22
学園の午前中のカリキュラムがすべて終わり、待ちに待った昼休みが訪れた。
「……はぁ。やっと終わったわ……」
通路の向こうで、ベアトリスが机に突っ伏さんばかりに深いため息をついていた。ゲルシュタインの名に懸けて必死にペンを動かした反動が一気にきているようだ。
後ろの席のリーゼロッテも、緊張の糸が切れたようにホッとした表情を浮かべている。カミラはそんな二人を見て、ふっと微笑んだ。
「二人とも、お疲れ様。お腹が空きませんこと? よければ、一緒に学園の食堂へ行かない?」
「えっ、カミラ様と食堂に……っ!? は、はい! ぜひご一緒させてください!」
リーゼロッテが嬉しそうに目を輝かせる。一方、ベアトリスはガタッと大袈裟に椅子を引いて立ち上がると、ふんと顔を背けた。
「仕方ないわね。一緒に行ってあげてもいいわよ?私も、ちょうどお腹が空いたところだし。」
(午前中の課題で頭を使いすぎて、誰かとお喋りしたくて堪らなかった……ありがとうカミラ)
可愛すぎる残響に、カミラは「ありがとう、ベアトリス」とだけ返してクスクスと笑った。
◇◇◇◇
案内板に従って訪れたサンクチュアリ王立学園の食堂は、もはや「食堂」という言葉の概念を覆すほどの空間だった。広大なホールには大理石の柱が立ち並び、クリスタルのシャンデリアが輝いている。一流のシェフたちが腕を振るう料理がズラリと並び、まるで毎日が宮廷夜会かと思うほどの豪華さだ。
しかし、一歩足を踏み入れた瞬間、カミラの頭には再びドロドロとした「雑音」が押し寄せてきた。
(あら、さっきのローゼンブルクの辺境貴族。本当にあの庶民と一緒に行動してるわ)
(ベアトリス様まで……。庶民は身の程を知るべきよね)
周囲の貴族生徒たちの冷ややかな本音の残響。そんな中、初めて見る光景に圧倒されたリーゼロッテが、メニューの並ぶカウンターの前で完全に硬直していた。
(う、嘘でしょう……? スープだけでも、家の一ヶ月分の食費より高そう……。どうしよう、私、こんなところのご飯、食べられないよ……。やっぱりお弁当を持ってくるべきだったんだ……。恥ずかしい、どうしよう……)
リーゼロッテの心から、今にも泣き出しそうなほど切実な絶望の残響が伝わってくる。彼女は顔を真っ青にして、自身の財布を握りしめて震えていた。
ベアトリスはその様子に気づき、あからさまに嫌そうな顔をする。
(ちょっと、あの庶民どうしたのよ。そんなところで立ち尽くされたら、私が庶民をいじめてるみたいに見えるじゃない! 迷惑だわ!)
「ちょっと、あなた。何をして――」
ベアトリスが文句を言おうと口を開きかけた、その瞬間。カミラはリーゼロッテの隣にスッと寄り添い、彼女の肩を優しく抱き寄せた。そして、あらかじめ調べておいた「学園の規則」を思い出しながら、朗らかな声で告げる。
「リーゼロッテさん、特待生であるあなたは、ここの全メニューが完全無料になるはずよ。学園がその優秀さを認めた証ですもの。どれでも好きなものを頼むといいわ」
「え……っ!?」
リーゼロッテが驚いて目を見開く。実はサンクチュアリ王立学園では、特待生に対する支援が手厚く、学費だけでなく食費も全額学園側が負担する校則になっていたのだ。リーゼロッテは緊張のあまり、事前の説明を見落としていたらしい。
カミラの一言を聞いて、周囲の貴族令嬢たちから(特待生ってこれだからズルいわよね……)という嫉妬の残響が聞こえてくる。
すると、それを聞いたベアトリスが、何を思ったか突然ふんす、と鼻を鳴らした。
(学園の全額負担!? 凄いわね庶民……! って、違うわ! 嫉妬で見苦しい顔をしてるあそこの女たち、完璧な令嬢を目指す私としては、あんな見苦しい奴らと同類に思われたくない!)
ベアトリスは腕を組むと、リーゼロッテを見下ろすようにして高傲に言い放った。
「学園が認めた基準なのだから、堂々としていればいいのよ。むしろ、ここで一番高い『王室御用達の肉料理』でも頼んで、その優秀さに見合う栄養をつけなさいな!」
「べ、ベアトリス様……!」
リーゼロッテの瞳が、今度は感動で潤み始める。
彼女の頭の中からは、(ベアトリス様、言い方はきついけど、本当はすごく私のことを励ましてくれてる……! なんて温かいの……!)という、ピュアすぎる崇拝の残響が溢れ出していた。
(ふふ、ベアトリスったら。なんだかんだ優しいし、本当に良い幼馴染だわ)
カミラは心の中でベアトリスに感謝しつつ、三人分の料理を注文した。
窓際の席に座り、豪華な料理を囲む。
ベアトリスは「仕方なく付き合ってあげてるんだからね」とツンツンしながらも、カミラが「これ、美味しいわね」と言うと、(でしょ!? 王都の流行りなのよ!)と脳内で大喜びしていた。リーゼロッテも「美味しいです……!」と幸せそうに頬を緩めている。
周囲の悪意ある雑音など、美味しい料理と二人の賑やかな残響の前には、やはりただのそよ風でしかなかった。
(悪目立ちはしたくないけれど……この二人とのお昼休み、悪くないわね)
カミラたちが窓際の席で美味しい料理を囲んでいると、食堂の入り口が一気に騒がしくなった。
周囲の貴族令嬢たちから「キャー! エドヴァルト王子よ!」「こちらに来るかしら!?」という興奮した残響が一斉に立ち上る。
(あ…すごい人気ね……)
カミラが視線を向けると、取り巻きの男子生徒たちを引き連れたエドヴァルト王子が、優雅な足取りで食堂へと入ってくるところだった。相変わらず輝くような金髪に、非の打ち所がない完璧な王子様の微笑み。
しかしカミラの脳内に届くその残響は、大講堂の時よりもさらに凶悪な不協和音を奏でていた。
(あー、クソ腹減った。っつーか何なんだよ、この女どもの群れは。豚の品評会か? どいつもこいつも俺の顔ばっかり見やがって、皿ひっくり返して全員にぶちまけてやろうか。……ああ、マジでだりぃ、今すぐ自室に帰って10時間くらい爆睡してぇ……)
(……相変わらず頭の中が物騒極まりないわね、あの王子様)
カミラはスープを口に運びながら、心の中でそっとため息をついた。関わらないでおこう、という決意がさらに強固なものになる。そんな王子の動向に、対面のベアトリスが真っ先に反応した。
(お、王子様……っ! 相変わらずなんて神々しくてお美しいのかしら! 私が完璧な令嬢としてお近づきになるべきお方は、あの人しかいないわ! ……でも、なんだか取り巻きが多すぎて、今話しかけに行くのはちょっと不作法よね。うん、次の機会を待つわ!)
ベアトリスは頬をわずかに赤くしながら、必死に「完璧な令嬢」としての理性を保とうと自分に言い聞かせている。かわいい。
一方、その隣の席のリーゼロッテは、王子のあまりのオーラと周囲の熱気に圧倒され、再び小動物のように小さくなっていた。
「あ、あの……エドヴァルト王子って、やっぱり凄く素敵ですね……。まるでおとぎ話の絵本から飛び出してきたみたいです……」
リーゼロッテが純粋な憧れの目を向けると、ベアトリスが待ってましたとばかりに、ふんと胸を張る。
「当然でしょう? あの方は我が国の至宝。見た目だけでなく、文武両道で完璧なお方よ。あなたみたいな庶民が滅多にお目にかかれるお方ではないのだから、目に焼き付けておきなさいな!」
(ふふん、庶民に王族の素晴らしさを教えてあげたわ! 私ってばなんて面倒見が良いのかしら!)
相変わらずのベアトリスの本音に、カミラが「ええ、本当に素晴らしいお姿ね(中身はともかく)」と心の中で毒づきながら微笑んでいると。
人混みをかき分けるようにして、一人の令嬢が王子の進路の前に進み出た。
(今よ……! ここで、あらかじめ用意しておいた、この最高級の刺繍入りハンカチを落とすの……! これで王子との運命の出会いイベントが発生するはず……!)
カミラの耳に飛び込んできたのは正門前でも聞いた、「イベント」を目論む令嬢の必死な残響だった。「イベント」とは一体…??と疑問に思い令嬢を観察する。
令嬢は王子の数歩前で、わざとらしく「あら?」と声を漏らしながら、ひらりと手元からハンカチを床へ落とした。
周囲の令嬢たちが(あ、あの子、わざとよ!あざといにもほどがあるわ!)と嫉妬の残響を震わせる中、エドヴァルト王子は足元に落ちたハンカチに気づき、足を止めた。
王子は、ハンカチを落とした令嬢に向けて、これ以上ないほど甘く優しい微笑みを浮かべる。
「お嬢さん、ハンカチを落としましたよ」
王子が優雅に腰をかがめ、ハンカチを拾って手渡す。その完璧なエスコートに、ハンカチの令嬢は「あ、ありがとうございます……っ!」と顔を真っ赤にして身を震わせた。周りからはブーイングのような残響が嵐のように渦巻く。
だが、その瞬間。カミラの脳内に響いた王子の残響は、完全に冷え切っていた。
(……っざけんなよ、このアマ。こんな古典的な手口で俺の気を引こうなんて100年早えんだよ。今すぐこのハンカチ、ゴミ箱にブチ込みてぇ……。ああ、手を洗いたい。今すぐ消毒液を頭から被りたい。クソが)
(……うわぁ……)
カミラは思わず持っていたスプーンを落としそうになった。表向きは、ハンカチを拾ってくれた王子と、それにときめく令嬢の美しい一幕。けれどその裏側は、毒吐きまくりの王子と、下心満載の令嬢という、あまりにも酷いディストピアだった。
「カミラ? どうしたの、急に顔色が悪くなって。やっぱり田舎者には、このスープのお味が濃すぎたかしら?」
ベアトリスがツンツンしながらも、心配そうにこちらを覗き込んでくる。リーゼロッテも「カミラ様、大丈夫ですか……?」と潤んだ瞳で見ていた。
「いいえ……なんでもないわ。ただ…少し急いで食べて胃がびっくりしちゃったみたい」
カミラは苦笑いしながら、二人を安心させるように微笑んだ。
(あの第一王子、顔と中身のギャップが激しすぎる。キリアン教授が知ったら『ギャップ萌え至高!!』って大喜びしそうだけど……絶対に、絶対に近づかないようにしましょう)
カミラが心の中でそう固く誓ったその時。ハンカチの一件を終えたエドヴァルト王子が、取り巻きを引き連れて、なぜかカミラたちの座る窓際の席のほうへと歩みを進めてくるのが見えた。
王子の本音の残響が、徐々にこちらへと近づいてくる。
周囲の令嬢たちが(えっ、王子がこっちに来る!?)(もしかして私を目に留めてくださったの!?)と一斉に色めき立ち、食堂内の熱気が跳ね上がる。
カミラは心の中で(来ないで、右に曲がって、お願いだからそのまま通り過ぎて)と念じるがその願いも虚しく、エドヴァルト王子はカミラたちのテーブルのすぐ横でピタリと足を止めた。
まばゆい金髪を揺らし、完璧な彫刻のような顔に極上の笑みを浮かべて、王子がベアトリスを見つめる。
「ゲルシュタイン子爵令嬢、ベアトリス嬢だね。ごきげんよう。君のお父上には、先日の夜会で素晴らしい名馬の話を聞かせていただいてね。……やはり、美しい薔薇の側には、その美しさに相応しい名馬がよく似合う」
「あ、あ……! お、お慕い……あ、いえ、ごきげんよう、エドヴァルト殿下……ッ!」
ベアトリスは顔を林檎のように真っ赤にし、完全にキャパシティオーバーを起こしていた。彼女の頭の中からは、
(おうじさまが!わたくしのなまえを!!おぼえていて!!しかもばらって!!わたくしのことばらって言ったわよね!?あああどうしましょう完璧な令嬢としての作法、作法を思い出しなさいベアトリス!!)
という、文字通り大パニックの残響が爆発寸前の音量で響いてくる。あまりの勢いに、カミラは自分の頭までクラクラしそうだった。しかし、その完璧な王子様がベアトリスに向けた残響は、相変わらず酷い。
(ゲルシュタインの娘か。親父がうるさいから一応声かけとくけど、顔真っ赤にしてやんの。チョロすぎ、ちょっと可愛いじゃん。つーか薔薇に名馬って俺何言ってんだ? 自分で言ってて恥ずかしくなってきたわ。あーだりぃ、台詞考えるのも面倒くせえ。一言喋るだけで寿命縮まる)
(……本当に、この王子の本音を耳元で聞き続けるのは私への刑罰か何かかしら…)
カミラが遠い目をしていると、王子は「おや?」とわざとらしく視線を動かし、カミラ、そしてリーゼロッテへと目を向けた。
「そちらのご令嬢方は、君のお友達かな?」
その瞬間、食堂中の視線がカミラたちに集中する。周囲の貴族令嬢たちからは(なによあの地味な田舎貴族……)(なんで庶民が王子と同じ空気を吸ってるのよ!)という、ドロドロとした嫉妬の残響が痛いほど突き刺さってきた。
そして、王子の頭の中からは、さらに冷え切った声が聞こえる。
『うわ、何この組み合わせ。ゲルシュタインの横にいるの、たしかローゼンブルクの辺境貴族じゃん。で、その奥の芋臭いのは特待生の庶民か? 最悪。早くどっか行けよ』
(…わざわざここまで来たのは、王子様のほうですよ…)
カミラは真顔を保ったまま、心の中でそっと毒づいた。
王子から放たれる威圧感に、隣のリーゼロッテは完全に気絶寸前でプルプルと震えている。
ここでベアトリスがいつも通り「ええ、この庶民が……」とでも言えば、王子は満足して去ったかもしれない。しかし、午前中のカミラの「完璧な令嬢」への誘導が、ベアトリスの誇りに火をつけてしまっていた。
ベアトリスはぎこちない動きで立ち上がると、必死に背筋を伸ばして言った。
「え、ええ……! こちらは、我が親戚のローゼンブルク家が令嬢、カミラ。そして、学園がその優秀さを認めた特待生のリーゼロッテさんにございます。……殿下、私たちは学園の定めた平等の精神に則り、共に親交を深めていたところですわ!」
(そうよ! 完璧な令嬢たるもの、学園の規則を遵守し、どんな相手にも寛大であるべきだわ! 殿下、わたくしのこの完璧な立ち振る舞いをご覧になって……!)
「……え?」
王子の完璧な笑顔が、一瞬だけピキッと固まったのがカミラには分かった。まさかベアトリスが、堂々と庶民を「お友達(親交を深める相手)」として紹介してくるとは思わなかったのだろう。
王子の脳内が激しく揺れ動く。
(は?? こいつ、何言ってんの?? 庶民と親交?? 平等の精神?? バカなの?? お前貴族のプライドどこに捨ててきたんだよ。つーかここで俺が庶民を無視したら、俺が学園の精神に反してるみたいになるじゃん。あー! めんどくせええええ!! 絡むんじゃなかった!! クソがあああああ!!)
(……ふふっ、!)
カミラは今度こそ、口元を押さえて声を殺して笑った。完璧な王子様が、ベアトリスのカミラに植え付けられた斜め上の「完璧な令嬢」によって、完全に自爆している。
「……そうか。それは、素晴らしい心がけだね。学園の平等な精神には、私も賛成だ。」
エドヴァルト王子は、引き攣りそうな頬の筋肉を必死に抑え込みながら、これ以上ないほど胡散臭いビジネススマイルをカミラたちに向けた。
(あーもう、帰る。絶対帰る。これ以上こいつらと喋ったら、ストレスで胃に穴が空くわ。全員爆発しろ)
「では、私はこれで。有意義な昼休みを」
王子はそれだけ言うと、逃げるように早足で取り巻きたちを引き連れて去っていった。
食堂内には王子に声をかけられたベアトリスへの羨望の眼差しと、王子が庶民を認めた事で(私も庶民と仲良くしようかしら…?そうすれば王子とお近づきになれるかも…!)というものへと変わっている。
「……はぁ、緊張したわ。でも、完璧に対応してみせたわよね、私!?」
ベアトリスが席に座り直し、ふんす、とドヤ顔でカミラを見る。カミラは心からの賞賛を込めて微笑んだ。
「ええ、本当に素晴らしかったわ、ベアトリス。あなたこそ、この学園に相応しい気高き令嬢よ」
「な、なによ急に真面目な顔して……っ!」
照れるベアトリスの残響は、(褒められた……! やったわ!)と、嬉しさで激しく飛び跳ねていた。隣では、リーゼロッテが「ベアトリス様、格好よかったです……!」と完全に彼女をリスペクトの目で見つめている。
(エドヴァルト王子。関わりたくない人ナンバーワンだけど……ベアトリスという盾があれば、意外と簡単に追い払えるかも。ベアトリスは王子と関わりたがっているし、平和的解決方法よね?)
自分の考えに、私ってもしかして悪い人間かしら…?と思いながらも、今後もベアトリスに頑張ってもらおうとカミラは思った。これからの学園生活への確かな手応えを感じつつ、冷めかけたスープを再び優雅に口に運ぶのだった。




