05
賑やかな玄関ホールでの騒ぎを経て、ローゼンブルク家の食堂には、お祝いに相応しい豪華な料理が並べられた。
本来、リリカル王国の貴族社会において、マナーの未熟な幼い子供が晩餐会の席に同席することは許されない。だが、今日はカミラの特別な記念日であり、何より「家族水入らず」を望んだフリードリヒの計らいによって、二歳のカイルも特製の高い椅子に座ることを許されていた。
カミラは給仕の手を借りて席に着き、膝の上にナプキンを広げる。その手には、もちろん白絹の手袋が嵌められていた。
「さあ、カミラ。今日は主役のお前が好きなものばかり用意させた。遠慮なく食べなさい」
フリードリヒの合図で、晩餐会が始まった。
「いやあ、この鴨肉のロースト、絶品だね! おじさん、美味しすぎて椅子から転げ落ちそうだよ。おっとっと!」
セルジオがわざとらしく椅子を揺らしておどけてみせると、隣に座るカイルが「おじちゃ、おもしろい!」と声を上げて笑い、手づかみでパンを食べようとする。すかさず侍女がそっとフォローに入るが、その光景は実に微笑ましいものだった。
カミラは食事を楽しみながらも、ふと気づく。
(皆の「本音」が聞こえないと静かだなぁ…もっと「本音」を聞いてみたいかも!)
それはひどく清々しく、けれど少しだけ寂しいような、不思議な感覚だった。目の前で「美味しいわね」と微笑むイザベラも、厳格な顔でワインを口にするフリードリヒも、今はその表面上の姿しかわからない。
「それでね、その歌手がステージから転げ落ちたんだけど、それも演出だって言い張るもんだから、観客は大爆笑さ! いやあ、僕も一度やってみようかな?」
「セルジオ様、やめてくださいまし。そんな端したない……」
イザベラが呆れたように笑い、フリードリヒも口元を緩める。
カミラはその光景を眺めながら、ふと、あの馬車の中での両親の必死な顔を思い出した。
(みんな、口ではあんなに普通にしているけれど、本当は何を考えているんだろう……)
一度気になると、確かめずにはいられない。
カミラは、テーブルの下で右手の指先を少しだけ手袋から抜いた。そして、カイルが「おにく、もっと!」と身を乗り出して、フォークを落としそうになった瞬間を狙った。
「カイル、危ないわ」
カミラは介添えの侍女より一歩早く手を伸ばし、カイルの小さな腕を支えた。
手袋から出たカミラの指先が、カイルの柔らかな肌に直接触れる。
(おにく、おいしい!ねーたま、大好き!みんなでいっしょうれしいな!)
カミラは思わず頬を緩めた。カイルの心の中は、相変わらず食べることと姉への好意で溢れている。
その確かな熱量に安心し、カミラは素早く指を手袋の中へと戻した。
続いてカミラは、皿を下げに来た給仕がフリードリヒの背後を通る際、父がわずかに椅子を引いた隙を見逃さなかった。
「お父様、ナプキンが……」
わざとナプキンを床に落とすふりをして、拾い上げようと屈む。その拍子に、立ち上がろうとしたフリードリヒの手に、素肌の指先で一瞬だけ触れた。
(……カミラ。今日一日、本当によく頑張っているな。得体の知れない力に翻弄されながら、お前は一度も泣き言を言わなかった。ローゼンブルクの娘として、私はお前を誇りに思う。……ああ、願わくば、その小さな手に剣や政争の道具ではなく、幸福だけを握らせてやりたい)
カミラは床に指をついたまま、熱いものが込み上げてくるのを感じた。
あんなに厳格な顔をして座っている父の心の中が、自分への誇りと、祈るような愛情で満たされている。
「カミラ? どうしたんだ、顔が赤いぞ。やはり体調が……」
「……ううん、なんでもないの。お父様が、あんまりかっこいいから」
カミラは顔を上げ、最高の笑顔で答えた。フリードリヒは不意を突かれたように目を見開き、今度は本当に顔を真っ赤にして視線を逸らした。
「な、何を言い出すんだ、お前は……」
「あらあら、旦那様ったら。カミラ、本当にお口が上手になったわね」
イザベラが楽しそうに笑い、セルジオが「僕には!? 僕にはないの、カミラちゃん!」と騒ぎ出す。
カミラは、再び手袋を整えた。
聞こえてこなくても、この食卓に満ちているのは、自分への深い愛情なのだとはっきりと分かる。
賑やかで、優しくて、ちょっぴり嘘つきな大人たちの食卓。カミラは、自分にだけ聞こえた「秘密の真実」を大切に胸にしまい、温かなスープをゆっくりと飲み下した。
食事を終え、眠そうなカイルが侍女に連れられて寝室へ向かった後、食堂は一気に落ち着いた「大人の時間」へと移り変わった。揺れるキャンドルの火が、上質な茶器を照らしている。カミラはお気に入りのハーブティーを一口飲み、背筋を伸ばして座り直した。
「さてさて……」
セルジオがティーカップを置き、いたずらっ子のような目でカミラを見つめた。
「お兄様から少し聞いたけど、カミラちゃんの『恩恵』って、結局どんなものだったのかな? 司祭様は『脳内に響く』なんて小難しいことを言っていたみたいだけど、僕にはもっと……こう、ミステリアスなものに思えるけどねぇ」
セルジオはわざとらしく周囲をキョロキョロと見回し、声を潜めた。
「もしかして、未来が見えたりする? それとも、僕が明日食べるおやつの種類を当てられたりしちゃう?」
「セルジオ、ふざけるのはよしなさい。……だが、カミラ。お前が授かった力の『真実』については、セルジオにも共有しておくべきだろう。この男、口は軽そうに見えて、家族の守秘義務だけは命を懸けて守る男だ」
フリードリヒの言葉に、セルジオは一瞬だけ「本音」の時のように引き締まった顔を見せたが、すぐに「兄上、照れるじゃないですか!」とはぐらかした。
イザベラが重い口を開く。
「セルジオ様。カミラが授かったのは……あの有名なおどぎ話にある、【真実の残響】心の声が聞こえる力なのよ」
「……心の声?」
セルジオの動きが止まった。いつも絶えない笑みが一瞬だけ消え、彼は真剣な眼差しでカミラを見つめる。
「それは、僕が今、おどけて言っている言葉とは別の、頭の中にある『考えていること』が聞こえるっていうこと?」
「はい、おじさま。肌に触れている間だけ、その人の『本当の声』が聞こえてきます。さっき、おじさまに触れた時も……」
カミラが言いかけると、セルジオは慌てて自分の両手で自分の顔を覆った。
「うわああ、待って待って! 恥ずかしい! おじさんのあんな事やこんな事、全部聞かれちゃったの!? いやあ、これは参ったな。もうカミラちゃんの前で格好つけられないじゃないか!」
セルジオが顔を真っ赤にしてジタバタする様子を見て、イザベラは少しだけ肩の力を抜いた。
「でも不思議ですわね。司祭様は【脳内への響き】だと確信していたようですし…」
「それは、カミラがまだ幼くて人の「本音」を理解できていないからだ。「声」が頭に聞こえると言われれば、誰でも勘違いするだろう。」
フリードリヒは冷静な分析を口にする。
「いずれにせよ、カミラ。お前はこれから、見たくないもの、聞きたくない本音をたくさん耳にすることになる。……私やイザベル、そしてセルジオのように、お前のことを想っている者ばかりではない」
セルジオは、再びいつもの余裕のある笑みを浮かべた。だが、その目はどこまでも優しかった。
「カミラちゃん。もし誰かの声が怖くなったら、いつでもおじさんのところへおいで。おじさんの頭の中は、年中お祭り騒ぎだから、きっと賑やかで楽しいよ」
カミラは、さっき触れた時の叔父様の「本音」を思い出した。自分を笑わせるために、道化を演じようと決めていた、あの誇り高い声。
「ありがとうございます、おじさま。おじさまの声は、とっても温かかったです」
カミラが微笑むと、セルジオは「もう! 今日は本当に、おじさん泣かされっぱなしだよ」と言って、大げさに目元を拭った。
(本音は、相手を大切に思うからこそ隠すこともあるんだ……)
五歳の少女は、少しずつ「真実」の扱い方を学び始めていた。外は深い夜の闇が広がっていたが、暖かい茶葉の香りと家族の愛に包まれたこの部屋だけは、いつまでも春のような陽だまりに満ちている。
「本音」がこんなに心温まる素敵なものなら、色んな人の「本音」を聞いてみたい!とカミラは興味が湧いた。そして「恩恵」を授けてくださった女神様に改めて感謝する。父フリードリヒがいう、「聞きたくない本音」がどのようなものなのか、5歳のカミラには知る由もなかった。




