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第95話「執事『嫉妬』in 街角」

◆ 更新スケジュール ◆


この作品は、平日は毎日21時、土日祝は8時と21時に更新しています。

「続きが気になる」と思っていただけたら、ブクマで応援していただけると励みになります。

ナラ・エンの霧の森にそびえる双塔。  

その玄関ホールで、私は深呼吸をしていた。


「……よし。行くわよ」


今日は、記念すべき日だ。  

私が「一人で」街へ出かける、初めての日なのだから。


私たち夫婦の間に制定された、新しいルール。  

『私が望めば、外界への扉は開かれる』――。  

過保護なアルフォンスは、最初こそ難色を示したものの、最終的には渋々了承してくれた。

今日の彼は、塔の最上階で私のために新しいドレスのデザイン画を描いているはずだ。


「行ってきます」


誰もいない玄関に向かって呟き、私は扉を開けた。  

夫婦の認証魔法が作動し、重い扉が静かに開く。  

外の空気は冷たく、自由の匂いがした。



ナラ・エンの街は、相変わらず活気に満ちていた。  

私はアルフォンスが仕立ててくれた、動きやすい着物風の街着で歩いていた。  

一人で歩く石畳。 隣に銀髪の守護者はいない。  

抱っこもされないし、道のゴミを消す魔法もない。


「……なんか、スースーする」


心細い。 いつもなら、私の腰には彼の手があり、耳元には甘い囁きがあった。  

それが急になくなると、まるで体の一部をもがれたような喪失感がある。  

でも、同時にワクワクもしていた。  

自分の足で歩き、自分の目で見たいものを見る。  

露店を冷やかしたり、可愛い雑貨を手に取ったり。  

これこそが「普通の生活」というやつだ。


(アルフォンスへのお土産、何にしようかな)


そんなことを考えながら、大通りから一本入った路地を歩いていた時だった。


「……あの、すみません」


声をかけられた。

振り返ると、そこには一人の青年が立っていた。  

この国の若者らしい、爽やかな好青年だ。  

手には地図のようなものを持っている。


「えっと……はい?」


「道に迷ってしまって……。『朱雀門』に行きたいんですが、どちらかわかりますか?」


道を聞かれただけだ。私はホッとした。  

アルフォンスがいたら「不潔な虫が近寄るな」と殺気を放つところだが、今はいない。

普通に対応すればいい。私は親切に教えてあげることにした。


「朱雀門なら、あっちの大通りを真っ直ぐ行って……突き当たりを右ですよ」


「ああ、助かりました!あ、あの。もし良ければ、お礼にそこの茶屋で……」


青年が少し顔を赤らめて、何かを言いかけた。

その瞬間だった。


ゾクリ。


背筋に悪寒が走った。  

気温が急激に下がったような、あるいは空気が凍りついたような感覚。  

青年の顔色が、一瞬で青ざめていくのが見えた。  

彼の視線は、私の背後の「影」に釘付けになっていた。


「……ひっ!?」


彼はガタガタと震え出した。  

え? 何? 私が恐る恐る振り返ると――。


「…………」


そこには、路地の影から音もなく現れた、銀髪の修羅が立っていた。  

アルフォンスだ。  

塔にいるはずの彼が、なぜか完璧な尾行ストーキングスタイルで、私の背後に佇んでいる。


手には買い物袋ではなく、漆黒のオーラを纏った銀色のナイフに見える魔力塊が握られている。

眼鏡の奥のアイスブルーの瞳は、完全に光を失っていた。  

ハイライトがない。

ただ、無限の闇だけが広がっている。


「……ア、アルフォンス!?」


私が叫んでも、彼は反応しない。  

彼の視線は、私の目の前にいる青年に一点集中していた。


「……貴様」


地を這うような低い声。


「私の妻に……何をしている?」


「い、いや!道を聞いただけです!本当です!」


青年は必死に弁解したが、アルフォンスには通じないようだった。


「道?……ほう。道を聞くのに、なぜそこまで接近する必要がある?半径1.5メートル……私の許容範囲を超えているぞ」


アルフォンスが一歩踏み出す。

カツン、という足音が、死刑宣告のように響く。


「それに、最後になんと言った?『お茶』だと?私の妻を、その薄汚い茶屋に誘おうとしたのか?」


「ち、ちが……お礼を……!」


「その薄汚い視線で、妻のうなじを見ていただろう?声を聞いて、悦に入っていただろう?臭うぞ。貴様の欲望が、腐ったドブ川のようにプンプンと臭う」


言いがかりも甚だしい。  

でも、今のアルフォンスには「妻に近づく男=害虫」という認識しかないのだ。


「……消毒が必要だ」


アルフォンスが右手を掲げた。


手のひらに、太陽のような白い光球が出現する。 あ、これ本気だ。  

このまま放てば、青年どころか、この路地一帯が消し飛ぶレベルの浄化魔法だ。


「ひぃぃぃっ!!」


青年は腰を抜かし、這うようにして逃げ出した。賢明な判断だ。


「……逃がすか」


アルフォンスが追撃しようとした瞬間、私は彼の手を掴んだ。


「ストップ!!何やってんのよ!」


「エルカ。離してください。あの虫を駆除しなければ、貴女が汚れてしまう」


「汚れないわよ!道聞かれただけだってば!……っていうか、なんでここにいるの!?塔で待ってるんじゃなかったの!?」


私が詰め寄ると、彼はバツが悪そうに視線を逸らした。  

そして、ボソリと呟いた。


「……心配だったのです」


「はぁ?」


「貴女が一人で外出するなど……。転んで怪我をしたら?悪い虫がついたら?居ても立ってもいられず、隠蔽魔法を使って後をつけていました」


堂々としたストーカー宣言だ。  

この男、私の「自由なお出かけ」を、影からずっと監視していたのだ。  

私が雑貨屋で可愛いものを見ていた時も、露店で買い食いしようか迷っていた時も、全部見ていたのだ。


「……信じられない。過保護にも程があるわよ」


「愛です」


彼は開き直った。そして、悔しそうに唇を噛んだ。


「ですが、私が見ていない一瞬の隙に……あのような虫がついた。……私の管理不足です」


彼は私の手を取り、強引に路地の奥へと引き込んだ。人目のつかない袋小路。  

彼は私を壁に押し付け、逃げ道を塞ぐように両手をついた。


「……アルフォンス?」


「許せない。……貴女が他の男と言葉を交わした事実が、許せない」


彼の瞳が潤んでいる。怒りではない。  

深い、深い哀しみと、どうしようもない独占欲の色だ。


「……ただの会話よ?」


「私にとっては、貴女の声は宝石です。それを、あのような路傍ろぼうの石ころに無償で与えるなど……浪費にもほどがある」


彼は私の顎を指先ですくい上げ、強引に上を向かせた。


「……消毒します」


「えっ?」


「貴女の耳に残ったあの男の声、貴女の瞳に映ったあの男の姿……すべて、私で上書きします」


言うが早いか、彼は私の唇を塞いだ。

んぐっ。いつもの優しいキスではない。  

貪るような、所有権を主張するような、激しいキス。舌が入り込み、口の中を蹂躙する。


「……んぅ……っ、アルフォンス……っ!」


息ができない。

彼の匂いと体温で、頭が真っ白になる。  

路地裏の湿った空気の中で、私たちの熱だけが異常に高まっていく。


「……はぁ、はぁ……」


唇が離れた時、私は彼の胸に寄りかかっていた。足に力が入らない。  

アルフォンスは満足げに、私の濡れた唇を指でなぞった。


「……これで、口の消毒は完了です」


「……ばか」


「次は耳です」


彼は私の耳元に顔を寄せ、低音ボイスで囁き始めた。


「愛しています、エルカ。……貴女は私のものだ。髪の一本、爪の先、吐息の一つに至るまで……すべて私が管理し、私が愛でるためのものです」


「……んっ」


「他の男など見ないでください。声も聞かないでください。……私の声だけを聴いて、私の言葉だけを脳に刻んでください」


甘い呪詛のような愛の言葉。

それが鼓膜を震わせ、脳髄に直接響いてくる。  

あの青年の声なんて、もう思い出せない。  

アルフォンスの声だけが、私の世界を満たしていく。


「……わかったわよ。……あんたしか、聞こえないから」


私が降参すると、彼はようやく満足したように微笑んだ。  

その笑顔は、さっきまでの修羅のような形相が嘘のように、天使のように無邪気だった。


「良かったです。やはり貴女は、私の色に染まっている時が一番美しい」


彼は私の首筋に顔を埋め、深呼吸をした。


「……まだ、少し匂いが残っていますね」


「匂い?」


「外界の不浄な空気です。家に帰ったら、もう一度全身を洗浄しなくては」


彼は私の腰を抱き寄せ、耳元で囁いた。


「今夜は寝かせませんよ、奥様。……貴女の体中の細胞が、私の名前を叫ぶまで……徹底的に『教育』し直しますから」


「……ッ!?」


私は戦慄した。

この男の嫉妬は、一度火がつくと消えないのだ。  

今夜は、塔の最上階で、朝まで監禁コース確定だ。


「さあ、帰りましょう。私たちの城へ」


アルフォンスは私を抱き上げ(結局お姫様抱っこだ)、路地裏を出た。  

夕闇に包まれたナラ・エンの街。  

その影の中を、銀髪の執事は獲物を捕らえた獣のように、足取り軽く進んでいく。


初めての一人歩きは、結局彼の「完全監視下」にあった。  

でも、怒る気にはなれなかった。  

影からずっと見守ってくれていた彼の重すぎる愛に、どうしようもなく安心している自分がいたからだ。共依存の泥沼は、もう底が見えないほど深くなっていた。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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