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処刑されるはずの偽聖女ですが、冷徹女騎士さまだけが私を信じてくれます  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第16話 地下聖具庫

 その話が出たのは、リュシエンヌの来訪から一夜明けた翌日の午後だった。


 近衛の屋敷の書斎は、いつも通り静かだった。

 窓から差し込む昼下がりの光が、机の上に広げられた書類の端を白く照らしている。

 マリエッタが茶器を片づける音。

 遠くで訓練用の木剣が打ち合う乾いた響き。

 それらが重なり合い、王都の片隅にあるこの部屋だけは、まだ世界の理不尽から少し切り離されているように感じられた。


 けれど、机の上に並んだ紙束の内容は、そんな穏やかさとは正反対だった。


 大聖堂の出入り記録。

 聖具の管理簿。

 候補生棟の見取り図。

 聖印具保管室付近の巡回報告。

 王宮予備聴取官アーノルド・レヴェインが残していった、あまりにも整いすぎた聞き取り要約。


 フィリアは少し離れた椅子に座りながら、それらをぼんやりと眺めていた。

 自分ひとりなら、きっと一枚目を見ただけで気後れしていただろう。

 けれどセレスティアは、最初からフィリアに全部を理解しろとは言わない。必要なものを必要な順で見せる。わからないところは切り分ける。そういう進め方をしてくれる。


 だからフィリアは今、机に積まれた書類の存在そのものにはもう怯えなくなりつつあった。


「候補生棟から大聖堂本棟へ向かう経路は、大きく三つ」


 セレスティアが見取り図の一枚を机上へ広げる。


「表回廊。南側渡り廊下。地下連絡路」


 最後の単語に、フィリアの視線が止まった。


「……地下?」


「ええ」


 セレスティアは頷く。


「公にはあまり使われない経路です。古い聖具庫や、修復待ちの祭器を保管している区画へ繋がっている」


 マリエッタが机の端から補足する。


「普段、候補生が通ることはほとんどないはずなんです。でも、清掃や運搬の都合で、時々使われることはあるそうで」


 フィリアは記憶を辿った。

 地下。

 薄暗い石段。

 冷えた空気。

 そう言われると、王都へ来て間もない頃、案内役の修道女に一度だけ「ここは通らないでくださいね」と言われた場所があった気がする。


「地下聖具庫……」


 小さくその名を口にすると、なぜだか胸の奥がざわりと波立った。


 ただの響きではない。

 もっと感覚に近い何か。

 言葉に触れた瞬間、冷たい石壁と、閉じた扉の向こうに沈む重さのようなものが、遠い記憶の底から浮かび上がってくる。


 セレスティアはその変化を見逃さなかった。


「何か、思い当たることが?」


 問いは静かだった。

 急かさない。

 けれど、見落とさない。


 フィリアはすぐには答えず、自分の胸へ手を当てた。

 鼓動が少し早い。

 怖いわけではない。

 でも、嫌な冷たさに近いものが、言葉だけで蘇りかけている。


「……はっきりは、しません」


 そう前置きしてから、少しずつ話す。


「でも、地下の話を聞いたら、少しだけ……似た感じがしました。聖印具の保管室の前で立ち止まったときみたいな」


 書斎の空気がわずかに変わる。


 セレスティアの目が細くなり、マリエッタは無意識に姿勢を正した。


「似た感じ、とは」


「重いというか……静かなのに、嫌な感じが沈んでいるような」


 自分でも曖昧だと思う。

 けれど、今の自分に言えるのはそこまでだった。


「地下聖具庫の位置を、もっと詳しく」


 セレスティアが言うと、マリエッタはすぐに別の図面を持ってきた。

 古い設計図らしく、紙も黄ばんでいる。

 大聖堂本棟の地下区画。

 石造りの倉庫群。

 連絡用の通路。

 封鎖印のついた扉。

 修復室、祭器室、旧祈祷具庫。

 その最奥に、小さく記された一角がある。


 地下聖具庫


 その文字を見た瞬間、フィリアははっきりと息を呑んだ。


「……っ」


 胸元の祈祷札が、服越しにわずかに熱を帯びる。


 同時に、図面のその一角を見ているだけで、喉の奥がひやりと冷えた。

 記憶ではない。

 でも何かが確かに反応している。


「フィリア?」


 セレスティアが一歩近づく。


「大丈夫ですか」


「だ、大丈夫……では、ないです」


 前なら反射的に“平気です”と言っていたかもしれない。

 でも今は、違う。


「その場所、見ているだけで少し……気持ち悪いです」


 セレスティアはすぐに図面の上へ手を置き、フィリアの視線を遮るようにした。

 その動作は早いのに、乱暴ではない。


「もう十分です」


「でも……」


「今は、これ以上見なくていい」


 そう言ってから、彼女はマリエッタへ視線を向ける。


「地下聖具庫の管理記録、出せますか」


「近衛から正式照会をかければ、表向きの記録までは取れると思います」


「表向き、か」


 セレスティアの声が低くなる。


「裏があると?」


 マリエッタは少しだけ迷ってから答えた。


「大聖堂の古い保管区画って、記録と実態がずれていることがあるんです。昔の寄進品や封印物なんかは、名目上“移送済み”になっていても、実際には残っていたりしますから」


 フィリアはその言葉に小さく身を固くした。


 封印物。

 寄進品。

 古い聖具。

 そうしたものが積み重なった地下で、もし澱のようなものが溜まっているのだとしたら、自分があのとき感じた“重さ”にも説明がつくのかもしれない。


「……あの」


 フィリアはおそるおそる口を開く。


「わたし、そこへ行ったことは……たぶん、ありません」


 そう言いながら、自分でも“たぶん”という言い方が気になった。

 けれど断言もできない。


「でも、知っている気がするんです」


 セレスティアが黙って続きを待ってくれる。

 その沈黙が、言葉を探す余白になる。


「候補生の頃、地下は通るなって言われたことがあります。理由は“古いものが多いから危ない”って。だから、本当に入った記憶はないんですけど……」


 フィリアは図面から視線を外したまま続けた。


「たぶん、そのとき、階段の下から空気が上がってきていて……それが、いま思うと少し似ていた気がします」


 似ていた。

 聖印具の保管室前の圧迫感に。

 北側客間で感じた、澱んだ聖具の重さに。

 そして今、地下聖具庫という文字を見ただけで胸の奥に広がった冷たさに。


 セレスティアは数秒だけ考え込み、やがてはっきり言った。


「地下を洗う必要がありますね」


 その言葉に、フィリアは思わず顔を上げた。


「洗う……?」


「調べる、という意味です」


 セレスティアは書類の端を揃えながら続ける。


「大聖堂本棟の地下聖具庫、その周辺区画、管理記録、出入りの履歴。可能なら、現在も何が保管されているのかまで」


 マリエッタが少しだけ表情を曇らせる。


「副団長、それは表向きの照会では無理かもしれません」


「なら別口を使います」


「近衛の職権で押しますか?」


「必要なら」


 その二人のやりとりは静かだが、内容は穏やかではない。

 大聖堂の地下区画へ近衛が踏み込む。

 それはおそらく、ただの事務手続きで済む話ではないのだろう。


 フィリアは不安になって尋ねる。


「……そこまでして、大丈夫なんでしょうか」


 セレスティアが振り返る。


「何が」


「大聖堂に……目をつけられたり」


 自分のせいで、またこの人に余計な敵が増えるのではないか。

 そう思うと、どうしても言わずにいられなかった。


 だがセレスティアは少しも迷わず答えた。


「すでに目はついています」


 あまりにもはっきりと言われて、フィリアは一瞬だけ言葉を失う。


「あなたを保護した時点で、こちらは中立ではいられません」


 その声は淡々としていた。

 けれど、その現実を当然のものとして受け入れている響きがある。


「なら、見て見ぬふりをして後手に回るより、自分から掴みにいく方がましです」


 フィリアの胸がじんと熱くなる。

 自分のために、ではないのだろう。

 この人はきっと、筋が通らないことを放っておけない。

 そういう人だからこそ、ここまで来ている。


 でも、その筋の先に今、自分がいる。


「……ありがとうございます」


 思わず零れた礼に、セレスティアは小さく息をつく。


「今日はその言葉が多い」


「でも、本当にそう思っているので」


「それは知っています」


 返答はいつも通りだ。

 けれど、その“知っています”が前より少し近く感じる。


 マリエッタが書類を束ねながら、やや実務的な口調で言う。


「問題は、どうやって地下聖具庫へ近づくかですね。正式照会だけだと、いかにも“そこが怪しい”と教えるようなものです」


「なら、まずは周辺からだ」


 セレスティアが答える。


「管理簿、搬入記録、修復申請、巡回報告。地下そのものではなく、地下へ繋がる動きを拾う」


 フィリアはその会話を聞きながら、胸元の祈祷札へそっと触れた。


 まだ熱はない。

 でも、地下聖具庫という言葉を思い返すだけで、どこか身体の奥が静かにざわつく。


 自分が何かを感じ取っているのは、たぶん間違いない。

 なら、そこには本当に“何か”があるのかもしれない。


「……フィリア」


 セレスティアに呼ばれ、顔を上げる。


「今日はこれ以上、地下のことを考えなくていい」


「え」


「反応が強すぎる。今はまだ、あなた自身が無理に追う段階ではない」


 その言い方に、フィリアは少しだけ反発しそうになった。

 自分の力に関わることなのだから、もっと知りたいと思ってしまう。

 役に立てるなら、追いたいとも。


 だが、イザベラの忠告が脳裏をよぎる。


 見えてしまったものの責任まで、全部背負おうとしないこと。


 フィリアは唇を引き結び、やがて頷いた。


「……はい」


 セレスティアはその返答を確認してから、机上の図面へ布をかけた。

 視界から消えるだけで、胸の奥のざわつきも少しだけ遠のく。


 書斎の窓の外では、午後の光がじわじわと傾いていた。

 王都の地下深くに眠るもの。

 それが何なのか、まだ誰にもわからない。

 でも確かに、扉の輪郭だけは見え始めている。


 フィリアは膝の上で両手を重ねた。

 自分の力は、癒やしではない。

 見えないものを浮かび上がらせる。

 だとしたら地下聖具庫は、きっといつか避けては通れない場所になるのだろう。


 怖い。


 でも同時に、目を逸らしたくないという思いもある。


 そんな相反する気持ちを抱えたまま、フィリアは小さく息を吐いた。


 地下聖具庫。

 その名前は、まだ開いていない扉の向こうから、確かにこちらを呼んでいた。

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