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第89話「共鳴の双塔、愛の建築学」

◆ 更新スケジュール ◆


この作品は、平日は毎日21時、土日祝は8時と21時に更新しています。

「続きが気になる」と思っていただけたら、ブクマで応援していただけると励みになります。

ナラ・エンの奥深く、霧の立ち込める神域の森。  

月が高く昇り、銀色の光が泉の水面を照らす頃、私たちはいよいよ「愛のマイホーム」作りにとりかかろうとしていた。


足元には、アルフォンスが清めたばかりのふかふかの苔。  

頭上には、満天の星空。 最高のロケーションだ。

あとは、雨風をしのぎ、快適に引きこもれる「家」さえあればいい。


「……さて。始めましょうか、エルカ様」


アルフォンスが、純白の手袋をはめた手を差し出した。  

その瞳は、建築家のそれのように理知的で、同時に獲物を狙う獣のように鋭く輝いている。


「いえ。呼び方を改めなくてはなりませんね」


彼は一瞬言葉を切り、少しだけ頬を染めて、言い直した。


「――始めましょう、我が妻よ」


「……っ!」


不意打ちだった。心臓がドクンと跳ねる。「妻」。

そのたった一文字の響きが、これまでの「主人マスター」という呼び名とは比べ物にならないほどの重力を持って、私の胸を締め付ける。  

それは契約であり、誓いであり、逃げ場のない甘い鎖の音だった。


「……なによ、改まって。……恥ずかしいじゃない」


私は熱くなった顔を背けたけれど、彼の手を振り払うことはしなかった。  

むしろ、自分からその大きな掌に指を絡ませ、強く握り返した。


「ふふっ。……貴女が照れる顔は、いつ見ても素晴らしい。最高の建材インスピレーションになります」


アルフォンスは満足げに微笑むと、空いたもう片方の手で虚空を指揮するように掲げた。


「では、設計図プランの確認です。……基本構造は、かつての『忘れられた塔』を踏襲しつつ、このナラ・エンの地脈に合わせた最新の魔術建築とします」


彼の指先から、青白い光のラインが空中に描かれていく。  

立体的な設計図がホログラムのように浮かび上がる。  

それは、西洋の塔の堅牢さと、東方の寺院のような優美な屋根を併せ持った、独特で美しいフォルムをしていた。


「外観は周囲の景観に溶け込むよう、白木と漆喰を基調に。……ですが、内部は私の美学の全てを詰め込みます」


彼が設計図の内部構造を拡大する。


「全室、完全防音・防振・断熱。……空調は魔力循環式の全館自動調整。床暖房はもちろん完備。キッチンは貴女の好物を即座に作れるよう動線を最適化し……そして何より」


彼は眼鏡をキラリと光らせ、特に熱のこもった口調で言った。


「浴室とトイレです。……ここには、私の持てる浄化魔法のすいを集めます。貴女の肌に触れる水は、常に最高純度の聖水レベルまで濾過され、使用後は瞬時に自動洗浄されるシステムを構築します」


「あんた、相変わらず水回りに命かけてるわね」


「当然です。妻の肌を預かる場所こそ、家の中で最も神聖な聖域でなければなりません」


彼は真顔で断言した。  

この男にかかれば、トイレ掃除さえも宗教儀式になるのだ。


「さあ、魔力を。貴女の奔放で強大な魔力を、私の制御ロジックという型に流し込んでください」


私たちは向かい合い、両手を繋いだ。

儀式の始まりだ。


「……いくわよ」


私は目を閉じ、体内の魔力回路を開いた。

あふれ出る魔力。  

かつては制御できずに暴走し、ゴミ屋敷を生み出していた私の混沌としたエネルギー。

それを、アルフォンスへと注ぎ込む。


ドクン!!


繋いだ手から、熱い奔流が逆流してきた。  

私の魔力を受け取ったアルフォンスが、それを瞬時に精製し、圧縮し、構造化して、大地へと流し込んでいるのだ。


「……んっ、あ……っ!」


声が漏れた。感覚が溶け合う。  

私の魔力が彼の中に入り、彼の一部となって形を作っていく感覚。  

それはまるで、性行為そのものだった。  

いや、それ以上に濃密な、魂の交わり。


「……素晴らしい。……やはり、貴女の魔力は最高だ」


アルフォンスの陶酔した声が聞こえる。


「粘度、純度、量……全てが私の設計図を凌駕していく。……ああ、もっとください。貴女の全てを、この塔のいしずえにするのです」


ズズズズズズ……ッ!!


大地が震えた。地面が隆起し、土が石へ、石が大理石へと変質していく。  

白い壁がせり上がり、螺旋階段が組み上がり、窓枠が生成される。  

まるで早回しの映像を見ているかのように、何もない森の中に巨大な塔が出現していく。


「……すご……い……」


私は目を開けた。

月光の下、白く輝く塔が伸びていく。  

それは単なる建物ではなかった。

私たちの愛の結晶。  

二人の魔力が物理的な形をとった、巨大な墓標であり、揺り籠。


「仕上げです、我が妻よ」


アルフォンスが私を抱き寄せた。

塔の頂上に、二つの鋭い尖塔が形成される。  

寄り添うように並び立つ、二本の塔。  

それは、どう見ても私とアルフォンスの姿を模していた。


「……双塔ツインタワー。……貴女と私、二人で一つの世界を支える柱です」


カッ!!


最後に、塔全体がアメジスト色の光に包まれ、

そして静かに輝きが収束した。  

完成だ。 森の緑に映える、白亜の塔。  

以前の「忘れられた塔」よりも一回り大きく、

そして遥かに洗練された、私たちの新しい城。


「……はぁ、はぁ……」


魔力を使い果たし、私は膝から崩れ落ちそうになった。  

けれど、床に膝がつく前に、アルフォンスが私を抱きとめた。


「お疲れ様でした、エルカ」


彼は汗ばんだ私の額にキスをした。


「完璧です。貴女のおかげで、予定よりも遥かに堅牢で、美しい家ができました」


「……あんたの趣味全開だけどね」


私は苦笑いしながら、完成した塔を見上げた。  

窓ガラスは一枚の歪みもなく磨き上げられ、外壁は汚れを弾く特殊な結界でコーティングされているのが見て取れる。  

まさに、潔癖症の執事が建てた城だ。


「では、最後の仕上げを」


アルフォンスは私を抱きかかえたまま、塔の入口――重厚な樫の木の扉の前へと歩み寄った。

そこには鍵穴がない。代わりに、複雑な術式が刻まれたプレートが埋め込まれている。


「セキュリティ設定を行います。この扉は、物理的な鍵では開きません」


彼は私の手をプレートに押し当て、その上に自分の手を重ねた。


「登録するのは、二つの魔力波長。……『エルカ・クライン』と『アルフォンス・クライン』。この二人の魔力が揃った時のみ、あるいは……」


彼は言葉を切り、少しだけ意地悪く微笑んだ。


「貴女が『ただいま、あなた』と言って、私にキスをした時のみ、開錠される設定にしましょうか?」


「……ば、バカじゃないの!?毎回そんなことするの!?」


「おや、不満ですか?夫婦なら当然の挨拶かと」


「……もう、勝手にしてよ……」


私が顔を赤くして俯くと、プレートが青く輝き、

ガチャリと重い音がしてロックが解除された。

設定完了。これで、この塔は世界で一番安全で、

世界で一番恥ずかしい鍵を持つ要塞となった。


「……設定完了です。この結界は、外部からの『敵意』や『汚れ』を完全に遮断します。ですが、貴女が望む『平穏』な来客……例えば、森の動物たちや、優しい風だけは通すように調整しました」


アルフォンスは扉を押し開けた。  

中から、新しい木の香りと、温かい空気が溢れ出してくる。  

広々としたエントランス。

磨き上げられた大理石の床。  

そして、奥へと続く螺旋階段。


「さあ、どうぞ。私たちの新しい我が家へ」


彼は私を降ろそうとはせず、そのまま「お姫様抱っこ」で敷居を跨いだ。  

これは、東方の国ではなく、西洋の結婚式の風習だ。  

花嫁を悪魔から守るために、花婿が抱いて新居に入るという儀式。


「……重くない?」


「まさか。……世界そのものを抱いているようなものですから、重みはありますが、苦痛ではありません」


彼はエントランスの中央まで進み、そこでようやく私を降ろした。  

床は床暖房が効いていて、靴越しでもじんわりと温かい。


「ここが……私の家……」


私は周囲を見渡した。家具はまだ少ないけれど、必要なものは全て揃っている。  

ふかふかのソファ、大きな暖炉、そして奥に見えるキッチンからは、早くもいい香りが漂ってくるような気がした(それは私の願望かもしれないけれど)。


かつて、ゴミに埋もれて死にかけていた私。  

塔に閉じ込められ、世界を呪っていた私。  

そんな私が、自分の意志で、愛する人と作った、世界でたった一つの居場所。


「ありがとう、アルフォンス」


私は彼の胸に飛び込んだ。


「最高の家よ。一生、ここから出たくないくらい」


「フフッ。それは最高の褒め言葉ですね」


アルフォンスは私の背中に手を回し、強く抱きしめ返した。


「ですが、閉じ込めるだけではありませんよ。……たまには街へ降りて、デートもしなくては。せっかく『夫婦』になったのですから」


「そうね。それも、悪くないかも」


私たちは新居の中心で、静かに口づけを交わした。外は深い霧に包まれている。  

でも、この塔の中には、温かい光と、尽きることのない愛が満ちていた。


共鳴する双塔。  

それは、二人の魂が寄り添い、支え合いながら空を目指す、永遠の愛の墓標だった。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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