第92話「街へ:お姫様と、過保護すぎる夫」
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ナラ・エンの朝市で賑わう広場に、私たちは降り立った。
アルフォンスの風魔法による優雅な滑空は、まるで天女の羽衣のようにふわりと着地し、周囲の喧騒を一瞬で凍りつかせた。
シン、と静まり返る広場。
数百の視線が、私たち二人に突き刺さる。
「……あ、あの……アルフォンス?」
「堂々としていてください、エルカ。……皆、貴女の美しさに言葉を失っているだけです」
私の耳元で囁くアルフォンスの声は、誇らしげで、そして少しだけ陶酔していた。
今の私たちは、確かに目立つ。
銀髪に燕尾服という異国の正装を纏った長身の男と、藤色の豪奢な着物ドレスを着た黒髪の女。
それが空から降ってきたのだから、妖怪か神様の類だと思われても仕方がない。
ざわめきが波紋のように広がっていく中、私たちは歩き出した。
アルフォンスは私を抱きかかえるのを諦め(私が猛抗議したからだ)、代わりに私の手を取り、エスコートするように並んで歩いてくれた。
もちろん、ただ歩くわけではない。
彼が展開する『自動清掃魔法』によって、私たちが進む道だけがピカピカに磨き上げられ、塵一つない「クリスタルロード」が出現している状態だ。
「……目立つわね」
「当然です。貴女は太陽のように輝いていますから」
アルフォンスは涼しい顔で言うが、視線を集めているのは私だけではなかった。
むしろ、隣を歩く彼の方に、熱っぽい視線が注がれていることに私は気づいた。
「きゃあ……!見て、あの銀髪の方……!」
「なんて素敵なの……!背が高くて、スタイルも良くて……」
「眼鏡越しの瞳がクールだわ……!こっち向いてくれないかしら?」
街の女性たち――若い娘からおば様まで――が、アルフォンスを見て黄色い声を上げているのだ。 確かに、彼は顔だけ見れば絶世の美男子だ。
中身が「重すぎる変態執事」であることを知らなければ、白馬の王子様に見えるだろう。
「……あら、こんにちは」
アルフォンスは、すれ違いざまに熱視線を送ってきた女性グループに対し、にっこりと微笑みかけ、軽く会釈をした。
それは、執事として培われた「完璧な愛想笑い」だった。
「きゃああああっ!!目が合ったわ!!」
「微笑んでくれた!!なんて紳士なの!!」
女性たちが色めき立つ。
アルフォンスは涼しい顔で、次々とすれ違う女性たちにスマートな挨拶を振りまいていく。
「…………」
私は無言で、彼の手を強く握りしめた。
面白くない。
彼は私の夫なのに。私だけの執事なのに。
なんで他の女の人に、あんな綺麗な笑顔を見せるのよ。
「……アルフォンス」
「はい、エルカ?」
彼が振り返る。
その顔は、さっきの営業スマイルとは違う、私だけに向けられる甘くとろけた表情だった。
でも、今の私にはそれだけじゃ足りない。
「……笑わないで」
「え?」
「他の女の人に、愛想振りまかないでよ。……あんたの笑顔は、安くないんだから」
言ってしまった。
これじゃまるで、独占欲の強い子供みたいだ。
恥ずかしくて顔が熱くなる。
でも、止められない。
「……あんたは私のものなんでしょ?だったら、私以外の人に……そんな簡単に笑いかけないで」
私は彼の腕にギュッとしがみつき、上目遣いで彼を睨んだ。精一杯の威嚇。
これは私のものよ、と周囲に見せつけるようなマーキング行為。
その瞬間。
アルフォンスの動きが完全に停止した。
彼は目を見開き、口を半開きにして、数秒間フリーズした。
「……あ、アルフォンス?」
「…………ッ!!」
次の瞬間、彼は膝から崩れ落ちそうになり、慌てて私の肩を支えにした。
顔を真っ赤にして、眼鏡が曇るほど興奮している。
「……か、可愛すぎる……!!」
「はぁ!?」
「これは……もしや『嫉妬』ですか!?貴女が、この私に!?他の有象無象に対して!?」
彼は私の両肩を掴み、至近距離で詰め寄ってきた。
「夢ではないのですね!?ああ、神よ!!ついにこの日が来た!!エルカ様が私を独占したいと……私のためだけに怒ってくださった!!」
「ちょ、声大きいってば!」
「嬉しい……!! 死ぬほど嬉しいです!!わかりました、誓います!!今後一切、貴女以外の人間には笑顔を見せません!!なんなら、目も合わせません!!空気として扱います!!」
彼は感極まって叫び、衆人環視の中で私を抱きしめた。
女性たちの黄色い悲鳴が、一瞬で「えっ……」という困惑に変わる。
でも、アルフォンスにはもう周りの声など届いていない。
二人の愛(主にアルフォンスの暴走)を確認し合った後、私たちは市場の奥へと進んだ。
そこには、食欲をそそる甘い香りが漂っていた。
「わぁ……いい匂い」
私の視線の先には、湯気を立てている屋台があった。
串に刺さった丸いお団子に、艶やかな琥珀色のタレがたっぷりとかかっている。
ナラ・エン名物、『みたらし団子』だ。
「アルフォンス、あれ食べたい」
「……屋台の食べ物ですか?衛生管理が気になりますが……」
アルフォンスは眉をひそめたが、私がじっと見つめると、すぐに溜息をついて財布を取り出した。
「わかりました。デートですからね。貴女の望みは全て叶えましょう」
彼は屋台の主人に硬貨を渡し、一本の団子を受け取った。
そして、すぐに私に渡すのではなく、じっと団子を凝視した。
「……毒性なし。異物混入なし。中心温度85度……少々熱すぎますね」
彼は団子にフーフーと息を吹きかけ、適温になるまで冷ました。
そして、一番上の団子をパクりと自分の口に入れた。
「あっ!私のなのに!」
「毒味です。……ん、味は悪くありませんね」
彼は咀嚼して飲み込むと、満足げに頷き、残りの団子を私の口元に差し出した。
「さあ、どうぞ。……安全は確認しました」
「……もう。間接キスじゃない」
「夫婦ですから。……それとも、嫌ですか?」
彼が少し意地悪く微笑む。 嫌なわけがない。
むしろ、彼が口をつけたものを共有できることに、背徳的なドキドキを感じてしまう。
「……いただくわよ」
私は彼の手から、直接団子を頬張った。
甘辛いタレと、もちもちの食感。
そして、ほんのり残る彼の体温。
「んっ……おいしい」
「それは良かったです。……口元、ついてますよ」
アルフォンスは自分の親指で、私の唇についたタレを拭った。
そして、その指を自分の口に含み、ペロリと舐め取った。
「……うん。貴女の味がして、甘いですね」
「ッ~~~!!」
私の顔から火が出そうだった。
この男、天然でやっているのか計算なのか。
周りの視線なんてお構いなしに、二人の世界を作り上げている。
でも、その甘さがたまらなく心地よかった。
甘い食べ歩きタイムを満喫していると、今度は別の視線が増え始めた。
街の男たちからの、ねっとりとした視線だ。
「……おい、見ろよあの女」
「すげぇ美人だ……。あの着物、似合ってるな」
ひそひそ話が聞こえる。
その瞬間、アルフォンスから笑顔が消え、漆黒の殺気が溢れ出した。
「……不愉快だ」
「あの薄汚い眼球ども……。私の妻を、その汚れた視界に入れるとは何事だ?」
彼の指先がピクリと動く。
魔法が発動しかけている。
嫉妬に狂う男は、ここまで恐ろしいのか。
私は慌てて、彼の手を両手で包み込んだ。
「アルフォンス!ダメ!」
「……止めないでください、エルカ。これは害虫駆除です」
「違うでしょ!……ねえ、こっち見て」
私は彼の頬に手を添え、無理やり私の方を向かせた。
殺気走ったアイスブルーの瞳が、私を映して揺れる。
「……周りなんてどうでもいいじゃない」
「誰がどんな目で見ようと……私が見ているのは、あんただけよ」
私が甘えるように微笑むと、アルフォンスの全身から力が抜けた。
殺気が霧散し、代わりに蕩けるような幸福オーラが溢れ出す。
「……はい。……仰る通りです、我が妻よ」
彼は私の手に自分の手を重ね、愛おしそうに頬擦りをした。
「貴女のその瞳に映っていられるなら……他はどうでもいい。……ああ、貴女に宥められるのも、悪くないですね」
単純な男だ。
でも、そんな彼が愛おしくて、私はまた彼の手を強く握り返した。
二度の嫉妬イベントと食べ歩きを終え、私たちが再び歩き出した時だった。
人混みの中から、小さな子供が飛び出してきた。
手には泥だらけのボールを持っている。
「あ!待てー!」
子供はボールを追いかけ、一直線に私の方へ駆けてくる。勢いが止まらない。
足元の石畳に躓き、子供の体が宙に浮く。
このままでは、私にぶつかるし、子供も派手に転んで怪我をする――!
「きゃっ……」
「――っと。危ないですよ」
私が声を上げるより早く、優しい風が吹いた。
アルフォンスだ。
彼は一瞬で私と子供の間に割り込み、右手で私を庇うように抱き寄せ、そして左手で、転びかけた子供の体をふわりと受け止めていた。
「……え?」
子供が目を白黒させている。
地面に叩きつけられるはずだった衝撃は全くなく、まるで羽毛布団に着地したかのように、アルフォンスの腕が彼を支えていたのだ。
しかも、泥だらけのボールまで、魔法で空中に静止させてキャッチしている。
「……ぼうや」
アルフォンスの声は、先ほどの殺気だったものとは違い、諭すように穏やかだった。
「前を見て歩かないと、怪我をしますよ。膝を擦り剥いたら、お母さんが悲しむでしょう?」
「あ……ご、ごめんなさい……!」
「いいえ。元気なのは良いことですが、場所を選びなさい」
彼は子供を優しく地面に立たせ、空中に浮かんでいたボールを渡した。
その際、一瞬だけ洗浄魔法をかけ、ボールと子供の手についた泥を綺麗にしてあげるのも忘れない。
「……次は気をつけて。それと、私の妻のドレスを汚さなかったこと、感謝します」
彼は最後にニコリと微笑み、子供の頭をポンと撫でた。
子供は顔を赤くして、「うん! ありがとう、銀色のお兄ちゃん!」と元気に叫んで走り去っていった。
「……意外」
私はその光景を呆然と見ていた。
てっきり、冷たくあしらうかと思っていたのに。
「子供には優しいのね」
「……別に。子供は『未完成』な存在ですから、多少の粗相は許容範囲です」
アルフォンスは照れ隠しのように眼鏡を直した。
「それに……もし彼が転んで、その泥が貴女に跳ねたら大惨事でした。……貴女を守るついでに助けただけです」
「ふふっ。素直じゃないわね」
私は彼の腕に抱きついた。
敵には容赦ない魔王のような男だけれど、弱きものには手を差し伸べる騎士のような一面もある。そんなギャップに、また少し胸がときめいてしまう。
「……でも、やはり危険です」
アルフォンスは急に真顔に戻り、私の足元を見た。
「子供、泥、人混み……。外界は予測不能な要素で溢れている。……やはり、私の管理下に収まっていただくのが最善かと」
「え?ちょっ、待っ……!」
私の抗議も虚しく、体が一瞬で宙に浮いた。
お姫様抱っこ、再開だ。
「アルフォンス!さっきのイイ話の余韻は!?」
「余韻よりも安全です。……ここからは、安全圏である私の腕の中で、観光をお楽しみください」
彼はスタスタと歩き出した。
結局、私の「並んで歩く」というささやかな願いは、安全管理という名目の溺愛によって強制終了となったのだ。
すれ違う人々が、再び私たちに注目する。
今度は「まあ、奥様が転ばないように抱っこしているのね」「なんて過保護で素敵な旦那様」という、生温かい視線と共に。
「……恥ずかしい……」
「何を仰います。……世界で一番美しい貴女を、一番高い位置から見せつけているのです。誇ってください」
アルフォンスは悪びれもせず、むしろ見せびらかすように胸を張った。
ああ、もう。この男の「夫力」は、重すぎて胃もたれしそうだ。
でも、その腕の中が、どんな高級な馬車の座席よりも心地よくて、私は抵抗する気力を失ってしまった。
「……わかったわよ。じゃあ、責任持って案内してよね」
「御意、我が妻よ」
私は彼の首に腕を回し、その胸に顔を埋めた。
蜜蝋とレモンの香り。
市場の様々な匂いの中でも、彼の匂いだけが鮮烈に私を包み込む。
私たちはナラ・エンの街を行く。
互いに嫉妬し、食べさせ合い、互いを守り合う、面倒くさくて愛おしい夫婦。
その姿は、やがてこの街の新しい「名物バカップル」として語り継がれることになるのだった。
「さて、エルカ。次はちゃんとした食事です。貴女のお口に合う、清潔で美味な店を予約してあります」
「……まさか、お店でも『あーん』する気じゃないでしょうね?」
「当然です。外の食器など信用できませんから」
私の予感は、悲しいほどに的中しそうだった。
私たちの甘くて重いデートは、まだ始まったばかりだ。
読んでくださってありがとうございます。
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