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食堂で昼食を終えた午後。
時間割が男女別々に分かれ、女子生徒たちは専用の作法室へと集められていた。高位貴族としての立ち居振る舞いや、社交界での完璧な所作を叩き込む「マナー実技」の授業だ。
教壇に立つのは、いかにも厳しそうな年配の女性講師、マダム・ローラン。彼女は扇をパチンと閉じ、鋭い視線で令嬢たちを見渡した。
「ごきげんよう、皆様。当学園の令嬢たるもの、どの瞬間を切り取っても美しく、気高くあらねばなりません。本日は、社交界の基本である『お茶会の席での美しいカップの扱いと、淑女の微笑み』を見せていただきます」
マダム・ローランの厳しい言葉に、令嬢たちの間にピリッとした緊張が走る。しかしカミラにとっては、天国のような授業だった。
(良かったわ……。マナーの授業なら、男子生徒達の物騒な暴言の残響を聞かなくて済むもの。エドヴァルト王子もいないし、空間がとても静かで快適だわ)
男子クラス側で、今頃王子が(あーだりぃ、なんで男がこんなガチガチの礼儀作法やらなきゃいけねぇんだよ、クソが)と脳内で毒づいている姿が容易に想像できて、カミラは心の中で少し同情する。
だが、女子クラスには女子クラス特有の、別の意味で凄まじい「雑音」が渦巻いていた。
「では、まずは――エレオノーラ様からお手本を見せていただきましょう」
マダム・ローランがひときわ恭しく頭を下げ、その名前を呼んだ。クラス内の令嬢たちが一斉に息を呑み、さっと道を開ける。
そこにいたのは、艶やかな縦ロールの金髪を揺らし、扇で口元を隠しながら傲然と微笑む少女。国内最高峰の権力を誇る、グランドール公爵家の令嬢―エレオノーラ・フォン・グランドールだ。
彼女が一歩踏み出した瞬間、その頭の中から、周囲の全令嬢を見下す圧倒的な高慢の残響が、大音量でカミラの脳内に響き渡った。
(ふふん、当然ですわね。このクラスで、わたくし以上に美しく気高き薔薇など存在しませんもの。第一王子のエドヴァルト殿下の婚約者に相応しいのは、この私ただ一人! 昨日の実技で目立っていたあの芋臭い庶民とつるんでるベアトリスなんて、わたくしの引き立て役にもなりゃしませんわ!)
(……うわぁ。これぞまさしく、教科書通りの『高位公爵令嬢』だわ。頭の中の自信が満ち溢れすぎていて、逆に清々しい)
カミラが心の中で圧倒されていると、通路の隣に座るベアトリスが、激しい対抗心を燃やしてふんす、と鼻を鳴らした。
(エレオノーラ……! 公爵家だからって、いつもいつも女王様気取りで鼻につく女よね。 あの高慢ちきな縦ロールに負けるわけにはいかない!)
バチバチと火花を散らす二人を余所に、エレオノーラは優雅な足取りで用意されたティーテーブルへと進んだ。仕立ての良い制服を一切乱さず、まるで絵画の一幕のように着席する。そして、指先まで完璧に計算された美しい所作で、磁器のカップを持ち上げた。
カチャ、という音など一切立てない。紅茶を一口含み、カップを戻すと、これ以上ないほど華やかで尊大な「淑女の微笑み」を浮かべてみせた。
「……素晴らしい。さすがはグランドール公爵家、非の打ち所がない王宮仕込みの所作ですわ」
マダム・ローランが深く感嘆の息を漏らす。周囲の令嬢たちからも、(さすがエレオノーラ様だわ……)(お美しい……)という、おべっかと羨望の残響が嵐のように立ち上る。
エレオノーラはフッ、と周囲を見下ろしながら席に戻っていく。その脳内は(当然ですわ! ほら、もっと褒め称えなさい!)と大はしゃぎだった。
「では、まずはゲルシュタイン子爵令嬢、ベアトリス様から。お手本を見せていただきましょう」
「はい、マダム」
名前を呼ばれたベアトリスが、待ってましたとばかりにスッと立ち上がった。彼女の頭の中からは、
(ついに来たわ……! これぞ私が最も得意とする領域! 見ていなさい、わたくしの完璧な淑女の所作を! 位だけ高い公爵家なんかに負けてたまるもんですか!)
という、自信満々でふんす、と鼻を鳴らすような可愛い残響が響いてくる。
エレオノーラの完璧な演技の後という最悪のプレッシャーの中、ベアトリスは意地を見せた。ゲルシュタイン家の誇りを懸け、見事な所作でお茶を口に運ぶ。その「完璧な令嬢の微笑み」も、エレオノーラに決して引けを取らない美しさだった。
マダム・ローランも「素晴らしい、こちらも見事です」と称賛する。
マダム・ローランが満足そうに深く頷く。周囲の令嬢たちからも、(さすがベアトリス様……)(王都のサロンでも有名ですものね…)という、称賛と少しの嫉妬の残響が聞こえてきた。
ベアトリスは席に戻りながら、フッと勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
(やったわ! マダムに褒められた! カミラ、見ました!? 今のわたくし、最高に美しかったでしょ!? 公爵家にも引けを取らないこの私!親戚としてさぞ誇らしいでしょう!)
と、嬉しさで激しく尻尾を振っているかのような残響で埋め尽くされていた。
(ふふ、本当に可愛いわね。王子の前でも、それくらい堂々とできれば良いのだけれど)
カミラは心の中でベアトリスに拍手を送りつつ、満面の笑みで「とっても素敵でしたわ、ベアトリス」と声をかけた。ベアトリスは「当然よ」とツンとすましてみせる。
「次、カミラ・フォン・ローゼンブルク」
「はい」
今度はカミラの番だ。
周囲の令嬢たちからは、(あの子、昨日の実技でもパッとしなかったし、辺境育ちだからマナーなんてボロボロじゃないかしら?)(カップの持ち方すら怪しいんじゃない?)という、見下すような残響がひそひそと立ち上る。
(……皆さん、私の実家を何だと思っているのかしら)
カミラは静かに立ち上がり、テーブルへと向かう。
ローゼンブルク家の方針は、今日も変わらない。
『カミラ、目立ってはならん。マナーの授業でも、平均点を狙うのだ。高位貴族のように華美であってはならず、かといって不作法で減点されても目立つ。地味に、完璧に、普通の令嬢のふりをするのだ』
父フリードリヒの顔を思い出しながら、カミラは椅子に腰掛けた。
狙うのは「マダム・ローランが、眉をひそめることもなければ、声を大にして褒めることもない、クラスのちょうど平均的なマナー」。
カミラは、辺境貴族の令嬢として「一般的」とされる、少し控えめで型通りの所作でカップを手にした。
指の角度も、カップを持ち上げるスピードも、すべてが「教科書通り」。美しすぎることもなければ、粗野な部分も一切ない。完璧に気配を消した、無味無臭の模範演技だ。
紅茶を口に含み、コトリ、とわずかに「わざと」音が鳴らない程度の絶妙な加減でカップを置く。そして、少しはにかんだような、平凡な田舎令嬢の微笑みを作ってみせた。
マダム・ローランは、カミラの所作をじっと見つめていたが、
「……丁寧ですね。基本はしっかりできています。そのまま励みなさい」
と、可もなく不可もない、ごく普通の評価を口にした。
(よし、完璧ね!)
カミラは心の中でガッツポーズを決める。
周囲の令嬢たちからも、(まぁ、普通ね)(辺境の割には、恥をかかない程度にはできるみたいね)という、興味を失ったような残響が聞こえてくる。これこそがカミラの狙い通りだった。
しかし、席に戻ったカミラを、リーゼロッテがキラキラとした感動の瞳で見つめていた。
(カミラ様……! あの無駄のない洗練された手の動き、まるでおとぎ話の隠れ住む本物の王女様のよう……! 私、カミラ様のあの静かで美しい佇まい、大好きです……!)
(えっ……リーゼロッテさん? どこをどう見てそうなったの……?)
まさかの後ろの席の「純粋すぎる忠犬」には、みんなとは違うように見えていたようだ。恋は盲目…ってやつだろうか…?恋ではないだろうが、人を尊敬しすぎると盲目に近い状態にリーゼロッテはなるのかもしれない。
さらに隣のベアトリスからは、(フン、まぁわたくしの美しさには遠く及ばないけれど、カミラが恥をかかなくて良かったわ。あそこのテーブルクロス、少し歪んでいたのに、カミラは袖を引っ掛けずに綺麗に座ったものね。……って、私、なんでカミラのそんな細かいところまで見てるのよ!? バカバカ!)という、謎の観察眼と心配の残響が聞こえてくる。
(……うーん。王子はいないけれど、私の周りの二人は、別の意味で私のことを見すぎている気がするわね……)
カミラは苦笑いしそうになるのを必死に堪えながら、賑やかな二人の残響に挟まれて、やっぱり「無」を心がけようと静かに背筋を伸ばすのだった。
マダム・ローランによる厳しい審査が続く中、ついに女子クラスの最後の一人が呼び出された。
「最後は、特待生のリーゼロッテ・アルマ。前へ」
その名前が呼ばれた瞬間、作法室の空気が一気に冷え込んだ。
周囲の令嬢たちから、(ついにあの庶民の番ね)(昨日の実技では防壁を吹き飛ばしたけれど、マナーなんて知るはずもないわ)(恥を晒せばいいのよ)という、意地の悪い残響が集中する。
カミラの隣では、リーゼロッテが「ひゃ、はい!」と裏返った声を上げ、ガタガタと全身を震わせながら立ち上がっていた。その頭の中からは、
(どうしようどうしよう! みんなのを見て学ぼうと思ったけど、見てもよくわからなかった…正しいカップの持ち方もわからないよぉ!カミラ様の前で、大恥をかいちゃう……!)
という、涙目寸前の大パニックの残響が響いてくる。
(リーゼロッテさん、落ち着いて……)
カミラが内心でハラハラ見守る中、リーゼロッテは完全に緊張で足元がおぼつかない状態でテーブルへと進んだ。
その様子を、グランドール公爵令嬢エレオノーラは、扇で口元を隠しながらフッと冷酷に見下ろしていた。その脳内からは、待ってましたとばかりに傲慢な残響が溢れ出す。
(ふふん、見なさいあの無様な姿! 歩き方ひとつ取っても、洗練されたわたくしとは雲泥の差ですわ。やっぱり庶民に王立学園は早すぎたのです。無様に泣き喚いて、特待生を辞退すればよろしいわ!)
エレオノーラが脳内で大喝采を送る中、リーゼロッテはついに席に着いた。
だが、ガチガチに固まった彼女の指先は、磁器のカップに触れた瞬間、緊張のあまり大きく跳ね上がってしまった。
「あ、……あっ!」
リーゼロッテが声を上げた瞬間には、もう遅かった。彼女の規格外の魔力――演習場の防壁を消し飛ばしたあの圧倒的な「大地属性の魔力」が、パニックによって指先からほんの僅かに漏れ出してしまったのだ。
パキィィィン!!!
作法室に、小気味良いほどの破壊音が響き渡った。
リーゼロッテが触れた最高級の磁器カップが、粉々に粉砕されたのだ。それだけではない。衝撃波で行き場のなくなった高級紅茶が、まるで小さな噴水のように真上へと吹き上がった。
「ひゃあああああ!?」
頭を抱えてしゃがみ込むリーゼロッテ。そして、吹き上がった紅茶の雨は、不運にも、そのすぐ近くで優雅に扇を構えていたエレオノーラの頭上へと、正確に降り注いだ。
ピチャ、ピチャ、と、エレオノーラの自慢の縦ロールから、高級なダージリンの雫が滴り落ちる。
作法室全体が、凍りついたように静まり返った。
マダム・ローランすらも絶句する中、カミラの耳には、エレオノーラの「限界突破した衝撃の残響」が、凄まじい絶叫となって直接脳内に叩き込まれた。
(……は??????????)
(わたくしの!!! 髪が!!! わたくしの完璧な縦ロールが!!! 朝から侍女を3人も使って丁寧に巻いた、最高級の縦ロールがァァァ!!! 庶民の泥水(紅茶)でビショビショですわよーーー!!! 汚い!!! 許せない!!! 殺す!!! 今すぐこの芋虫をグランドール家の権力で極刑に処してやりますわーーー!!! ああああ! この庶民、絶対許さない! 処刑ですわーーー!!!)
(……うわぁ、エレオノーラ様、頭の中でめちゃくちゃ怒り狂ってるわ……。まぁ、これは百パーセントリーゼロッテさんが悪い)
エレオノーラの本調子なブチ切れ残響の音量に、カミラは思わず耳を塞ぎそうになった。
表向きのエレオノーラは、怒りのあまり全身をプルプルと震わせ、顔を真っ赤にしてリーゼロッテを睨みつけている。
「あ、あなた……! よくもわたくしに、こんな……ッ!」
「静粛に」
冷徹な、しかし凛とした声が室内に響いた。マダム・ローランだ。
彼女は驚く風もなく、手にしていた扇をエレオノーラに向けて鋭く一振りした。
その瞬間、作法室に心地よい柔らかな風が吹き抜けた。カミラは目を見張る。マダムが放ったのは、極めて精密に制御された「生活系」の高度な複合魔法だった。
エレオノーラの制服に染み込もうとしていた紅茶の液体だけが、まるで時間を巻き戻すかのようにシュルシュルと宙に吸い上げられ、一瞬で凝縮されて床のバケツへと消えていく。それだけではない。温かな風が彼女の髪を優しく包み込み、濡れていたはずの金髪は、次の瞬間には一滴の水分も残さず、元の完璧なふわふわの縦ロールへと復元されていた。
わずか数秒の、完璧な魔法処置。
「お召し物も髪も、これで元通りです、エレオノーラ様。淑女たるもの、不測の事態にも声を荒らさず、毅然としているものです。……よろしいですね?」
マダム・ローランが眼鏡の奥の目を光らせると、エレオノーラは「くっ……」と言葉を詰まらせた。マダムの頭の中からは、
(やれやれ、グランドール公爵家ともあろう者が、これしきのハプニングでみっともなく取り乱すなど。誇り高い公爵令嬢なら、ここで引き下がるのがスマートというものよ)
という、教師としてのプライドに満ちた冷静な残響が聞こえてくる。エレオノーラは、魔法で完璧に元通りにされた自分の髪を触りながら、脳内でハンカチを噛み締めるように悔しがっていた。
(う、動けないじゃないのよ……! 完璧に直されたのにこれ以上怒ったら、わたくしがただの心の狭いヒステリック女になってしまうわ! 悔しい、悔しいけれど……ここは引くしかないのね……!)
エレオノーラは引きつった笑みを浮かべ、「……ええ、マダム。見事な手際ですわ。わたくしも、これ以上騒ぎ立てるつもりはありませんわ」と、扇で口元を隠した。
その様子を見ていたベアトリスが、ここぞとばかりにスッと立ち上がった。
(ちょっと庶民、何やらかしてんのよ!? ……でも待って、エレオノーラがマダムに釘を刺されて大人しくなった今、わたくしが『完璧な令嬢』としてこの場を美しく収めたら、わたくしの株が爆上がりじゃない!? そうよ、これこそが完璧な淑女の立ち振る舞い!)
ベアトリスはふんと胸を張ると、エレオノーラとリーゼロッテの間に割って入った。
「エレオノーラ様、その寛大なお心、さすがでございますわ。リーゼロッテさんも、マダムとエレオノーラ様の慈悲に感謝して、これからはもっと作法を磨きなさい。さあ、わたくしが少し手本を見せてあげますわ!」
(……ぷっ、ベアトリス、本当にいいタイミングでドヤ顔を挟み込んでくるわね)
カミラは机の下で、今度こそお腹を抱えて声を殺して笑った。
エレオノーラの脳内が、ベアトリスの便乗に対してさらなる怒りで大爆発を起こす。
(はァァァ!? ベアトリス、何お前どさくさに紛れていい女ぶってんのよ!? わたくしがマダムにやり込められた後で、自分が一番偉そうに仕切るんじゃないわよ! 踏み台にされたみたいでめちゃくちゃ癪に障るわーーー!!!)
結局、授業はベアトリスがリーゼロッテに「カップの持ち方」を偉そうに(しかし丁寧に)教える形で再開され、エレオノーラは脳内で(全員爆発しなさいよーーー!!!)と叫び散らしながら、ツンと澄ました顔でお茶を飲み直していた。
カミラは「ふぅ」と胸を撫で下ろす。マダムの鮮やかな魔法のおかげで、リーゼロッテのやらかしも、すべてが綺麗にベアトリスとエレオノーラの主導権争いの影に隠れてくれた。
(女子クラスのマダム……厳しいけれど、あの魔法の腕前は素晴らしいわね。……)
カミラは幼馴染の目立つ振る舞いに感謝しつつ、賑やかな残響に挟まれて、やっぱり「無」を心がけようと静かに背筋を伸ばすのだった。




