王国において「恩恵」は女神から授かった公的な財産とみなされる。そのため、恩恵の種類や強度を偽って届け出ることは、国家に対する反逆、さらには女神への冒涜とみなされ、極刑を含む極めて厳しい罰が課せられる。貴族であれば領地没収、最悪の場合は一族もろとも平民に落とされるのがこの国の法だった。


「……わかっている。だが『真実の残響』、それも肌を通じた本音の読み取りだなどと正直に言えるはずがない」


「ええ。もしそんな力が知れれば、カミラは王家の『生きた嘘発見器』として一生を暗い地下室で過ごすか、政敵を排除するための道具にされるでしょう」


イザベラが唇を噛み締め、夫の言葉を継ぐ。


「だからこそ、これは一生をかけた『賭け』なのよ。あの子が成人するまで……いえ、あの子が死ぬまで、私たちは嘘を突き通さなければならない。もしバレれば、ローゼンブルク家は終わるわ」


セルジオはふっと自嘲気味に笑い、椅子に深く背をもたれさせた。


「一族心中ですか、いいですねぇ。僕のような放蕩者にはお似合いの末路だ。……安心してください、義姉上。その賭け、僕も乗りますよ。王都の監視の目は僕が引き受けましょう。おちゃらけた次男坊が騒ぎを起こしていれば、本家の『ちょっと潔癖な娘さん』に注目する暇なんて、誰も持たなくなる」


フリードリヒは弟の言葉に救われたように、わずかに息を吐いた。


「恩恵は、女神の祝福などではない。……これは呪いだ。少なくとも、この歪んだ王国においてはな」


暖炉の火が爆ぜ、三人の影を壁に長く映し出す。

もしカミラの力が漏れれば、待っているのは断頭台か、あるいは一生終わることのない搾取か。


「それと、イザベル。あの子には『嘘』の種類を教える必要がある」


フリードリヒの言葉を引き継ぎ、セルジオが付け加えた。


「悪意ある嘘だけじゃない。今日、僕がついたような『誰かを守るための嘘』もあるんだと。それを見分けられるようにならないと、彼女はこの力の重さに耐えきれなくなる」


「……あの子を守るためなら、私はどんな悪役にもなりますわ」


イザベラが決然とした瞳で二人を見た。

「カミラには、ただ幸せに、笑っていてほしい。あの子の耳に届く声が、愛に満ちたものだけであってほしい……」


「わかっている。……セルジオ。お前には王都での情報収集を頼みたい。同じような恩恵を持った者が過去にいなかったか、あるいは教会が何かを隠していないか」


「了解しました、兄上。……おじさん、可愛い姪っ子のために、ひと肌脱いじゃいますよ」


一瞬だけ、いつもの軽い口調を混ぜたセルジオだったが、その瞳の奥にはカミラを守り抜くという、先ほど彼女が聞き取った通りの「本音」が宿っていた。


三人は、誰に誓うでもなく、静かに盃を交わした。

カミラ・ヴェリテ・ド・ローゼンブルク。

その幼い少女が抱えてしまったあまりに重すぎる「真実」を、大人たちがそれぞれの嘘で覆い隠し、守り抜くための夜が更けていく。

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