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処刑されるはずの偽聖女ですが、冷徹女騎士さまだけが私を信じてくれます  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第12話 偽りではなかった

 その日の午後は、妙に静かだった。


 静室での鑑定が終わったあと、マリエッタに「少し横になってください」と半ば命じられるように客間へ戻されたフィリアは、寝台の端へ腰を下ろしたまま、しばらく動けずにいた。


 身体はたしかに少し疲れている。

 だがそれ以上に、胸の中があまりにも満ちすぎていて、何から考えればいいのかわからなかった。


 偽物ではない。


 その言葉だけが、何度も何度も頭の中で響く。


 空っぽではなかった。

 何も持たずに王都へ来たわけではなかった。

 ただ、王都が求めたものとは違っていただけ。


 その事実は、フィリアの中に長く沈んでいた何かを、少しずつ浮かび上がらせていた。喜びなのか、安堵なのか、悔しさなのか、自分でもまだ整理できない。ただ確かなのは、ずっと自分へ向けていた疑いが、今はじめて揺らいでいるということだった。


 窓の外では、午後の光が石壁へ柔らかく落ちている。

 近衛の屋敷らしく、遠くから訓練の声や馬のいななきも聞こえる。

 世界は変わらず動いている。

 なのに、自分の内側だけが、今日から違う世界へ踏み込んでしまったようだった。


 膝の上へ置いた両手を見つめる。


 何も変わっていないように見える。

 包帯を巻いた、少し細いだけの手。

 聖印が輝くわけでもない。

 光を纏うわけでもない。

 それでもこの手は、確かに“何か”を持っていたのだ。


「……偽りでは、なかったんだ」


 ぽつりと零れた声は、自分の耳にひどく遠く聞こえた。


 王都へ来てから何度も言われてきた。

 偽物。

 役立たず。

 聖女を騙る罪人。

 そしてそのたびに、フィリアは心のどこかで“もしかしたら本当にそうなのかもしれない”と思ってしまっていた。


 だって、証明できなかったから。

 皆が目で見てわかる奇跡を、自分は示せなかったから。

 疑われたとき、堂々と否定できるだけの確信を、自分でも持っていなかったから。


 それが今日、初めて変わった。


 誰かを説得するためではなく、まず自分自身の中で。

 自分は、偽りではなかったのだと。


 その瞬間、喉の奥が急に熱くなる。


 フィリアは慌てて両手で口元を押さえた。

 もう十分泣いたはずなのに、涙はまだ勝手に湧いてくる。


 嬉しい。

 でも、それだけではない。


 どうしてもっと早く、こういう可能性に気づけなかったのだろう。

 どうして自分は、王都の秤ばかりを信じてしまったのだろう。

 どうして、あそこまで自分で自分を疑ってしまったのだろう。


 悔しさに似たものも、確かにあった。


 そのとき、扉が控えめに叩かれた。


「フィリア様、起きていらっしゃいますか?」


 マリエッタの声だ。


「は、はい……」


 返事をすると、彼女は盆を持って部屋へ入ってきた。湯気の立つ茶と、小さな焼き菓子が二つ。それから、新しい包帯と薬壺まで持っている。相変わらず気の利く人だと、フィリアはぼんやり思った。


 マリエッタはフィリアの目元をひと目見るなり、少しだけやさしい顔になる。


「また泣かれましたね」


 責めるでもなく、呆れるでもない言い方だった。

 それがかえって、フィリアの胸へしみる。


「……すみません」


「今日はその謝罪、無効にしましょうか」


 マリエッタがそう言って、丸卓へ盆を置く。


「偽物じゃなかったとわかった日に泣くのは、たぶん普通のことです」


 フィリアは思わず顔を上げた。

 普通。

 それはセレスティアにも言われた言葉だった。


「……普通、でしょうか」


「少なくとも、わたしなら泣きます」


 きっぱりと言い切られ、フィリアは少しだけ唇を緩める。

 こんなとき、マリエッタは本当に絶妙な場所へ言葉を置く。


 彼女は茶を注ぎながら、何でもないふうに続けた。


「イザベラ様も、帰り際に仰っていましたよ。『あの子は今日ひとつ、自分の足場を取り戻した』って」


「……足場」


「ええ。誰かに“違う”と言われる前に、自分で自分を疑ってしまうと、立つ場所がなくなりますから」


 その言葉に、フィリアはじっと茶の表面を見つめた。

 薄く揺れる茶色の水面。

 そこへ映る自分の顔は、泣いたあとのせいで少し目が赤い。


 立つ場所。

 たしかに、王都へ来てからずっと足元がなかった気がする。

 大聖堂の中でも、自分の部屋の中でも、儀式の最中でも、処刑台の上でも。

 どこにも“ここにいていい”と思える場所がなかった。


 でも今は、まだ小さくても、かすかでも、足を置ける場所がある。

 それがどれほど大きいことか、フィリアはようやく理解し始めていた。


「副団長は?」


 何気ないふうを装って尋ねる。

 だがマリエッタは、ほんの少しだけ意味ありげに目を細めた。


「書斎です。イザベラ様と少し話して、そのあと一人で考え込んでいらっしゃいます」


「考え込んで……」


「ええ。あの方なりに、ずいぶん大きな転換点だと思っているのでしょう」


 フィリアはその言葉に、胸がそっとざわめく。

 自分だけでなく、セレスティアにとっても、今日の鑑定はただの確認ではなかったのだ。


「……わたし、少しだけ、お礼を言いたいです」


 気づけばそう口にしていた。


 マリエッタは驚いたような顔をしなかった。

 むしろ当然だとでもいうように頷く。


「では、お持ちしますか?」


「い、いえ、あの……わたしが、行っても」


「もちろん」


 その返事に、フィリアは少しだけ肩の力を抜く。


「ただし、副団長はいま難しい顔をしていると思いますけど」


「それは……いつも少し、そうでは」


 思わず漏らすと、マリエッタが声を立てずに笑った。


「否定できませんね」


     *


 書斎の前まで来ると、フィリアの足は少しだけ鈍った。


 中にはセレスティアがいる。

 お礼を言いたい。

 でも何をどう言えばいいのか、急にわからなくなってしまう。


 今日一日だけでも、もらったものが多すぎた。

 鑑定の場を整えてくれたこと。

 近くにいてくれたこと。

 “王都の基準がすべてではない”と言い切ってくれたこと。

 そして、その前からずっと、自分を処刑台へ戻さないよう立ち続けてくれていたこと。


 どこから言えばいいのだろう。


 迷っているうちに、書斎の中から低い声がした。


「入って」


 扉の前にいると、気配でわかるらしい。

 フィリアは小さく息を呑んでから、そっと扉を開けた。


 書斎の中は午後の光で明るかった。

 窓辺の机には、いくつもの書類とメモが広げられている。

 セレスティアはその前に立ち、書類へ目を落としていたが、フィリアが入ってくるとすぐに視線を上げた。


「どうしました」


 いつも通りの声音。

 だが以前より、その平坦さの奥に気づけるようになっていた。

 この人は本当に無関心なときには、もっと視線が遠い。

 今は、ちゃんとこちらを見ている。


「……お邪魔でしたか」


「いいえ」


 短い返答。

 それだけで、少しだけ入りやすくなる。


 フィリアは扉を閉め、部屋の中央で立ち止まった。


「その……」


 言葉が出てこない。

 胸の内にはいっぱいあるのに、形にならない。


 セレスティアは急かさなかった。

 机の端へ手を置いたまま、ただ待っている。


 それに背を押されるように、フィリアはやっと口を開く。


「今日、ありがとうございました」


「何に対して」


 問い返しは意地悪ではなく、純粋な確認だった。

 何に礼を言われているのか、本当に整理したいのだろう。


 フィリアは息を吸う。


「鑑定のこと、です。……それから、その前からのことも、全部」


 少しずつ言葉を重ねる。


「わたし、ずっと、自分でもわからなくなっていたので。もし本当に何も持っていなかったら、どうしようって……」


 その時の不安を思い出すだけで、胸が少し苦しくなる。

 だが今は、それを口にできる。


「でも今日、違うってわかって……。偽りではなかったって、やっと自分でも思えて」


 視界がまた少し揺れる。

 泣くまいと瞬きをして、続けた。


「それを知れたのは、セレスティアさまが、処刑を止めて、ここに置いて、調べてくださったからです」


 自分で言いながら、その事実の重さに改めて気づく。

 この人がいなかったら。

 今日という日はなかった。

 偽物ではないと知る前に、自分はとっくに終わっていた。


「だから……ありがとうございました」


 ようやく言い切ると、書斎にはしばし静寂が落ちた。


 セレスティアはすぐには答えない。

 だが、その目はフィリアから逸れない。


 やがて彼女は、ごく低く言った。


「礼を言われるべきなのは、まだ先です」


 その返事に、フィリアは少しだけ首を傾げる。


「……先、ですか」


「ええ。まだ無実が確定したわけではない。あなたの力の全容もわからない。王都の中に何があるのかも、誰がどこまで関わっているのかも」


 セレスティアは淡々と並べる。

 たしかにその通りだ。

 今日の鑑定は大きな一歩だったが、すべての解決ではない。


「ですが」


 そこで、彼女の声音がほんの少しだけ和らいだ。


「あなたが、ひとつ疑いを下ろせたのなら……それは良かったと思います」


 その言葉に、フィリアの胸がじんと熱くなる。


 “良かったと思う”。

 たったそれだけ。

 でもこの人が自分の感情をそういう形で口にするのは、きっと簡単ではない。


「……はい」


 フィリアは小さく頷いた。


「本当に、少しだけですけど……軽くなりました」


「少しで十分です」


 セレスティアはそう言って、机の上の紙片を一枚伏せた。


「いきなり全部は変わらない。だが、足元が戻れば立ち方は変えられる」


 足元。

 マリエッタの言っていたことと同じだ。


 フィリアはその言葉を胸の中でなぞる。

 少しだけでも、立ち方が変わる。

 そうであれたらいいと思う。


 ふと、書斎机の上に見慣れたものを見つけた。

 薄青の糸で花が刺された、あの栞だ。

 セレスティアの母の形見だと言っていた書見道具のひとつ。


 フィリアの視線に気づいたのか、セレスティアがそちらを見た。


「それがどうかしましたか」


「あ……いえ、あの」


 少し迷ってから、フィリアは本音を口にした。


「前にいただいた栞、大事にしています」


 セレスティアは一瞬だけ目を細める。


「そうですか」


「はい。……あれも、なんだか、今日に繋がっていた気がして」


 自分でも少し変な言い方だと思った。

 でも本当にそう感じたのだ。

 あの栞を受け取ったとき、初めて“ここで時間を過ごしていい”と許された気がした。

 それがあったから、今日、偽りではなかったと知るところまで来られたような気がしてしまう。


 セレスティアは静かにフィリアを見る。


「あなたは、時々妙なところで物事を繋げますね」


「そう、でしょうか」


「ええ」


 だが、その口調に否定の色はなかった。

 むしろ少しだけ、面白がっているようにも聞こえた。


 フィリアは勇気を出して、もう一つ尋ねる。


「……セレスティアさまは、わたしが偽物じゃないって、最初から思っていたんですか」


 その問いに、セレスティアの表情がわずかに変わった。

 完全な即答ではなかった。

 だが、迷いとも少し違う。

 言葉の置き方を選んでいるような沈黙。


「“偽物”という言い方自体に、最初から違和感がありました」


 やがて彼女はそう言った。


「力が合わないことと、欺いたことは別です」


 その言葉は、処刑台の上で王太子へ向けて放ったものと同じだった。

 フィリアは胸が熱くなるのを感じる。


「それに」


 セレスティアは少しだけ視線を逸らした。


「あなたは、自分を偽るのが上手い人間には見えなかった」


 フィリアは思わず目を丸くする。


「そ、そんな……」


「褒めていません」


 いつものように即座に返されてしまい、フィリアは慌てて口を閉じた。

 けれどその返しに、少しだけ笑ってしまう。


 セレスティアも、それ以上否定はしなかった。


 そのとき、扉が軽く叩かれた。


「副団長、フィリア様。失礼いたします」


 マリエッタだ。


「イザベラ様から、ひとつ伝言を預かりました」


「何です」


 セレスティアが答えると、扉の向こうから声が続く。


「『今日のうちに、この子へ“偽りではなかった”という言葉を、理屈ではなく感情として一度受け取らせなさい。そうしないと、また夜に全部を自分で疑い直す』……とのことです」


 書斎の中に、短い沈黙が落ちた。


 フィリアは頬が熱くなる。

 イザベラは、見抜いていたのだろう。

 理屈では理解しても、夜になればまた、自分で自分を疑い直してしまうかもしれないことを。


「……聞きましたか」


 セレスティアが静かに問う。


「は、はい……」


「なら、もう一度だけ言います」


 フィリアは息を止める。


 セレスティアはまっすぐにフィリアを見た。

 書類も、窓の外も、他の何も見ずに。


「あなたは偽りではない」


 それは鑑定結果の読み上げではなかった。

 ただの事実確認でもない。

 もっと静かで、もっと深いところへ届く言い方だった。


「王都が何と呼ぼうと、大聖堂がどう記録しようと。少なくとも私は、今日その目で見た」


 低い声が、ゆっくりと落ちる。


「あなたは偽物ではない」


 フィリアはその言葉を、今度こそ真正面から受け取った。


 胸の奥の奥、まだ自分でも触れられていなかった場所に、その言葉が静かに沈んでいく。

 痛みではない。

 でも、長く固まっていたものがほどけるような熱がある。


 気づけば、涙が一筋だけ頬を伝っていた。


 フィリアは慌てて拭おうとする。

 だがその前に、セレスティアが机の上の布を取り、無言で差し出してくれた。


「……ありがとうございます」


「どういたしまして」


 今度の返答は、驚くほど自然だった。


 フィリアは布を受け取り、目元を押さえる。

 もう無理に泣くのを止めなくてもいい気がした。


 偽りではなかった。

 それはただの鑑定結果ではなく、自分が生き延びていい理由のひとつになり始めていた。

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