第94話「私の着せ替え人形」
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ナラ・エンの高級商店街。
石畳の両側に、異国情緒あふれるブティックや呉服屋が立ち並ぶ、この国で最も華やかな通りだ。
食後の腹ごなし……という名目で連れてこられたけれど、アルフォンスの目の色は明らかに違っていた。それは、獲物を前にした猛禽類の目。
あるいは、新しいおもちゃを見つけた子供の目。
「さあ、エルカ。ここからは貴女のための時間です」
彼は私の手を引き、一番大きく、一番格式高そうな店の暖簾をくぐった。
店内に漂うのは、高級な絹と白檀の香り。
「いらっしゃいませ。……おや、これはこれは」
恰幅の良い店主が、私たちの姿を見るなり揉み手をしながら近づいてきた。
アルフォンスの燕尾服と、私の着物ドレス。
どう見ても「上客」に見えたのだろう。
「お洋服をお探しで?それともお着物で?」
「両方だ。妻に似合う最高級の品を見せていただきたい」
アルフォンスは恭しく私を椅子に座らせると、
懐から分厚い革の手帳を取り出した。
そこには、私のスリーサイズから肌の色味、髪の質感、果ては好みの肌触りまで、ストーカーじみた詳細なデータが記されている。
「まずは素材からだ。……絹はナラ・エン産の最上級品、綿はオーガニックのみ。化学繊維は一切認めない。染料も天然由来であること。……それ以外の布切れは、雑巾にでもしてくれ」
「は、はあ……少々お待ちを」
店主が慌てて奥へ引っ込み、数分後、色とりどりの反物やドレスを抱えて戻ってきた。
テーブルの上に広げられる、美しい布の数々。
朱色、藍色、萌黄色。
どれも繊細な刺繍が施され、見ているだけでため息が出るほど綺麗だ。
「わぁ……素敵」
私が手を伸ばそうとすると、アルフォンスの手がそれを制止した。
「待ってください、エルカ。まずは検品です」
彼は眼鏡を光らせ、白い手袋をはめた指で布の表面を撫でた。
「……ふむ。手触りは悪くない。……ですが」
彼は眉をひそめ、布の一角をつまみ上げた。
「織り目が粗い。これでは、貴女の肌に微細な摩擦が生じる可能性があります」
「えっ?全然わからないけど……」
「私にはわかります。……次」
彼は無慈悲にその反物を却下し、次のドレスを手に取った。
淡いピンク色の、可愛らしいワンピースだ。
「……色は悪くない。……ですが、このレースの縫製が甘い。糸の始末が0.5ミリほど雑です。これでは貴女の首筋に痒みが出るでしょう。……却下」
次々と却下されていく高級服たち。
店主の顔から血の気が引いていくのがわかる。
「あ、あの……旦那様?こちらは当店でも一番の職人が手掛けたものでして……」
「職人の腕などどうでもいい。……問題なのは、私の妻の肌を傷つける可能性があるかどうかだ」
アルフォンスは冷徹に言い放った。
彼は私の肌を「世界遺産」か何かだと思っているのだろうか。
「ねえ、アルフォンス。あんた厳しすぎない?」
「妥協は死です。……貴女の肌は、生まれたての赤子よりも繊細なのですから」
彼は真顔で言うと、今度は濃い紫色の着物を手に取った。
「……ほう。これは……」
彼の手が止まった。アイスブルーの瞳が、怪しく輝く。
「この色……貴女のアメジストの瞳と完全に同調する。……深みのある紫、艶やかな光沢。……素晴らしい」
お、ついに合格か? 店主も期待に目を輝かせる。
「ですが、帯のデザインが気に入らない。……この柄は野暮ったすぎます。貴女のウエストラインの美しさを損ねてしまう。惜しいですが、却下」
ガックリと肩を落とす店主。私も思わず苦笑した。この男の審美眼は、天井知らずだ。
結局、店中の服を検品した結果、合格したのはゼロ着。店主はもはや泣き出しそうだった。
「……申し訳ありません。当店には、奥様のお体に合う品は……」
「そうですね。既製品では限界があるようです」
アルフォンスは溜息をつき、手帳をパタンと閉じた。
「仕方ありません。……全て、私がデザインし、特注で作らせていただきます」
「えっ?あんたが?」
「はい。……生地の選定、染料の配合、縫製、刺繍のデザイン……全て私が指示します」
彼は店主に、ものすごい圧で迫った。
「貴店の職人を貸してください。……私の設計図通りに縫うだけの『手』があればいい。金に糸目はつけません」
「は、はいぃぃっ!喜んでぇぇっ!」
店主が平伏した。
こうして、私のための服選びは、アルフォンスプロデュースの「私のための服作りプロジェクト」へと変貌したのだった。
採寸、生地選び、デザイン画の作成。
アルフォンスは水を得た魚のように生き生きと指示を飛ばしていた。
私はされるがまま、着せ替え人形のように立ったり座ったり、布を当てられたりするだけだ。
「……エルカ、少し腕を上げてください。……ああ、その角度……脇のラインが美しい」
「ねえ、まだ?」
「あと少しです。……このドレープの落ち感が重要なんです。……貴女の歩く姿に合わせて、布がどう揺れるか……計算しなくては」
彼の熱意は止まらない。正直、疲れた。
でも、鏡に映る自分の姿――彼が選んだ布を纏った姿は、確かに今まで見たどの服よりも私に似合っていた。彼は本当に、私の一番美しい形を知っているのだ。
「……ふぅ。一通り決まりましたね」
数時間後。
膨大な量の注文書が出来上がった頃には、外はすっかり夕暮れになっていた。
店主は疲れ果てていたが、提示された金額を見て、満面の笑みで私たちを見送ってくれた。
「……疲れた……」
「お疲れ様でした、エルカ。最高のワードローブが出来上がりますよ。楽しみにしていてください」
アルフォンスは上機嫌だ。
彼は私の腰を抱き、店を出た。
「でも、あんたの服はどうするの?」
「私ですか?私は今のままで十分です。燕尾服こそが私の戦闘服ですから」
「つまんないの」
私はふと思い立ち、隣にあった小さな紳士服店を指差した。
「ちょっと寄っていい?」
「……?構いませんが」
私たちは小さな店に入った。
そこには、ナラ・エン風のシャツやスカーフ、
そしてネクタイなどが並んでいた。
私はその中から、一本のネクタイを手に取った。
深い群青色の生地に、銀糸で小さな百合の花が刺繍されている。
シンプルだけど、上品で、彼の瞳の色にも似ている。
「……これ、ください」
私は自分の財布(といっても、中身は彼が用意したお金だけど)から支払いを済ませ、店を出た。
アルフォンスが不思議そうな顔で見ている。
「……エルカ?それは……」
「……はい、これ」
私はネクタイを彼に押し付けた。
「あんたばっかり私を着せ替えてズルいから。これ、つけてみてよ」
「……私に?」
アルフォンスはネクタイを受け取り、まじまじと見つめた。そして、震える手でそれを胸元に当てた。
「……貴女が、選んでくださったのですか?」
「うん。あんたの目に似てるし。……似合うかなって」
私が照れくさそうに言うと、アルフォンスの目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「えっ!?な、泣くほど!?」
「……うっ、ううっ……!!嬉しい……!!」
彼はネクタイを握りしめ、子供のように泣き出した。往来の真ん中で。
長身のイケメン執事が、ネクタイ一本で号泣している図は、かなりシュールだ。
「一生の宝にします……!!家宝にします!!いや、墓まで持っていきます!!」
「……大げさだってば」
「今すぐつけます!!」
彼は今までつけていた完璧なリボンタイを迷いなく引きちぎり(!)、私が選んだネクタイを巻き始めた。
鏡もないのに、手慣れた動作で完璧なウィンザーノットを作る。
「……どうでしょうか?似合いますか?」
彼は涙目のまま、期待に満ちた顔で私を見た。
群青色のネクタイは、彼の銀髪と白いシャツによく映えていた。
いつもの堅苦しい燕尾服が、少しだけ柔らかく、色気のある雰囲気に変わった気がする。
「うん。すごく似合ってる」
私が素直に褒めると、彼はまた泣き出しそうになり、慌てて眼鏡を外して涙を拭った。
「……ありがとうございます、エルカ。……貴女に選んでいただいたものを身につける……これ以上の幸せはありません」
「じゃあ、毎日つけてよね」
「当然です。寝る時もつけます」
「それはやめて。首締まるから」
私たちは笑い合った。
私が彼に着せ替えられ、彼が私に着せ替えられる。それは、お互いの色に染め合うような、甘美な所有の儀式だった。
買い物を終え、私たちは手をつないで帰路についた。
アルフォンスの胸元には、私が選んだネクタイが誇らしげに輝いている。
私の体には、彼が選んだ(これから作られる)服の感触が残っている。
「今日は楽しかったわね」
「はい。貴女の美しさを再確認できた、素晴らしい一日でした」
彼は満足げに私の手を引き寄せ、甲にキスをした。
「……ですが、まだ終わりではありませんよ」
「え?」
彼の目が、キラリと光った。
それは、獲物を見つけた時のような、危険な光だった。
「家に帰ったら、採寸の続きをしなくては」
「……採寸って、もう終わったじゃない」
「いいえ。……もっと『内側』のサイズを測る必要があります」
彼は私の耳元で、甘く、低く囁いた。
「下着のサイズも、肌の質感も……全て私の手で、直接確かめなくてはなりませんから」
「……ッ!?」
私は顔を真っ赤にして彼を睨んだ。
この変態執事。
やっぱり、ただの着せ替え遊びじゃ終わらせてくれない気だ。
「……拒否権は?」
「ありません。だって、貴女は私の『着せ替え人形』なのですから」
彼は悪戯っぽく笑い、私を抱き上げた。
夕暮れのナラ・エン。
私たちの愛の巣(塔)へ向かって、彼は足取り軽く歩き出す。
今夜は長い夜になりそうだ。
でも、彼の胸にあるネクタイを見るたびに、私の心も甘く締め付けられて、抵抗なんてできそうになかった。
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