第18話 守れなかった過去
翌朝、フィリアが目を覚ましたとき、部屋の中にはまだ夜の名残が薄く残っていた。
窓の向こうは白み始めているが、完全な朝ではない。
空は淡い灰色で、屋敷の屋根も、訓練場の石畳も、まだ眠りと目覚めの境目に沈んでいる。遠くで夜番の交代を告げる短い声が聞こえ、それから静かに足音が遠ざかっていった。
机の上には、昨夜のまま、薄布をかけられた祈祷札が置かれている。
フィリアはしばらく寝台の上からそれを見つめた。
昨夜、あれは熱を持った。
大聖堂の方角へ、地下聖具庫へ、あるいはもっと別の何かへと、胸の奥を引くような気配を放った。
けれど今は静かだった。布の下で眠るように、そこにあるだけだ。
夢は見た。
でも、怖い夢ではなかった。
暗い地下へ引きずり込まれる夢でも、処刑台の鐘が鳴る夢でもない。
ただ、長い廊下の先に誰かが立っている夢だった。
背中しか見えなかった。
黒い騎士服に、銀の光を受けた髪。
その人が振り返る前に目が覚めた。
夢の続きを考えようとして、フィリアは胸元へ手をやる。
そこに祈祷札はない。
昨日、反応を抑えるために机の上へ置いたのだ。胸元が少しだけ心細い。けれど、それ以上に不思議な安心もあった。
机のそばの椅子に、昨夜セレスティアが座っていた跡が残っている。
いつの間に部屋を出たのだろう。
少なくともフィリアが寝入るまで、あの人はそこにいてくれた。窓と扉と祈祷札を見渡せる位置で、ただ静かに。
騎士として。
護衛として。
そして、きっとそれ以上の何かとして。
そこまで考えて、フィリアは頬が熱くなるのを感じ、慌てて夜具を直した。
変なことを考えてはいけない。
自分はまだ、処刑撤回も正式な無実も得ていない。
王都の地下には得体の知れない穢れの気配があり、大聖堂も、リュシエンヌも、王宮も、まだ何も終わっていない。
それなのに、セレスティアのことを考えると、胸の奥が別の意味で落ち着かなくなる。
昨日、眠る前に言ってしまった。
セレスティアさまの、騎士じゃないところも、知れたらいいなと思います。
半分眠っていたとはいえ、あまりにも踏み込んだ言葉だった気がする。
思い出しただけで、顔から火が出そうになる。
あの人はどう思っただろう。
困らせただろうか。
厚かましいと思われただろうか。
けれど、耳の奥にはかすかに残っている。
いつか、話せることがあれば。
あれは夢だったのか、現実だったのか。
確かめる勇気は、まだない。
扉が控えめに叩かれる。
「フィリア様、起きていらっしゃいますか?」
マリエッタの声だった。
「はい」
返事をすると、マリエッタが朝の湯と着替えを持って入ってきた。今日の彼女は少しだけ目元に疲れが見える。昨夜、記録だ何だと起こされてしまったのだから当然だ。だが動きはいつも通りきびきびしていて、盆を置く手つきにも乱れがない。
「おはようございます。眠れましたか?」
「はい。あの……昨夜は、すみませんでした」
「謝罪は昨日の夜に無効にしました」
マリエッタはそう言って、さらりと洗面の準備を始める。
「それより、頭痛や吐き気はありませんか?」
「ありません。少し、胸元が心細いくらいで」
「祈祷札が離れているからですね」
「……はい」
正直に答えると、マリエッタは机の上の札を見た。
「完全に離すと不安になるでしょうから、今日は布袋に入れたまま、首から下げずに腰紐へ結ぶ形にしてみましょう。胸元より反応が弱まるかもしれません」
「そんな使い方でもいいんですか?」
「お守りは本来、身につける人が落ち着く位置にあればいいんです。副団長は効率と安全だけで考えますが、人には気持ちというものがありますから」
その言い方に、フィリアは少しだけ笑ってしまった。
「セレスティアさまは、もう起きていらっしゃいますか?」
尋ねてから、自分でも声が少し慎重になったことに気づく。
マリエッタはそれに気づいていながら、あえて普通に答えた。
「ええ。今朝は早くから書斎に。昨夜の反応記録と、地下聖具庫周辺の資料を見直していらっしゃいます」
「……休まれていないんですね」
「休めと言って休む方なら、わたしも苦労しません」
少しだけ呆れた声だった。
だがそこには、長く仕えてきた者の親しみも混じっている。
「副団長は、必要だと思うと自分の休息を後回しにしてしまうんです。昔から」
「昔から……」
思わず繰り返すと、マリエッタの手が少しだけ止まった。
けれど彼女はすぐに、何でもないふうに布を絞る。
「ええ。昔から」
それ以上は言わない。
たぶん、マリエッタにも話していいことと悪いことの線があるのだろう。
フィリアはそれを察して、無理には尋ねなかった。
ただ、胸の中に小さな疑問が残る。
セレスティアの昔。
騎士ではなかった頃。
あるいは、騎士にならざるを得なかった理由。
その奥に、昨夜の「いつか」が繋がっているのかもしれない。
*
朝食の席で、セレスティアはいつも通りだった。
黒の騎士服。
整えられた髪。
乱れのない姿勢。
灰青の瞳には眠気の色もなく、昨夜ほとんど休んでいないのではないかという気配さえ、本人の態度からは読み取りにくい。
けれど、フィリアにはわかった。
いつもより、ほんの少しだけ言葉が少ない。
茶へ手を伸ばす動きも、いつもより一拍だけ遅い。
疲れているのだ。
「セレスティアさま」
「何です」
「……少しは、眠れましたか」
尋ねると、セレスティアは一瞬だけ目を止めた。
「問題ありません」
予想通りの返答だった。
フィリアは少しだけ眉を下げる。
「それは、答えになっていない気がします」
マリエッタが匙を置く手を止めた。
明らかに、少し面白がっている。
セレスティアはフィリアを見たまま、短く沈黙する。
「……浅くは」
「浅くは、ですか」
「必要な休息は取っています」
「それも、少し怪しいです」
言ってから、フィリアは自分で驚いた。
こんなふうに言い返すつもりではなかった。
けれど、昨夜ずっとそばにいてくれたことを思うと、黙っていられなかったのだ。
セレスティアもまた、少しだけ意外そうな顔をした。
だが怒らなかった。
「あなたは、時々急に強くなりますね」
「そ、そうでしょうか」
「ええ」
その言葉が、褒めているのか呆れているのかはわからない。
けれど少なくとも、拒絶ではなかった。
マリエッタがすかさず口を挟む。
「フィリア様のおっしゃる通りです。副団長、本日は午後に一刻ほど休息を入れてください」
「予定が詰まっています」
「では予定に休息を入れます」
「マリエッタ」
「昨夜の反応記録を取りまとめるには、判断する側の頭が疲れていては困ります」
セレスティアは反論しようとして、ほんの少しだけ黙った。
珍しい。
フィリアは思わず見つめてしまう。
やがてセレスティアは小さく息を吐いた。
「……一刻だけです」
「十分です」
マリエッタは満足げに頷いた。
フィリアも胸の中でほっとする。
セレスティアは茶を一口飲み、それからふとフィリアへ視線を向けた。
「昨夜の件ですが」
「はい」
「祈祷札の位置を変えて、今日一日反応を見ます。胸元ではなく、腰のあたりに」
「マリエッタさんにも言われました」
「そうですか。ではそれで」
短い確認。
けれど、二人が同じように自分の状態を考えてくれていることが、フィリアにはありがたかった。
「地下聖具庫の調査は、私とマリエッタで進めます。あなたは今日は屋敷内から出ない。反応があればすぐ知らせること」
「はい」
「何も起きなければ、それでいい」
何も起きなければ、それでいい。
その言い方に、フィリアは少しだけ安心する。
何かを感じなければ役に立たない、というわけではないのだ。
朝食のあと、フィリアは書斎へは入らず、マリエッタの勧めで屋敷の小さな庭へ出た。
近衛の居館の裏手にある庭は、華やかではない。
低木と薬草、数株の白い花。
装飾のためというより、実用と最低限の安らぎのために整えられた庭だった。
フィリアは外套を羽織り、庭石のそばに腰を下ろす。
腰紐に結ばれた祈祷札は、胸元にあるときよりも確かに静かだった。完全に忘れられるほどではないが、常に心臓の近くで脈打つ感じは薄い。
庭の香りはやさしかった。
湿った土と、薬草の青い匂い。
大聖堂の香とは違う。
正しさを押しつける匂いではなく、そこに生えているものがそのまま息をしている匂いだ。
しばらくして、屋敷の中から低い声が聞こえた。
セレスティアの声ではない。
年配の男の声。
それに続いて、セレスティアの短い応答が響く。
フィリアは顔を上げた。
庭へ続く回廊の向こうで、セレスティアが一人の騎士と話しているのが見えた。
相手は四十代ほどの男で、近衛の上級騎士らしい落ち着いた身なりをしている。二人の会話は遠く、内容までは聞き取れない。だが、男の表情は重く、セレスティアの横顔も少し硬かった。
そして、その男が去り際に言った一言だけが、風に乗って届いた。
「――レオナの時のようには、なさらぬことです」
フィリアの胸が、どくりと鳴った。
レオナ。
知らない名だった。
けれどその名前が出た瞬間、セレスティアの空気が変わったのがわかった。
ほんのわずか。
きっと他の人なら気づかないほどの変化。
でもフィリアには、確かに見えた。
凍るように、静かになったのだ。
男はそれ以上何も言わず、深く一礼して去っていく。
セレスティアはしばらくその場に立ったままだった。
庭の方を見てはいない。
けれど、どこか遠くを見ているようだった。
フィリアは声をかけるべきか迷った。
聞いてはいけないことを聞いてしまった気がする。
でも、見て見ぬふりをするには、セレスティアの横顔があまりにも静かすぎた。
やがて彼女はゆっくりこちらへ視線を向ける。
目が合った。
「……聞こえましたか」
セレスティアが庭へ歩いてきながら言う。
フィリアは嘘をつけず、小さく頷いた。
「少しだけ。名前が……」
「レオナ、ですね」
「……はい」
言ってから、フィリアはすぐに続ける。
「すみません。聞くつもりはなくて」
「あなたのせいではありません」
セレスティアは庭石の少し離れた場所で立ち止まった。
いつものように距離を取る。
けれど、その距離が今日は少し寂しく見えた。
フィリアは何を言えばいいのかわからない。
ただ、さっきの名前がこの人にとって軽くないものだということだけは、はっきりわかる。
沈黙が落ちる。
風が薬草を揺らし、青い香りが二人の間を通り抜けた。
やがてセレスティアが、静かに口を開いた。
「昔、守れなかった人がいます」
それはあまりにも唐突で、あまりにも重い告白だった。
フィリアは息を止めた。
だが、口を挟まなかった。
「レオナは、私の妹ではありませんでした。血縁でもない。けれど、幼い頃から同じ屋敷で育ちました」
セレスティアの声は淡々としていた。
まるで戦場の報告をしているように、感情を抑えている。
でも、その抑え方自体が、胸の奥の傷の深さを語っていた。
「母が亡くなったあと、父が引き取った子です。身寄りのない子で、私より三つ年下でした」
フィリアは膝の上で手を握る。
三つ年下。
妹同然。
それだけで、今のセレスティアの横顔に重なるものが見えてくる。
「彼女にも、少し変わった力がありました」
その言葉に、フィリアの胸が鋭く反応した。
「変わった力……」
「ええ。聖女候補として呼ばれるほど強いものではありません。けれど、人の痛みに敏感で、傷ではなく心の乱れを感じるような子でした」
フィリアは言葉を失った。
それは、どこか自分と似ていた。
まったく同じではない。
でも、王都の基準に収まりにくい力という意味では、近いものを感じる。
「レオナは優しい子でした。優しすぎた。自分が感じた苦しみを、すぐ自分の責任のように抱え込む」
イザベラの忠告が、胸の中でよみがえる。
見えてしまったものの責任まで、全部背負おうとしないこと。
フィリアは、なぜイザベラがあんなに強く言ったのか、少しだけわかった気がした。
「ある時、王都の聖堂関係者が彼女の力に目をつけました」
セレスティアの声が、ほんの少しだけ冷える。
「正式な聖女ではなくても、役に立つかもしれないと。名目は保護と教育でした」
フィリアの背筋に冷たいものが走った。
保護。
教育。
静養。
再鑑定。
リュシエンヌが口にした言葉と、どこか似ている。
「私はその頃、まだ騎士見習いでした。権限もなく、経験もなく、けれど剣には自信があった。だから、何かあれば自分が守れると思っていた」
セレスティアはそこで一度言葉を切った。
庭の風が止まったように感じた。
「でも、守れませんでした」
短い一文。
その中に、どれほどの時間と後悔が詰まっているのか、フィリアには想像するしかない。
「レオナは、聖堂で何度も試されました。力の性質を調べると言って、疲れても休ませず、感じ取れるものを言わせ続けた。彼女は人の痛みを自分のもののように受け取る子だったのに」
フィリアの指先が冷える。
「気づいた時には、壊れかけていた。私が連れ戻そうとしたときには、もう遅かった」
「……亡くなった、のですか」
尋ねる声が、ひどく小さくなる。
セレスティアはすぐには答えなかった。
やがて、低く言う。
「死んではいません」
フィリアは少しだけ息を吸った。
だが安堵するには早すぎることも、セレスティアの顔を見ればわかった。
「けれど、彼女は王都を離れました。誰にも会わず、誰の痛みも感じない場所へ行きたいと」
「……」
「私はそれを、止められなかった。止める資格もなかった」
セレスティアの手が、静かに拳を作る。
「守ると言いながら、私は彼女を守るために必要なことを知らなかった。剣で追い払える敵ばかりではないと、理解していなかった」
その言葉は、リュシエンヌの忠告とも繋がっていた。
王都は、近衛の剣だけで守りきれるほど単純な場所ではない。
その意味を、セレスティアはずっと前から知っていたのだ。
身をもって。
失ったものを通して。
フィリアの胸が痛んだ。
この人がいつも慎重なのは。
優しさの置き場所を間違えないようにしているのは。
フィリアが無理をしようとするとすぐに止めるのは。
全部、そこに繋がっているのかもしれない。
「……だから」
フィリアはゆっくりと口を開く。
「だから、わたしを止めてくださるんですね」
セレスティアの瞳が、静かにこちらへ向く。
「イザベラ様が“無茶をするタイプに見える”って言った時、セレスティアさまがすぐ止めるって言ってくださったのも。昨夜、反応を追うなって言ったのも」
言葉にしながら、胸の奥が熱くなる。
「前に守れなかった人がいたから……」
セレスティアは否定しなかった。
ただ、少しだけ目を伏せる。
「それもあります」
それも。
その一言が、フィリアの胸に引っかかった。
フィリアは少しだけ迷ってから、勇気を出して尋ねる。
「それだけ、ではないんですか」
沈黙。
セレスティアはすぐには答えなかった。
庭に風が戻り、白い花が小さく揺れる。
長い間のあと、彼女は静かに言った。
「……今は、あなたを守る必要があるからです」
その答えは、セレスティアらしい。
感情ではなく、必要。
義務に近い言い方。
けれど今のフィリアには、その中に隠れているものが少しだけ見える気がした。
「必要、ですか」
「ええ」
「それは、騎士として?」
セレスティアの瞳が揺れた。
ほんの一瞬。
本当に、一瞬だけ。
でもフィリアは気づいた。
セレスティアは答えなかった。
答えないまま、視線を庭の花へ落とす。
「……まだ、うまく言えません」
それは意外な言葉だった。
この人が、うまく言えないと言った。
いつも明確で、必要な言葉だけを選ぶ人が。
フィリアは胸が締めつけられるような気持ちになる。
「言えなくても、いいです」
自然にそう答えていた。
セレスティアが顔を上げる。
「わたしも、まだうまく受け取れないことがたくさんあります。自分の力のことも、王都のことも……セレスティアさまのことも」
最後の言葉は少しだけ恥ずかしかった。
でも、言いたかった。
「だから、言える時に、言えるところからでいいです」
セレスティアはしばらく黙ってフィリアを見ていた。
その表情は、いつもの冷徹な女騎士のものではなかった。
もっと静かで、迷いがあって、傷に触れられた人の顔だった。
「……あなたは」
セレスティアがぽつりと言う。
「時々、こちらが予想していない場所に手を伸ばしますね」
「す、すみません」
「謝ることではありません」
その返事が少しだけやわらかくて、フィリアは胸を撫で下ろす。
しばらく、二人は庭の中で黙っていた。
遠くでは訓練の号令が聞こえる。
近衛の屋敷の日常は変わらず続いている。
けれどこの小さな庭だけは、過去の痛みと、今の静けさが重なり合う場所になっていた。
「レオナ様は」
フィリアは慎重に尋ねた。
「今も、どこかで……」
「生きています」
セレスティアは静かに答えた。
「遠い修道院に。王都とは関わらず、静かに暮らしていると聞いています」
「会いに、行かれないんですか」
言ってから、踏み込みすぎたかもしれないと思った。
だがセレスティアは怒らなかった。
「行けません」
「……どうして」
「彼女が望まないからです」
その一言に、フィリアは胸が痛んだ。
「そう、ですか」
「ええ」
セレスティアは淡々と答えた。
でも、その淡々とした声の底に、ずっと触れられなかった後悔が沈んでいるのがわかる。
フィリアは何も言えなかった。
慰めの言葉など、簡単には出せない。
「いつか会えます」とも「きっと許してくれます」とも言えない。
そんなことを自分が言うのは、軽すぎる気がした。
だから代わりに、フィリアはそっと言った。
「話してくださって、ありがとうございます」
セレスティアは少しだけ目を伏せた。
「礼を言われることではありません」
「でも、わたしは知りたかったので」
それは昨夜の続きだった。
騎士ではないところも知りたい。
その願いに、セレスティアはほんの少しだけ答えてくれたのだ。
「セレスティアさまが、どうしてそんなふうに守ろうとしてくださるのか……少しだけ、わかった気がします」
完全ではない。
たぶんこれからも、簡単にはわからない。
けれど少しだけ近づけた。
それだけで十分だった。
セレスティアは何も言わなかった。
だが、さっきまで固く結ばれていた拳は、いつの間にか少し緩んでいた。
*
その日の午後、セレスティアは本当に一刻だけ休むことになった。
マリエッタが強引に予定表へ「休息」と書き込み、フィリアもそれに小さく頷いたため、さすがのセレスティアも拒否しきれなかったのだ。
「一刻だけです」
「はい、一刻だけです」
マリエッタが満面の笑みで答える。
セレスティアは納得しきっていない顔だったが、それでも書斎を離れた。
フィリアはその背を見送りながら、少しだけ胸があたたかくなるのを感じた。
守れなかった過去は、消えない。
レオナという名が、セレスティアの中でどれほど重いものなのか、フィリアにはまだすべてわからない。
けれど、今日ひとつだけ知った。
セレスティアは、ただ強いから守るのではない。
守れなかった痛みを知っているから、今度こそ守ろうとしているのだ。
そして、その痛みごと、彼女は今、フィリアの前に立っている。
フィリアは腰紐に結んだ祈祷札へそっと触れた。
今日は熱くない。
静かにそこにある。
自分も、いつか。
守られるだけではなく、この人の痛みを少しでも軽くできるだろうか。
その問いに、まだ答えはない。
けれど、初めてそう願ったことだけは、確かだった。




